
『「40歳を超えて、大学院へ行く」ということ』㊵大学院2年生10月後半。「図書館」と「誕生日」。
初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。
おかげさまで、こうして記事を、書き続けることができています。
(※この『「40歳を超えてから、大学院に通う」ということ』シリーズを、いつも読んでくださっている方は、「メール」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います。今回は、大学院2年生になった10月後半の話です)。
大学院で学ぼうと思った理由
元々、私は家族介護者でした。
1999年に介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。
そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。
そして、臨床心理士の資格を取得するために、指定大学院の修了が必須条件だったので、入学しようと考えました。それが実現したのは、介護に専念して10年が過ぎた頃でした。
私自身は、今、振り返っても、40歳を超えてから大学院に入学し、そして学んで修了したことは、とても意味があることでしたし、辛さや大変さもあったのですが、学ぶこと自体が初めて楽しく感じ、充実した時間でした。
「40歳を超えて、大学院に通うということ」を書こうと思った理由
それはとても恵まれていたことだとは思うのですが、その経験について、(すでに15年以上前のことになってしまいましたが)伝えることで、もしも、30代や40代や50代(もしくはそれ以上)になってから、大学院に進学する気持ちがある方に、少しでも肯定的な思いになってもらえるかもしれない、と不遜かもしれませんが、思いました。
(もちろん、資格試験のために大学院へ入学するのは、やや一般的ではないかもしれませんが)。
同時に、家族介護者へ個別な心理的支援を仕事として続けてきたのですが、少なくとも臨床心理士で、この分野を専門としようと思っている方が、かなり少ないことは、この約15年間でも感じてきました。
もしも、このnoteを読んでいらっしゃる方の中で、心理職に興味があり、臨床心理士や公認心理師を目指したい。
さらには、家族介護者の心理的支援をしたいと思ってくださる方がいらっしゃるとしたら、できたら、さらに学ぶ機会を作っていただきたい、という思いもあり、改めて、こうして伝えることにしました。
この私のnoteの記事の中では、もしかしたら、かなり毛色が違うのかもしれませんし、不定期ですが、何回かに分けて、お伝えしようと思います。そして、当時のメモをもとにしているため、思ったよりも長い記事になっています。
よろしくお願いいたします。
この記事は、ほんの一例ですが、介護をしながら学んでいる人間の記録でもあると思います。
今回は、40代後半になってから、在宅で、妻と一緒に義母(妻の母親)の介護を続けながらも、臨床心理学専攻の大学院に通えることになり、大学院2年生になり、10月後半の頃の話です。修士論文が進まずに、あと1年、合計で3年、最初の予定より長く、大学院に通うことを決めながら、一部を除いて、そのことを伝えられずにいた頃でした。
メール
大学院2年生。10月16日。日曜日。
今日も昨日と同じような事を延々と続けなくてはいけないのか、それも、これから1年以上、そうした作業を黙々とやらないと論文は誰もやってくれず、自分のものだから完成しないのか、などと思ったら、けっこうゆううつになりました。
同時に、1年、修了を伸ばすことで、かなりのお金がかかり、今はまだ親が残してくれたお金があるから、気持ちに余裕がありますが、今も介護を続けているので、自分で稼げる手段が皆無な今の状況で、しかも50歳を超えていて、さらには、昔と比べると、すごく厳しくなっている世の中で、どんどん貯金が減っていったら、こんな余裕はなくなるんだろうな、とも思いました。
それでも、論文を出来る限りちゃんと仕上げるのが自分の役目でもあるのだろう、とも根拠なく感じてもいて、そんな事の繰り返しで地味な事を続けています。
そうはいっても、コピー&ペーストのキーボードを使うやり方を始めて、少しやってみて、これならば、ほんの少し早くなるけど、作業量が膨大だから、かなり変って来るはずと少しホッとしたり、主なプロパティとディメンションの一覧表だから、主なものをピックアップしてもいいんだ、とやっと思えたり、つまりは、全部をあげたら、ただ混乱するほどものすごい量のデータになってしまいました。
まだ全然完成していないし、だいたい本来の締め切りに間に合わないのだから、何も言えないような立場でもあるのですが、リッチなデータというからには、1人1時間程度のインタビューでは、全体を聞けず、ある場面だけになってしまう…と書きながら、だから、GTAでは、ある場面をピックアップして、というような事が書いてありますし、修士論文のレベルでは、(こういう書き方もすごい、と思っていますが)小さな現象をいくつか分析して、というくらいが、ふさわしい、といったことが書いてあります。
考えたら、自分がやろうとしている事は、家族介護者の心理の変化、という全体をとらえなおそう、という完全に力を超えた事で、ちゃんと出来るかどうか怪しい、というようなレベルの話になっているのかもしれません。
いくつかの現象を分析し、その全体をとらえなおして、この場合なら、家族介護、という事に関しての、新しい理論をうちたてる、ということを狙っているのだから、完全に役不足でもあるけれど、その役をやってくれる人が、おそらくは、これから何年たっても出て来ないのだろう、というのが、この10年の経験で、なんとなく実感しているのだから、今、この立場で自分がいるうちに、それが自分の力を超えているとしても、少なくとも形にしておくのが、やるべきことだと思っています。
介護を夜中まで続け、午前5時くらいまでになりますが、その合間に、分析を続けています。
図書館
大学院2年生。10月17日。月曜日。
講義もなく、大学へ行き、そこでほぼ誰とも会わない、というのは初めてかもしれません。
大学の中を歩いていたら、誰も知っている人はいなくて、でも、若い人達はいっぱいいて、この感じは、去年の入学したばかりの微妙な孤立感と似ていました。そうして学校内を歩いて、閲覧室へ行って、誰もいない中で、今日まで締め切りで、今日までかかった事例検討会のレポートを提出し、ちょっとコーヒーを飲んでいたら、教授と博士課程の人と、副手の人があらわれ、少しだけ言葉をかわしました。
それから、図書館へ向かい、本を返して、そのまま5冊を借りて、さらに論文を検索して、まだ読むべきものがたくさんある、というような気持ちにもなりながら、誰ともしゃべらずに1時間近くを過ごして、どの論文を読んだらいいのかを確認し、そのあと、はきはきした感じがいい図書館の女性職員に手続きをして、計7本をお願いしました。
これで、それでも、10数本しか論文を読んでおらず、50本以上を読んだ方がいい、とも言われているのに、その本数を読み、引用し、考えるには、どれだけの時間がかかるのだろう、と思いました。
傲慢かもしれないけれど、介護に関して、いい論文、と心の底から思ったことはまだおそらく一度もなく、この介護の分野で、そういうものがあるかどうかも分からないのですが、もう少し読んでみようとも思います。
特に、ここ2〜3年の最新のものを読んで、そこからまた参考の論文を、まだ読んでいないものを探して、読む、というような事を繰り返していけば、なんとかなるかもしれませんが、それまでに、論文を取り寄せたりするのに、2〜3万円はかかるのではないか、などとも思いました。
この前の引用で、1200円くらいでした。今度は、7本で3000円くらいかかるとすれば、一本で300円としたら、100本読んだら、それは3万円くらいかかる、ということになるのですが、可能な限り、図書館などで読んだり、ということもして、幅と深さの両方を広めよう、とも思います。
ほぼ沈黙の中で作業をしていて、やっぱり黙っている、というのは、ある意味で苦痛なんだ、と改めて、というか、かなり初めて思ったような気もしました。
帰ってからは、夜中というか、早朝まで介護です。
ゼミ
大学院2年生。10月19日。水曜日。
7月の末に研究ゼミが台風で中止になり、8月は夏休みで、9月の合宿は台風で中止、9月の末もゼミの日には、また台風が来ていて中止になりました。
とても久しぶりの研究ゼミ。それは、修士論文を書くための指導を受ける時間でもあるのですが、この3ヶ月の間に、自分は論文を来年までかける、という事を決めてしまいました。
だから、もう今年の12月までに修士論文を絶対に書きあげなくてはいけないという立場ではなく、そして、そういう大変な位置にいて、大変ですね、と言われるような人間でもなくなったのですが、今になって、もう来年にしました、というような事を言うことがプラスかどうかもよく分からず、黙ったままで時間が経ちました。
それが何となく後ろめたい、というような気持ちで、申し訳ない、というような思いがずっとありました。今のペースをあげていかないと来年まででも間に合わない、というような感じにもなっているので、それほどの、というか、全然余裕はないのですが、それでも、なんだかずっと後ろめたい気持ちは続いていて、みんなに言ってしまいたい、という思いはずっとあり、微妙に元気がないような時間が続いています。
介護をやっていて、仕事をやめて、その事で、今まで10年間、社会から隔たっている事で、自信がまったくなかったのが、勉強をしたり、人と知り合ったり、その時間の中で、どこか、この介護だけの生活の中で得たものも、マイナスばかりではないんだ、というような自信が出て来て、ある意味では、今だにきれいごとを言っているのかもしれません。
そして、臨床心理学の世界は、本当に突き詰めようとすれば、それよりももっと繊細で、相手の事を本気で大事にしようとするような分野だとわかってきました。
その学問を、真剣に学ぶことで、介護に専念する時間の中で、社会に慣れて来た部分が減ってきて、そこに学生としての姿勢みたいなものがすっかり定着したので、いい歳なのに苦労知らずのバカ、みたいになっているのではないか、と自分を疑いましたが、でも必要な姿勢なのではないかとも思うようになっています。
久しぶりに、同期と一緒に食事をしました。楽しかったのですが、なんだか盛り下がり気味で短い時間で終りました。やっぱり修士論文のプレッシャーはあると思いますし、久しぶりに会った人に、論文期待してる、と言われて、申し訳ない、という気持ちになりました。
ややぐったりしつつ、家に帰ってきました。秘密を(たいした事なくても)持ったりすると、ホントに気が重くなるものだ、と改めて思います。
これから介護で、午前5時くらいまで続きます。
雨
大学院2年生。10月21日。金曜日。
昨日は、夜中に論文のカテゴリー関連図をやり直していて、そのカテゴリーと、そのカテゴリーの名前と、その流れがもっと正確に、つまりは、話してくれた人の気持ちに沿った図が見えて、まだ完成はしていないけど、すっと視界が開けたような気持ちにもなり、それがうれしくて、夜中の4時にトイレで起きて来た妻にその話を、もうトイレに行って、布団の中で寝ようとしているのに話をしてしまいました。
それは、まだまだ作業としては先が見えないけれど、やっとたどり着いた一つの形でもあり、おそらくは、この分野の研究者は、(傲慢かもしれませんが)誰も気がついていないような構造だとも思いました。
だけど、またこれから、それを説得力のあるように仕上げて行くには、膨大な時間と手間ひまがかかるのが分かっていて、あと1年か…というのが、もう少し前なら、学生生活が延長されるのが嬉しかったのが、今は、そんなには嬉しくなくなって、出来たら同期の大勢と一緒に来年卒業した方が、今の切羽詰まった感じも、もっと共有できたのに、というような残念な思いもあります。
考えたら、今年入学して来た1年生と一緒に卒業することになるのだから、それはそれで、また楽しいこともあるかも、みたいな気持ちにもなっているのですが、それよりも、去年からの同期の人たちとの時間がとても楽しかったので、それが終わりに近づいているのがやっぱり寂しいのだろう、というようにも思えています。
同期のみんなは、それぞれの職場を探して、それぞれが仕事をして、若い人達が多いから、びっくりするほど変ったり、成長したり、結婚したり、子どもを持ったり、とすごく変化していき、これからの充実が、もちろんすごく悩んだり、大変な事もあるのだろうけど、そういう、まだ身長が伸びるような違いが分かるような変化を、その人自身がするような年代…20代、30代、40代が待っているかと思うと、もう同じように歩んで行けず、今がぎりぎり、一見同じような場所にいられる時であって、私はあとは老化していき、というような時間になってしまうのだろう、と寂しい気持ちにもなります。
でも、それは、自分だって若い時はあって、そのとき、何やっていたんだろう?と思うくらい、ダメで、もっと少しはちゃんと生きようとしていればよかったけど、今思っても、仕方がないし、あの20代の日々からもう20年がたったのに、これくらいの人間、というのがちょっと情けなくはなるものの、楽しかったはずの学生生活が、少しずつ終わりが近づき、学校を修了すると会わなくなるのかな、というような気持ちにもなり、それが、やっぱり悲しいのは、社会人になると、本当に限られた人間と、時々しか会わなくなる、というのも本当で、そういう現実だけは知ってしまったから、先が見える寂しさ、という中年以降独特のものかもしれません。
それでも、時間が流れて、おそらくは、歳をとったとしても、自分でも思わなかった変化がまた来るかもしれません。今日、免許の更新で、5年ぶりに警察署へ行きました。ペーパードライバーでもあって、無事故無違反のおかげもあって、比較的、スムーズに手続きは終わりました。
この前、更新した5年前は、母が生きていました。毎日のように病院に通っていました。母の状態が、だんだん悪くなっていく中で、実家に外泊をしたり、旅行へ行ったりもしていました。最後の旅行は、亡くなる年の2月なので、5年前は、自分への負担がものすごく大きい頃だったと思うけど、免許の写真を見ても、そのあたりの事は分かりません。あれから確実に5年がたち、その分、当たり前だけど、少し老けた写真になり、こうやって時間が過ぎていくのか、と思って、帰りの道路を歩いていたら、なんだか寂しい気持ちになりました。
5年は長いが、わりとすぐに過ぎ、そういう積み重ねをしていると、けっこうあっという間に死んでしまう、と思うと、恐くもなります。何しろ、今は学生ですが、それ以前は10年くらいは無職で、本当に介護以外は、何もしてこなかったから、よけいに、本当に恐くなります。
今は、論文を完成させる事に全力をつくそう、と思いました。夕方から雨が降って来ました。明日も雨みたいです。
夜中は介護です。
ナーバス
大学院2年生。10月24日。月曜日。
夕方から大学へ行きました。
研究ゼミの1年生の人に資料を渡し、アートが好きです、と言っていた人からカタログを貸してもらい、それから、周囲とあれこれしゃべって、講義は認知行動療法がテーマで、そのためのゲスト講師を外部から呼んできてくれました。
話を聞いていて、この人はプロへ教えるインストラクターで、認知行動療法の事は、この人が体系化していけば、すごくいいのに、と思いました。セラピスト、というよりは、研究者、というタイプの人だと思い、普段、この学校ではセラピストのタイプの先生達に、この1年半教えてもらっていて、それで、自分にとっては居心地がよかったのか、と思ったりもしました。
だけど、それはタイプの違いであり、今回も、講義の中で、臨床心理士という資格の今後の厳しさの話を聞き、ちょっと暗くなりました。
帰ってから、さまざまなことが気になってきて、自分が、ここのところ、コミュニケーションがうまくいかない、と思いすぎて、強迫症までいかないまでも、そういう状態に近づきそうな感じは、ほんの少しですが、分かった気がしました。しばらく我慢をして、時間がたった今では不安は膨らんだ後に、小さくなったからでした。
これから、午前5時くらいまで、介護の時間です。
何もしない日
大学院2年生。10月25日。火曜日。
起きたら、午前11時半でした。
晴れているから、洗ってほしいと妻に言われた、ひざかけを最初に洗濯機に入れて、それから昼食を食べて、いつものように妻の昼寝があって、皿荒いをして、洗濯物を干して、また2度目の洗濯を始め、実習の逐語録を送って来てくれたので、その確認をしていると、まだ起きたばかりだというのに、眠くなって来て、この作業が苦痛なのかと思いながら、つらくなってきたので、義母をトイレに連れていって、お米をといでいたら、妻が今週の木曜日から義母がショートステイに入るので、その準備のための買い物から帰って来ました。
一緒にお茶をしながら録画しておいたテレビ番組を見ていて時間がたって、それから、夕方だけど昼寝をして、妻の筋トレと自分の筋トレをして、夕食を食べて、テレビを一緒に見て、皿を洗って、妻を寝かせてから、1階に行ったら、今度は、また義母がポータブルトイレに、1時間半くらいの間隔でトイレに行ってしまっているのがわかり、それも失敗してしまっていたのにも気がつきました。
なんだか頭に来て、だけど、着替えさせていたら、「知らないうちに」と義母に、自分とは関係ないように、またも言われたので、さらに頭に来てしまいました。でも、義母に向けることもできません。介護の事で論文を書こうとしていて、ある意味では客観化しているのだろうけど、でも、こういう事があると、頭に来る感じが、気持ちに食い込むようで、体の奥に入ってくるし、同時に、そこからふきだすような怒りでもあるのに気づき、それを抑えるような日常の中にいると、それは感覚がちょっと変ってくるのは当たり前だし、この状況になじむということは、どこか普段の生活と違うのも当然だろうと思えてきます。
最近、少し忘れていたのですが、妻は今もこの介護の時間の真ん中にいます。私は、学校という場所ができたので、もうその中には完全にいないように思います。激しすぎる怒りと共にしか生活できないような毎日があった事に、おそらくは辛いことは憶えていられない、という事なのでしょうけれど、それを忘れそうになり、その事にちょっとぞっとします。
それでも、まだ介護は何年も続くでしょうし、夜中にトイレに連れていくたびに、義母の体の重さや生命力みたいなものを感じ、あと何年生きるのだろうか、と思い、今、50歳になり、これから60になっても介護しているかと思うと、やっぱり恐くなり、これって、本当のことなのだろうか、というような気持ちにもなり、だけど、続けなくてはいけなくて、その間に、いろいろな事が大きく変化していき、生活自体が大丈夫なのだろうか、というようにも思ってしまいます。
講義でも、臨床心理士のこれからは、いつ聞いても未来が暗い、というような話ばかりで、だから、臨床心理士の「人気」のようなものも下降線になっていき、大学院なのに倍率十倍、といった事態が、うそのように落ち着いて行くのかもしれません。
それに、色々と話を聞いていると、国家資格になるのもかなり遠くになりそうですし、自分が、自分の名前で仕事が出来るようになるしかなく、そういう意味では、フリーのライターと一緒だ、という気持ちにもなっています。
論文がホントに進みません。後戻りばかりで時間が過ぎます。
何もしない一日、という印象になってしまいました。時間はあるはずなのに。
これから、介護は続きます。
誕生日
大学院2年生。10月28日。金曜日。
起きたら、妻からのプレゼントがありました。チョコレートの詰め合わせと、ワイシャツなど。そういえば、自由が丘にやや不自然な理由で行ったり、こそこそ感はあったので、少しおかしいとは思っていたけど、こんなにちゃんと用意してくれているとは思いませんでしたし、これ、どこに隠してたんだろう?とは思ったりはしたのですが、うれしかったです。
今年も、妻からのお祝いの手紙もあって、その内容で、今の修士論文で四苦八苦している姿も肯定的に見てくれているのがわかり、それによって、1年分の学費という大金が余計にかかるというのに、それについても、応援してくれていました。
考えたら、結婚して18年たっている夫に対して、こんなに心のこもったプレゼントをくれるなんて、ものすごくありがたい事で、それに、すごくうれしいことでもあるので、御礼を言いました。それには笑顔で、改めて、おめでとう、と言ってくれました。
そうして今日は妻と出かけました。
車内でパンも食べ、アートも楽しく、夕食は黄金町の小さなカフェで食事もし、帰って来ました。夜、録画していたアニメを見ていたら、身内から電話がかかってきて、おめでとうを言われ、そのあとに電話がかかって来たら、同期でした。修士論文の話をしました。妻は、そのやりとりが丁寧だから、歳が上の女性では、と思っていたらしいのですが、相手は、同期の若い男性でした。
自分は気をつかい過ぎなのかも、などとも思っていますが、距離は近づいているから、いいか、とも考えていました。それでも、伝えたいことは、少しは伝わったようでした。
電話がよくある誕生日でした。ちょうど50歳になりました。信じられない年齢になってしまいました。40歳の頃には、仕事をやめて介護に専念していて、心臓の発作を起こして、まだめまいを起こしていましたから、介護をしながら学生をしている今の状況なんて想像が出来ませんでした。
仕事をして、本を出そうとしていた30歳の時には、自分の50なんて、想像をしようとも思いませんでしたが、どれだけ考えても、今の自分は分からなかったと思います。これから、とにかく、少しでもまともな人間になれるように、それで出来たら幸せに毎日を生きていきたい、という目標は変わりません。
昨日から義母に、ショートステイに行ってもらっているので、夜中に起きていなくてもいいのですが、それでも、それほど早く眠れるわけもありませんでした。
月末
大学院2年生。10月31日。月曜日。
今日で10月が終るのに、まだ修士論文の3人目の分析が終ってなくて、こんなはずではなかった、というくらいに遅くなっているのですが、自分が進めてなかったから、こういう結果になっただけで、驚くことはないけど、来年まで終るのだろうか、と思うくらいの遅いペースに、自分であきれています。
全部で11人の家族介護者の方にインタビューをさせてもらっていて、文字起こしまでは済んでいるのですが、そこからのGTAの分析が3人目までしか進んでいません。
このペースだと、2年修了の予定を3年に伸ばしたのに、さらに1年延長しないと論文が終わらない、ということになるかもしれません。
それは、やっぱり避けたいと思います。
明日から11月で、このところ、同期の人達と会う機会もめっきりと減って、なんだか学生気分も去年までがピークで、今年になってからは、どんどん減ってしまっていて、それと共に微妙に寂しくなったりしていて、このまま、この減退した感じで1年以上が過ぎていくのかと思うと、ちょっと気持ちが暗くなります。
なんとかそうならないようにベストをつくすことで、これからの時間がどれだけ充実するかどうかも決まっていくのも分かっていますから、毎日を全力をつくすように過ごしていくしかないのも、おそらくは変わりません。
昨日の夜までは、義母はショートステイでいないのに、夜中に部屋を見に行ったりして、あ、いないんだ、と思ったりもして、いない生活に慣れていないのに、慣れないままに5日間が過ぎて、今日からまた義母が帰って来て、いつもの生活が戻って来ます。
来月からは近くの建物の解体の工事も始まるし、それと同時に今日から水道工事が始まって、あと何か月かは工事と工事にはさまれる毎日が続いて、おそらくは朝の9時とか8時から工事が始まるから、いつものように午前5時くらいにしか眠れないのだから、毎日が睡眠時間4時間という日々が続くかと考えたら、かなり気持ちが重くなります。
だけど、工事が始まってしまうのは変らなくて、まずは分析を進めるしかなくて、それが終るかどうか分からないくらいのペースでしかなくて、それでも進めて行くしかなくて、これを予定よりも、1年長く続けることにそれほどの意味があるかどうかは分からなくて、それでも完成させないと大学院も修了出来なくて、そうなると、臨床心理士の資格試験を受験することさえできなくなります。
だからやらなくてはいけなくて、というより、何より自分のためだし、この作業を進めることで、少しずつ何かが分かってくるのを、確かに感じていますし、1年多く時間をかける、ということは、その分だけ質をあげなくてはいけないから、そういうプレッシャーみたいなものはあるし、万が一、これで大学院を修了できなかったら、どうなるんだろう、というような、ちょっとした恐怖みたいなものもありますし、この作業を続ける気持ちの体力みたいなものを考えて、少し疲れも出てきます。
もし、これから、同期とだけでなく、今の大学院1年生の人達と少し気持ちの距離が近くなれば、今の感じと違ってくるかもしれませんが、今はどうなるか分かりません。これからが、入学前に想像していたような、孤立したような学生生活になってしまうかもしれません。
義母のショートステイが今日で終るので、施設に迎えに行ったら、自分の部屋ではなく、1人で食堂にいました。車いすを1人で動かしていたみたいで、怒っても、最初のうちは、何で怒るのよ?と、ふてぶてしいようなことを言われたので、さらに怒ってしまいました。とはいっても、耳がほとんど聞こえないので、筆記ボードに文字を書いて伝えるので、どこまで理解してもらったかは、分かりません。
車いすで動きたいときは、職員さんを呼んでください、と、あれだけお願いしているのに、何度も何度も1人で車いすを動かして、もし、誰かを転ばしてしまったり、自分がケガしたり、どうなるんだろう、という恐さがあるから、何度も紙に書いて、筆記ボードにも書いて、お願いしているのに、どうして、そのことを守ってくれないのだろう、と思ってしまいます。
今日からいつもの生活。夜にトイレに連れていくので、自分では眠る時間を決められません。今日から、いつものように義母への手紙も書きます。それは、私が午前5時頃に眠ってしまうので、妻が起きてくるまでの午前7時くらいまでの間に、目を覚ましてしまった義母が、少しでも落ち着いてもらえるように、A4のコピー用紙に、花の写真などを貼って、あとは、あいさつや、今日のことなどを、大きな文字で書いています。それも毎日続けてきました。
そのために、インターネットで11月の花の写真を検索してプリントアウトして、それを切って、手紙に貼りました。
なんだか中途半端な暗い気持ちの毎日が続いています。この気分が変る時は来るんだろうか、と思ってしまいました。
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