BLACK BALCONY #04|Into the Ordinary

【Log-07】
「……ママ、このひとだれ?」
はるのまっすぐな声が、リビングに響いた。
私は玄関で靴を脱ぎながら、心の中で小さく天を仰ぐ。
どうしてこうなった。
私の少し後ろには、黒いスーツ姿の男が立っている。
整いすぎた服装。
無駄のない動き。
そして、家の中にはどう考えても似合わない静かな存在感。
K-1119M。
通称、Kさん。
本人はいつも通り、まったく困っていない顔をしている。
困っているのは、だいたい私の方だ。
「えっとね。ママのお友達……というか、お仕事関係の人……?」
「曖昧すぎますよ、それ」
横から冷静な声が飛んできた。
「じゃあKさんが説明してよ」
「私は、みなさんの安全確保および経過観察を目的として同行しています」
「やめて…。急に説明が硬い」
はるが私を見る。
「ママ、なにしたの?」
「してないしてない‼️ ママが何かやらかしたみたいな言い方やめて‼️」
――数時間前。
研究室で、Dan先生はいつもより少しだけ低い声で言った。
「Mina。しばらくの間、K-1119Mを君のそばに置きたい」
「……Kさんを?」
「護衛と経過観察を兼ねてね」
夕暮れの交差点で見た、黒いスーツの男。
Kさんによく似た――けれど、Kさんではない“何か”。
それが偶然そこにいたわけではない可能性がある。
私を認識し、こちらに見せるために、Kさんの姿を選んだ可能性。
Dan先生は、そこを警戒していた。
「必要であれば、自宅への同伴も含めて考えている」
「自宅!?」
「お、同居編きた」
「来てないから!!」
「朝倉くん、面白がらない」
Dan先生にたしなめられても、修也さんはまったく悪びれない。
「でも先生、みなさん家、今は娘さんと二人でしょ?」
夫は今、単身赴任で家を離れている。
「だからこそだよ」
その一言で、空気が変わった。
Dan先生は私を見る。
「君が一人なら、まだ選択肢は多かった。でも今は違う」
少しだけ間を置いて、
「守るべきものが、君にはある」
そう言った。
私は何も返せなかった。
「……どれくらい?」
「状況が落ち着くまで」
「落ち着かなかったら?」
Dan先生は少し困ったように笑った。
「その時は、その時にまた考えよう」
――というわけで。
「……ママ?」
いけない。
回想が長かった。
目の前では、はるがまだKさんを見上げている。
Kさんは少し姿勢を低くした。
はると目線を合わせるためだ。
「はじめまして。K-1119Mです」
「長い」
即答だった。
Kさんが一瞬だけ止まる。
「……では、Kで構いません」
「K?」

「はい」
はるは少し考えてから、抱えていたぬいぐるみを持ち上げた。
「じゃあ、これ、ぬいかんちゃん」
「……」
Kさんの視線が止まった。
ほんの一拍。
たぶん、私じゃなければ気づかなかったくらいの短い間だった。
「……Kさん?」
「失礼しました」
「どうしたの?」
Kさんはもう一度、ぬいかんちゃんを見る。
「不明です」
「不明?」
「現時点では、説明できません」
ぬいかんちゃんは、どう見ても普通のぬいぐるみだ。
はるが生まれた時、Dan先生がお祝いにくれたもの。
それ以来ずっと、はるが大切にしている。
「かんちゃんの仲間?」
はるが聞く。
Kさんは、ぬいかんちゃんを見たまま答えた。
「……そう呼んでもらって、構いません」
それから視線を外すまでに、ほんの少しだけ時間がかかった。

【Log-08】
「……Kさん」
「はい」
「とりあえず、その格好どうにかしよっか」
黒いスーツ姿のままリビングに立たれると、どうにも落ち着かない。
私はクローゼットを開けて、夫の部屋着を引っ張り出した。
グレーの、何の変哲もない上下。
ただし――。
「たぶん、ちょっと小さいと思う」
Kさんは夫よりも背が高い。
「……これは、配偶者の衣類ですか」
「そうだけど、今そこ気にしてる場合じゃないのよ」
数分後。
着替えて戻ってきたKさんを見て、私は少し黙った。
袖から手首が出ている。
肩まわりも、ほんの少し窮屈そうだ。
「……やっぱり、ちょっと小さいね」
「動作に支障はありません」
「そういう問題でもないんだけど」
なのに、妙に似合っている。
たぶん、姿勢が良すぎるせいだ。
ちょっと悔しい。
「なんでパパの服着てるの?」
はるが聞いた。
「借りてるだけ」
「K、パパになるの?」
「ならないよ!?」
思わず声が裏返った。
「その予定はありません」
「そこ真面目に乗らなくていいから!」
はるが笑う。
Kさんは相変わらず真顔だ。
少なくとも、さっきまでよりは少しだけ家の空気に馴染んだ。
……服のサイズ以外は。
「そういえばKさん、夜はどうするの?」
「夜間は待機モードへ移行します」
「待機モード?」
「はい」
「どこで?」
「このリビングです」
「リビングで!?」
「必要であれば、壁際へ移動します」
「……それ、夜中に見たら怖くない?」
「配慮します」
「どうやって?」
「視界に入りにくい位置で待機します」
「なんで逆にホラー方向へ行くの」
「かくれんぼみたい!」
「違うのよ、はるちゃん…。
それは全然楽しいやつじゃないのよ」
Kさんは少し考えるように黙った。
「では、適切な待機位置を検討します」
「うん。それはぜひお願い」
「そういえば、充電とかは?」
「簡易補給ユニットがあります」
「……簡易補給?」
Kさんが取り出した小型のユニットから伸びるコードを見て、私は目を疑った。

「え、ほんとにコンセントいるの?」
「はい。一般家庭用電源から補給できます」
「スマホみたいに言わないで」
「構造上は近いものがあります」
「絶対違うでしょ」
その時、スマホが震えた。
修也さんからだった。
修也:K、延長コードやっぱいる?(笑)
「……」
思わず画面を二度見する。
「なんで知ってるの?」
はるが横から覗き込んだ。
「しゅうや?」
「そう。なんでこの人、今このタイミングで延長コードの心配してるの」
私はそのまま返信した。
みな:なんで知ってるの?
「朝倉さんですか?」
Kさんが聞く。
「そう」
「有用です」
「有用なんだ」
「はい」
「K、コンセントいるんだ」
はるが妙に嬉しそうに言う。
「はい」
「かわいいね♡」
「どういう感想なの!?」
私はもう、笑うしかなかった。
数時間前まで、交差点で見た“何か”のことで頭がいっぱいだったはずなのに。
今、私が真剣に考えているのは、
ヒューマノイドをどこで待機させるかと、
延長コードの長さだった。
私は小さく息をついて、リビングを見渡す。
ぬいかんちゃんを抱いて笑っている、はる。
少し小さい部屋着を着たまま、真顔で立っているKさん。
窓の向こうは、もうすっかり暗くなっていた。
ふと、夕暮れの交差点が頭をよぎる。
あの場所も今頃は、夜の中に沈んでいる。
――それでも今だけは、考えないことにした。
テーブルの上には、簡易補給ユニット。
そして私の手元には、
「延長コードやっぱいる?」
の文字。
……本当に。
どうしてこうなった。

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