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今も昔も、政治の背景には、「アメリカ」と「中国」の抗争がある

    與那覇潤さんが昨日、公明党が連立離脱し、少数与党の自民党が連立相手を探っている現状を、1970年代の再来だと論じていました。


    私は、もう一つピンと来なかったのですが、昨日引用した丸山実と坂口義弘の『花形記者は転んだ』(1982)を拾い読みしていると、なるほど今と似ていると納得するところがありました。

    丸山実は左翼の人なので、以下、左翼的視点からの分析であることはまず断っておきますが。


    與那覇さんが書いているとおり、1979年の首班指名で、自民党から大平正芳(現職)と福田赳夫が並び立ち、党は分裂の危機を迎えました。いわゆる「四十日抗争」です。

    この時、大平派+田中派は中国派(左派)と見られ、

    福田派・中曽根派・三木派・中川グループはアメリカ派(右派)と見られていたようです。

    大平は、與那覇さんが書いているとおり、公明党に連立を持ちかけるのですが、民社党にも声をかけていました。福田派も民社党に連立を持ちかけます。

    結果は、大平がなんとか第二次政権を築きますが、党内は不安定で、翌年すぐ解散になる。解散後の選挙中、大平が亡くなったことが、結果として党内のわだかまりをなくしたと言われます。


    丸山らの見方では、これは「アメリカ・ロビー」と「中国・ロビー」の絶えざる抗争の一環でした。

    以下のように書かれています。


    日本の支配者群団は必ずといってよいほど陰の力が支えになっていた。その支えをアメリカ・ロビーと中国・ロビーに分けてみると筋が通る。勿論、ソ連・ロビーもあるが、力がない。

    このロビーを政治的に腑分けすると、アメリカ・ロビーは「自・民連合政権」であり、中国・ロビーは「自・公・民連合政権」となる。二つのロビーは、一九七〇年以来顕著な動きをみせ、黒幕も二つに分かれる。田中角栄氏は中国・ロビーという話は早くから伝わっているし、福田赳夫氏はアメリカ・ロビー(このなかには韓国・ロビーも含まれる)だという。(中略)

    時として二つのロビーは、自民党内を二つに割るほどの抗争を繰り広げる。

    (丸山実・坂口義弘『花形記者は転んだ』1982、幸洋出版 p46)


    どうでしょうか。現状も、岸田・石破の「中国・ロビー」と、麻生・高市の「アメリカ・ロビー」の抗争だと見れば、たしかに「筋が通る」気がします。

    丸山らの見方では、1972年の田中角栄の日中国交回復は中国・ロビー(公明党含む)の勝利だったのですが、1976年のロッキード事件による田中の失脚は、それに対するアメリカ・ロビーの巻き返し、ということになります。

    その後、1979年に、上記の「四十日抗争」で、両者が激突します。


    丸山らによれば、創価学会顧問だった塚本素山は、児玉誉士夫とも親交がある「アメリカ・ロビー」だったのですが、その塚本を1967年に切った後、池田大作の創価学会は「中国・ロビー」になりました。

    以後、この2大ロビーの抗争において、創価学会・公明党は、中国・ロビーを勝たせようと動く、と丸山らは分析しています。

    今も、そうなっているのではないでしょうか。


    大平派は岸田派となり、福田派は安倍派となりました。要するに「宏池会」VS「清和会」。中国VSアメリカ。


    この「米中2大ロビー史観」は、陰謀論のようでもあるし、みんながわりに常識的に想像している背景でもあるのではないでしょうか。

    これが当たっているとすれば、昭和も令和も変わらない、冷戦後も冷戦中と同じで、進歩がないですね。


    「保守VSリベラル」以前に、日本はまず諸外国の影響から独立せんといかんですよ。それが「反グローバリズム」ということなら、まあそういうことです。

    ご参考まで。


    <参考>


     
     
    会社を定年退職し、神奈川県は柿生の里に隠棲する。新聞社、出版社に勤め、記者や編集者をやっていた。独身、孤独を愛する。老人であることを自覚し、記憶力もあやしくなりつつあるので、ここに書き残したいことを書き残しておく。世間から引退したので、社交は望みません。

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