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【青橙ノ余白】なぜ山口蛍は長崎を選んだのか─ 1人のサポーターがたどり着いた答え

◆ひとつの疑問から

先日ブログにアップした『【青橙の余白】影を追う、その先へ ─ 48がくれた景色』を読んでいただいた読者の方はお分かりかと思うが、今シーズンから、長崎では山口蛍選手の背中を追いかけると決めた。

応援するからには、本気で向き合わなければならない。
私は今まで、照山選手という一人の選手に、少し、いや、かなり没入しすぎた。

だから、ただ試合を見て終わりではなく、今度は山口蛍選手が何を考え、どんな思いでプレーしているのかまでちゃんと知りたい。

そう思ったとき、ずっと心に残っていたある一つの疑問と向き合うことにした。

──なぜ、山口蛍選手は長崎を選んだのか。

既にこのことはあらゆる媒体で、本人の口から説明されている。
それでも私は、どこか腑に落ちない感覚が残っていた。

そのきっかけになったのが、百年構想リーグ開幕前に公開された、長谷川アーリアジャスール氏との対談だった。

この動画の中で山口蛍選手は、百年構想リーグの目標としてACL出場を挙げ、「神戸で良いチームには良いベテランが必要って分かったから、自分が長崎でそういう存在になれれば」という趣旨の話をしている。

けれど、その言葉を聞いて私は、逆にこう思ってしまった。

……え?それなら、ヴィッセル神戸にいた方が良かったんじゃないの?

神戸の方がACL制覇に間違いなく近いだろうし、良いベテランになるのも容易だろう。
なんてったって、J1を2連覇したキャプテンなのだ。

……やっぱりなんで長崎に来たのか不思議だ。

ここから先は、公開されている資料や本人の発言をもとに、この問いを私なりに考えてみたい。
もちろん、本人が「本当はこう考えていました」と語ったわけではない以上、ここから先はあくまで私自身の推測(という名の妄想)である。

できる限り公開されている事実を土台にしながら、一つひとつ積み重ねていきたいと思う。
ただ、「いやいや違う見方もあるよ」と感じる部分もあるかもしれない。

それでも、一人のサポーターが山口蛍選手を理解するため、本気で向き合った記録として、最後まで読んでいただけたら嬉しい。

ちなみに先にお伝えしておくと、斬新な結論はない。
あくまでそこに至る「過程」をお楽しみいただけたらと思う。

◆資料を並べてみる

移籍の理由を推測するにあたり、根拠資料を先に提示しようと思う。
このブログで有料媒体の内容を話す訳にはいかないので、あくまで、無料で公開されている媒体を前提としている。

・山口蛍選手に関する資料
①山口蛍Instagram 2024年9月3日、2025年12月23日
 ※こちらはリンクを貼らないので、お手数ですがご自分でご確認ください。
②YouTube【沖縄キャンプ2025】#5|超神回!蛍さんの部屋に突撃したら笑顔が溢れる最高のインタビューが撮れました2025年1月23日※無料部分のみ
③記事 【特別企画】#5 山口蛍選手がホームゲームにご招待!「HOTARU SEAT」実施のお知らせ2025年5月30日
④YouTube【本人の口から明かされる長崎移籍の真実 山口蛍×柿谷曜一朗スペシャル対談①】2025年11月15日
⑤YouTube【サッカー】V・ファーレン長崎が8年ぶりのJ1へ!山口蛍×長谷川アーリアジャスールSP対談2026年2月4日
⑥YouTube【MATCH CAM】Ep.19|水戸ホーリーホック戦の舞台裏に完全密着|明治安田J1百年構想リーグプレーオフラウンド第1戦2026年5月30日

・髙田旭人会長に関する資料
⑦記事 翼の王国 スタジアムシティプロジェクト及びジャパネットの戦略(全5回)2025年2月18日~2025年4月24日

◆神戸を離れた理由

まず前提として、ここでは 山口蛍選手本人が公開の場で語った内容を事実として整理し、そのうえで私なりに考えていきたい。

本人が語っている主なポイントは次の通りである。

・左ひざには数年前から慢性的な痛みがあった。
・優勝争いとACLを控える重要な時期だったが、手術をせざるを得なかった。
・復帰した時には、チームがすでに出来上がっていた。
・自分が入る場所はなかったと感じた。
・神戸の未来は若い選手たちが支えていくと考えていた。
・だからこそ、安心して手術を受けることができた。

この発言から読み取れるのは、山口蛍選手が神戸というクラブの次の未来を受け入れていたということだ。
ただし、それは「居場所を失って追い出された」という話とは少し違うように思う。
山口蛍選手は神戸について「居心地が良かった」と語っているし、三木谷社長もXで慰留をうかがわせる発信をしていた。
少なくとも公開されている情報を見る限り、神戸に残る選択肢は十分に存在していた。
そのうえで、自ら環境を変える決断をしたと考えるのが自然だろう。

では、なぜ、変化を求めたのか。

ここから先は、本人の発言を基にした私の推測である。

①役割の変化を感じていた

「陽介、鍬、彼らが試合に出て活躍している姿を見ると、もう自分は必要ないのかな」
「神戸の未来を考えると彼らが支えるのは間違いない」

2024年9月23日山口蛍Instagram

さらに、インタビューでも「戻ったけれどもうチームも出来上がってた」と語っている。
私はこれを、「自分の価値がなくなった」という意味ではなく、「クラブが次の世代へ進んでいくことを受け入れた」という認識と受け取った。
そう考えると、「自分も新しい役割を探してみよう」と思うのは、ごく自然な流れだったのではないだろうか。

②「完成」を経験したから

セレッソ時代にルヴァンカップと天皇杯優勝を経験し、神戸でも天皇杯優勝とJ1優勝、J1連覇、ACL出場を経験している。
もう、国内でできることはほぼ経験しているのだ。
…ほんとに何で長崎に来てくれたんだ。
まぁ、私のボヤキはともかくとして、おそらくまた、山口蛍選手は新しい目標を探し始めたんじゃないかと思う。
実際、「連覇したことで変化が欲しくなった」とインタビューで言っているし。
私は何気に、優勝じゃなくて「連覇」っていうのが重要だと思う。
もう、これ以上は神戸じゃなくてもいいのかなと思った可能性があるなと思っている。

③「自分が残せるもの」を求めた

神戸における山口蛍選手は、すでにレジェンドに近い存在だと思う。
実際、第2節アウェイ神戸戦でのサポーターの歓迎ぶりを見ても、その存在感は明らかだった。
そして神戸は、すでに完成されたビッグクラブでもある。
もちろん、そこでさらにタイトルを積み重ねる価値は大きい。
ただ、山口蛍選手自身は長崎について 「長崎の歴史に名を刻める」「レジェンドになれる」 という趣旨の発言をしている。
私はこれを、名誉欲というより 「クラブの歴史をつくる側に回りたい」という感覚として受け取った。

ここまでの発言と行動をつなぎ合わせると、神戸を離れようと考えた理由は一つではなかったように思う。

•チームが成熟し、自分に求められる役割が変わっていったこと。
•連覇まで経験し、新しい刺激を求め始めたこと。
•現役でプレーできる時間が限られる中で、「自分は何を残せるのか」を考えるようになったこと。

つまり山口蛍選手は、「どこで勝つか」よりも、「何を残してキャリアを終えるか」 へと、少しずつ視線が移っていたのではないだろうか。

少なくとも私は、公開されている発言からそのように感じている。

◆長崎だった理由

神戸を離れ、新しい環境を求めていたのだとしても、選択肢は長崎だけではなかったはずだ。
山口蛍選手ほどの実績を持つ選手であれば、J1クラブからのオファーがあっても不思議ではない。

それでも彼は、J2の長崎を選んでくれた。

──その決め手は何だったのだろうか。

これまでのインタビューや対談を見返していると、山口蛍選手は移籍理由として、繰り返し次のような言葉を挙げている。

・一番最初にオファーをくれたこと
・必要としてくれたこと
・クラブのビジョン
・プロジェクト
・旭人会長との対話
・新しい刺激
・チャレンジ
・変化
・長崎の歴史に名を刻めること

正直、なぜ、長崎が一番最初に山口蛍選手にオファーできたのか、それは分からない。
何か驚異的な情報収集力が長崎にはあるのだろうか。
10年後とかでもいいから「実はあの時こうだった…」という本を旭人会長には出してほしい。
ただ、移籍を考えていたところに、真っ先に熱心なオファーが届いたら、選手としたら、それは嬉しいだろう。
しかし、それだけでは条件的には厳しい。
いくらスタジアムが最高とはいえ、長崎は地方のJ2クラブなのだ。
山口蛍選手も他のJ1チームの可能性もなかった訳じゃないと言っている。

ここで重要なのは「旭人さんと話して気持ちが固まった」と言っていることだ。

この言葉こそが、長崎を選んだ理由を考えるうえで、一番重要な手がかりなのではないかと思う。

●髙田旭人会長が示したもの

では、髙田旭人会長は山口蛍選手に何を伝えたのか。
もちろん、その対話の内容は公開されていない。
だからここから先は、会長自身が発信してきた言葉を手がかりに考えてみたい。

私が参考にした『翼の王国』のインタビューでは、旭人会長は繰り返し次のような構想を語っている。

・スポーツを核とした街づくり
・長崎という地域を変える
・子どもを育てる
・家族まで幸せにする
・地方から日本を元気にする
・J1優勝、そしてACLへの挑戦

ここで語られているのは、「J1へ昇格したい」というクラブの目標だけではない。

スポーツを通じて地域そのものを変えていくという、大きなプロジェクトである。
もはやクラブ運営の範疇を超えている。
これは「社会づくり」である。
それをおそらく旭人会長は山口蛍選手に提示したのではないか。
そして、私は、山口蛍選手が心を動かされたのは、このスケールの大きさだったのではないかと考えている。
他のクラブの事を完璧に理解しているわけではないので申し訳ないのだが、ここまで、具体性を持って本気で社会貢献を実現しようとするサッカークラブは決して多くはないと思う。

●移籍後の行動から見えてくるもの

もちろん、旭人会長の言葉だけでは推測に過ぎない。
だから私は、移籍後の山口蛍選手が実際にどのような行動を取ったのかにも注目してみた。

①沖縄キャンプのYouTube

キャンプ中の動画で、山口蛍選手は「神戸ではあまり一人でYouTubeに出ることはなかった」という趣旨の話をしている。
それ自体は何気ない発言かもしれない。
ただ、長崎ではこれ以降も積極的にYouTubeに出演している。
私はこれを、「神戸では必要ではなかった役割を、長崎では自分の役割として引き受けた」と受け取った。

②HOTARU SEAT

今回の考察の中で、私が最も重要だと感じた取り組みである。
発表されたコメントについて、私が気になったポイントを順番に見ていきたいと思う。

「スタジアムができて長崎という街が活性化してきている」
普通なら、こういった活動は「子どもたちに試合を見てほしい」という理由だけで十分だと思う。
だけど、山口蛍選手は、その前にわざわざ、スタジアムができて長崎という街が活性化してきているなかで、という前提を置いている。
つまり彼の頭の中では街→スタジアム→クラブ→子どもという順番になっていることがこの発言から推測される。
これは旭人会長がずっと語っているスポーツを核に街をつくるという考え方と、とても近いように感じられた。

「長崎を盛り上げたい」
普通なら「クラブを盛り上げたい」と言うところだ。
でも山口蛍選手は長崎を盛り上げたいと言っている。
主語がクラブよりもさらに大きいのだ。
これはスポーツクラブのキャプテンという視点を超えている。
地域創生の視点だ。

「今まで所属してきたチームではやったことがない」
これはかなり印象的な言葉だと思う。
セレッソ大阪でもヴィッセル神戸でもやらなかった。
でも長崎で初めてこの取り組みを行った。
もちろん、山口蛍選手の性格が急に変わって思いついた訳じゃないはずだ。
長崎という環境だから生まれた行動と考える方が自然だと思う。

「プロサッカー選手になりたいと思ってくれたら」
これも旭人会長の発言と一致している。
旭人会長は記事の中だけではなく、長崎の将来を語るうえで、子どもを育てるということについて何度も伝えている。
山口蛍選手も目標を未来の選手を育てるところに置いていることが分かる。
これも旭人会長の思想と近いものがある。

③ランタンフェスティバルの皇帝役

ランタンフェスティバルで皇帝役を務めたことも、私は象徴的だなと思った。
多分、発表されたときは意外に思う人が多かったんじゃないかと思う。
正直、山口蛍選手がこういった活動を行うのはかなり珍しい。
ぶっちゃけ、話が来て断っても、誰も責めないと思う。
なんせ、アウェイ神戸戦の翌日だったのだ。
でも、山口蛍選手は受けてくれた。

これはおそらく、単なるV・ファーレンのPRではないと思う。
長崎という街の文化の一部になることを受け入れたのではないか。
そして、クラブのいち選手ではなく長崎の顔になる覚悟を持ったのではないかと私は推測する。

④百年構想リーグ ホーム最終戦挨拶

私の水戸戦のブログでも言及しているが、長崎ヴェルカの優勝に触れ、「長崎が一体になった光景」に強く心を動かされたと語っている。
もちろん、優勝そのものも目的だと思う。
ただ、それよりも、バスケットだけではなく、サッカーでも長崎の街全体が一つになる景色を作りたいという思いの表れではないかと思う。

また、「それが次のシーズンなのか2年後なのか5年後なのか分からないですけど、チーム一丸となって必ずそこは達成したい。」とまで言っている。
現実を知る山口蛍選手だからこそ、実現時期は安易に約束しない。
きっとそれは誠実さの表れでもあると思う。
だから、未来への責任は引き受けてくれている。
そして、この挨拶は単なるシーズンの締めくくりではない。
私には「長崎という街に、サッカーでもあの一体感を根付かせたい。」という長期的な意思表明のように聞こえた。

●ここから私が感じたこと

ここまで公開されている発言と行動を並べてみると、旭人会長と山口蛍選手は、目指している方向が驚くほど重なっているように感じる。
もちろん、本人たちが「同じ思想です」と語ったわけではない。
それでも、地域を起点にスポーツの価値を広げていこうとする姿勢や、未来の子どもたちへ視線を向ける考え方には、多くの共通点が見えてくる。
特に、いちクラブのキャプテンがここまでクラブのトップに考えを寄せているのは珍しいのではないかと個人的には思う。

だから私は、「旭人さんと話して気持ちが固まった」という言葉は、条件面だけでは説明できない重みを持っていたのではないかと思っている。
少なくとも公開されている資料を読む限りでは、山口蛍選手はクラブへ移籍したというより、このプロジェクトに参加する決断をした。

私は、そのように受け止めている。

◆私が見つけた答え

ここまで公開されている資料や本人の発言をもとに考えてきたが、私は山口蛍選手が長崎へ移籍した理由は、「J2クラブから良い条件を提示されたから」という単純な話ではなかったと思っている。

神戸では、自分の役割が少しずつ次の世代へ受け継がれていくことを、受け入れていた。

それは居場所を失ったからではない。

クラブの未来を肯定したうえで、自分自身もまた、新しい役割を探そうとしていたのではないか。

連覇という頂点まで経験し、「どう勝つか」だけではなく、「何を残すか」へと価値観が少しずつ移っていく。

そんなタイミングで出会ったのが、髙田旭人会長の描く長崎のプロジェクトだった。

そこには、J1昇格という目標だけではなく、スポーツを通して街を変え、子どもたちの未来を育て、地域に文化を根付かせようというサッカークラブらしからぬ大きな構想があった。

そして山口蛍選手も、その構想の「一選手」ではなく、「未来をつくる当事者」として関わりたいと思ったのではないか。

私は、HOTARU SEATやランタンフェスティバルへの参加、そしてホーム最終戦での挨拶には、その姿勢が一貫して表れているように感じた。

──神戸には、勝ち続けられる環境があった。

──長崎には、まだ完成していない未来があった。

その未来に、自分自身が関わりたい。

……だから私は思う。

彼は、「勝てる場所」を離れ、「未来を残せる場所」を選んだ。

ここまで資料を読み重ねてきた私には、山口蛍選手が長崎で挑もうとしているものは、J1昇格やJ1優勝というチームの目標だけではないように思える。

クラブの歴史や地域の未来をつくるプロジェクトの一員になること。

その挑戦こそが、山口蛍選手が長崎を選んだ理由だったのではないか。

──私は、そう考えている。


◆あとがき

ここまでお読み頂きありがとうございました。
このブログはあくまで「私の考察」の為、もちろん山口蛍選手がどう考えているのかは分かりません。

初めの方にも書きましたが、これは結論がどうこうという記事ではなく、私が本気で山口蛍選手と向き合いたいと思って書きました。

読者の方には私の熱意が伝わると嬉しいです。

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