
「周りとどこか違う」と感じる孤独の正体。自らの特異性を誰にも証明せずに生きる道
あなたはこれまで以下の悩みを感じたことはあるだろうか。
私は周りの人と違う…
社会に適応することが困難だと感じる…
この先ずっと生きていくことを考えると辛い…
自分のいるべき世界がわからない…
どこにも居場所がない…
「何でこんなこともできないんだ」と周りが別世界にいるように感じる…
上記はおそらく【ギフテッド】【HSP】【発達障害】などといった特別な知能や才を持った方々が一度は抱く悩みだろう。
だが今回は敢えてそのワードは伏せて話すつもりだ。それはなぜか。そのワード自体が該当する者を孤立させていると感じるからだ。
◾️異質な存在
"人は皆違う"
これは至って当然のことだ。同じ両親の元に生まれ、血を分けた兄弟でさえも全く異なる人間である。外見も性格も発達速度も人生そのものも大きく異なるだろう。そしてそれぞれが個性を持ちある種の特性や才能を持っている。
それは特定の人間に限らず誰にでも当てはまることだろう。 しかし人によっては、まるで自分が異世界に住んでいるかのように感じる人がいる。
それはなぜか。それは単なる自意識過剰ではない。もちろん自分に酔っているのではない。
生得的な思考の流れや五感に代表される感覚が他者とは著しく異なっているからだ。これが意味するところは、社会と自身の断絶である。
考えてみてほしい、自分が考えていること、感じていることを他の誰も理解できないものであったとしたら、あなたはどう思うだろうか。
自分が実際に体験している恐怖、悲しみ、喜び、美しさ、愛。そうしたものが周りの人の誰からも理解されなかったとしたら、あなたはどう思うだろうか。
これは極めて恐ろしいことだろう。そうは思わないだろうか。
◾️承認欲求
人は何歳であろうと、他人から認めてもらいたいという根源的な欲求を抱えているだろう。心の奥底からわざわざ孤独でありたいと思う人はいないだろう。
もしいるとすればそれは歳をとるうちに社会の中で「理解されないこと」を重々理解してしまった、経験値ゆえのある種の諦めからきているからではないだろうか。
だがそんなあなたにも数人くらいは腹を割って話すことができる人がいるのではないだろうか。共に酒を酌み交わしたり、喫茶店のテーブルを介して気ままに話すことのできる人が周りに数人くらいはいるのではないだろうか。
しかし人によっては、どこにいっても誰と会っても必然的に通わぬ人達がいる。
確かに、その人にとって対面している相手は友達だ、家族だ、恋人だ、でもその人は一人なんだ。誰かといるはずなのにずっと一人なんだ。生まれてからほとんどずっと一人なんだ。
「何を言ってるんだ」と思うかもしれない。これはなにも物理的に一人だと言っているのではない。その人にとって心理的にそこに存在しているのは一人だと言っているんだ。自分以外には誰もいないんだ。
では一体どんな時に起こるのか。それは日常生活のあらゆるシーンだろう。
友達と日常的な会話を話している時
家族に悩みを話している時
作成した資料を誰かに説明する時
会社の同僚に自社の欠点や改善点について説明している時
恋人とテレビを見たり、何かの体験を共有している時
もしあなたが特異性を持つ側の人ならば、あなたがこれらのシーンで感じることは【圧倒的な満足感の無さ】ではないだろうか。
自分が必死に訴えてもどこか自分の意図が伝わっていない。時には社会通念上の常識という暴力で否定されたりもする。
そしてあなたが感じるのは『こいつもまた通じないタイプの人間なのか』という諦念だろう。そして段々と説明することや会話することが億劫になる。
まるでドラマに見られる取調室での刑事の尋問が如く、自らの意見や言葉があまりにも相手に通じないと心から分かったとき、人は話すことを辞めてしまう。コミュニケーションをやめてしまう。それがある種の人の防衛反応だからだ。
ここまで説明してるのに…
なんで伝わらないの…
いや…そうじゃなくてさ…
私には答えが見えてるのに…
またこうした状況が如実に現れるのが仕事ではないだろうか。それぞれに利害関係があり、曖昧な言葉や理解度の差は時に大きなリスクにつながることがある。
そして理解されないということが骨身に染みる場所でもある。それはなぜか。
仮にあなたが情報処理能力や言語理解能力などが他者よりも優れているとしよう。するとあなたの世界は周りの人のほとんどには見えていない。あなたが見えている構造的な欠陥は周りのほとんどの人には見えていない。あなたが指摘する問題やあなたがするアドバイス、意見の正当性は周りのほとんどの人には伝わっていない。
そこが恐ろしいのだ。自分では無意識に気づいてしまうことや何も思考せずにわかってしまうこと。
それは同じ目を持った人間には理解できても、その目を持たない人間には理解しようがないのだ。理解したいができないのだ。
これは何も視力などの問題ではなく、見えているが見えていないのだ。脳というものは変わっていて自分に必要のないと感じたものは自動でシャットダウンする傾向があるようである。だがあなたの感覚器官はそれを許さない。これは優劣ではなくあなたが人一倍過敏であるということだ。
じゃあ細かく分かるように説明すれば相手に伝わるのかというとそうもいかないのが職場という環境だろう。
察しの通りそこには正しいことである前に会社の一員として立場や職責、年齢、プライドなどといった外的要因が複雑に絡み合っている。
言葉では「可愛い後輩」「部下」「同僚」と言ってはいるが、この資本主義社会の中では誰もが高みを狙い常に争っている。
仮にあなたが相手を超える才を持っていて相手の地位を脅かすような発言をしようものならほぼ間違いなく孤立させられることだろう。
相手はあなたを含めた部下や同僚に仕事の処理能力は求めている。だが自分を超えられることは決して望んでいない。それが会社員の残酷な現実と言えるだろう。時と場合、手段をよく考える必要がある。
しかし、これが仮に日常的な会話であればさにあらず。多少の理解度の違いはあったにせよ、家族や友達、恋人という関係性が救ってくれる時もある。
彼らには「理解しよう」という無意識の感情があり、且つあなたに対して利害関係がないのだ。
たとえ100%理解できなくても「自分にはわからないがあの人はそう感じてるんだな」と思うことができる。特に親子の場合、愛情という薬がその無理解さえも包み込んでくれる場合がある。
それは非常にありがたいことだ。通じていなくても理解を寄せてもらえるという安心感は本人にとってこの上ない救いだろうから。
◾️承認欲求を乗り越える
私は思った。別の記事である【ハードボイルドの美学】でも述べているように【周囲の理解を得たい】という感情を乗り越えること、これがその特異性を乗り越えるために必要なステップであると。
それはなぜか。周囲の理解、承認は同じ感覚を持った人間にしか分からないのだ。
もちろんわかってる。あなたが感じる疎外感や孤独感は決してただ「承認欲求を捨てましょうみんなそれぞれ違うんだから」などといった生ぬるいものではないしレベルが違うということを。
血を吐くような辛い経験を幼少期から重ねてきたことだろう。
私は決して同じとは言わないが似たような経験があった。それらは自己を確立し自立するといったレベルの話ではない。本当の意味で承認を、理解を得ることを敢えて手放すということである。
あなたが何らかの特異性を持つ人である場合、この社会は生きづらいはずだ。誰にも理解されず誤解されて生きてきただろう。
「本当はバカじゃないのに」
「本当は理解してるのに」
「必死に適応しようと頑張ってるのに」
そうしたあなたの心の叫びがここまで聞こえてくるようだ。
だがあなたが承認を求めれば求めるほど、それは孤独を深めることにつながるのが辛いところだ。
例えばあなたが高知能で生きづらさを抱えている人ならば、一度はIQやギフテッドという概念に自分を重ね合わせ、公的なテストを受けて自らの正当性を証明したいと思ったことはないだろうか。
あなたは人生のどこかで「私は周りと何か違う」という思いを他者から強制的に、あるいは自省した先にぼんやりと考えたに違いない。
だがIQとは面白くて学歴とはあまり関係がない場合がある。むしろ往々にして学力とは比例しないだろう。
学校教育というものはある種の定められた情報を決められた通りに処理する能力を求められる。だがあなたの場合、そこには当てはまらないことがある。
特定の興味には著しく能力を発揮する一方で単純な暗記や計算が苦手な場合もある。本来はずば抜けた知能を持ちながら学校教育では馴染めない。あろうことか「頭が悪い」という烙印を押されることもある。
これが所謂ギフテッドと呼ばれる人たちの現実だろう。自分に知能があるなどと思えないのは無理がない。あまりにも高すぎて一般の人に向けて作られた教育制度に馴染めないからだ。
現に世界の天才たちの多くは学校教育に馴染めず中退しているものも多数いる。
だからあなたがどこかでその知能の高さを知った時、「自分は間違っていなかったんだ」と公的な証明書を持ってアピールしたいという感情が猛烈に高まるだろう。
だが私は安易な気持ちでそれをするのは余計にあなたを苦しめると私は思っている。それはなぜか。
あなたが公的な証明書を持って「私は特別な才能があったんだ」と周りに言った時、彼らはそれを「すごいね」と口では言うだろう。「天才だね」「ギフテッドだ」と言ってくれるかもしれない。
だがそこで生まれるのは「やはりあなたは私たちとは違ったんだ」と認識されることによる孤立だ。
あなたはその公的な証明を持って自分を認めてもらいたいのだろう。今までの誤解に対して謝ってほしいとすら思っているだろうから。だが実際にあるのは【特別】という名の残酷な【差別化】だと思う。
あなたがその後何をしても、何を努力してもその証明が呪いのようにあなたという存在を固定概念に押し込めてしまう。
あなた自身の高潔な努力を、あなた自身の高潔な器による成功や優しさをあたかも持って生まれた才能がゆえにできることだと思われてしまう。
私はあなたがそう誤解されることが耐え難い。今までも周りとの違いを知り傷ついてきたあなたが、証明書によって構造的に他者とは異なることを証明されたことにより更なる孤立を生む。
そしてあなたは周りの人間を軽蔑し下に見るようになり、ある種の選民思想を持つようになって精神的な孤立までも生んでしまう。私はそれをあなたには避けていただきたいと切に願っている。
【HSP】という概念を提唱したエレイン・アーロン博士が敢えて【気質】と呼び続けたのは、もちろん病気などではないという当たり前の前提もあるが、仮にそれを特別なギフトであると言った時に最も傷つくのはその当事者達であることを彼女は身をもって経験しているからではないかと私は思う。
仮にあなたがその公的な証明書を持って、同じような人たちが集まるコミュニティに入会したとしよう。
おそらくそこは同じように苦しみ悩み社会での息苦しさを感じた方々がたくさんいるはずだ。でもそこがあなたにとって幸せな聖域になるとは限らない。
例えばあなたの特異性が知能である場合、相手も同じ種類の知能であるかは分からない。知能には流動性知能と結晶性知能というものがある。
あなたが計算処理に優れた流動性知能特化型であったとしても、そのコミュニティにいる相手が物事を深掘りしたり知識や経験を統合する結晶性知能に特化した人間である可能性が往々にしてあるのだ。
それに相手が人格者であるかどうかは全く別の話だ。共感のために始めた会話がいつの間にか高知能同士でマウントの取り合いになったり、知識の量のバトルにすり替わるのではないだろうか。そこであなたが「心から認められた」と感じられるのだろうか。私はそこが疑問である。
◾️特異性の昇華
あなたがすべきことは承認を求めることではなく自分の特異性を昇華することだ。
周りの人の多くはあなたのことを100%は理解できないだろうから。あなたの特異性が希少であればあるほど理解できるOSを持った人間は必然的に少なくなるんだ。
あなたが理解を求めれば求めるほど周りとの違いを感じ孤立を深め続けなければならなくなるんだ。それはとても辛いことだろう。
「自分を心から理解されたい」という承認欲求を魂のレベルで乗り越えることができた時、あなたには初めて新しい道が見える。それは先ほども言った特異性を活かすことである。
自分が他人と違う、自分が他人にはないものを持っているということはあなたがその力を活かして社会に貢献した場合、凄まじい能力を発揮するということだ。それはあなたの運命とでも言えるだろう。
◾️ウルトラマンか人か
私は時々こんな話をする。【ウルトラマンとして生きるのか、人として生きるのか】ということだ。
あなたが幼少期に一度でもウルトラマンを見たことがあればわかるだろう。彼らは特殊な才能(ウルトラマン)を持ちながら人としてこの地球に来て平和のために戦っている。
そして彼らは自分の正体が特別な存在であることは最終回までバレないというのがセオリーだろう。それはなぜか。
もし彼らが特別な存在であることがバレてしまえば、それまでと同じ生活を送ることや人間としての幸せを得ることが必然的に困難になってしまうからだ。もう人間としての「その人」ではなくなってしまうからだ。
あなたはどう思う。自分が特別であることを世間に理解してもらって生きるのか、それとも一人の人間としてあなたの才能を(理解されないことが多いだろうが)この社会で活かして生きていくのか。
どちらを選んでも正解だと思うが結果は大きく異なるので自分がどうしたいのかをよくよく考えてから公的な証明を得ることを勧めたい。
もちろん、その特異性が自身の生活の安全を脅かし、公的な援助を受ける必要がある場合には迷わず証明を得るべきだ。
私がここまで長々と話したのは、私自身もそうした【周りと違うという違和感】をずっと感じざるを得ない経験を積んできたからである。
世間ではまるで魔法使いのようにもてはやされかねないその特異性の裏で、本人たちは地獄のような日々を送っていることだろう。決して羨むものではない。
むしろ代われるなら代わってほしいと自身の特異性を憎んでいる人も少なくないはずだ。察するに余りある辛さと言える。
◾️あなたが最大の理解者である
私は思う。あなたは孤独ではない。たとえ100%の理解はできなくても、あなたが必死に社会への不適応を嘆き、もがき苦しみ、その度に立ち上がったその高潔な中身を見てくれる人が必ずいる。
あなたが特別であるということへの理解と承認欲求にはあなた自身が唯一の、そして最大の理解者になればいい。
あなたが周りと違うのは人体というハードウェアの中にあるOSだけだ。その中には様々なアプリケーションソフトウェアがある。Mac OSだろうがWindowsだろうが同じアプリを使えることがあるように。
それはまたあなたがいくら特別な才能を持っていても中身が伴っていなければ意味がないということの裏返しでもある。
だからこそ自分が他者と違うということを深く自認したならば、そこで驕らず、能力の活用へとその力を昇華させることがあなたの成長につながり、且つあなたが正しく社会で認めてもらえる最短の道のりとなるだろう。
どうやって自身の能力を発見するかって?その答えはあなたの中にある。あなたが過去の傷を恐れることなく見つめ、深く内省すれば自ずと分かるはずだ。あなたの才能を人生の最終回まで秘めておくことも粋だと思わないか。
あなたはその特異性をどう活かしますか?
参考
HSP (Highly Sensitive Person):エレイン・アーロン博士が提唱した「感受性が極めて高い気質」 (出典: The Highly Sensitive Person by Elaine N. Aron)
流動性知能・結晶性知能:心理学者レイモンド・キャッテルが提唱。前者は新しい情報を処理する力、後者は経験や知識を統合する力
ギフテッドの非同期発達:知的能力が突出している一方で、感情や社会性が年齢相応、あるいはアンバランスに発達する現象。