
『「40歳を超えて、大学院へ行く」ということ』㊳大学院2年生9月後半----「新学期」と「中間発表会」
初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。
おかげさまで、こうして記事を、書き続けることができています。
(※この『「40歳を超えてから、大学院に通う」ということ』シリーズを、いつも読んでくださっている方は、「新学期」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います。今回は、大学院2年生になった9月後半の話です)。
大学院で学ぼうと思った理由
元々、私は家族介護者でした。
1999年に介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。
そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。
そして、臨床心理士の資格を取得するために、指定大学院の修了が必須条件だったので、入学しようと考えました。それが実現したのは、介護に専念して10年が過ぎた頃でした。
私自身は、今、振り返っても、40歳を超えてから大学院に入学し、そして学んで修了したことは、とても意味があることでしたし、辛さや大変さもあったのですが、学ぶこと自体が初めて楽しく感じ、充実した時間でした。
「40歳を超えて、大学院に通うということ」を書こうと思った理由
それはとても恵まれていたことだとは思うのですが、その経験について、(すでに10年以上前のことになってしまいましたが)伝えることで、もしも、30代や40代や50代(もしくはそれ以上)になってから、大学院に進学する気持ちがある方に、少しでも肯定的な思いになってもらえるかもしれない、と不遜かもしれませんが、思いました。
(もちろん、資格試験のために大学院へ入学するのは、やや一般的ではないかもしれませんが)。
同時に、家族介護者へ個別な心理的支援を仕事として続けてきたのですが、少なくとも臨床心理士で、この分野を専門としようと思っている方が、かなり少ないことは、この約15年間でも感じてきました。
もしも、このnoteを読んでいらっしゃる方の中で、心理職に興味があり、臨床心理士や公認心理師を目指したい。
さらには、家族介護者の心理的支援をしたいと思ってくださる方がいらっしゃるとしたら、できたら、さらに学ぶ機会を作っていただきたい、という思いもあり、改めて、こうして伝えることにしました。
この私のnoteの記事の中では、もしかしたら、かなり毛色が違うのかもしれませんし、不定期ですが、何回かに分けて、お伝えしようと思います。そして、当時のメモをもとにしているため、思ったよりも長い記事になっています。
よろしくお願いいたします。
この記事は、ほんの一例ですが、介護をしながら学んでいる人間の記録でもあると思います。
今回は、40代後半になってから、在宅で、妻と一緒に義母(妻の母親)の介護を続けながらも、臨床心理学専攻の大学院に通えることになり、大学院2年生になり、9月後半の頃の話です。修士論文が進まずに、あと1年、大学院に通うかどうかを決めた頃でした。まだ論文のことばかりになってしまいますが、大学院生にとって修士論文は、かなり重要なこともご理解くだされば、とも考えています。
(※今回も思ったより長くなり、1万字を超えてしまいました。長めなので、興味がある項目だけでも読んでいただければ、ありがたく思います)。
新学期
大学院2年生9月17日。土曜日。
朝は8時に目をさまさなくてはいけなくて、目覚ましがなって、それまで見ていたはずの夢は起きたら忘れていました。
1階に降りて、妻が心配するので秘かにかぜ薬を飲み、したくをして、午前8時30分過ぎには出かけました。前夜も、介護のために午前4過ぎまでは起きていたので、眠いです。
電車は最初座れなくて途中から座れました。睡眠時間が短くても、すぐには眠くならないので、本を読みました。認知症の本。書いた人は、この前、学校の事例検討会に来てくれたのですが、そのコメントが事例検討会では、初めて少し納得がいかない人でした。認知症に対して、欠落と保持と反応で見て、落ち着いてみていれば、という話は多く、それはその場では納得がいくものの、家族がそれを強要される方向へ行ったら、とても嫌だな、という気持ちがしたりするのは、家族介護者の方々に、直接、話を聞いた時の印象があるせいかもしれません。
それから2時間がたち、事例検討会は終わり、今回も実りがある時間を過ごすことができて、学べた気もしていました。そうした時は、自分はもう50歳で、というような年齢のことは忘れていました。
それから、エレベーターで下に降り、閲覧室へ行って、少しダラダラとしていて、本を貸したり、コピーを渡したり、修論どうですか?みたいな話をしたり、ということをしばらくして、5、6人で大学の前のいつも行く中華屋さんの2階の畳の部屋に行きました。
そこで食事をして、笑ったり、話したりしているうちに時間も過ぎて、去年から始まった、こういう時間がまだ続いて、いつも続いて、これからもずっと続くような気持ちになっていて、時間がゆっくりと流れているものの、これもあと半年で終わり、ということで、ここにいる人達はそれぞれの道に進んで、みたいなことを考えていたら、少し寂しい気持ちがしていました。
そのまま時間は過ぎて、午後3時前には解散となり、次にどこかに行くのかな、と思っていたら、そのまま完全に解散となり、さすがに修士論文の季節が迫って来て、その上、中間発表会、というものがあるから、プレッシャーになっている、と思いながら、不安はあるけど、楽しみでもあります。
介護に関する論文を読むたび、やっぱり今も納得がいくことは少なくて、それを思うたびに、やっぱり来年までかかっても、修士論文の質を少しでも上げようと思います。
今日も午前4時過ぎまで介護が続きます。
何もしていない気持ち
大学院2年生年9月18日。日曜日。
義母の介護を始めて、12年がたちます。
自分の母親と同時期だったので、正確には、いつから介護が始まったのか?は分からないのですが、でも、気がついたら、介護をしているという状況になり、妻はずっと主たる介護者でもあるのですが、私は今は副介護者として、主に夜間から朝方にかけて介護をしている、という存在に過ぎません。それでも妻と二人で、ほぼ24時間介護という体勢がとれています。
だから、当事者として、という言葉を使ってはいるのですが、実はそれほど当事者なのかと言われると、自信がありません。50近くなり、衰え始めが体で分かってきて、だけど、普通というか、多数は、社会的な蓄積が出来て来て、それを自信の裏付けにしたりするのですが、私には何もありません。心臓の発作を起こして、仕事を諦め、介護だけをしています。健康もなければ、無職で、今は学生に過ぎないので、自信の根拠がありません。
だから、一見、謙虚にも見えるかもしれませんが、そんな事はなく、もしも、近い将来仕事がうまく回り始めたら、ウソみたいに自信もって、ある意味では嫌な高齢者になっていくのかもしれませんが、今は何もない。もう、若さもありません。
昨日まで4日間、いろいろ出かけました。昨日は新しい学期が始まって、本当なら、もっとみんなでうだうだしたかったけれど、もう修士論文のこともあるし、来週は発表会もあるし、というので、忙しいのだと思います。
なんだか勝手に寂しかったのですが、若いという事は先がまったく見えないのだから、若い同期には、私とは違う質の不安があるのだろうと思います。それは、自分も、昔は持っていたはずの不安だとは想像しますが、時代が違うと、その質も、かなり変わっているのではないかとも考えられます。
歳をとると、一度の失敗が本当に致命的になり、取り返しがつきません。それだけは分かります。目の前のこと。今のこと。その瞬間のこと。だいたいのことは、もう2度とはありません。その場で、その時にちゃんとやらないとダメで、先送りにしてしまったものは、必ず、あとで、また待っています。嫌な事だったら、少し、というか、場合によっては大きくなって。それを、うまくこなす事を身につけてしまうと、おそらくは老けも早いのではないでしょうか。
などという話を、若い同期ともしてしまいました。それは、ある程度は本当かもしれませんが、まだ完全にそうだとも言えないかもしれないし、自分の印象でしかありません。自分が必死なだけで、本当は周りの事をとやかく言う資格はありません。それより、自分がやりたいこと。自分がやるべきこと。それをちゃんとやって、その上で先のことも考えられれば、それでいいのだし、それ以外をやっている時間はおそらくありません。
これから、どんどん老けていく。
今日も、介護はずっと続きますが、昨日まで4日間出かけたせいか、起きたら、昼を過ぎていました。それから、実習の逐語録をまとめていたら、30分過ぎたくらいで、眠くなり、横になったら1時間半くらいがたっていました。何もしてない気持ちが強くなります。
それから、この前、自主ゼミでいろいろ言ってもらったことを、直そうと思っていた論文の表を直し始めたら、けっこう時間もかかりました。だけど、そういうあれこれの手間ひまが、説得力を高める、というのだけは分かります。
12人のインタビューをして、1人は家族の人だから、介護の当事者は11人。そのうちの、今は3人目の途中、というペース。G T Aの分析を始めて、半年がたとうとしているから、2か月で1人、という遅さ。来年でも終るかどうか分からないようなペース。これから、1日当たりの時間を物理的に増やそう、と思いました。
来年度にするにしても、あせらなければいけないような方法を選んでしまいました。だけど、このやり方で、何とかしていくしかありません。それにしても、GTAを使った論文がなかなかない、というか、修正版G T A、は多くて、でも、GTAはあまりない。これだけ手間がかかるから、避けたくなるのは、よく分かります。
でも、やった意味はたぶんあると思います。というより、まだ途中だから、何も言えないだけかもしれません。
台風
大学院2年年9月20日。火曜日。
今日は、ケアマネージャーの人が来てくれる日で、いろいろ支度をしていたら、時間がたちました。
ケアマネージャーの方を、義母のことが終わった後、少し引き止めてしまって話をし、帰ってから、皮膚科とこの前の電気屋さんの支払いをして、それから、腰のけんいんをしてから買い物をして、帰って来たら、もう夕方になっていました。
今日も、実習の逐語録と、その直しを一生懸命やっていたら、時間がかかって、眠くなって、少し寝て、もう夕食の時間になりました。だけど、その前に、今日も、頭の中では、中間発表会のことを用意しないと、というような事を思いながらも、何も出来ずに、時間が過ぎて、この調子で本当に論文は終るのか、と自分を疑いながら、そういえば、今日もケアマネージャーと話をして、論文の事を聞かれ、もしかしたら1年がのびるかも、というような話もしたような気がします。
まだインタビューしていない家族介護者の方が3人いて、できたら、その人達にもきちんと話を聞いて、それで論文に生かしたい、という気持ちはまだあるのを考えると、本当に欲張りだと思ったりもします。
夜になって、録画していた「タイガー&バニー」を2本続けて見て、妻は泣いたりして、そして、たまたま今日は、その最終回だから、そのまま見たい、ということになり、録画しないで、ライブで見る事にして、今見ています。
天気予報では、台風が予定の進路を変えて、明日は日本の本土を縦断するように進むという予定の映像を見て、午後9時にはちょうど関東地方に台風がある、というらしいのを知りました。
もしかしたら、明日も修士論文を書くための、研究ゼミがまた休みになるかもしれません。7月の最後も台風が来て、研究ゼミは休みになり、9月の合宿も中止になって、修士論文の完成を、締め切りである今年中ではなく、来年度まで卒業を伸ばすかもしれない、というような相談も担当の教授に出来ないまま、時間が過ぎていて、台風がまた来るなんて、そういう巡り合わせなんだ、と思ったのですが、とにかく、少しでも分析を続けようと思いました。
介護は夜中というか、朝方近くまで続きます。
中止
大学院2年生9月21日。水曜日。
朝、といっても昼近くに起きて、もう雨がかなり降り続けていて、ずっと前の夜から降っているようですが、台風が近づいてきているのも知っています。
コンピューターを起動して、メールを見たら、もう今日の講義の中止が決まったという知らせが来ていました。
7月の最後の研究ゼミも台風で、それも、所属する研究ゼミだけが休みになったし、夏休み中は担当の教授はいろいろと忙しいし、9月になってから合宿があると思っていたら、それも台風で中止になり、やっと開いた自主ゼミは先週、3人が集って開催し、夕方以降は学校が使えないので、近所の中華料理屋の2階の畳の座敷を借りて行いました。
その時は他に客がいなかったせいもあり、かなり、ちゃんと話が出来て、研究に関しても収穫があったので、1人でひらすら書く原稿とは違って、内容をオープンにしてあれこれ話すというのが、自分の限界だけで論文を書かなくてもよくなる、というか、より広い視点を使える、という意味では楽な部分もあるかもしれない、と思えました。
結局は、自分でやるしかない、という考えが強くて25年やってきて、今回の論文も基本はそうなのは間違いないが、内容について、かなり突っ込んだところまで人に意見を聞いて、それを全面的に参考に出来る、というのは、それによって、その論文の普遍性を保障される、というか、そうやって作り上げていく共同作業的な意味がある、とも少し分かって来ました。
だからこそ、この世界では、学生が協力したのに、教授がアイデアを盗んだ、とか、そういう事も起こりやすいのか、というような気持ちにもなったし、アカデミックな世界にも独特の閉塞感みたいなものがあって、人間関係や、派閥とか、そういうものもあるだろう、というような空気も何となく感じたりすることもありました。
それは、気のせいかもしれませんが、また今日も台風で研究ゼミは中止というのは、本当についてない、というか、巡り合わせが悪いのかもしれません。
これで、次にゼミをやるのは、予定では10月の19日の事になってしまので、自分にとっては、2年で修了の予定を、さらに1年伸ばしたいという話をきちんとしたいので、本当に先だと思っています。
今は自分の分析を少しでも進めるだけで、考えたら、もう9月が終ろうとしているのに、3月末から始めた分析が、3人もちゃんと出来ていない。あと、9人はいるのに、2か月に1人しか進まない。もし、同じペースで出来るとすれば、9人×2か月だから、あと18か月。この分析だけで、1年半かかるわけで、このペースだと、分析が終わるのが再来年の3月というとんでもない計算になり、修了を1年伸ばしただけじゃ足りなくなる、という悲惨なことになってしまいます。
自分が選んだとはいえ、グランデッド・セオリー・アプローチ(GTA)は、どれだけ頑張っても、時間がかかる分析であるのは間違いありません。
1か月で1人、というペースだとすると、9月に3人目までは一応メドがつくとして、来年の6月になる。もし、新しいインタビューが可能になったら、あと3人だから、9月でやっと分析が終る、という事になる。何しろ1日あたりの分析時間を増やして、1か月に最低1人は進める、という事を続けていくしかない。
けっこう大変なのは、間違いなく、でも、地味な大変さなのも分かり、この程度でわかった気になってはいけないのでしょうが、ずっと研究をしている研究者という人たちは、辛抱強い人達では、と少し分かった気がします。
今日も介護は夜中過ぎまで続きます。
たるみ
大学院2年生9月22日。木曜日。
なんだか、ここ2〜3日、分析の進み方が極端に遅くなっています。
今度、修士論文の進捗具合いを、学生と先生方の前で発表する『中間発表会』という、今年から始まった講義のために準備を進めています。昨年度までは、『構想発表会』を最初に発表したあとは、修士論文が完成した後の『口頭試問』の二つの発表会だけでした。
それが『中間発表会』という途中の段階で、発表させるシステムを取り入れたのは、修士論文の全体の質を上げる、という目的があるようでした。
その準備を進めることに気持ちがいってしまって、今まで進めていた分析が止まってしまいました。かといって、それは発表のための準備という要素が強いから、分析そのものというか、論文そのものと関係は深いのですが、発表という形を整え、パワーポイントでスライドを作成することも初めてですので、時間がかかってしまいます。
そうしているうちに夜中になり、G T Aの作業は機械的に進められず、考えて試行錯誤をしながらする作業なので微妙に眠くなった時には出来なくなり、やっぱり進みません。
だけど、この『中間発表』をするかどうかで悩んでいるのは、今年終らせる気がない人間は、一緒に発表する資格はないんじゃないか、みたいな事も思っていましたが、夏合宿も昨日のゼミの台風で中止になり、結局は担当の教授と相談する機会もなく、なんとなく、なし崩しに発表しないと、もう直前で中止は無理だろう、というところまで進んでしまいました。
今日は、大学院の副手の人に、資料以外のレジュメを作ってもいいですか?と質問のメールまでして、そのOKの返事までもらってしまったので、もう後には引けず、かといっても、来年までやる、という決意も変らず、というか、今のペースでは完全に間に合わず、少しでもまともな論文を仕上げるのならば、やっぱり時間はかかるし、本当に来年度ですら間に合うのだろうか、という疑問が起こるくらいになっていて、いつも指折り、あと何人だから、このくらいの月日が必要とかを考えていて、それが自分でもしんどくなっています。
ただ、世の中からいえば、たかだか修士論文で、友達の息子さん達が修士だったり、博士だったり…こう書いていくと、インテリが多い、と思いますが、おそらくは、今は、昔の学部生が修士、という感じになっているのかもしれません。
私は、わりと気楽に、論文の質、というような事を思っていますが、それは、自分の将来がたとえば大学の先生として、ということは考えなくてもよくて、そうなると、さまざまな学内の人間関係のことは、それほど気にしなくてもいいからだとも思います。
それでも、今は気持ちがたるんでもいます。もう少し本当にがんばらないと、またさらに1年のばして、修了まで4年になってしまったら、本当に冗談ではなくなり、その時は、妻にも迷惑になってしまうと思います。
これから、学校へ通う機会を増やして、昼間から夜の時間に、大きいテーブルも使って、集中的にG T Aの分析を進め、仕上げていく、という時間を作らないと、ダメかもしれない、とも思います。まずは、あさっての勉強会に、ある程度のものを持って行くのが目の前の目標です。
今日も午前4時か5時までは介護ですが、その合間に分析を進めたいとも思っています。
勉強会
大学院2年生9月24日。土曜日。
『中間発表会』が近づき、その事で頭がけっこういっぱいになり、だから、GTAの分析が進まず、ちょっと恐い気持ちにもなっていますが、それでも、カテゴリー関連図も、矢印をつけて、一応は、出来たことは達成感もあったし、満足感もあったし、という思いをもちながら、今日は勉強会をするので、午後2時過ぎに出かけました。
妻は、犬塚勉、という植物をものすごく繊細に丁寧に手間をかけて描いていて、スーパーリアリズムという言葉が当てはめられそうだけど、そういう冷たさではなく、描こうとしているものへの思いが伝わってきそうだというのは、テレビ画面で見ていても分かるような絵を見に行っていて、留守でした。
私は、地下鉄で大学に出かけて、図書館に寄って、本を返して、また借りて、時間があったから論文の事も少し調べて、どこか気持ちが豊かになって、集合場所に行こうとする途中で、今日、待ち合わせている研究ゼミの1人に会いました。そのうちに、唯一の同期である、もう1人の2年生も現れました。そこから、また話が進み、いろいろと聞かれました。
図はわかりやすいと思いますが、文章が読みにくい。プロパティの基本的な考えも聞かれる。最初の、深いところまで届くインタビューというのは、失礼になるんじゃないか。介護を直接していない家族の人にもインタビューしているけど、そうなると、何やりたいのか分からなくなる。いろいろ言われて、かなりがっかりしていました。
けっこう努力しているつもりでしたが、なんだかいつまでたっても論文というものにたどり着けないのではないか、いくら努力しても、たとえば、来年度までがんばったとしても、結局は、論文としての質の高まりを得ることなしに、どうして、それだけの時間をかけたのに…というものになってしまうのではないか、という恐さもあったり、1年長くする、という事は留年ということにもなり、それは、今後、とても不利な事にもなるんではないか、というかすかな恐怖まで、改めて芽生えてきました。
でも、そういうことのすべてを考えても、この論文にもっと力を注ぎ、きちんとしたものにする意味はおそらくあると、自分に言い聞かせるような気持ちになります。
論文の分析の話をしていると、そういえば間に合うんですか?と聞かれるたびに、あいまいに答えているのは、早くももうあきらめたような人間がいるのは、よくない影響を出してしまうのではないか、という懸念があるせいで、もっと早く、もう今年だけではなく、来年度までやります、と言ってしまいたい気持ちもあるのですが、だけど、まだ担当の教授と話もしていない段階では、はっきりとは言えません。
なんだかぐったり疲れて帰って来たら、一緒に勉強した人から「おわび」のメールが届いていました。私の話し方で、そういう気持ちにさせてしまったみたいで、申し訳なく、返事はどうしようかと思ったのですが、レス不要です、と書いてあったので、送るのをやめました。それがよかったかどうかは分からないままでした。
また『中間発表』の準備にかかろう。
来週はパワーポイントを使えるように努力しよう。
少し、というか、かなり憂うつなのは、来年度まで、この作業が延々と続く、ということが大きいのかもしれません。
それは、午前4時くらいまで、介護をしながら、その合間の作業になると思います。
がんばろう。
いろいろあるので、楽しい出来事ばかりではないけど、でも、ぜいたくな毎日だと、やっぱり思いました。
ただ、研究ゼミの担当の教授と早く相談はしたいのですが、本当に何度も台風でゼミが中止になった、と改めて思いました。
相談
大学院2年生年9月26日。月曜日。
昼前に起きたら、妻は歯医者に行っていて、留守番電話が3件入っていました。一つは大学の図書館からで、頼んでいた論文が届きました、ということでした。この前頼んだのですが、わざわざ電話ももらってありがたい、と思いながら、二つ目の伝言は無言で切れていて、三つ目は、今日のデイサービスからの電話でした。義母が調子が悪くて、お風呂も入れませんでした。折り返し電話を下さい、というような伝言でした。
どうしようと思っていたら、妻が帰ってきて、電話をしてもらいました。慣れている妻は、食事をさせて、それでも元気にならなかったら、という事で、様子を見てください。午後1時半頃また電話します、という話を冷静にしていて、偉い、というか、すごいと思いました。
夕方になり、義母が帰ってくるのを待っていたら、調子が悪かった、というのがウソみたいに、いつもと同じように大きい声で、ありがとうございました、と送迎のワゴンで送ってくれたスタッフに言っていました。
車いすの義母を、妻と一緒に、部屋に迎えて、いろいろと整えてから、すぐに出かけました。
地下鉄の中で、少しプリントを読んで、明日、パワーポイントの事を習うから、何を書けばいいかを考えておこうと思ったりもしました。それから、時間がたち、駅に着き、閲覧室へ行ったら、同期が何人もいて、声をかけられ、少し話して、なんだかうれしく思いました。
久々にみんなに会うような気がして、そして、当たり前だけど、『中間発表』があるから、ばたばたしていて、私は秘かに来年度まで修了の時期を伸ばそうとしている事を黙っていて、後ろめたさを感じながら講義に出ました。
その講義が研究ゼミの担当教授でもあり、講義は実践的で(といっても、自分が臨床の経験がないのだから、ホントのことは分かりませんが)その先生の力が生かされたものという感じはしていて、それで、講義は90分枠が2枠なので、途中の休み時間に、修士論文の完成を、来年度まで伸ばす相談をしようと思っていました。
90分が過ぎて、いったん教授の部屋に戻るのを追いかけて走って、他の学生の人の相談終わるのを待って、担当の教授に声をかけたら、メールを送ったことを憶えていてくれました。歩きながら、さらに、エレベーターの中でも話をして、1年伸ばすにあたって、最初にこちらの事情を心配してくれました。介護をしているのを知っていてくれているので、そのことでご家族に負担がかかりませんか?と言った話をしてくれました。
それさえ大丈夫だったら、論文にあと1年でも2年かけても大丈夫、と言ってくれたので、さらに、聞きたかった、それで先生に迷惑かかりませんか?みたいな話をしたら、平気です、と言われ、少しホッとしました。
力が抜けるようでした。
今日のことを妻に電話で伝えたら、やっと相談ができたことを、喜んでくれました。
よかった。
論文は、とにかくがんばろう。
ただ、今の時点でも、論文の論理の弱さは十分にあると、帰りの地下鉄で思って、少しあせりました。無理がありすぎたら、それは、単に1人よがりになってしまうので。慎重に、無理せず、それで全力をつくそうと思いました。時間が与えられたのは、とてもラッキーな事ですから。
帰ってからは、夜中、というか午前4時過ぎまで介護が続きます。その合間に分析もしようと思います。
準備
大学院2年生9月27日。水曜日。
午後に家を出て、大学に着き、大学院の閲覧室へ行ったら、同期が、修士論文の分析をしていました。私は、研究ゼミの大学院1年生と待ち合わせをして、パワーポイントで明日の発表の準備をすることになっていて、待っていました。
その後輩に来てもらってから、一応、全部、形としてはスライドに文字にしているから、思ったより時間がかからないと思ったら、ああでもない、こうでもない、と試行錯誤をしてしまい、そのスライドの根本的な構成を直したりしているうちにけっこう時間がたってしまい、気がついたら、午後4時から始め、午後6時になっていました。
それから、同期と、論文についての話をして、いろいろと話があちこちにいったりもして、だけど、でも、その同期がおこなった、論文の元となるインタビューを読ませてもらい、とても興味深いというか、とてもきちんと聞けているような内容なのはわかって、問題は、それをどうやって分析をしていって、形にしていくか、という部分だという話になりました。
自分はGTAという、人によっては嫌われてしまうような方法でもあるのですが、それを使おうと考えたのは、自分が今も一応、介護の現場でもあるような場所にいて、そして、もっとばりばりの介護をしている(いた)人達に話を聞いて、それに対して、気持ちの距離をある程度おきながら、きちんと論文として形をとるために、そういう方法を使うことにしたのでした。
ただ、あまりにも手間ひまがかかるので、通常なら2年で大学院を修了するのを、さらに1年の時間をかけ、3年かけるのを決めたくらいなのですが、考えたら、論文のために、さらに1年をかける人がいるなんて----、と、自分が考えていたことが、そのまま自分に降りかかってくるとは思っていませんでした。
同期と話をして、ちゃんと今年度中に間に合わせるつもりでやっている姿を見ていると、なんだか自分がウソをついているような気持ちにもなってくるのですが、この4月から、おそらく人よりも早く論文のことを始めているのに、出来ない、というような妙な結果になってしまっています。
それを知っているのは、家族と担当の教授と、なんとなく知っているゼミの人がいるのですが、でも、黙っている、というのは、なんとなくだましているような気持ちになっています。でも、教授と相談をした感じから、少なくとも『中間発表』が終わるまでは、自分の事情は、伏せておいた方がいいと思ったからでした。
この1年半一緒に学んでいる同期と一緒に修了出来ないのは、けっこう残念ですし、今は論文のことで右往左往しているので、他の事が出来ないような状況で、秋がきていて、その季節の変り方と連動するように、学生生活が終わる気持ちになってきていて、そのことで、かなり気持ちが沈む方向に進んでいるのも自分で分かります。
明日は『中間発表会』。そういう行事が進むたび、確実に学生時代の終わりが近づいていき、去年の今頃は、講義も多かったし、みんなと会う機会も多かったし、飲みに行ったりする時も多くて、すごく楽しかったのですが、今はもっと静かに時間が進んでいます。
この時間が大事なのは分かっていますが、今は、本当に論文ばかりで頭がいっぱいです。研究や、論文って、まだ修士論文だとはいえ、まさか書くことになるとは思いませんでしたし、まして、なるべく質を上げようとして、当初の予定より1年伸ばすことになるとは、本当に思いませんでした。
中間発表会
大学院2年生年9月28日。水曜日。
いよいよ、という気持ちにはなります。今日は修士論文の『中間発表会』です。
春の『構想発表会』で、不愉快だ、と言われたこともありましたし、それから、最初は発表する気がなかったのは、来年度まで修士論文を書くのを伸ばすのを決めたからで、それでも、その事を担当の教授に伝えたら、それは大丈夫だけど、やっぱり、もうあきらめた、という話は、あまり早くしないほうがいいんじゃないか、という事もいわれました。
それでも、なんとなく、みんなにウソをつきながら生きているような気がして、今日は発表会の日で、昨日はそのためにパワーポイントというものを初めて使えるように研究ゼミの1年生の人に聞き、その間に、論文とは、という事も教わり、それなりに準備もして、カテゴリー関連図も初めてワードで矢印機能を使ったし、今までやらない事もやってみました。
考えたら欠席するはずの発表会に対して、かなりの準備をしていて、準備のための時間そのものがもったいないような気もしていましたが、途中で、何しろ介護のことを伝えるにはいい機会だし、それに加えて、分析方法に対しては、なかなか具体的なアドバイスをもらえなかったりもするので、指導もしてもらえるのではないか、という気持ちもあり、とにかく全力はつくそうという気持ちにはなっていました。
だけど、妙な秘密を抱えたままだったので、同期の仲間に会わせる顔がなかったりもして、という部分がありつつも、こういう発表会という機会そのものは、とても貴重なものだし、経験としては、プラスになる事で、ある意味、ありがたいことでもありました。
起きてから、まだ少し時間があるから、実習の記録の紙などを書いていたら、妻が来て、少しお茶しよう、というので、小さい肉まんを一緒に食べて、それから、着替えてバタバタして地下鉄に乗りました。
大学へ着いて、まだ時間があるから、図書館へ行って、頼んでいた論文のコピーをもらったら、予想していたよりも安くて、6本の論文で中には20ページのものが2つくらいあるのに、1300円くらいだったから、ありがたくて、だけど、確か前回もそうだったのですが、山梨県立大学に自分が読みたい介護関係の論文は、全部揃っているみたいで、どういう大学なんだろう、介護の事だと必ず、ここにあるんだろうか、誰かがいるんだろうか、それとも、介護に力を入れているんだろうか、というような事も思いました。
それから閲覧室に行ったら、けっこうな人数がいました。
必死で論文に取り組んでいる姿を見ていると、自分だけやっぱり黙ってズルをしているような気持ちにもなり、だけど、実習のファイルを書いて、出して、それから、副手の人が来てくれて、いろいろ冗談を言われ、その会話で、自分が本当にコンピュータに弱いんだ、と改めて思い、それでもデータをうつしかえてもらって、準備がほぼ整い、それから、学食も行かずに、教室へ行って、配る資料を用意して、時間が少し過ぎてから『中間発表会』が始まりました。
どの同期も一生懸命なのは分かり、そして、自分の順番に回って来て、パワーポイントは、ゼミの後輩に操作してもらいながら、話をして、そうしたら、思ったよりも時間がかかってしまい、だけど、介護における「非日常性とも言える感覚」というのは少しは伝わったみたいで、それは、よかったが、でも肝心の、構想発表会で、不愉快だった、と言ってくれた教授は、私の発表を聴きながら、自分の座席で何か言っているのは見えたが、公式な言葉としては、何も言ってくれず、それは残念でした。
それでもほっとはして、終わってから、久しぶりに、同期のみんなで飲んだり食べたりが出来て、楽しい時間でした。
いつ以来か分からないくらいの、終電になりました。
これから、また地道に分析して、考えて、感じて、論文も読んで、という繰り返しの日が続きます。自分の予定ではあと、1年と3か月。もう分析を始めてから、半年が過ぎたのだから、2年かけて論文を書く、というある意味の暴挙になるのだ、と思えました。
だけど、悔いのないものを書きたい。インタビューに協力してくれた人に、その話してくれた内容のレベルより大幅に下がってしまうものを論文にするのは、ダメだ、という気持ちにもなっていて、それがおそらくは修士論文を書くための動機として、一番大きいのだと思います。
今も分析などという、話をしてくれた人たちに対しては、ある意味では失礼な作業をしている時に、インタビューした時の声や表情を思い出して、平凡な表現だけど、身のひきしまるような気持ちになることがあります。
がんばろう。
夜遅くなったので、家に着いたら、妻は寝ていますが、夜中から朝方の介護は、私の担当になります。
卒業
大学院2年生9月29日。木曜日。
たたずまいだけでも、すごさが分かるような先生がいて、その人が話すから、期待もあって大学へ出かけました。
昨日、『中間発表会』という「ちゃんと修士論文を進めるように」みたいな目的も当然ある時間があって、緊張もし、ベストもつくし、それなりの反応があったものの、せっかくの機会だから、もっといろいろ質問もしてほしかったけど、それでいて、もう来年度に向けて、みたいな気持ちになっているので、あんまり聞いてほしくないというような気配が出てしまっていたのかもしれない、と反省もします。
それでも、いろいろ緊張していたせいか、午前4時過ぎまで介護のあとは、けっこうぐっすり眠れたようでしたが、速達が来て玄関のベルがなって、目がさめたら、もう午前11時を過ぎていました。
それから、いろいろしているうちに午後が進み、それから大学へ向かって、駅に着き、大学内に入って、久々に学食に行ったら、同期の女性が1人いました。あいさつをして、話をしました。いつも、同期のみんなは年齢に関わらず、好意的に接してくれて、ありがたいと思っています。食事をしてから、急いで教室へ行ったら、まだ始まっていなくて、昨日も発表会を一緒にした同期が何人もいて、疲れているのにすごい、と思いつつ、講義は始まりました。
講義は有意義でしたが、臨床心理士の将来の厳しさだけではなく、今でも、資格をとってから、仕事があるかどうかは本人しだい、という非常に厳しい状況であって、他の隣接職種に仕事を食われてしまって、という話が続きました。
私のようなもう50になろうかという人間にとっても、収入も含めて厳しい話ですが、それでも、私のように何もなかった人間にとっては、厳しくても、今も学んでいることが希望につながることですし、何より、これまで学校で学んできた状況や知り合った人達がとても力になっています。
講義が終わった後、何人かと一緒に居酒屋へ行って、ロシアンルーレット寿司、というようなことを、初めて経験しました。大量のワサビの寿司を食べながら、こんな事できない、とせきこんだ同期には悪かったのですが、楽しい時間でした。
だけど、最初から3年かけて修了をする予定の、働きながら学んでいる同期が、「みんな卒業しちゃうんだよなあ」と言った時には、「いや、そうじゃないんだ、オレはあなたといっしょに来年度なんだ」というような事を言いそうになってしまい、それに対しては、まだ言わない方がいい、とういうようなことだったので、何だかだましているような気持ちにもなって、なんともいえない気持ちにもなりました。(本当は修了と言うべきですが、日常会話だと、どうしても卒業という言葉を使いがちになります)。
確実に学生生活の終わりは近づいています。大学院には3年通って、論文を書く、と決めたものの、それでも、終っていく感じは、だんだん濃さが増しているのが分かります。
ただ、論文って今のペースで本当に間に合うんだろうか、来年も、今の遅いペースだと危ない。だいたい、なんで、G T Aのワークブックを忘れてしまったのだろう。どこかになくしてしまったのだろうか、みたいなことをしてしまいました。
それ自体が、不吉だと思いました。
家に帰ってからは、また介護です。
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