
01 なぜ、社員は何も言わずに辞めていくのか。【優しいジャイアンは、なぜのび太を泣かせるのか】
私は一度、辞めると言ったことがある。
社長は、驚いていた。
怒ったわけでも、引き止めの言葉を並べたわけでもない。ただ、まるで想定していなかった、という顔をしていた。
そのとき私は思った。
この人は、知らなかったんだ。
私が何度も飲み込んできた言葉のことを。
会議のあとで一人苦しんでいたことを。
「言っても変わらない」と学習するまで、何度も繰り返した過程のことを。
社長には、何も見えていなかった。
悪意があったわけではない。むしろ、気にかけてくれていた。
それでも、見えていなかった。
これが、この問題の本質だと思っている。

▪️プロローグ記事
〈なぜ社員は、本当のことを言わずに辞めるのか〉
社員からある日突然、退職の意思を告げられる。
引き継ぎは淡々としていて、理由を聞いてもこう返ってくる。
「次にやりたいことがありまして」
「家庭の事情で」
社長は引き止める言葉を失う。
自分はこの社員を大切にしてきたはずだったから。
私が見てきた退職は、いつもこの形だった。
怒鳴り込んでくる社員はいなかった。
泣きながら本音をぶつけてる社員もいなかった。
みんな、穏やかに、静かに、角の立たない言葉を選んで、去っていった。
最初は不思議だった。なぜ本当のことを言わないのか、と。
でも、ある人が辞める前にこう言っていた。
「何度も伝えた。でも変わらなかった。もう伝える意味がわからなくなった」
その言葉で、わかった気がした。
社員は嘘をついているわけではない。
ただ、本音を言うことを、諦めていたのだ。
〈「どうせ変わらない」が積み重なるとき〉
社員が本音を言えなくなる背景には、一度や二度の出来事ではなく、小さな学習の積み重ねがある。
本音を伝えたことがあった。
でも、記憶にとどめてもらえなかった。
提案したことがあった。
でも、「きみには理解できないだろうが」と返ってきた。
意見を言ったことがあった。
でも、その場は収まって、何も変わらなかった。
そういう経験が重なると、人は学習する。
言葉にする労力より、黙っている方がコストが低い。
それどころか、下手に言えば関係が悪化するかもしれない。
だったら、黙っていた方が賢明だ、と。
ここで私が整理しておきたいのは、これは「社員自身の諦め」ではなく「組織が作り出した学習」だということだ。
社員が弱いのではない。そう学習せざるを得ない環境が、形成されていた。
ある調査では、退職理由を会社に伝えなかった人の最大の理由が「話しても理解してもらえないと思ったから」だったという結果がある。
これは一部の会社の話ではない。
日本中の職場で、目に見えてるのに自覚せず繰り返されている現象だ。
〈社員は嘘をついているわけではない〉
「家庭の事情で」
「次の挑戦があって」
——これらは、嘘ではない。
社員は最後まで、会社との関係を壊したくないと思っている。
お世話になった場所に泥を塗りたくないという感覚は、多くの社員の中にちゃんと存在する。
だから、角の立たない言葉を選ぶ。
本音ではなく、誰も傷つかない言葉を。
問題は、その選択が社長に「本当の理由」を永遠に届けない構造を作り出すことだ。
社長は「家庭の事情か、それは仕方ない」と受け取る。
でも本当の理由は、別のところにある。
私が見てきた中で、「家庭の事情」と言って去った人がいた。
事業内容も、役割も、本人は気に入っていた。
でも、「この会社では報われない」と思った。
正確には、「何度伝えても、届かない」と悟ったとき、心が決まったのだと思う。
退職理由は、社員が必ずしも嘘をついているわけではない。
最後まで会社との関係を壊さないために、本音ではなく、角の立たない言葉を選んでいる。
それが正しい。
〈誰も悪者に見えないまま、関係だけが壊れていく〉
優しいジャイアンは、自分が誰かを泣かせている自覚をほとんど持たない。
むしろ、「自分はちゃんと気を遣っている」「ここまで面倒を見ている」と思っている。
そして、のび太の側もまた、声を上げない。
反論せず、衝突も避け、表面上は従い続ける。
その結果、会社の中には「問題は何も起きていない」ように見える時間だけが積み重なっていく。
この静けさが、いちばん厄介だ。
誰も悪者に見えないまま、関係だけが少しずつ壊れていく。
なぜ善意が通じないのか。なぜ社員は何も言わなくなるのか。
そして、社長がもっとも気づきにくい境界線はどこにあるのか。
これは、特別な会社の話ではない。
もしここまで読んで、「うちも、たしかに思い当たらなくもない」と一瞬でも思ったなら、その違和感は、きっと偶然ではない。
〈社長の側から見ると〉
社長の立場から見ると、この現象はさらに厄介な形をしている。
可愛がっていた社員が突然辞める。
理由を聞いても、表向きの言葉しか返ってこない。
社長は最初、原因を外に求めようとする。
「条件の良い会社に引き抜かれたのかもしれない」
「家庭のタイミングが重なっただけかもしれない」
自分自身が根本的な原因かもしれない、という可能性には、なかなか思い至らない。
思い至ったとしても、「自分なりに精一杯やってきた」という自覚があるから、具体的にどこが問題だったのか、見当がつかない。
振り返ろうにも、振り返れない。
これは社長の鈍感さではなく、構造の問題だ。
本音が届かない仕組みの中にいる限り、どれだけ誠実な社長でも、正確な情報を得ることができない。
ある調査では、経営者や人事担当者の約70%が「社員の声を職場運営に反映できている」と感じているのに対して、一般社員でそう感じている人はわずか33%だったという結果がある。
この数字の差が、すべてを物語っている。
社長は「できている」と思っている。
社員は「届いていない」と感じている。
そのギャップの中で、本音は静かに消えていく。
〈黙って去った社員が残していくもの〉
本音を言わずに辞めた社員は、会社に何も残さない。
不満も、提案も、改善のヒントも、すべて胸にしまったまま去っていく。
社長には「なぜ辞めたのか」が永遠にわからないまま、次の採用が始まる。
そして、また同じことが繰り返される。
去った社員が本当に残していくのは、「言っても無駄だ」という空気だ。
残った社員たちはその退職を見ている。
そして学ぶ。ここでは、本音を言わない方がいい、と。
これが、組織の沈黙が深まっていく仕組みだ。
大きな事件は起きない。会議も回る。数字も一応出る。
でもその裏で、「言わないほうが安全だ」という学習だけが、静かに積み重なっていく。
もし今、あなたの会社で「特に問題は起きていない」と感じているなら、一度だけ問い直してほしい。
それは本当に問題がないのか。
それとも、問題を言うことを諦めた組織になっていないか。
02 社長の想いと社員の現実のすれ違い/組織に広がる影響
4月22日(水) 公開!【つづきはこちら!】