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『「40歳を超えて、大学院へ行く」ということ』㊴大学院2年生10月前半----「未来の夢」と「人生」

    初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。

     私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。

     いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。
     おかげさまで、こうして記事を、書き続けることができています。

    (※この『「40歳を超えてから、大学院に通う」ということ』シリーズを、いつも読んでくださっている方は、「喫茶店」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います。今回は、大学院2年生になった10月前半の話です)。

    大学院で学ぼうと思った理由

     元々、私は家族介護者でした。

     1999年に介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

     そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

     そして、臨床心理士の資格を取得するために、指定大学院の修了が必須条件だったので、入学しようと考えました。それが実現したのは、介護に専念して10年が過ぎた頃でした。

     私自身は、今、振り返っても、40歳を超えてから大学院に入学し、そして学んで修了したことは、とても意味があることでしたし、辛さや大変さもあったのですが、学ぶこと自体が初めて楽しく感じ、充実した時間でした。

    「40歳を超えて、大学院に通うということ」を書こうと思った理由

    それはとても恵まれていたことだとは思うのですが、その経験について、(すでに10年以上前のことになってしまいましたが)伝えることで、もしも、30代や40代や50代(もしくはそれ以上)になってから、大学院に進学する気持ちがある方に、少しでも肯定的な思いになってもらえるかもしれない、と不遜かもしれませんが、思いました。

    (もちろん、資格試験のために大学院へ入学するのは、やや一般的ではないかもしれませんが)。

     同時に、家族介護者へ個別な心理的支援を仕事として続けてきたのですが、少なくとも臨床心理士で、この分野を専門としようと思っている方が、かなり少ないことは、この約15年間でも感じてきました。

     もしも、このnoteを読んでいらっしゃる方の中で、心理職に興味があり、臨床心理士や公認心理師を目指したい。

     さらには、家族介護者の心理的支援をしたいと思ってくださる方がいらっしゃるとしたら、できたら、さらに学ぶ機会を作っていただきたい、という思いもあり、改めて、こうして伝えることにしました。

     この私のnoteの記事の中では、もしかしたら、かなり毛色が違うのかもしれませんし、不定期ですが、何回かに分けて、お伝えしようと思います。そして、当時のメモをもとにしているため、思ったよりも長い記事になっています。

     よろしくお願いいたします。

     この記事は、ほんの一例ですが、介護をしながら学んでいる人間の記録でもあると思います。

     今回は、40代後半になってから、在宅で、妻と一緒に義母(妻の母親)の介護を続けながらも、臨床心理学専攻の大学院に通えることになり、大学院2年生になり、10月後半の頃の話です。修士論文が進まずに、あと1年、合計で3年、大学院に通うことを決めた頃でした。

    喫茶店

     10月1日。土曜日。

     今日は珍しく事例検討会が午後からで、午前5時頃まで介護のためい起きている私にとっては、とてもありがたく、昼ゴハンは車中で食べながらも、「神聖かまってちゃん」をシャッフルモードで聞きながら、チロルチョコを食べて、少し目を閉じていたら、40分くらいが過ぎました。本当はもっと論文を読む時間にしないといけないのに、何もしないでまた駅に着いてしまいました。

     午後1時前に大学に着いて、閲覧室へ行って、論題の変更を書いて、それから、教室へ向かって、まだ先生は来ていなくて、いろんな人と会って、講義が始まりました。

     今日は、外部から先生を呼んだわけでもないので、先生は一人で、なんとなく普通の講義の延長のようにも思え、緊張感はいつもよりもなかったのですが、事例検討会はスムーズに進み、時間は過ぎました。こうやって、一コマずつ終っていくけれど、それは、確実に学生時代の終わりが近づいている、という事でもあり、時間の流れが、また早くなっているのを感じながら、少し寂しいような気持ちにもなっていました。

     終わってから、もう解散なのかな、みんな帰っちゃうのかな、まあ修士論文もあるし、今年でなく来年に秘かに目標を変えた私にとっては、何も言えず、だけど、その中の1人がコーヒーでも飲みながら、みたいな事を言っていたので、その同期とは、中間発表会の話もしたかったので、そこで話していたら、他の学生も通ったので、合流し、2時間くらいはたっていて、そこで解散かな、と思ったら、池袋に遊びに行く、というので、バスに乗り、初めてダーツをやりました。

     よく分からないけれど、1人、うまい人がいたので、教えてもらいつつも、やっていたら、けっこうダラダラした時間も流れていたものの、楽しかったけど、けっきょく最後までルールが分からないままのゲームもありました。

     そうやって時間が過ぎ、ゲームセンターへ行き、さすがにそれは、ほとんどつき合えず、ごう音の中にいたら、けっこう疲れていたのですが、ゲームに関しては、この20年でものすごく進化をしていて、目の前の人達は、子どもの頃からやってきているのだから、それは、もう体への染み方が全然違うはずで、と見ていて、時々やりますか?と言われ、それは断ったりしていたが、せっかくだから、少しはやればいいと思い、よく分からないまま、クルマのゲームをやって、何も出来ずに盛上がらなかったので、もういいかな、というような気持ちもあったし、元々、ゲームは最初のインベーダーゲームから、あんまり好きでもなかったから、相性もよくなかったのかもしれません。

     そこで時間を過ごしたら、午後9時を過ぎていて、お腹がすいていたので、ラーメンが食べたい、という人がいて、それで3人くらいでラーメンを食べ、その後に喫茶店で時間を過ごしました。

     その中の1人は、昔のバラエティーで、ポケットビスケッツのファンで、CD発売のための署名までした、という話を聞き、その頃、自分は十分以上に大人だったから、大人があざとい商売をしてるな、と思ったけれど、それを純粋に受けとめていた子どもが、今は大人になっていると思って、商売としてはほめられたものではないけど、それでも、なんだかよかったんだ、というような気持ちにもなり、時間の流れが確かにあった、とも思いました。

     もう少し話もしたかったけど、終電がある人もいるし、私も介護で、義母をトイレに連れていくし、で解散しました。もっと夜中まで、という気持ちもあるけど、でも、このくらいでちょうどいいのかもしれません。

     帰ったら、妻はすでに眠っていて、夜中の介護は私の担当なので、起きていたら、妻が少し起きてきて、今日の学校での話をしたら、笑ってくれました。

     またこれから、論文をがんばろう。だけど、修士論文が今年度はできないので、来年度まで学生生活を伸ばすことを決めて、修論の指導教授には、そのことを告げたのだけど、まだ、周囲にホントの事を言えずにいるのは、ちょっとつらい。

     これからは、介護が続きます。

    分析

     10月2日。日曜日。

     起きる時に眠かったのは、昨日(といっても日付的には、今日ですが)は義母をトイレに夜中に行かせたのが、最後が午前4時半だったので、眠るのが5時を過ぎていて、そのラインを超えると、眠ってもとても浅くなるから、出来たら午前4時には眠るようにしよう、と思っていました。

     だけど、そう考えた日に限って、義母の夜中に目がさめるタイミングが、遅くなるようになってしまい、たとえば、午前2時ぐらいに行かせようと思っていると、午前1時半くらいに目をさましてゴソゴソしているから、そこでトイレに連れていくことになり、そうなると、次に何時に行かせるかなどと思っていると、そういう時に限って、次はもう1時間後には目をさまし、トイレにつれていくことになるから、そこから自分が、お風呂に入ったり、などとしてると、午前4時すぎに次のトイレの時間になり、そういうタイミングは計算通りにいかないのは分かっていても、もう少し早く寝たいのに、意地悪なタイミングかも、と思ってしまっていたりして、けっこうイライラしながら眠る時間が遅くなります。

     だけど、前よりは、午前中の物音に、敏感でなくなり、少しは眠れるようになったと思います。それは、最近、ずっと大学院にあと1年長くいるかどうかを迷っていて、それが、一応、担当の教授にも話をして、来年度(再来年の3月に修了予定)までかけるような覚悟が決まったので、それもあって、少しは眠れるようになったのだと思います。同期より1年長くかかってしまいますが、それも仕方ありません。

     起きてから、いつものように妻が作ってくれた食事をして、洗濯もして、皿洗いもして、分析を始めました。

     それは「Aさんのインタビュー」の分析で、その人は、お母さんの介護をしているのですが、途中から、主に病院へ通う、という介護が始まって、そして、それがずっと介護、というような意識を持てずに続いていて、ただ、うしろめたさや、精神的な疲れや、そういう独特の気持ちを持ちながら、病院へ通い続け、なにより、病院に行っていない時でも、その母親の事が意識から抜けず、というような生活がずっと続いていて、その独特の負担というものは、やっぱり、カテゴリーを分けたほうがいいんではないか、というような気持ちもあります。

     それを「通院介護の負担」と名前を立ててしまうと、もう一つは「在宅介護の負担」というようにカテゴリー名を変えなくてはいけなくて、その事がいいのかどうかの迷いがあります。その上で、身体的介護、と、精神的介護のどちらの筋をたどればいいのか、などと思ったりもします。

     そんな事を思っていると、時間がかかるものの、考えれば考えるほど、質が上がる可能性は高くなりますが、そうでない場合もあります。そうなると、徒労という作業になってしまうこともあります。ちょっと怖くなります。

     今日も夜中は介護です。

    未来の夢

     10月3日。月曜日。

     いつも通り、というか、予定より、少し遅く目がさめました。昨日(といっても、日付は今日ですが)は、お風呂に午前3時半頃に入っていて、義母のトイレは午前2時半頃には連れていったので、4時くらいまでは大丈夫と思っていたら、風呂に入っている時に、音が聞こえ、妻は寝ている時間ですから、あわてて風呂から出たら、もう義母がトイレに入っていました。

     自分は、タオルだけ腰に巻き、おしめやパンツやパジャマをあげて、横にさせました。意地悪なタイミングだと嫌になりました。風呂から出て、服を着て、午前4時半ごろに見に行ったら、また布団の上で、義母がごそごそしていたので、また、トイレへ連れていきました。結局は午前5時を過ぎてから寝ました。また、とても遅くなり、それで、起きるのも遅くなりました。少し調子も悪い感じがします。

     分析を続けて、昨日は、新しく、「負担」でなく、「困難」という言葉を選択すべきなのだろうか、みたいな事を思い、でも、直すとなるとプロパティから直さなくてはいけないし、また表を戻っていろいろ修正しなくてはいけなくて、などと、おっくうな気持ちにもなりますが、だけど、この論文の質を少しでも上げるためには、必要な事だし、みたいな気持ちにもなっていました。

     それでも、来年、人よりも1年長い時間をかけて、といっても、それだけの価値があるのだろうか、みたいな、大げさな事を言っているに過ぎないのではないか、みたいな恥ずかしいような気持ちにもなります。

     ただ、それでもあと1年の時間が出来て、それをいろいろな人に言うことが出来て、伝えることもしたあとでは、もう少し素直に残りの学生生活を楽しむような気持ちにもなれるのでは、と思いました。

     夜の介護は、朝方近くまで続きます。

    ケース

     10月5日。水曜日。

     今日は、拡大インテークカンファで、自分が中断にしてしまったケースの事をしゃべらなくてはいけません。大学へ着いてから、閲覧室へまず行きました。

     その途中で、ある先生に会って、この前の発表会の話題になって、発表の技術が最初よりかなり上がったと評価してくれ、何よりも発表の内容に興味を持ってくれて、それについてフロイトの話も混ぜながら、インタビューってやってみるもんですね、というような話までしてくれて、とてもありがたく思いました。

     そして、その拡大カンファでは、自分が発表したあとに、いつも講義でお世話になっている先生に話を聞いて、相手のプライドの高さみたいなものを考え過ぎない方がいい。それより、率直に伝えるべき。こちらが悪意ではないのだから、何があってもつながったりする、という事を言ってもらい、すごく納得がしました。

     変な遠慮をしていては、ダメなのだ、という事と、どこか率直さみたいなものを伝えないと、という事も思いました。その話を、あとで同期の男性にしたら、何かが伝わったようで、納得してくれました。

     それから、以前からソフトをおごる、と約束してくれていた同期の女性に、学食でソフトをごちそうしてもらい、今日はチョコ味を食べていたら、すごく食べ方が下手、と言われました。初めてでしたし、そのことを意識したこともありませんでした。

     それから、夜の講義まで、時間がまだあったので、閲覧室で論文の続きをプリントアウトして、作業を少しでも進めました。

     カテゴリーを分けて、現象ごとに分類する、という作業の途中でふせん紙にカテゴリーを書いて、A4の紙にはって、分けていく、という事をしていたのですが、手間はとてもかかります。それでも、少しは作業は進みました。だけど、論文進んでますか?と言われるたびに、実はもう来年に向けて考えてます、と言いたくて言えず、そして、うしろめたい気持ちが続いていて、そうしたことを含めて、今日、指導教官に聞こうと思ったら、今日はいらっしゃっていませんでした。まずはメールを出しました。

     夜の講義を終えて、家に帰りました。それから、夜中、というよりは、朝近くまで介護が続きます。

    バイト

     10月7日。金曜日。

     明日の土曜日は朝が早くて、午後は実習で、夜は飲み会、というスケジュールだから、すでに昨日の木曜日から不安で、今日も義母が無理して歩こうとしているのを、止め、おそらくは恐怖心があるせいか、怒ってしまい、それは、義母にとっても嫌なものだったに違いないのですが、自分自身もぐったりと疲れてしまい、出かける前に少し横になりました。

     今日は大学院が主催する講義を聞きたかったのですが、すでに申込みが終っていたので、大学院生でもあるので、その講義の受付などのアルバイトのことを問い合わせたら、人手がまだ足りない、いうのを知って、アルバイトをして、受付が終わった後は、講義も聞ける事になりました。

     ありがたいことでした。

     大学まで向かいます。誰にも、妻以外には言えないことですが、アルバイトとしても、働いてお金をもらう、という事が、12年前の7月以来なので、自分で驚く前に、がっくりというか、がくぜんとしてしまいます。

     いつもの地下鉄に乗り、駅で降りて、ずっと受付の実習で通ったカウンセリング施設に行くと、少し落ち着き、他の人達も来て、てきぱきと働いていたので、自分が何も出来ない感じだったけど、何よりも出来ることはやろうとして、受付をしていると、最初は老眼鏡を忘れてしまったので、受付で確認するためなのに、目の前の名簿の名前がはっきりとは見えず、それでも何とか大きなトラブルもなく、時間も過ぎました。

     その仕事が終わってから講義も聞けて、その内容は理論というものからは鮮やかさが少なかったかもしれませんが(あとで、講義について他の学生と話した時にそういう印象があったかもしれないと思えました)、なんていうか、現場の論理、というか、プロのすごさ、みたいなものを見せてもらったような気もしていました。

     それから、最後は、事例なのでレジュメを回収して、(この習慣にもずいぶんと慣れたし、シュレッダーを使うことにもかなり慣れたのですが、でも、この秘密保持の感じは、この仕事としては当たり前かもしれないが、かなり特殊な感じは今でもしています)ばたばたしているうちに、100人足らずでも、これだけバタバタするのだから、1万人単位のイベントなんて、どれだけ大変なんだろう、と思いました。

     バイトでもあり、講義でもある時間が終ってから、博士課程にいる二人の先輩と、同期の2人と一緒に食事をしました。自分の存在が、かなり微妙なのは分かります。博士課程の二人にしてみれば、すごく年上で、でも、後輩だし、学問的にも下、という存在だから、どうなのだろう、と思い、でも、こちらは楽しかったので、機嫌良く黙っていた、つもりだったのですが、伝わったどうかは分かりませんでした。

     という事で、解散しました。地下鉄の中で、途中まで一緒だった、博士課程の人に、心理の仕事をする予定ですか?と聞かれ、はい、と答えました。ただ、(自分がしたい介護者の心理的支援が)仕事としてあるかどうか、微妙ですが、という言葉を続けていました。

     ホントに先はどうなるのだろう。

     ただ、今は、目の前のことをやるだけで、家に帰って来てから、介護の合間に課題を書いていたら、けっこう時間が平気で過ぎていました。午前5時頃に眠ることになりました。

    腕相撲

     10月8日。土曜日。

     午前5時頃に寝たので、8時に起きるのは、起きるまでが不安ですが、なんとか起きて、眠かったのですが、出かけて、学校へ着いてから、課題のレポートを出して、それから教室へ向かうと、担当の先生が遅刻されるそうで、20分ほど遅く始まりました。

     その事例は、とても大変な人生をおくっている人のケースで、それに対してのグループワークというようなものの報告で、それに対して、コメンテーターの先生は、私は知らないので教えてもらった、というような話をされて、昨日も鋭かったのに、と思いながらも、いろいろな人から質問が出たり、という事を繰り返していく中で、その場で疑問が浮かび、思いつき、解決していく途中で、何か納得を得て行く姿が、目の前で展開されていました。

     その過程を言葉だけでなく、身振りや、表情や、それに伴う、熱といっていいもので伝えてもらった事で、こちらも、そうした動きに多少は同調できて、最後にその先生の納得が全体にも伝わって来たようで、なによりも今回の発表者に、このやり方でいいんだ、という迷いがなくなった気配になって、それがよかったのではないか、この伝える力みたいなものがすごいのかもしれない、などとも思いました。

     それから学食で食事をして、同期の人と話していると、時間が過ぎ、午後からの実習にもう少しの時刻になってしまい、あせって地下鉄に乗って行ったらぎりぎりでした。8月と9月分の記録を渡して、そして、会が始まったが、途中でものすごく眠くなってしまって、途中でもしかしたら少々気を失うようになっていて、話の中味がまったく頭に入って来ない時がありました。最後の方になって、少し盛り返してきたけれど、なんとなく集中力がきれたまま、眠いまま終ってしまいました。

     そこからまた地下鉄に乗って、大学の最寄りの駅に着き、そばの飲食店に向かったら、ちょうど大学院1年生の人達や、博士課程の方達と一緒の飲み会に合流することになり、その中で、私はアルコールを飲まないのですが、今まであまり話したことのなかった博士課程の女性と初めて長い時間を話をしました。新鮮でした。

     そのうちに、遠くのテーブルでやっていた、酒が入った方々の腕相撲のところに呼ばれ、1年生の1人と腕相撲をして、勝たせてもらい、それから同期のまだ腕相撲していない人として、勝たせてもらい、そのあとに、今度は博士課程の人が登場したら、ものすごく強いのを知りました。柔道の経験者らしいです。腕力を使った格闘技の人は質の違う力を持つことを知り、その人に負けて終わりになって、解放されました。

     基本的にとても楽しかったのですが、負けるまで宴会に戻るのを許してもらえないので、微妙な気持ちにはなりました。だけど、見た目や年齢の高さのわりに、強さがあるとしたら、介護のおかげ、という事を強調して、よく分からないけど、そういうキャンペーンを秘かにしているような気にもなっています。

     午後10時半頃になったので、他の人達は、駅前に行きます、まだ飲みます、という事だったのですが、妻も心配するし、この時間から次に行くと、12時近くになってしまったりもするので、帰るんですか?と言われながら、地下鉄に乗って帰りました。

     帰ったら、まだ起きていた妻が少し安心してくれました。

     これから、夜中から早朝といえる時間まで介護が続きます。

    うそ

     10月12日。水曜日。 

     今日は朝方。トイレに起きた時に、義母が、何も上着を着ずに、腰にも何もかけず、あれだけ「体を冷やさないようにしてください」と、手紙に書いたのに、という気持ちになり、頭にきて、早朝から眠いはずなのに、怒りを感じてしまいました。

     それで、何か叫びたいような気持ちにもなったのですが、それでもまた眠りました。

     今日は、月に1度のボランティアの日です。母が入院していた病院に行き、誕生日を迎える患者さんに渡す誕生日カードを、何人かで作ります。早朝に、一回起きて、怒ったりしたのですが、午前11時に起きて、11時半頃に出かけました。

     2時間くらいかけて、病院に着きました。カード作りをする前に、論文のインタビューに協力してもらって、まだ確認書を書いてもらってない人が早めに来てくれたので、署名をしてもらいました。

     そして、論文の完成が来年度、なので最初に伝えた予定より1年長くなることを告げたのですが、なんだか、その理由がただの言い訳になってしまっているような気がしてしまいました。そんな微妙に重い気持ちは、どこかにずっと続いているのは、うそをついているような気になっているからでした。

     カード作りのボランティアが終わってから、バスと電車と地下鉄を乗り継ぎ、やっぱり2時間くらいかかって、学校に行き、いろいろな人に会い、兄弟が結婚して海外に行った、というような話を聞いたり、などとしているうちに、今日は3着目のTシャツが汗で湿ってくるのが分かり、着替えました。

     そのあと、閲覧室へ行ったら、昨日、メールを送った人に御礼を言われ、失礼でなくてよかったと思いました。この後は、実習ゼミです。学生はそれぞれ別の場所で実習を行っているのですが、そのことの反省や振り返りや、より良い実践のためにあるのが、今日の実習ゼミです。閲覧室でお礼を言われた人が発表を行ない、それについて、いろいろな話になって、時間が過ぎました。

     ゼミでも、11月は修論で忙しいですよね。と言われ、私は、すでに、さらに2年計画で論文を進めているんです、だから、大丈夫です。ともまだ言えず、やはり、うそをついているような気持ちになりました。2年ではなく、3年かけて修了したい、それも論文をきちんと仕上げたいから、ということは、修士論文の担当教授にしか伝えていないので、そこからさらに、伝える人たちの順番があって、まだ大っぴらに言えない日が続いています。

     ちょっとつらいのは、少しずつ裏切り続けて行く毎日、のように思えるから、でしょう。

     帰ってからは、介護です。

    人生

     10月13日。木曜日

     起きて、食事をして、洗濯物を干して、皿を洗って、その間に英語を聞いていて、お風呂も洗って、といつものことをしてから、修士論文のための分析を始めて、今日は飽きそうになりながらも、1時間半くらいは続けました。ある程度の時間、取り組めると、少し気持ちも落ち着くのですが、それから研修会の振込に行こうと思ったら、郵便局だけの振込みで、もう午後4時をすぎていて、間に合いません。

     それでも、少し外を歩きたいと思って、妻に買い物を聞いたら、薬局でぜんぶすむものばかりでした。途中で軽く走ったりもして、帰って来て、少し論文を読み、10年前の山本則子氏という研究者の論文で、この人はちゃんとしてる(って生意気ですが)と思っている人で、その内容は、とても正確で、こうするべきだ、という言い方をしていて、でも、それが10年たっても、介護者の支援に関しては、ちゃんと整備されている感じがしません。

     などと思っていると、時間がたち、デイサービスに行っている義母が帰ってくる時刻に迫って来たのですが、午後5時になっても帰って来ないので、その送迎車を待ちながら、妻と、しかもサンダルのまま家の前でボールを蹴っているうちに、ワゴンが来て、車いすの義母を迎え入れて、それから、少しお茶をしました。

     そのあと、昼寝(と言っても夕方ですが)をしたら、起きる時にけっこう眠くて、だるくて、もう少し寝ていたい、と思えるような感じだったのですが、起きて、妻と筋トレをしました。

     妻は一緒にボールを蹴ったりすると、サッカーの経験もないのに、かなり運動能力が高いから、もし若い時にちゃんとしたコーチがいて、きちんと努力したら、かなりいい線いったのではないか、と今さらだけど、もったいない気もしますが、そういう話をしても、妻はあまり関心を持ってくれません。

     少しぼんやりとしている時に、死んだら、こういう意識がすべてなくなって、まったく無に戻るのか、と思って、恐くなりました。昨日の実習ゼミで担当の先生が、人生って短いね、という実感を込めて言ったことと関係あるのかもしれませんが、久々にそんな事を考えて、そして、再来年の3月まで学生をやって、それも論文を書くため、などいう理由で、いいんだろうか、みたいな事も思って、だけど、どんなひんしゅくをかったとしても、自分が考えて、選んだのだから、仕方がない、というか、それでやっていくしかないのだろう、と思い直しました。

     昨日、ゼミの後に、飲み会をやって、実習ゼミの2人の1年生、といっても、1人は自分よりも年上の人ですが、その人に、構えが柔らかくて、何にでもなれる感じですよね、みたいにほめられました。うれしいけれど、でも、意外な感じもしました。

     今日は、それでも、夜中まで介護をしながら、その合間に、分析を少しでも進めて、次の研究ゼミでは少しは発表できるようにしたい、と思いました。だけど、やっと、来年まで伸ばす、というような話をした時に、微妙な反発をかうのかな、と思って、どこか、いいカッコをしたいんだ、みたいな自分に気がつきました。

     少し恥ずかしいです。
     夜中は、まだ介護が続きます。







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    おち・まこと。臨床心理士/公認心理師。元・家族介護者。専門は「家族介護者への心理的支援」。家族介護者への個別の『介護相談』の仕事をしています。「全国の市区町村に、家族介護者のための相談窓口設置」が目標です。週1回更新予定。記事は約600本。東京都在住。

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