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『「40歳を超えて、大学院へ行く」ということ』㊲大学院2年生9月前半----「台風」と「履修登録」

     初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。

     私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。

     いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。
     おかげさまで、こうして記事を、書き続けることができています。

    (※この『「40歳を超えてから、大学院に通う」ということ』シリーズを、いつも読んでくださっている方は、「台風」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います。今回は、大学院2年生になった9月前半の話です)。

    大学院で学ぼうと思った理由

     元々、私は家族介護者でした。

     1999年に介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

     そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

     そして、臨床心理士の資格を取得するために、指定大学院の修了が必須条件だったので、入学しようと考えました。それが実現したのは、介護に専念して10年が過ぎた頃でした。

     私自身は、今、振り返っても、40歳を超えてから大学院に入学し、そして学んで修了したことは、とても意味があることでしたし、辛さや大変さもあったのですが、学ぶこと自体が初めて楽しく感じ、充実した時間でした。

    「40歳を超えて、大学院に通うということ」を書こうと思った理由

     それはとても恵まれていたことだとは思うのですが、その経験について、(すでに10年以上前のことになってしまいましたが)伝えることで、もしも、30代や40代や50代(もしくはそれ以上)になってから、大学院に進学する気持ちがある方に、少しでも肯定的な思いになってもらえるかもしれない、と不遜かもしれませんが、思いました。

    (もちろん、資格試験のために大学院へ入学するのは、やや一般的ではないかもしれませんが)。

     同時に、家族介護者へ個別な心理的支援を仕事として続けてきたのですが、少なくとも臨床心理士で、この分野を専門としようと思っている方が、かなり少ないことは、この約10年間でも感じてきました。

     もしも、このnoteを読んでいらっしゃる方の中で、心理職に興味があり、臨床心理士や公認心理師を目指したい。

     さらには、家族介護者の心理的支援をしたいと思ってくださる方がいらっしゃるとしたら、できたら、さらに学ぶ機会を作っていただきたい、という思いもあり、改めて、こうして伝えることにしました。

     この私のnoteの記事の中では、もしかしたら、かなり毛色が違うのかもしれませんし、不定期ですが、何回かに分けて、お伝えしようと思います。そして、当時のメモをもとにしているため、思ったよりも長い記事になっています。

     よろしくお願いいたします。

     この記事は、ほんの一例ですが、介護をしながら学んでいる人間の記録でもあると思います。

     今回は、40代後半になってから、在宅で、妻と一緒に義母(妻の母親)の介護を続けながらも、臨床心理学専攻の大学院に通えることになり、大学院2年生になり、9月前半の頃の話です。修士論文が進まずに、あと1年、大学院に通うかどうかを考え続ける毎日でした。

    (※今回も思ったより長くなり、1万字を超えてしまいました。長めなので、興味がある項目だけでも読んでいただければ、ありがたく思います)。

    台風

     大学院2年生。9月1日。木曜日。

     朝起きて、もう雨が降っているかと思ったら、まだ曇りでした。

     妻は、義母をデイサービスへ送り出してから、今週の土曜日からのショートステイもあるから、その支度のためにも買い物に出かけていました。

     自分の腰の調子がちょっと悪く、老化というものがそこまで迫って来ているのに、ほとんど初めて気がつかされ、それはひたすら介護をしている中で、自分が老化していって、これからの未来がさらに狭く見えて来たような気もしたのですが、考えたら、妻はあるバンドのCDジャケットのイラスト公募にきちんと応募して、それが採用されて、という成果をあげているのに、わたしはまだ何もしていませんでした。

     学校に通い出して、去年はひたすら楽しい気持ちで過ごせたのですが、今年に入って、微妙に気持ちが冷め始めたのは、この楽しい時間がただ続くのではなく、それぞれ不安を抱えながら、次に進まなくてはいけなくて、という状況で、若い人達は、これから先の見えない濃い不安の中に進まなければいけないし、多くの社会人は自分の場所がある上に勉強もして、資格もとって、とスキルアップして戻る場所があり、私とあと数人だけが、仕事がない状況で、ここに来ていて、そして、自分は修了したら、50を越えていて、という厳しい中で、というのが、迫って来ているからでした。

     今年になってから、ひたすら論文を書いていて、というよりも、インタビューをして、逐語を起こして、それから、分析をする、という作業だけを続けているような気がして、実際それで時間がほとんど過ぎているのですが、特に作業が苦戦してしまったら、なんだかやるのもおっくうになって、分析の作業で広い場所がいるのに、みたいな言い訳を知らず知らずのうちにしてしまっていて、夕方まで進みませんでした。

     なんだか変化のない毎日がつまらないのだろうか、でも、病院に通っていた頃は、本当に変化のない日々をずっと送っていて、違うのは、もっと緊張感があった事で、今は学校へ通ったり、しかも、論文を書くとか、今年中に終らないとか、以前の自分から見たら「何やっているのか」と怒られそうなことを考えているような気がします。

     でも、今やるべきことはそれで、この論文の出来は自分の今後に大きく関わってくるのは間違いなく、同時に、修士論文の影響力は、ないに等しいのは分かっているにしても、だけど、これをきちんとやれば、おそらくはものすごく小さいことですが、それも含めて介護者のサポートになるかもしれない、という事に気がついてしまったので、ちゃんとやろうと思っています。

     台風が来ていて、その進行がすごく遅くて、そして、ちょうどゼミの合宿の予定の日に上陸するようで、メールのやりとりが続き、もしかしたら中止になるかも、ということになって、落ち着きません。それは、仕方がないけど、修了するのを来年度にしたい、という相談が先生に出来ないのは困るので、そこは何とかしたい、と思います。

     夜になり、北川公子、という研究者を知りました。「認知症の人と家族の会」の理事もやっていた人なので、論文を読んでみようと思いました。それにしても、介護関係の研究者は、看護学の専門の人が多く、あとは、社会学からのアプローチ…心理学の研究対象としては、興味深いはずですが、自分だって、当事者じゃなければ、興味を持ちにくかったから、しかたがないとは思います。

     今日も夜中から朝近くまで介護です。

    合宿中止

     大学院2年生9月2日。金曜日。

     昼頃起きて、メールをチェックしたら、合宿の中止が決まっていました。おそらく、明日だけ、激しい風雨のはずで、約30年ぶりに合宿へ行けると、結構楽しみにしていたのに、とても遅い台風のおかげで行けなくなりました。

     実習の逐語録の確認などがまだ済んでいなくて、3人で書類を回しているせいか、時間がかかり、実習が行われてから、もう3週間がたとうとしているのに、まだ担当の先生に原稿を見せていない段階で、実は焦っていました。

     昨日から、ばたばたとしていてい合宿が中止かどうかで気持ちが浮き足立っていたので、少し落ち着いたのですが、今度は、本来は2年で修了するはずなのだけど、それが論文が出来なくて、来年度まで延長したいという希望を指導教授に、いつ言おうか、とか、誰かに軽蔑されるんではないか、とか、よけいなことまで考えていました。

     もう50の自分を思うと、こんなふうに揺らぐなんて、さらに情けなくもなりますが、気持ちだけは、トシをとらないのかもしれない、と実感はするのですが、それは、ちゃんとした大人の世界にいる機会が少なすぎて、特にこの12年間に、ほぼ介護だけをしていて、そのステップをちゃんと踏んでいないことで、妙に幼さだけが残ってしまっているのかもしれません。

     もちろん外側や体はいやおうなく老化へと進んでいて、それは、死ぬことを意識するような事で、本質的な寂しさ、つまり、いつまでもこの世にいて、みんなで楽しくしていたい、ということが出来ない、という事実、つまりは、今は「同期」というくくりにいるけど、彼ら彼女らが自分くらいになる時は、私は、もう70を軽く越えていて、それは中年ではなく、明らかな老人で、もうそれは下手をすれば、介護される側になっているかもしれないし、生きているかどうかも分かりません。

     何しろ、今だけ、「同期」として、どうにか同じような空間というか場所にいられるぎりぎりなのかもしれない、と思うと、妙なあせりもありますが、何しろ、今は目の前の論文を仕上げる、それもなるべく自分のベストをつくして質を上げることで、ほんの少しでも介護する人のサポートになるようなものにする事だけが、インタビューに答えてくれた人への御礼になるのだろう、という気持ちにもなっています。

     今、書いていて、気がついたのが、今回、家族介護者の70歳くらいの方にも話を聞かせてもらって、自分の年齢を言うと、50くらいだったら、まだ何にでもなれるよ、というのは、社交辞令でもあるのでしょうが、何だかうれしく、それは、今の「同期」の人たちと、私と同じくらいの年齢差で、そう考えると、こちらの頑張り次第では、その70歳くらいの方のように、老人扱いはされずにすむかもしれない、と希望が持てるような気もします。

     考えたら、今回、修士論文のインタビューで、改めて話を聞いた人たちは、実年齢よりも若く感じました。介護をする、というのは、いつまでも続く時間に適応することでもあるから、そういうことになるかもしれません。

     でも、今は95歳の義母がいくつまで生きるんだろう、と夜中に時々思って、その間にも自分も確実に老化していくことを考えて、ちょっとぞっとしたりもしていますが、でも、夜中に介護をする合間でも、勉強しておこう、と思います。

     こんな、まったくやったことのない勉強とか分析とか研究とか、出来るというのは、それは、本当に幸せなことだと感じていて、あと1年以上、ちゃんと勉強できるというのも、かなり幸せなことだとは思っています。

     今日も夜中まで介護です。

    支援職

     大学院2年生9月3日。土曜日。

     結局は、ゼミ合宿は中止になり、それでも台風が来ていて、雨がすごく降るはずですが、今日、義母がショートステイに入ってもらう予定は変らないので、大変だと思いながら、起きたら、風は多少強いけれど、雨は降っていなくて、これならば合宿にも行けたかも、と感じながら、それでも、義母をショートステイに預けるために施設へ車いすで連れていくには、降ってなくてよかった、と思ってもいました。テレビも含めて、荷物を持って、出かけました。

     ショートステイに義母を預けてから、家に帰って来て、それから近所のギャラリーカフェにでかけました。そこまで歩いている途中で雨が、わずかにパラパラと降ってきたので、遠くからの雨が強い風にのってきたのかも、という話を妻にしていたら、カサをささなければいけないくらいに、すぐに強い雨が降って来ました。

     カフェについて、カレーを食べて、それを含めて、料理はおいしくて、妻はホントにおいしい、という顔をしていました。

     話をしながら、福祉や支援について、いろいろと考えて、そのモヤモヤはカフェを出てからも、しばらく続きました。誰かを支援する、というような仕事は、自分が主役になってはいけないのに、これまでも、自分の思い通りに相手を動かそうとしていると感じられる人たちがいて、それに対して違和感もあったのですが、それは、学んでいく中で、やはり、その違和感は比較的正しかったのではないか、と思うようになりました。

     こちらに説教したがるような介護の専門家とか、母子分離だけををやたらと言う専門家とか、いろいろ、自分が主導権を握りすぎるような感じを思い出すと、支援職は、若い、自分が主役になりたい時でなく、十分に自分も恩をうけた、と思える時から始めた方がいいような気がしていますが、それを思って、なんだか少し憂うつにもなりました。

     それは、若くなくなった今では、これから仕事を始めたとしても、若い時と比べると圧倒的に時間が少ないせいもあるかもしれません。その後、もう1年、論文のための学校にいたい、ということを久しぶりに会った弟にも伝えました。ちゃんと言えたのは、妻に続いて、2人目で、あとは学校で伝えたら、少し落ち着いた気持ちになれるのかも、と思いました。

    決意

     大学院2年生9月7日。水曜日。

     例えば学校とは関係のない集まりだと、大学院で学ぶのを、あと1年伸ばしますとか、家族では弟にも1年遅くなります、とか、普通に言っていて、自分でも決定事項のように語っていたのですが、まだ修士論文のゼミの担当の教授にも言ないままなのは、合宿は台風で中止になり、伝える機会を逸したままだからでした。

     その後、論文のための自主ゼミを開きたい、という動きがあっても、担当の教授とは連絡がつかず、そのままの時間が続いているから、おそらくはこのままだと相談が出来ず、今月末の「中間発表会」の時期だけが近づいてきて、来年度まで論文を伸ばすので、もし、発表しない、ということになったら、ばたばたして迷惑をかけることになるから、少しでも早めに一年伸ばすことを伝えないといけない、と思って、焦りながら何も出来ずにいたのですが、もうしかたがないから、担当の教授にメールを出す事にしました。

     いろいろ考えて、あれこれ迷って、それでも素直に出すしかないので、送って、書いて、初めて学校関係者に、修士論文が出来ないので、あと1年ください、という意思表示をして、そんなことをしている人間なんて、おそらくは同期では他にいないだろうから、担当教授にも迷惑ではないか、と思いました。

     考えたら、担当の教授は、今回、初めて、論文の指導を始めて、最初の学生(といっても、中年だけど)がいきなり1年伸ばしたい、と言ってくるなんて、嫌ではないか、とも思い、さらに、1年分の学費をおさめなくてはいけなくて、(その覚悟はあって、その相談は妻ともして賛成してくれたのですが)大学院3年---M3という存在になるのだけど、現在の大学院3年生は、社会人として働きながらなので、当初から3年をかける予定の人が多そうなので、論文が出来ない、という理由で、あと1年、というのは、なんだか情けなくて恥ずかしい気持ちもあります。

     修士論文の「中間発表会」も、もう来年度にしようと思った人間が参加していいいのだろうか?という気持ちもありますし、その一方で、そういう機会に参加しなくていいのなら、その方が気がらくだし、来年にもあるし、という思いと、ただ、こういう機会を作ってもらったのだから、発表して少しでも人に伝えたい、という思いもあります。

     緊張して発表して批判されて、という時間の中で、これからの生活にも絶対にプラスになるのも分かるから、やってみたいという気持ちもありますが、その準備で時間をとられ、肝心の論文に関する表を作るとかも含めて、来年度にも間に合わなくなったら、ということを考えたら、今は分析に没頭したい、その他の時間を使いたくない、みたいな気持ちもあります。

     ただ、今は担当の教授に相談している段階で、もしかしたら、まずはベストをつくした方がいい、というような事を言われるかもしれませんが、ここまでベストをつくしてきて、半年間の時間をかけて、これしか進めない、というのと、自分の能力と締め切りまでの時間に対しては、やっぱりそうはいっても、そう簡単に予想以上の事は起こらない、というのも自分で分かっています。

     ここのところ、ずっと妻と顔を合わせ、妻とだけ話す時間も多く、介護だけは続けている、という、そういう意味では以前と同じ時間の中に生きています。その中に論文を完成させる、という目標があるだけで、様々な緊張感はあるし、あせりもあるし、もやもやしたものもありますが、だけど、そういう具体的な目標があり、さらに誰かには読んでもらえるわけだし、もしかしたら、今の介護環境をほんのちょっとでも変えられるかもしれない、という気持ちを持てるのだから、それは、やっぱり幸せなことだと思います。

     ただ、さらに1年、学生を続けた時の貯金の減り具合を考えて、ちょっとぞっとはしたのですが、何しろ、働ける自分になれば、それは、楽観的ではなく、ある程度は何とかなると思います。そのためにも、論文の質を少しでも上げよう、とも考えています。

     昨日、義母はショートステイから戻ってきて、今日も夜中まで介護です。

    不安定の続き

     大学院2年生9月8日。木曜日。

     昨日は修士論文の担当の教授あてにメールを送ったのですが、返事がそう簡単に返ってくるわけもありませんし、そうこうするうちに時間がたって、だけど、学校関係者の誰かに、それも指導教授に、来年まで論文を書きたい、という意志を伝えただけで、自分だけの責任でなくなったような気もして来て、少し気が楽になりました。

     考えたら、たとえば、12月くらいのぎりぎりになって、間に合いません、というよりは、早めに分かっていたら、早めに言わなくてはいけないと思い込んでいたのですが、まずは、今月の末の「中間発表会」というものには参加した方がいいかも、とも思いました。

     まだ修士論文の締め切りまで3か月ある段階で、「間に合わないので、発表しません」といって、「中間発表」に参加しないとしたら、もしかしたら、「え、もうあきらめちゃうの、それでいいなら私も…」といったような悪い影響だけが出る可能性があるのだから、やっぱりなにげなく発表をして、いろいろ批判されたとしても、それは論文にはプラスになるはずだから、それから、とにかくベストはつくして、12月に向けて全力をかけて、(もちろんそうでないと来年度にも間に合わなくなってしまうので)それで、直前になって、ダメでした、ということにした方がいいのかな、というような気持ちにもなりました。

     あとはなるべく迷惑が、(特に指導教授に対して)最小限になるように努力すべきで、今は発表会に向けて、出来ているカテゴリーの分析表と、ここまでで、(といっても、ちゃんとインタビューを分析したのは、まだ一人ですが)分かって来たこと。分かりそうなこと。だけど、それに引きずられ過ぎないように、これからも分析を続けることを発表するしかなく、それで、また大きな欠点などがあれば、指摘されることになるのだから、それはそれとして、ありがたい事でした。

     問題は、間に合わない、と思っていることが、やっぱり不誠実にあたるかどうか、ということで、そこも含めて正直にいくしかないのだろう、というような事が分かったように思えます。

     問題は、論文がちゃんとしたものになっているかどうかで、そこをはずさないように、ごまかさないように、きちんと一歩ずつ進んで行くだけで、考えたら、今いるところは学校であって、裏をかきあって、弱みを握り合う、みたいなある意味でビジネスの場所とは違うのだから、そこをきちんとしていけば、いいのだろう、と少し気が楽になりました。

     ただ、心配なのは、論文だけでもう一年学校にいられるのかどうか、という事と、その事が大きな傷となって、臨床心理士の試験でマイナスとなったりしないだろうか、という事と、それより、今回から初めて論文の指導をしている教授に迷惑をかけたくない、ということで、それさえクリアできれば、もちろん大きなお金がかかってしまいますが、それでも、ある程度納得のいく論文を仕上げることが自分にとっては、とても大事であることが、改めて分かりました。

     少し落ち着きました。

     朝近くまで介護です。

    履修登録

     大学院2年生9月9日。金曜日。

     今日は、カーネルサンダースの誕生日だと、この前、伊勢佐木町を歩いて、ケンタッキーの前ののぼりで知って、それから、忘れずに憶えています。

     自分が来年まで論文を書くことを決めて、その事で担当の教授に連絡をとったものの返事はなく、おそらくは、予定通りに「中間発表会」はして、そのあとに12月の締め切りになった時に、出せない、という結論を出して、それでいい、ということかもしれなくて、そのつもりで準備はしようとは思っています。

     出来たら、パワーポイントを使って、『中間発表』のためにスライドを作ったほうがいいのでは、とも思っています。この何年か講演などをみて、誰もがパワーポイントを普通に使っているのをみて、今はやっとこうしてワードは、そこそこは使えるようになっても、発表をする時に、パワーポイントを使えない、ということは、感想の前に、見てくれない、聞いてくれない、という状況になるのではないかと思い、そう考えると、これまで使ったことがないパワーポイントは、この機会に憶えておいたほうがいい、という気持ちにはなっています。

     そのために、やることはあるけれど、その前に今日もいろいろとメールが来て、というか、学校のホームページのようなものを見たら、もう履修登録が始まっていたので、それについてメーリングリストに流したり、明日の実習のことで連絡をとったり、返信をしたりしていると、それでも新しい学期が始まる動く空気を感じて、ちょっとうれしくなったりはしていますが、自分がやろうとしている事が、全然進んでいないことに、がくぜんとした気持ちにもなったりもしています。

     もう50にもなって、介護に専念したこともあり、この10年以上働いてなくて、一円も稼いでなくて、それなのに、社会に必要な人間になるにはどうしたらいいか?というのはずっと考えてきて、そして、それが本当にただの自己満足で、誰に言っても通用しないし、伝わらないし、と思ってきました。

     それが、学校で勉強はしてきていて、その成果とか、レポートなど、自分が思った以上に評価をされたことで、少し自信がついてきたのが、時々、妙に強気になって、恥ずかしいことになるのかもしれない、とも思いますが、努力すれば少しは成果が出る、ということが実感として少しつかんできた感触はあります。

     夜中にGTAの分析をして、介護をして、その間に、夜中のラジオ番組である、FM芸術道場を聞いて、Mr.と赤松君(画家)の対談を聞いていたら、自分もダメ人間というか、その二人よりも、自分の方が、もっとダメ人間ではないか、と反省して、暗くもなりました。

     だけど、まずは論文を仕上げよう。なるべくきちんとしたものにしよう。と思い直しました。そればかりですが、これだけ、論文のことを考え続けるとは、本当に予想もしていませんでした。

     介護は夜中まで続きます。

    目がさめた

     大学院2年生9月10日。土曜日。

     今日は実習で、久々に社会人の先輩でもあって、しっかりしていて、優秀な人と一緒に参加しました。あるグループのミーティングを記録するという実習中に、時間があったので、こちらにも話を振られて、少し感想のようなことを伝えてしまったのだけど、そんな出過ぎたことを言ってもいいんだろうか、みたいなことも思いました。

     そのあとに、一緒に実習をした人と、喫茶店で話もして、どうしても調子に乗ってしゃべってしまい、長くひっぱって、申し訳なかったと思いつつ、充実した時間になりました。

     昨日の深夜のテレビ番組で、若さを保つ秘訣みたいなことをやっていて、それがどこまで正しいのかわかりませんが、挙げられていた項目を、偶然ですが、自分がほぼ満たしていて、ちょっと笑ってしまいました。

     一つは女性に興味を失わないこと(男性の場合)。そのためには、妻を名前で呼ぶこと。筋トレをすること。これらは、いわゆる男性ホルモンの分泌に関係があるらしい。それから、若い体を維持するのに、必要なのは、細胞の中のミトコンドリア、という話になって、あれ、これ確か、ホラーかなにかでそれがポイントになっていた事があった、と思い出したが、作品のタイトルなど、完全なことは思い出せませんでした。(後で『らせん』かも、と思いました)。

     さらに、少しお腹が減っていたほうがいい、というのは、心臓の発作を起こして以来、減量のために、10年ほど、ずっと一日2食でやってきたし、それから、少しストレスを加えるために、新しいことに挑戦する、というのは、今は挑戦するどころか苦しんでいる最中で、学生が終っても、ずっとそういう時間が続く、ということになると思います。

     これらは、まとめると、危機感をずっと持って、生き残る、という意志が働き続けている、ということでは、と感じました。それは、とても不安定で厳しい生活ではあるのですが、それは若さ、というか生命力を体から引き出し続けている、ということで、ある程度は納得がいくし、今のような生活が続く以上は、ある意味では体が無理をして若くいさせてくれるのだろう、とは思いました。

     それは、これから夜中、というか、朝方まで介護が続くような生活です。ちょっと悲しいような気持ちになりました。

    目

     大学院2年生年9月11日。日曜日。

     昨日あたりから、右目の端が赤くなっています。白目が赤いから、変に目立つし、痛くもないし、かゆいわけでもないが、今年になって帯状疱疹にもなったから、今ごろ目に発症することもないのでしょうが、不安はあります。

     以前、目が赤くなった時に眼科医に行ったときは、激しく怒ったりすると、目の血管が切れることがあって赤くなりますが、一時的なもので心配はいりません、と眼医者に言われたこともあったのですが、今回は特に怒ったりはしていません。

     ただ、いろいろと悩んだり、行き詰まったりはしています。さらに、50歳を目前にして、体のあちこちがどんどんぼろくなってきている感覚はあります。それはどうしようもありませんが、学校へ行き、自分よりも圧倒的に若い「同期」という存在によって、比較しても仕方がないですし、私自身も若い時があったのですが、でも、なんとなく悲しい気持ちになったりはします。最近、ぼんやりしていると、憂うつになることが多くなりました。

     今日は、本当なら、飲み会でしたが、出席者が少なすぎて、中止になりました。

     夜から、夜中の介護の合間に、「中間発表会」の原稿を作っていたら、これまでの分析の原稿で枚数はうまりました。問題は、カテゴリー関連図をパワーポイントで作る作業、というか、図をその前に仕上げる作業が丸々残っています。分析で、スライドは、すぐにうまったものの、まだ、それが全体の12分の1、という事は明らかで、膨大な作業が、まだまだ始まったばかり、という恐さはあります。

     それでも、まだどこかに、機会を作って、さらに博士課程で学びたい、という気持ちは、自分の能力を考えたら無理とわかりつつも、わずかにまだあります。そうでないと、このまま、50歳を超えて修了し、資格をとっても、仕事はない可能性が高い、ということが分かってきているせいもありました。

    医者

     大学院2年生年9月12日。月曜日。

     朝起きたら、昨日よりは気分が良く感じました。午前4時半より少し前に眠れたせいもあるようです。

     それより眠る時間が遅くなると、頭がずっと重くなってしまうので、気持ちの中で、午後9時・午後11時半・午前1時半・午前3時半。という義母のトイレに予定を考えます。もちろん、こちらの都合通りにはいきませんが、基本的には、このリズムで考えて、午前3時半のトイレの時間までに風呂も入って、あとは寝るだけ、という体勢にしてから、義母のトイレの介助をすれば、少しでも早く眠れるかも、という決意を秘かにしていました。

     考えたら、以前は、午前2時くらいにトイレに行かせて、それから寝ていたのに、どんどん遅くなってしまったのは、義母のトイレのリズムがだんだん短くなり、夜中に寝ているにも関わらず、本当に2時間に1回は行くようになったから、それに合わせて、朝7時に妻が起きてくる時に、なるべく義母がトイレに1人で行って失敗しないように、と考えていたら、少しずつ遅くなった結果です。

     でも、午前5時すぎに眠るというのは、それこそ防音が完全な部屋で眠ったり、ということでもなければ、午前中は周囲も騒がしくなるので、眠りがやたらと浅くなり、その少しずつの積み重ねで、おそらくは体を壊す、ということになりそうなので、少なくとも午前4時には眠る、というような毎日にしようと思うようになりました。

     午前5時過ぎに眠って、調子がイマイチだった昨日と比べて、今日は少し眠れた気がしたので、本当に気をつけようと思いました。

     論文の完成のために、2年で終わるはずの修了を1年伸ばしたい、というメールを担当の教授に送ったのですが、何も返信がこない、ということは、他の「同期」と同じように「中間発表会」でも発表して、論文も早くあきらめずに最後までがんばれ、というような事なのでは、と思っていますが、誰にも言わずに「どうしよう?」と思っていた時と比べたら、気持ちは楽にはなっています。

     ただ、毎日、分析をしていて、ひたすら作業としか思えないことを繰り返し、まだ先が見えない、まったく見えないのが、3人目の分析で、全部で12人だから、あと10人は残っていて、それは1人で1か月、というとんでもない時間がかかる、ということを考えたら、本当にGT Aという分析方法が、信じられないくらい時間がかかるものだと身をもってわかりました。

     ただ、論文、というものをこれからも書いていくのか、と考えると、かなり気が重くなるし、学校を出てから、どうするんですか?と聞かれるたびに、頭の中に義母が出て来て、これからも午前4時や5時まで介護をする生活が続くことを考えると、今のように午後遅くからの何時間しか働けない、と思うと、そんな条件に合う仕事があること自体が難しいでしょう。

     その上、50歳という年齢もあるから、仕事なんてあるわけがない、と思い、そうなったら、書く仕事をもう一度始められるように努力しよう、とも思うのですが、これだけ出版界とか、マスコミとかが斜陽になってきている時に、また始めるなんて、臨床心理士の仕事を始めるより難しいのではないか、と思うと、本当に先が見えなくなります。

     今日は、眼医者に行ったら、目が赤くなっていますが、健康には影響ありません、とにこやかに丁寧に言われました。それから、整形外科医に腰の牽引に行き、久しぶりにカフェに妻と二人で出かけました。

     夜から夜中まで、4時過ぎまで、介護は続きます。

    話し合い

     大学院2年生年9月15日。木曜日。 

     近所の電気屋さんにお願いして、今日は換気扇を新しく付け替えてもらい、ミニコンポを購入し、セッティングまでをやってもらい、故障したラジカセを修理をお願いしました。一緒に坊主頭の男子が来た、と思ったら、中学生で職業体験で今日で3日目だという事で、少し話もしました。中学生の男の子に、野球部?と聞くと、クラブチームの野球をやってます、と言って、伸ばさないの?という話題になった時に、ずっとこの髪型で、他は似合わないと思いますから、と答えてくれました。

     少し寝たかったのですが、その時間がなくなって、夕方に大学の方に、出かけました。最初は、論文のゼミの学生が、5人集まるはずだったのに、いろいろな事情で3人になってしまい、大学の近所の中華屋さんの2階で論文のためのゼミを自主的にやることになりました。

     家族介護者11人にインタビューをして、GTA(グラウンデッド・セオリー・アプローチ)という分析をして、それを形にしたカテゴリー関連図を紙に書いたのを他のゼミ生にも見せて、さらには、最終的な形態でもあるストーリーラインを見せて、いろいろと意見を聞きました。

     そのことは、とても参考になりました。介護の状況で分けるべきなのか、分けないべきなのか、という事を原点に帰って考えられましたし、やはり同じにすべきところは同じにすべきだろうと思えたし、ただ、それは、今分析しているAさんのカテゴリー関連図ができてから、改めて検討するべきだとも確認できました。

     それよりも近々考えるべきなのは、今日、持って行ったS氏の関連図で、現象を3つに分けたけれども、そのうちの2つを分けるべきなのかどうか、というところは指摘され、それは、その時はそうは思わなかったけれど、あとになって、やはり最初と統合したほうがよくて、その中で、その気持ちの変化も語るべきなのではないか。だから、それは確かに一緒にすることなのかもしれない、と思えました。まずは、そこは修正するところだろうし、あとは、現象の三つ目の帰結の部分にも、やはり継続、という部分を入れるべきだろう、とも思いました。

    (もし、この分析方法の経験がある方でしたら、分かってくれると思いますが、それ以外の方でしたら、この分析が、やたらと考えることと、作業が多く、だけど、それを省けない方法だと思ってくださると幸いです)。

     それから、ゼミの話だけでなく、いろいろな話をきっちりとできて、なんだか楽しいだけでなく、話してよかった、というような感じもあって、少し充実感と共に帰って来たら、メールが13件ありました。

     返信しなくてはいけないところは、2通返して、あとは、いろいろ広告も多かったのですが、中の一つは論文の担当の教授からでした。来年に伸ばしたい、という決意は伝わったようで、あとは会って話を詰めたい、ということでした。

     まだ、はっきりとは分かりませんが、自分だけの決意ではなく、人に伝わった事が確認出来ただけでも、少し気持ちが楽になったし、逆に、今日は自主ゼミで表作りのことを、1年生に頼むことができて、前向きになれました。

     介護は、今日も午前4時過ぎまで続きます。

     その間にも、分析を続けました。本当に、ほんの少しずつしか進みませんでした。

    病院

     大学院2年生9月16日。金曜日。

     夜が遅くても、朝は早めに起きなくてはいけなくて、眠く感じました。

     義母が3か月に1回、医者に行って、以前、手術をしたあとの、お腹の傷の具合いをみてもらう日で、担当のお医者さんが、金曜日の午前中だけ、ということになっているので、眠くても、出かけなくてはいけません。

     病院にでかけて、義母は、お腹だけでなく、胸のあせも、とういかガンジダ菌などもみてもらったり、足の裏の危なそうなホクロの話も丁寧に聞いてくれて、そして、答えてくれる女性の医者で、これだけ、いい意味で穏やかで親切で、その上でちゃんと見てくれている人は、珍しいと思いながらも、ありがたく、妻も心配だけでなく、少し安心したようでした。

     薬をもらって、途中の駅で降りて、病院に通うときは、いつも帰りに寄る駅ビルの和食屋さんへ行き、お寿司などを食べ、3人で食事をし、妻がタイのかまの部分を器用にキレイに食べる姿を見て、感心もし、帰って来てから、妻を先に寝かせて、そのうちに、再び、一人で出かける時間になりました。

     人と会って、伝えなくてはいけないことがありました。帰りは、夜の11時くらいにはなっていました。もう眠っていると思っていたのですが、帰って来たら、妻が起きていました。顔を見ようと思って、といわれました。

     妻とは付き合ってからだと約25年。ずいぶんと長い時間一緒で、それから、ほとんど運命というようなものも一緒に生きて来た感じがします。今も10年以上は、介護の生活を続けていますが、それでも、妻は変らないように思い、それにも感心する思いにもなりました。

     妻に寝てもらって、これから午前4時過ぎまでは、介護は続きます。私の担当の時間です。明日は午前10時から講義があります。今日よりも眠いのは間違いありません。



    (9月後半は、こちらに続きます↓)。





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    おち・まこと。臨床心理士/公認心理師。元・家族介護者。専門は「家族介護者への心理的支援」。家族介護者への個別の『介護相談』の仕事をしています。「全国の市区町村に、家族介護者のための相談窓口設置」が目標です。週1回更新予定。記事は約600本。東京都在住。

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