【青橙ノ余白 | Bar青燈ノ記憶#9】灯りのない夜
外の電気をつけたら、今日も店が開く。
……はずだった。
Bar「青燈ノ記憶」。
佐世保の四ヵ町アーケードを抜けて、三回くらい角を曲がった先の路地。
今日も常連は、いつものようにその角を曲がる。
一回。
二回。
三回。
そして店の前で立ち止まった。
……外の電気が、ついていない。
「今日は休みか。」
そう思って引き返そうとした時だった。
店のドアが少しだけ開いていることに気付く。
中は真っ暗だった。
その奥で、懐中電灯の明かりだけが揺れている。
「……マスター?」
恐る恐る覗くと、カエデが額に汗を浮かべながら、何やら慌ただしく動いていた。
「あら、こんばんは。」
「どうした?」
「今日も開けようと思って準備しに来たんですけど……急に停電しちゃって。」
「停電?」
「ええ。どうやらビル全体みたいで。」
懐中電灯の光が冷蔵庫の中を照らす。
「うちはまだ営業前だったので良かったんですけど。」
少し困ったように笑う。
「二階の『灯』さんが大変なんですよ、営業中だったので。」
「あー、そりゃ大変だ。」
「それで、冷蔵庫が止まっちゃったので、今、食材をクーラーボックスへ移してるところなんです。」
店の中は静かだった。
いつも聞こえる製氷機の音も、冷蔵庫の低い音もない。
懐中電灯だけが、小さく店内を照らしている。
「俺も手伝うよ。」
「え?」
「その代わり、今度一杯サービスしてくれ。」
カエデは少し笑った。
「それは断れませんね。」
クーラーボックスを開ける。
「じゃあ、このチーズをお願いしてもいいですか。」
「意外と種類あるんだな。」
「あれ、言ってませんでしたっけ。」
少し照れたように笑う。
「私、チーズが大好きなんです。」
「詳しいの?」
「いえ、全然。」
首を横に振る。
「食べて、おいしかったものを置いてるだけです。」
「それで十分だろ。」
二人で少しだけ笑った。
しばらく無言で作業が続く。
「そういえば。」
常連がクーラーボックスを閉めながら言う。
「よく、こんなの持ってたな。」
「ああ、これですか。」
カエデはうなずく。
「灯さんが貸してくださったんです。」
「マスターが?」
「ええ。ご夫婦でキャンプがお好きじゃないですか。」
「ああ。」
「奥さんが家からたくさん持ってきてくださって。」
「なるほど。」
少し安心したように笑う。
「じゃあ、奥さんも来てるんだ。」
「今も二階で片付けをされてると思います。」
「俺もあとで顔を出すかな。」
一通り作業に目途がつく。
クーラーボックスをカエデの車に入れる。
カエデが袋を取り出した。
中にはチーズと生ハム、それからパンが入っている。
「そしたら、お礼を言いに行きましょうか。」
「ああ。」
二人で階段を上がる。
二階のドアには、『純喫茶 灯』と書かれていた。
「こんばんは。」
「あら、カエデさん。」
優しい声が返ってくる。
「いつもの常連さんまで。」
「片付けを手伝っていただいたんですよ。」
「まぁ、一杯おごってもらう予定ですがね。」
常連が笑う。
「常連さんらしいわね。」
奥さんも笑った。
カエデは袋を差し出す。
「今日は本当にありがとうございました。」
「まぁ、気を遣わなくていいのに。」
「お礼だけでも。」
奥さんは嬉しそうに受け取った。
その横で、灯のマスターが苦笑いする。
「営業中だったから焦ったよ。」
「もう終わり頃だったんだろ。」
「ああ、お客さんが少なくなってからで助かった。」
常連はうなずく。
「でも、明日も停電してたら困るな。」
「一応、不動産屋に電話はしたが、原因はさすがにまだ分からんとさ。」
「まぁ、夜だしな、業者もこの時間じゃ手配がつかないだろう。」
「ああ、あと営業補償の話もしないとな。」
灯のマスターが言う。
「カエデさんも、不動産屋には連絡した方がいいぞ。」
「はい……。」
少し困ったように笑う。
「ただ、うち、不定期営業なので、どうなるのかなって。」
「でも今日は開ける予定だったんだろ。」
「ええ。」
「だったら、ちゃんと言った方がいい。」
「そうですね。」
小さくうなずく。
「今日は遅いので明日、聞いてみます。」
しばらく四人で停電の話をした。
サッカーの話は、一度も出なかった。
「それじゃ。」
常連が立ち上がる。
「今日はこの辺で。またコーヒーを飲みに来るよ。」
「ああ。」
「私も、落ち着いたら、コーヒー豆を頂きに来ますね。」
「ああ、待ってるよ。」
灯のマスターが笑う。
「早く直るといいんだがな。」
二人は階段を下りる。
一階のバーは、まだ真っ暗だった。
壁には48番のユニフォーム。
その姿だけが、懐中電灯の光にぼんやり浮かんでいる。
「今日は本当に営業できませんでしたね。」
「まぁ、こういう日もあるさ。」
常連が笑う。
その時だった。
「あ、ちょっと待ってください。」
カエデはカウンターの奥へ向かい、懐中電灯を片手に、店に残していた最後のクーラーボックスを開ける。
チーズを二種類。
生ハムを一つ。
それからバゲットを紙袋へ入れた。
「はい。」
常連へ差し出す。
「今日は手伝っていただきましたし。」
「いやいや、そんな。」
「うちのおすすめセットです。」
少し照れくさそうに笑う。
「チーズだけは自信がありますから。」
「詳しくないって言ってなかったか?」
「詳しくはないですよ。」
カエデも笑う。
「でも、おいしいものは分かります。」
常連は紙袋を受け取った。
「これは酒が進みそうだ。」
「今日はサービスです。」
「じゃあ、一杯分得したな。」
「その一杯は、また今度うちで飲んでください。」
「もちろん。」
二人とも少しだけ笑った。
クーラーボックスを片手にカエデは入口のスイッチへ手を伸ばす。
カチッ。
当然、何も点かなかった。
「今日は、本当にお休みですね。」
「たまにはそんな日もあるさ。」
ドアを閉める。
外の電気は、最後までつかなかった。
だから今日は、店は開かなかった。
でも、誰かと話して、誰かを手伝って、誰かに助けられた。
そんな夜も、悪くない。
Bar「青燈ノ記憶」は、今日は臨時休業。
◆あとがき
なんと、あの照明の不具合と音は停電の布石でした。
今日は珍しく常連さんとカエデはサッカーの話ができませんでしたね。
ただ、「灯(あかり)さん夫妻」という新しい人がこの世界に登場しました。
今後はお世話になると思います。
果たして、電気はいつ復活するのか…。
原因は何だったのか…。
……それでは、また店の電気がついた夜に。
(お知らせ)
筆者の都合で大変申し訳ないのですが、お風呂の時間の都合上、開店時間を今回から22時から21時に変更します。
すみませんが、ご了承頂けたらと思います。
最初の扉🚪
【青橙ノ余白 | Bar青燈ノ記憶#1】無意識
昨夜の話🕯️
【青橙ノ余白 | Bar青燈ノ記憶#8】きっかけ
次の一杯🥃
【青橙ノ余白 | Bar青燈ノ記憶#10】灯りが戻る夜
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