メインコンテンツへスキップ
見出し画像

まほうの台所、それから、きらきらする不純物

    料理をはじめるきっかけって、
    本当に、
    人それぞれなんだなぁと最近思う。

    私の場合は、母だった。

    母のつくるものは、
    なんでも美味しくて
    子どもながらに、
    それはちょっとした魔法みたいだと思っていた。

    台所のあかるい光のなかで、
    おいしいものが次々に生まれてくる、魔法。

    そんな景色を見るのが好きだった。

    そして、
    母は教えるのも驚くほど上手い。

    となりに立って、
    包丁の持ち方や火加減を、
    ひとつひとつ見せながら教えてくれる。

    まだ手が小さかった頃、
    りんごの皮むきがどうしても上手くできなくて、
    何度もむきになっていた。

    むきになって、りんごの皮をむく。
    今思うと、なかなか変な子どもである。

    指を切っても懲りずに続ける私に、
    母は少し呆れながらも、
    ずっと付き合ってくれた。

    そんな時間がうれしくて、
    気づけば料理が好きになっていた。

    作ったことのないものに挑戦して、
    うまくできたときのあの胸のすく様な達成感。

    誰かに「おいしい」と言ってもらえたときの、
    くすぐったいような喜び。

    食卓に流れる、
    あのまあるい空気。

    それが全部、好きだった。

    だから今思う。

    私はとても恵まれた入口から、
    料理の世界に入ったのだと。

    あったかくて、
    やわらかい入口だった。

    ところが最近、
    私はもうひとつ別の、
    ちょっとおもしろい入り口を見つけてしまった。

    いわゆる、
    「推し」である。

    忘れていた感情。
    久しぶりな「推し活」だった。

    チェックできるものは
    とにかく爆裂に追いかける。

    ツンデレ、ギャップ、
    そしてにじみ出るメロさ。

    おまけに
    丁寧な暮らしを目指している
    自炊男子だという事実までもが明らかに。

    これはもう
    「さぁ、沼へようこそ」
    と言わんばかり。

    えぇ、
    ズブズブです。

    ある日、
    得意料理を聞かれて、
    彼が答えていたのは、

    これまでに聞いたこともないような、
    なんだかやけに小洒落た名前の料理だった。

    カタカナが並んでいて、
    耳には残るのに、
    味の想像がまったくつかない。

    それを彼は、
    「得意です」
    と、なんでもない顔で言った。

    いや、待ってほしい。
    そんなものを家で作るの?

    私は一気に気になってしまった。

    本人はさらっと言っただけで、
    つくり方もくわしくは説明しない。

    名前だけをぽんとそこに置いて、
    その先はこっちに丸投げされているようだった。

    どんな料理なんだろう?
    どんな味なんだろう?

    気づけば私は、
    スマホ片手に検索していた。

    そういえば最近、
    こんなふうに
    純粋な「知りたい!」という気持ちだけで
    料理のことを調べるなんて、
    あまりなかった気がする。

    つくらなきゃ。
    献立を考えなきゃ。
    冷蔵庫の中のものを、早く使わなきゃ。

    いつの間にか、
    そんな
    「やらなきゃいけないこと」の引き出しの中で、
    毎日の料理を見つめることが増えていたから。

    ただ知りたい。
    ただ気になる。

    その気持ちだけで調べていた。

    それが妙になつかしくて
    むきになって
    りんごの皮をむいていた頃の自分が、
    少しだけ戻ってきたみたいだった。

    実際に作ってみると、
    おもっていたよりずっと簡単で
    できあがったお皿を見て
    なんだか少しだけ、

    ふふん♪

    と誇らしい気持ちになった。

    推しがきっかけだったはずなのに、
    気づけば私は、
    料理そのものをとても楽しんでいた。

    人の「好き」というエネルギーは、
    ほんとうにすごい。

    理屈とか、
    面倒くささとか、
    疲れとか。

    そういうものを飛び越えて、
    知らなかった世界の扉を開けてしまう。

    料理って、
    毎日のことになればなるほど、
    義務みたいな顔をして近づいてくる。

    作らなきゃ。
    考えなきゃ。
    片付けなきゃ。

    そんな言葉に囲まれているうちに、
    料理そのものへの好奇心は、
    いつの間にか奥の方へしまわれてしまう。

    でも、

    「あの人が好きだからやってみたい」

    そんな少し不純で、
    でもとてもまっすぐな気持ちが混ざると、
    台所の空気は少しだけ変わる。

    「推しと同じものを食べてみたい」

    そんなミーハーな、
    でも最高にピュアな入り口だって、
    きっと悪くない。

    きっかけなんて、
    ほんとうは何だっていいのだ。

    その先で、

    「知りたい」とか、
    「やってみたい」とか、

    そんな気持ちがもう一度動き出すなら。

    気がつけばその一皿は、
    推しのことだけじゃなく、
    私がいつの間にか置き忘れていた
    料理の楽しさまで、
    そっと
    連れて帰ってきてくれていたのかもしれない。




    ※ 以前、同じきっかけを
    別の視点で軽やかに書いた記事があります。


    あの時見つけた
    「不純でピュアなきらめき」が、
    私の中でずっと小さな残り火のように
    残っていました。

    子どもの頃に見ていた台所の魔法と、
    そのきらめきがどこかで繋がった気がして、
    あらためて言葉を紡ぎ直しました。

     
     
    料理に拗れた栄養士です。 献立が決まらない日。 レシピ検索だけで疲れる日。 冷蔵庫を開けて閉める日。 そんな迷走中の台所から、 日々の気持ちを書いています。 「料理ってもっと楽しいものじゃなかったっけ?」 その答えを、 のんびり探している途中です。

    あなたへのおすすめ