
料理は、いつも小さな“好き”から始まる
料理を始めるきっかけって
人それぞれなんだなと最近思う。
私の場合は、母。
作るものは全て美味しくて
子どもながらに
それはちょっとした魔法みたいだと思っていた。
そしてそのレクチャーが
また上手い。
隣に立って
一緒に作ってくれる。
包丁の持ち方から火加減まで、
ひとつひとつ見せながら教えてくれた。
まだ手の小さかった頃、
りんごの皮むきがなかなか上手くできず
何度やっても納得がいかなくて
むきになっていた。
指を深く切ってしまっても
懲りずにやり続ける私に
母は少し呆れながらも付き合ってくれた。
そんな時間が
楽しくて仕方ない。
気づけば料理が好きになっていて
自然と台所に立つようになっていた。
作ったことのないものに挑戦して、
うまくできたときの
「意外といけるじゃん」という感覚。
「おいしい」と言ってもらえるうれしさ。
そして、
誰かが少し機嫌よく食卓に座っている
あの空気。
それが全部、心地よかった。
でもそれって、
今思えば恵まれた入口だったんだと思う。
そして最近、
別の入口もあることに気づいた。
いわゆる“推し”である。
好きなアーティストが、
家で料理をすることが多いと言っていた。
得意料理は、
聞いたこともない小洒落た料理。
それを、
さらっと「得意です」と口にする。
最初は「なにそれ?難しそう」と思った。
本人からは
その料理のことは詳しく語られず、
名前だけをぽんと置いて、
その先はこちらに委ねられているようだった。
どんな料理なんだろう?
どうやって作るんだろう?
気づけば、
忘れかけていた
「料理を知りたい」という気持ちが
戻ってきていた。
実際に作ってみると、
思っていたよりずっと簡単で、
少しだけ気分が上がる。
与えられるだけじゃなく、
自分で少し踏み込んだからこそ、
その料理ごと好きになっていく気がした。
「推しが作ってたから気になる」
始まりはたぶんそれだけ。
それがいつの間にか
料理そのものへと興味が広がっていた。
人の「好き」って、すごい。
理屈を飛び越えて、
知らなかった世界に、
自然と足を踏み入れさせてしまう。
料理って、
毎日の生活になるほど
「やらなきゃ」に近づいていく。
でもその中に、
「好きだからやってみたい」が
混ざる瞬間があると、
少しだけ空気が変わる。
”推しと同じものを食べてみたい。”
そんな入口でも全然いいと思う。
きっかけなんて本当はなんでもいい。
その一皿はもうすでに
静かに自分の生活に
入り込んでいるのかもしれない。