
さらば公明党 投票率上げて日本を変えよう 「もともと左の公明党」
多数にあぐらの自民党
何でも反対社会党
みんなロボット公明党
日本にゃ向かない共産党
力のたりない民社党
あるのか、ないのか社民連
これは立川談志が、1971年に無所属で参院選に出馬した時、選挙中に節をつけて選挙カーから唱えた「スローガン」。戯れ歌というか。それ以前にオリジナルがあるのかは知らない。
談志の選挙運動を手伝わされ、この「スローガン」を唱和させられた快楽亭ブラックが、寄席のネタにしていた。(談志は、当選すると自民党に入った)
社会党とか民社党とか社民連とか、われわれの世代(1960年前後生まれ)には、懐かしいですね。
そして、50年以上前から変わらずあるのは、自民党、公明党、共産党だけだ、ということにも気づかされる。
「多数にあぐら」をかけなくなっている自民党の人にとっても、懐かしいでしょう。
みんなロボット公明党。
創価学会の人たちは、あんなに個性豊かなのに。ニッキューナナとか・・。
でも、公明党になると、急に「ロボット」感が出るのは、今も昔も変わらない。
「組織」の代弁者でしかなく、個性がなくなる。今の斉藤鉄夫代表なんかも、悪いけどロボットみたいな顔だなあ。
だから、公明党の政治家って、親しみがないし、馴染みがない。たぶん創価学会の人以外には・・
公明党の連立離脱で、「平成政治が終わった」なんて言われる。
平成に入ってから、約四半世紀、ずっと自民党と連立を組んでいたから。
でも、昭和の時代は、公明党って「左翼」だった。
自民党、「保守」、「国家神道」、「靖国・天皇制」に対抗する勢力だった。
人生の半分は「昭和」だったわれわれは、その時代を覚えている。
だから、平成以降しか知らない世代とは、「公明党離脱」への感覚が違うのではないか。
むしろ、なんであの公明党が、自民党とくっついてたんだあ、とそっちの方がわからなくなる。
離脱の話を聞いて、夢から覚めたような気分。自民党の中でも、古い人にはそういう感覚があるかもしれない。
「みんなロボット公明党」というより、「もともと左の公明党」。
新聞もそういう解説を載せるかもしれないけど、今の現役記者には、もう昭和を知ってる人は少ないでしょう。
だから、少し思い出話を書いておこうと思う。
*
とはいえ、私は政治の専門家ではないし、記憶を失いつつある老人だ。
本当に「公明党は左」だったのか、証拠を探して書棚を探ると、たとえばこういう記述がある。
「日本共産党、社会党、公明党のような革新政党・・」
(丸山実・坂口義弘『花形記者は転んだ』1982、幸洋出版、p144)
ほーらね、公明党は、共産党、社会党と同列だった。
そうそう、昔は左のことを、「革新」と言っていた。
われわれの世代が「革新」という言葉で思い出すのは、美濃部亮吉の「革新都政」ですね。
マルクス主義者の美濃部を東京都知事にしたのは、共産党と社会党でした。
蓮舫が昨年、共産党の支援で都知事に立候補した時、「美濃部都政の再来か」とか言われたけど、今の人にはほとんど通じなかっただろうね。
で、公明党は、最初こそ美濃部に対抗馬を出してたけど、1971年の美濃部2期目からは、社共とともに革新都政を支えた。
「社・共・公」の枠組みです。
1970年代でいえば、やっぱり「創共協定」の話になる。
もともと、創価学会と共産党は、ライバル同士でした。
戦後、よるべのない人たちを組織していったのが、この二つの団体だ。
労働者たちは共産党に、小事業者たちは創価学会に組織されていったことが多いだろう。
いずれにせよ、この二つは支持者を食い合っていた。
その二つが、松本清張の仲介で、手を結んだ。
創共協定が発表されたのが1975年ですね。
松本清張の顔が写った写真を、今もなんとなく覚えています。
でも、これは、創価学会が公明党の頭越しに進めた話らしく、公明党が反発して、結局なかったことになりました。
でも、松本清張のような「革新」側としては、創価学会・公明と、共産党は、喧嘩していないで、ともに右翼の自民党と戦わんかい、と思ってたわけで。そういう気分が「協定」の背景にある。
当時は、いうまでもなく冷戦時代ですよ。
池田大作は、「協定」の話が進んでいた1974年、中国を3回、ソ連を1回訪問し、「東側」と関係を密にした。
公明党は「媚中」なんて言われるけど、それはこの頃からですね。
でも、中国が好きというわけではないと思う。天皇制の日本が嫌いなんでしょう。
上に引用した『花形記者は転んだ』は、池田大作の女性スキャダルを書いて毎日新聞をクビになった内藤国夫を批判した本。著者の丸山実は、全共闘の機関誌のようだと言われた月刊誌「現代の眼」の編集長でした。新左翼シンパの立場から、創価学会・公明党を擁護しています。
この本に、こういう記述がある。日本が右傾化しつつある、という危機感が書かれた後にーー
天皇制護持のために、現憲法で保証された信教の自由を改竄して、靖国法案を持ち出す構図が如実に物語っている。神道系は勿論、既成仏教教団、新興宗教団体の何割かはすでにこの動きに取り込まれている。
これに対して創価学会は、日本ばかりでなく世界的に信者を持ち、しかも独自で政党を抱えるとあっては、権力サイドにとっても最も警戒を必要とする教団である。
しかも、天皇制とは真っ向から対峙する教義を持っていることになれば、なにがなんでも芽を摘まねばならない。
(同上 p41 ちなみに「靖国法案」とは、神社本庁と日本遺族会が2000万の署名を集めて進めていた靖国神社の国家管理案)
当時の左翼側からの、創価学会・公明党への「期待」がわかる文章だと思います。
いわば公明党は、自民党が「右傾化」したら作動する「左翼バネ」なんですね。少なくとも左翼側はそう期待していた。
なんといっても、創価学会・公明党は、天皇制国家とは絶対に相容れない存在なのだから。
今回も、そういう「左翼バネ」として起動して、連立離脱したと見ることができます。
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ところで、公明党の議員はみんな同じに見えて親しみがない、と上に書いたけど、私には一人だけ、強く印象に残っている人がいる。
伏見康治です。
1983年、参院選に初めて比例代表制が取り入れられた時、公明党が名簿1位に置いて当選した人です。
当時は有名な原子力物理学者でした。
われわれの世代が選挙権を得て間もない頃の選挙だったから、なおさら、よく覚えている。
この人が公明党議員となったことで、公明党のイメージがすごく上がったと思う。
少なくとも、私の中ではそうでしたね。
学術会議の会長にもなった人ですが、いまから振り返れば、めちゃくちゃ当時の「東側」に傾倒した人だった。
とくに、親北派、つまり北朝鮮シンパとして知られていた。
Wikipediaにこうあります。
原子力研究の第一人者としてだけではなく、北朝鮮に対する核技術支援の親北派日本人として知られている。(中略)彼らや彼らの教育や技術支援を受けた在日朝鮮人・朝鮮人の技術者によって、日本をも射程範囲内にした核兵器開発を北朝鮮は成功出来たために批判がある。
まあ、そういうこともあってか、いま公明党は、あまりこの人の名前を出さないようですね。
しかし、一度は公明党の「顔」になった人が、北朝鮮の核武装に協力した人だというのは、公明党がもともと「左」であることの証左ではあるでしょう。
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その後、公明党は、80年代くらいから「中道」路線をとり始め、冷戦終了後は、どんどんそっちに寄っていって、ついに自民党とくっついたんじゃなかったっけ。
その頃は、バブル期でディスコで踊るのに忙しかったから、あんまり覚えてない。
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公明党について言えるもう一つのことは、マスコミは決して公明党を批判しない、ということですね。
マスコミとの「癒着」は、また別の主題だから、ここでは詳しく書かないけれど。
なにしろ、新聞に「軽減税率」の恩恵を与えた立役者と言われる。そりゃ、批判できません。
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かつては創価学会は1000万信者で、公明党は600万以上の集票力があると言われました。
今はだいぶ衰えた、という説がある。
集票力は300万くらいに半減した、とか。
それでも、すごい数字だけどね。
きのう、三橋貴明さんがYouTubeの番組で、自民党は、ずっと公明党の選挙協力に慣れてたから、地方で自民党議員は怠けて、力が弱まっている、みたいなことを言っていた。
その点では、今度選挙があると、立憲民主党の方が強いだろう、と言っていた。
私の選挙区(神奈川9区)で考えても、それは言えてる気がする。
立憲の笠浩史氏が強い。自民の中山展宏氏はいつも後塵を拝していた。
地元の祭りやイベントがあると、必ず顔を出して顔を売るのが笠氏。中山氏は、顔を出しても、滞在時間が短い。(それでも中山氏は比例復活で当選を重ねたが、2024年衆院選で比例復活もかなわず落選した)
そういうところに、公明党の票に頼ってきた自民党の油断、弱体化を感じる。
すぐ選挙になると、自民党はやばいだろうね。
私自身は、創価学会や公明党を積極的に嫌う理由はあまりない。
でも、基本的には、選挙は、組織票に左右されないのが望ましい。
高市早苗を応援したいなら、とにかく投票率を上げて、本物の民主主義をまず実現することですね。
私はいつも投票してるから、行動が変わることはないけど。
高市氏が無党派にどれだけ訴求力があるか、これまで投票しなかった層を掘り起こせるか、それにかかっている気がする。
(ヘッダー画像は日テレNEWSより)
<参考>