
DOEsの思索ノート【自己紹介と今後について】
初めて訪れてくださった方は、初めまして。いつもご覧いただいている方は、いつも本当にありがとうございます。
今回、私は改めて自己紹介と今後の記事内容についてお話しすることにしました。
◾️執筆者について
製造業で生産管理・需要供給計画業務を経験し、現在は心理学や哲学、芸術、美学を学びながら将来のキャリアを模索中。高い感受性と極度な過敏さ、思考の深さゆえの孤独や葛藤、生きづらさを全て受容してどう生きていくのか。タフさと優しさの生き方(ハードボイルド)に出会い、社会と境界線を引きながら社会の中で自分を輝かせる方法を探しています。
◾️経緯
まず、改めてこのような記事を書いた理由についてです。
私は今まで約半年に渡って記事を書いてきたわけですが、正直始めた当初はここまで継続できるとは考えておらず、また内容に関しても模索中だったこともあり、ただ思いついたことを日々UPしてきました。
よって記事の内容はバラバラで「この人は一体何について書きたいのだろう?」という印象を持たれた方もいるかと思います。独自の美学について語ったかと思えば、音楽や美術、哲学的なことを語ったり。
しかし、最近、徐々にですが自分が「どういう記事を書きたいのか」ということが分かってきた気がします。そこで、今後の記事のテーマについてお話しします。
<今後のメインテーマ>
i 答えの無い問いに、自分なりの「最善の選択」をする
ⅱ バラバラの事象を本質という糸で繋ぐ「立体的な世界の設計図」を創る
◾️答えの無い問いへの、自分なりの「最善の選択」
これに関しては、過去に私の記事を読まれたことがある方は分かるかと思いますが、私は基本的に我が儘なのです。あれも欲しいしこれも欲しい。
「夢を追いたいけれども、現実的な幸せが欲しい」
「感情を吐露したいけれども、理性的でもありたい」
「お金を使いたくないけれども、大事なものには使いたい」
などなど挙げればキリがないでしょう。
日々の生活でもそんな割り切れないものに出会うことが多々ありますよね。仕事、人間関係、キャリア、お金。私がここで言うキャリアとは人生という意味でのキャリアです。
こういう時、私はリスクが低い方を、ただそのまま選択することはあまりありません。大金が絡むのであれば別ですが。
たとえ犠牲があったとしても自分が納得できる能動的な選択をするようにしています。その視点をお伝えできればと思います。
◾️バラバラの事象を本質という糸で繋ぐ「立体的な世界の設計図」
こちらに関しては、過去に書いた『海と陸 〜 なぜ『深い話』は拒絶されるのか』という記事をご覧いただければと思いますが、ここではその考えに至った経緯や内容について詳しく説明したいと思います。
1.世界の区分
まず私の基本的な考え、言い換えるなら世界をどう見ているのかについてですが、私はこの世界を大きくホリゾンタル(水平)のラインとバーティカル(垂直)のラインに分けることができるのではと考えています。顕在化された世界と潜在化された世界と言えるかもしれません。
それは別に宗教的な話やスピリチュアルなものではなく、世界をそう区分すると仮定した場合の話です。
数学で学ぶ座標軸のX軸とY軸がそれぞれホリゾンタルとバーティカルに当たるとイメージしてもらえればと思います。ただの十字でも構いませんよ。
2.ホリゾンタルのライン
ホリゾンタルのラインとは何でしょうか。これは私たちが日々の出来事の中でよく目にするものでしょう。
物質的に存在するものや感じたこと、あった出来事などなど。私を含め多くの人が普段はこのホリゾンタルのラインで生きています。
しかし、一度生活の中で何か問題が生じたとき、ホリゾンタルのラインでは対処できなくなる場合があります。例を挙げて説明しましょう。
あなたが会社の同僚からとても酷いことを言われ傷ついたとします。その時、もちろん悪いのは傷つけた同僚です。
仲直りしたり、諦めて自分が折れたり、距離を空けてみたり。他にも飲みに行って愚痴を聞いてもらったり、色々な解決策があることでしょう。
しかし、それはあなたにとって恒久的な解決と言えるのでしょうか。仮にあなたが、その人間関係に苦しみ環境を変えるため会社を辞めたとしても、次の会社で同じような人が現れないと言い切れるのでしょうか。
私は否だと思います。「苦手な人はどこにでもいる」というのは簡単ですが、それが毎日接する直属の上司だったり取引先だったりした場合、時に我慢やコミュニケーションだけではどうにもならないこともある気がします。
また個人の耐性にもよりますよね。そこは理性で制御できる人もいれば、情が入ると理性が飛んでしまう人もいる。
あなた自身、理由はないのに見るだけでも何か癪に障る嫌な人、周りにいませんか?
このように、終わることのない苦痛に遭遇するような危機的状況では、もはやホリゾンタルのラインでは解決が非常に難しいものです。ではどのようにすれば良いのでしょう。
3.バーティカルのライン
ここで出てくるのがもう一つの世界線。バーティカルのラインです。
あなたの無意識とか、物事の背景構造、周囲の状況などがこれに当てはまります。
このバーティカルのラインは相当過敏な方でない限り普段から見たり感じたりすることはあまりないでしょう。日常生活では必要ないからです。イメージしづらいと思うので先ほどの例で考えてみますね。
あなたがとても苦手な人に出会った時、その人には特徴がありませんか。その人のどこがどう苦手なのでしょうか。
それはまたどんな時に感じますか。過去に似た人はいませんでしたか。
こうしたことを考えていると「ここが嫌い」「〇〇のところが嫌い」などといったことが分かると思います。
次は自分自身について振り返ってみます。あなたはどんな人生を送ってきましたか。
人生で何が大事だと思いますか。周りの人はあなたをどんな人であると言っていますか。
そうしたことを深く深く掘っていくと「あぁこんなこと考えてるんだなぁ」と自分を振り返ることができます。周りの環境や業務内容も参考になるかもしれません。
よく適職診断の本などに似たような質問項目があって、箇条書きで回答する形式になっていますよね。ただ私が言いたいのはそれとは少し異なります。
今お話ししてきたことは私たちが日常的に感じるものなので、まだホリゾンタルのラインにギリギリ属していると言えるでしょう。
私がバーティカルのラインと言っているのは、出来事の内容それ自体よりも、その出来事を思い出している時のあなた。
例えば「えーっと…」「うーん…」とか「ドキドキする」「ソワソワ」「これ…な。はぁ…」のような部分がバーティカルラインの本質であるということです。あまり意識することがありませんよね。
しかしこういった部分を更に紐解いていくと見えない構造が徐々に見えてくるようになる。そして、それを続けていくとある変化が訪れるようになります。
自分が頭で思考していることが、まるで上空からドローンで見下ろしているかのように俯瞰できるようになるんです。今あなたが凄く相手にイライラしたとすると、「イライラしてるなぁ俺」ということが瞬時に頭をよぎるようになる。
そうすると、徐々に心を制御できるようになってくる。自分の中にあるはずのものを客観視できるようになる。それがバーティカルラインの強みと言えるでしょう。
そしてこのバーティカルラインは何も垂直の深掘りだけではありません。
私の記事を読まれている方はきっと芸術や哲学、生き方に興味を持たれている方が多いのではと思いますが。
では「日本人の精神性」というものを考えた時、何が関係すると思いますか?
神道や仏教、儒教といったものでしょうか、ありそうですね。それらを知るには日本の歴史が関係していそうです。
歴史を辿るとどうでしょう。日本は島国なので外界から様々な文化を取り入れてきましたね。ここ数百年は西洋の影響も大きいようです。
洋服のルーツは英国の軍服ですね。戦後の教育は米国の影響もあるでしょう。
心自体を考えるとどうでしょうか。心理学や哲学が関係していそうですね。心理学は西洋の学問なので、背景知識として生物学や物理学、キリスト教の思想も関係しているのでしょうか。
はるか昔のことを知るには書物しか残っていません。では歴史書を読みますか。でも書物は往々にして当時の政治などが関係していますよね。
だとしたらそれが編纂された当時の生活様式である武家社会、村社会、皇室の歴史といった様々な事柄が関係しているように思えます。
上記はあくまで例ですが、このように物事を深く深く根源まで辿っていくと、全く関係のないように見える事柄が実は1本の糸で繋がっていることが分かり、段々と「あれ、これ〇〇と同じだな」「あれ、この現象〇〇で説明できるな」といった共通点や構造が見えてくると思います。
自分のスキルでは絶対に対応できない初見のトラブル、複雑に絡み合った問題の本質がなぜか既知の知識や経験から直感的に見えるようになる、それが私の言うバーティカルラインの真の力です。叡智とでも言えるのでしょうか。
4.統合
しかし、ここである疑問が生まれますよね。実際に生活の中でどう使うのかということです。
言い換えるとバーティカルラインはどの階層まで深掘りすれば良いのか?ということです。
全ての事柄は、究極まで「なぜ」を問い続けると「精神性」とか「存在とは何か」ということにまで行き着くのでしょうが、そこまで遡るともはや実用的とは言えませんよね。
私自身、自分の力でできたのはここまででした。ただの知的好奇心から物事を掘って掘ってを続けて、それを眺めてみるとなぜか本質が見える。
でもそれ以上はありませんでした。それを実践で活かすとなると他者を納得させられるだけの根拠が必要だからです。
そこで私も色々な書物を読み漁りました。そしてある人物が自分と同じようなことを考え、実践的な方法を体系化してくれていることを知りました。
その人は世界を4つに分けて見ていました。簡単に例を使って説明します。
①個人の内面(左上象限):意識や感情
ここには、あなたが考えたことや感じたことなど心の中に関する内容が入ります。目に見えない概念の多くもここに入ると言えるでしょうか。
②個人の外面(右上象限):身体や行動
ここには、あなたの身体の臓器や行動など可視化されたものに関することが入るようです。他には数値化されたエビデンスといったものもここに入るのでしょう。
③集団の内面(左下象限):文化や雰囲気
ここには、私たちの周囲にある文化などに関するものが入ります。ありますよね、社風とか日本の文化とか。地域独自の文化とか。
④集団の外面(右下象限):システムや制度
ここには、ルールや仕組みなど、何かの構造を成すためのものが入ります。理論などもここに含まれるのでしょうか。
ご覧いただいたら分かる通り、この構造に照らすと私の言っていたホリゾンタルのラインは「個人の外面」「集団の外面」というものに集約でき、バーティカルのラインは「個人の内面」「集団の内面」というものに集約することができます。
私はこの理論を知り、自分がただ深掘りし続けた経験が誤りではないのかもしれないと感じました。自分の迷路の中に先人が置いてくれた地図があったのです。
それ以降、私は何かを学んだり、思考するとき、これらの軸に従って深掘りを進め、互いの関係性に着目しました。
すると面白いことに、多角的に物事を捉えているからか、納得できる着地点というものを徐々に見つけることができるようになったんです。
私は思考に溢れ、決断するまでに時間がかかるという欠点がありましたが、それが大きく変化しました。
そして何よりも、「敏感さ」や「感受性」という社会で生活する中では弱みとなりかねない自らの特性を正しく活かす道があったということがとても大きな学びであり喜びでした。
この理論を唱えたのは米国の有名な思想家であるケン・ウィルバーという方で、彼がインテグラル理論という書の中で説明した概念です。
5.メッセージ
ここで大事なのは、もちろん彼の理論ではありません。これは私が自分自身の問いの中でただ知ったものの一つです。
それにバーティカルもホリゾンタルもただの私が作った象徴概念であって、エスパー的な超能力でも何でもありません。
では私は何を伝えたいのか。
それは【物事には何らかの構造があって、そこからキーワードを見つけようとし続けるその過程が、いずれ混沌の中に本質を見抜く心の目を養うことに繋がる】ということです。
細かいことは後々話したいと思います。
◾️今後について
ここまで長々と話してきましたが、私が今後の記事で書きたいのは、まさにこうした多様な視点を取り入れつつ少し解像度をあげて世界を見てみるということです。
そのため、割り切ることのできない重い内容について触れることもあるでしょう。ここがまた一つの変更点です。
今までは、自分の頭を整理することばかり考えていたので、どうしても冷徹に理屈でねじ伏せようとしていた気がします。
なので今後はより「今まさに考えていること」を忠実に書き記し読者の方と記事を通して対話できるような形で投稿していければと思っています。
予め言っておきますが私の文章はスキル本のように素早く直接役立つ情報とは決して言えません。しかし、それこそが私が求めていた記事の在り方でもありました。
皆さんが何か感じ取ったり、批判的思考を初めその他様々な考えを深められる場を提供できればと考えておりますので今後ともDOEsをよろしくお願いします。
◾️備考
【このnoteの見方(2大マガジン)】
『隠者の部屋』(対話・事例編)
京都・岩倉の架空の相談所を舞台とし、心や人間関係の悩みを「多層的・構造的」に解き明かす物語形式のケーススタディ。
『日常の思索録』(短編・エッセイ・理論編)
哲学・心理学・美学などを交え、感受性の豊かさや過敏さを大切にしながら自分らしく生きるための思考の記録。
【まず最初読んでほしい記事】
・海と陸〜なぜ『深い話』は拒絶されるのか
「周りの会話が浅く感じてしまう」「深い話をすると浮いてしまう」。そんな違和感を抱える人へ向けて、世界を深く潜る人と広く生きる人の違いと、心地よい距離感について書きました。
・近づきたいのに逃げたくなる「恐れ・回避型」の愛着スタイルがもたらすアクセルとブレーキの心理
人と仲良くなりたいのに、近づきすぎると急に距離を置きたくなってしまう心のブレーキ。人間関係でつい空回りしてしまう理由と、自分を責めずに受け入れるヒントを紐解いています。
・「周りとどこか違う」と感じる孤独の正体。自らの特異性を誰にも証明せずに生きる道
「自分は周りとどこか違う」と感じる孤独にどう向き合うか。特別さを誰かに証明しようとするのではなく、自分の個性をそっと抱えて社会の中で活かしていくための視点を綴っています。