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【連載小説】スーパー大学職員と呼ばれたくて 第十話:学校の誇り

    <前回のお話>

    <第十話のあらすじ>
     経営大学院の面接で「人を幸せにする学校をつくりたい」と語った主人公。だがその志の裏には、理不尽な理由で留年させられ、学歴を“消したい”ほど傷ついた過去があった。MBAで出会った仲間たちの前向きさに触れ、彼は再び教育の未来に挑む決意を固めていく。
     やがて学園では閉校した中学校の復活計画が動き出し、主人公は設置事務局に抜擢される。成功した中学校の視察を重ねる中で、高校副校長・咲山が語った「誇りの持てる学校をつくりたい」という言葉が胸に刺さる。
     かつて目立つ制服は嫌だと生徒が思うほど誇りを失った学校。再び同じ過ちを繰り返してはならない――。
     主人公は、自らの“学歴の痛み”と学校の“誇りの再生”を重ね合わせながら、新たな改革の渦へと踏み込んでいく。

    第十話:学校の誇り


    「あなたは、この大学院で何を学びたいのですか?」

     前の晩に私は面接をシミュレーションしていた。採用面接でそうしない人は採用されないと思っている。聞かれたのは最も想定していた質問だ。

    「企業経営の視点を学校経営にも生かしたい。そのために必要な知識とスキルを学びたいと思っています」

     私は経営学の大学院の面接室にいた。面接を“する側”になって久しいが、“される側”になるのは大学四年の就職活動以来だ。あの頃の緊張が、少しだけ蘇った。

    「経営をするにあたっての志はなんですか?」

     面接官の質問には首を傾げた。
     志?
     この経営大学院は志を大切にするらしいとは聞いていたが、あらためてそう聞かれると私はちょっと考えた。

    「そうですねえ。人を幸せにする学校を作りたいですね。それは大学でも高校でも、中学校でもです」

    「中学校? 今あなたの学校法人は大学と高等学校があるだけですよね」

    「ええ、詳しくは話せませんが、今中学校を作る検討をしているんです。正確に言えば昔、経営難で閉校した中学校を復活させる話です」

    「人を幸せにする学校ってどういうイメージですか?」

    「私は二年前からランニングを始めました。このスポーツは一人でできます。優劣を競い、勝敗を争うことではないこのスポーツが好きです。このスポーツをすることのように、学ぶことを感じられる学校です。日本の学校は今、優劣を争うことに重きを置かれているように思います。学校は本来学ぶことによってそれぞれが成長することが目的であるはずです。そういう学校をつくりたいです」

    「でもランニングも大会がありますよね。あなたの履歴書を見るとそういう大会にも出場していますね。優劣を競い、勝敗を争っているのではありませんか?」

     鋭い質問だなと思った。
     確かに走ることを楽しむだけならいつものように川縁の道を走るだけでいい。どうして私は大会に出るようになったのか?

    「そうですね。ハーフマラソンの大会に出るのは、たまに自分の力を試したくなるんでしょうね。でも私は走るのが得意ではなかったし、タイムは平凡です。でも、それを知るだけでいいんです。今日と昨日がどう違うのか? そこに成長はあるのかないのか? 他人と争うと言うより過去の自分と今の違いを知りたいんでしょうね。それでタイムが短くなっていれば人並みに嬉しい」

     なんか他人事のような答えだな、と思った。
     でも、面接官はそれ以上、このことを聞かなかった。

    「リーダーとして尊敬する人はいますか?」

    「それは誰でもいいんですか? 歴史上の人物でも」

    「ええ、構いません」

    「大久保利通です」

    「へえ~、大久保利通? 西郷隆盛じゃないんですね。どういうところが好きなんですか?」

    「大久保利通は地元の鹿児島では西郷隆盛ほど人気がないし、むしろフランス革命のロベスピエールみたいな独裁者だと描かれることもあります。でも伝記をいろいろ読めばわかりますが、大久保利通には、未来を描く力があるし、責任感も強い。達成する粘り強さもあるし、何より人生に対する潔さがあります。親友の西郷隆盛とは西南戦争では対立しましたが、彼の死を心から悲しみました。暗殺されたときには護衛も少なかった。殺されてもいいと思っていたのでしょう。殺害されたとき、腹には西郷からの手紙があった。そういうエピソードがあるところが好きです」

     面接はそれで終わり、数日後に合格通知が届いた。
     私は経営学の大学院、いわゆるMBAの取得のための大学院選びに時間をかけた。合同説明会にもまる一日参加し、八校ほどを比較した。
     そこで候補が二つ残った。一つはある大手大学の大学院だった。知名度は高かった。もう一つがもともと株式会社として始めて、学校法人になり大学院の修士の学位を出すようになったこの大学院大学だった。知名度はなかったし、大学名称がカタカナだったのがなんとなく胡散臭さを醸し出していた。でも、大学院の教授のガイダンスを聞いて、その説明の明快さ、論理性に驚いた。プロフィールをよく見ると「ロジカルシンキング」を担当している実務家教員だった。論理明快なはずだ。それにここは東京と名古屋、大阪にキャンパスがあって受講できなかった場合は別のキャンパスで受講できた。授業は平日の夜と土日。
     実は、この大学院の授業を単科生として受けたことがある。四科目ほど履修したが、単位として認定されるわけではない。つまり、正式に入学すれば、同じ授業をもう一度受けることになる。それでも、私はここを選んだ。学費が高いことを差し引いても、この学校で学びたい理由があった。
     ここに決めたのは、学長が大手の商社出身でハーバード大学の大学院に留学して、社内ベンチャーから独立して学校を作ったという話に惹かれたからだった。この大学院大学の学長の本を読んだが、大学の学長という感じではなかった。ベンチャー企業の社長の話と似ていた。大企業に就職するより、起業することに重きを置く大学院というところが他の学校にない魅力だった。

    「ほんとは卒業した大学の名前を学歴から消したかったという理由もあるんです」

     帰りの地下鉄で外資系の大手企業に務める同級生、黒沢茂にそう話したことがある。
     黒沢はIT系の専門学校出身で起業していた。

    「へえ~、どうしてその大学を学歴から消したいんですか?」

    「卒業するときにゼミの教員に卒論を落とされたんです。心理学専攻で発達心理学のゼミだったんだけど、私が学生運動とかにちょっと関わっていて、大学側と学生側の交渉の時にちょっと恥をかかせたようなことがありました」

    「へえ~、学生運動。珍しいですね。でもあの大学ならそうかな」

    「学生運動って言ったって、ソフトなもんですよ。ヘルメットなんて見たことないし、なんでも要求運動だって、幹部の学生は言っていたけど」

    「で、どういう恥をかかせたんです?」

    「私が心理学専攻の学生は勉強しているので、もっと学生の自主研究にお金を出すべきだと言ったんです」

    「ええ、まともな要求じゃないですか?」

    「そしたらその先生、研究は大学院でするもので、学部では研究なんてできない。最近はそういう勘違いした学生がいるから困るんだってね」

    「へえ~、学部生がやっているのは研究じゃないんだ」

    「それで、今度は他の専攻の代表や幹部が怒ってね。学部生をバカにしている。自己批判せよって騒いだんです」

    「へえ~、おもしろくなってきたね。それでどうなったの」

    「その先生は目を白黒させて、その騒ぎに驚いていましたね。この騒ぎを作った張本人だと思ったのか、私を睨んでいました」

    「いや、そりゃ逆恨みだよね」

    「でも、私はその先生の研究には敬意を払っていたのと、発達心理学はその人しかまともな教員がいなかったので、三年生でも四年生でもその人のゼミを取ったんです」

    「ええ」

    「そしたら、卒論でD評価付けた」

    「あれ?」

    「評価に抗議したらレポート12枚書かされた」

    「ああ、ひどい」

    「その上、卒業させなかった。おかげで留年した。だからその大学には恨みしかない」

    「へえ~、そんなことあるんだね」

    「いや、私が歴代二人目だと学部事務室で言われました」

    「へえ~」

    「その先生のそういうところを知らなかった私もバカなんですね。恨みが執念深いところをね」

     ワールビズ経営大学院大学の院生には製薬や電化製品、自動車メーカーなどの大手企業で働く者も多かったが、大手銀行や黒沢のような外資系企業で働く者もいた。同族経営の跡継ぎもけっこういた。学歴は黒沢みたいな専門学校卒もいたし、国立の医学部出身で医者を辞めて製薬会社の研究者になっている者もいた。それでも東大卒だとわかると一様に「ほう~」という反応をした。確かにそういう人は数字に強かったし、記憶力がよいと思った。でも、授業での発言を聞いていると、みんな前向きで、学歴なんて関係ないんだとあらためて思った。
     私と同じ大学の出身者もいたが、同窓生だとわかってもとくにそれで関係の距離が縮まることもなかった。誰もが将来起業したいという志をもっていた。起業が決まるとクラスで紹介し、みんなで拍手して祝った。
     ケースと呼ばれる課題の準備は大変だった。レポートを仕上げるのに四時間くらいはかかった。でもそれで終わりではない。それをもとにクラスとグループでのディスカッションがあった。発言も成績評価される。とにかく手を上げる。なんかクイズ番組でボタンの早押しをしているみたいだったが、みんなが必死に手を上げ、発言した。

    「どうして、そんな短時間であんな難しい計算ができるんですか?」

     あるとき、原価計算について、クラスで同級生にそう聞いたことがある。

    「どうして? いや、逆にどうしてできないの? それがわからない」

     その同級生はそう答えた。
     この人たちとはDNAかなんかが違うんだろうと思った。いや企業の会計や財務がわかっている。コスト計算が当たり前の世界なのだ。そこが学校法人の経験しかない私とは違うのだと思った。マーケティング、経営戦略、ファイナンス、アカウンティングなどでは全く比較にならなかった。
     でも、人材マネジメントや組織行動、ロジカルシンキングや定量分析では私もそこそこ張り合えるなと思った。
     私はクラスの誰よりも本をたくさん読んだ。もともと読書好きだったが、ビジネスの常識が劣っている分を挽回したいという気持ちもあった。それでなんとか同級生のディスカッションについて行っていた。たぶん経営理論に一番詳しいのは私だったのではないかと思う。
     「できないのがわからない」と言った同級生は、寺沢五郎だった。
     彼は大学院修了後、いくつか仕事を変わって、今はある大学の教授をしている。講演で私の大学に呼んだこともある。鉄道好きが高じて観光に興味をもっていて、「観光マーケティング」の授業にゲストスピーカーで呼んだらしい。私のコネではない。
     有名なマーケティング会社にいたときは、私は知り合いのよしみで彼を白鳥大学の職員のセミナーに呼んだこともある。ある大きなテーマパークのことを例にしたマーケティングのレクチャーだった。彼はある大学で入試センター長もやっていた。マーケティング会社との兼業だった。
     講演をする代わりに三年で一億円の契約をしてほしいと彼に言われた。

    「学校法人にはお金が無いということを今の寺沢さんならわかるでしょ」

     私がそう言うと、

    「じゃあ、私が今いる会社の名前を出さないということでいいですか? それなら無償でやりますよ」

     そう言ってくれた。
     それで本当なら一億円のセミナーをやってくれた。
     寺沢の話に白鳥大学の職員はみんな引き込まれていた。
     今でも付き合いがある同級生が何人もいる。ワールビズは今では日本で一番在校生が多いビジネススクールになっている。成長すべくして成長した学校だと思う。

     ワールビズに在籍していた頃、入学面接のときに話していた中学校の復活が学園の課題になっていた。
     法人事務局長の赤井に呼ばれた。

    「あなたが設置の事務局をやるのよ。今の高校を改革しないといけないわ。志願者が集まらないから財政的に苦しいのよ」

    「でも、中学校設置に反対の教員も多いと聞きましたけど。私は向こうに知り合いはいませんよ」

    「でも、あなたが夏の研修でやったプレゼンで成功するって思った教員も多いわ。学校の設置に慣れている人は高校にはいないから、あなたがいいのよ」

    「競争戦略上、クラスを増やして規模を横に広げるよりは、縦に広げて、低年齢層の獲得をやったほうがいいというだけのプレゼンでした。私は大学の学部・学科の設置はやったことがありますが、ほんとは中学校のことなんて何も知らないし、だいたい学校を作るなんて初めてです」

    「あなたはこれまで『できません』って言ったことがないわよね」

    「ええ、まあ、そうですね」

     私はワールビズ経営大学院大学の同級生たちのことを考えた。
     みんないつも前向きだ。胸に秘めた志がある。

    「じゃあ、いいでしょ」と赤井。

    「いいでしょって言ったって、私にも結果的にはできなかったことがあります」

    「何よ? 言ってみなさい」

    「例えば合併とか。私は二つ失敗しています」

    「それはあなたのせいじゃないわよ。デカい法人がお高くとまっていただけの話」

    「でも、私、ほんとうに何も知らないから」

     赤井にも海野にも経営大学院に通っていることは秘密にしていた。本業に専念していないと思われたくなかったし、大学院を修了できる自信もなかったからだ。土日と平日夜の授業に参加するのだけでも大変だった。二年間くらい、大学の学部学科の設置がないだろうと私は思ったので、大学院の勉強をする時間ができると思ったのだ。
     中学校のことを就業外の時間に調べるとなると、ワールビズの勉強のほうがおろそかになりそうだった。
     でもそんな泣き言を赤井と海野には通用しないこともわかっていた。また、「逆立ちして鼻血がでるまでやったのか」と笑いながら言われるのが落ちだ。二人は私に無限の力があると勘違いしているのだろう。
     とにかくAmazonで何冊か本を取り寄せた。
     本のなかに大手の塾の部長が書いた本があった。成功した中学校について書かれていた。
     その人に会ってみることにした。
     
    *******

     大手の塾の部長に会おうと思ったのだが、忙しいので電話で答えると言ってくれた。

    「ああ、新たに中学校を作るんですね。附属校として作って、二クラスから始めて、志願者が多かったので四年目で三クラスにした中学校があります。そこがいいのじゃないですか?」

     その部長はそう言ってある農業大学附属の中学校を教えてくれた。

    「女子校から共学にして、爆発的に増えたところがありますよね」

    「ああ、ディズニーランドの近くにあって、中学校と高校を作って成功して、同じ法人で都内の女子校を後から同じように男女共学の進学校にしたところですね。東大合格者も多い」

    「ええ、そこは全国から注目されていますよね」

    「ああ、そこも面白いですよ。卒業生には研究者から政治家、サッカー選手からAV女優までいますからね」

    「AV女優ですか」

    「ああ、それはその学校教育の失敗例かもしれないけど、アハハハ」

     電話の向こうでその部長があっけらかんと笑っていた。

    「大学の附属校か併設校でほかにありませんか?」

     私がそう聞くとあと二校、同じ学校法人で設置した中学校を教えてくれた。

    *****

     白鳥高等学校の校長も副校長も中学校の設置には賛成だと言っていた。とくに副校長はそれしかないと言っていると聞いた。
     私は大手塾の部長が紹介してくれた四校を校長、副校長が手分けして二校ずつ、それぞれとペアで私は四校すべてを訪問することにした。

     最初に訪れたのは、中高一貫校の東大合格も多いところで、卒業生には研究者もいるが、サッカー選手もAV女優もいると部長が言っていた学校だ。
     サッカー選手はブラジルからの留学生で、成果が出ないとサッカーの強化策を廃止しようと思っていたところで初の全国大会出場を決めた。その後もプロ選手を何人か輩出している。

    「この県で私立の有力校がなく、公立優位の県だったところに風穴を開けたのがよかったんでしょうね」

     この高校の副校長がそう言った。

    「今でも理事長が授業をしているというのは本当ですか?」

     白鳥高校の穂村高志校長が尋ねた。

    「いえ、それは古い情報ですね。それも前の理事長がやっていたのは授業ではなく、特別講演くらいです」

    「ああ、そうなんですか? では、中学校で教えることを二年生までに終えて、中三からは高校の範囲に入る先取りは本当にやっているのはどうですか?」

     この学校を訪問したいと言ったのは、穂村校長だった。大学を持たない学校なのでモデルにはならないのではないかと私は言ったが、どうしても行きたいと穂村が言うので私もそれを尊重した。

    「早めに基礎を固めて高校では高度な内容に進むカリキュラムを組んでいるのです。他にも英語の教科では多くの授業が英語で行われ、ニュースやエッセイをもとに意見を述べるディスカッションやレポート作成を重視しています」

    「ほう、そんなことをやっているんですか。今のうちの学校じゃ考えられないな」

    「文系・理系区分を超えた柔軟な科目も選択できるようにしています。高校二年から三年では、自分の進路に合わせて科目を自由に選択できるようにしているんです」

     副校長は学校のすべてを案内し、穂村校長の質問に一つ一つ答えた。
     この人にはこの学校にいる誇りのようなものを感じた。それは決して自慢ではなく、このシステムで生徒が成長する機会を提供しているのだという自信のようなものだ。

     穂村校長と次に訪問したのは、ある農業大学の附属校だった。

    「中学校を置くことで、中高の間の教育を分断せず、早い段階から『探究型・実学型』の学びを染み込ませられるようになったのが大きいです」

     私が中学校の農業大学の附属校教頭に「この中学校の成功要因はなんですか」と聞いた答えだった。

    「その結果、受験対策だけでなく、生徒の興味や主体性を育てる学校としての魅力が高まり、進学実績とブランドの両方が伸びたのだと思います」

    「卒業生の進路はどうですか? 農業大学への内部進学はどれくらいなんでしょうか?」

     穂村校長は、聞きたかったことをズバリと聞いた。

    「農業大学第一高校の卒業生は、大多数が他大学を受験して進学します。上の農業大学への内部進学率は低く、近年は一割~二割程度です」

     教頭はそう答えた。

     別れ際に私は穂村校長に言った。

    「生徒のほとんどは国公立大学や難関私立大学を目指すため、内部推薦枠をセーフティネットとして考えているんでしょうね」

    「この農大の例は、私立の併設校が中学校を設置して成功する条件なんでしょう。大学や母体の強みと学校理念が一致していること、六年間で育てる教育内容があること、進学実績で成果が見えることってところでしょうか」

    「ああ、なるほど」

     私は穂村校長が国立大学のトップ校の出身だったことを思い出した。白鳥高校では生物の教科担当だった。校長になる前は、教職員組合の書記長を長くやっていた。穂村は卒業した大学の天文台が廃止されないための募金を白鳥大学に頼んでいた。めったに頼み事をしない穂村にしては珍しかった。

    「好木さん、うちの中学でも中高一貫、国公立大学への進学を売りにできませんか?」

    と穂村が私に聞いた。

    「まあ、それが成功パターンでしょうから、それがいいのではありませんか。ただ、高校からの内部進学もきちんと確保しないとこの学校法人がお金を出す意味があいまいになりますね。そこもお考えいただかないと」

    「それには大学側の教育支援とかの協力もお願いしたいですね。それに白鳥大学には白鳥高校の生徒が行きたい学部学科が少ない」

     穂村にそう言われて私は考え込んだ。
     結局、白鳥大学に学部学科が増え、魅力が高まれば、内部進学は自然と増えるのだろう。農業大学への内部進学が少ないのは特殊な大学だからだ。

    「ええ、それは大学側の課題でもありますね。まあ、お互い徐々に考えましょう。中学校の入学生が高校を卒業するまでには六年もあります」

     その日、私は都心のホテルに泊まり、次の日は副校長の咲山哲治と別の二校を訪問した。

     一校目は大学に医学部もある大きな学校法人だった。
     附属校と言いながら、中高一貫のその学校から大学への内部進学はゼロだった。

    「理事長は内部進学より、国立のトップ校に何人合格するかの報に興味があるんです」

     その学校の担当者がそう説明した。

    「高校三年生の理系と文系のクラス分けはどうしているんですか?」

     副校長の咲山がその学校の担当者に尋ねた。

    「文系と理系には二年生から分けて、三年生になったらさらに科目対応で小さなクラスにわけます」と担当者。

    「それは大変だ。収支はそれで賄えるんですか?」

     私がそう尋ねた。

    「それが問題なんです。教員数も多いし、とても授業料で補えません」

    と担当者が答えたので、私は「どうやって経営できているんですか?」と質問した。

    「赤字です。開設からずっとです。でも、理事長はそれでもトップ校進学者数にこだわりたいんでしょうね」と担当者。

    「この法人の持つ大学には医学部もありますよね。そこにも内部進学はないんですか?」

     私はこの理事長の考え方に興味があった。どこまでも学校法人の利益は考えないのだろうか?

    「ええ、行きません。国立の医学部を目指します。それも本命はトップ校です」

     次の学校への移動には1時間半かかった。都内から一つ県をまたいでその隣まで行った。

    「あれじゃ、理事長の趣味だね。何を考えているんだろうね」

     咲山が私にそう言った。
     咲山は誰にでも人なつっこく話しかけるのだった。咲山と私は教職員組合の青年部で一時期交流があった。

    「好木さんには女性の匂いがしなかったね。それなのに私より先に結婚するとは」

    と青年部の懇親会の時に言われた。
     私はミーロと25歳で結婚した。同い歳だった。ミーロは私と同じ大学、同じ哲学科で一つ後輩だった。ミーロは一年浪人生活をしたからだ。
     私が大学で留年したので同じ卒業年になった。

    「咲山さんは確か結婚が遅かったですよね」

    「ああ、妻は看護師。うちの大学に看護学部ができたのを喜んでいたよ。やっと大学で育てるべき職業だと認めてくれたと」

     そういう話をよく聞く。知らないところで看護職者がこの地域に初めて看護学部ができたのを喜んでいる。

     次の中学校も中高一貫だった。大学附属であり、母体となっているのは日本でも有数の規模の大きな学校法人だった。
     都内と離れた都道府県にもいくつか大学の学部といっしょに中高一貫校を設置していた。
     この一貫校の敷地の隣にも理系の学部が設置されていた。

    「地元の生徒はこの理系の学部に多く進学しますが、都内に出る生徒は他の大学が多いですね」

     この学校の担当者はそう言った。
     私が訪問した四つ目の学校だったが、あまり参考にするところがない学校だった。

     帰り道にいろいろ咲山副校長と話ができたのが成果だった。

    「今回の中学校設置で反対する人も多いと聞きましたがなぜですか?」

     私がそう聞くと咲山はこう言った。

    「反対する先生たちは、進学校になると自分たちが教える力がないと感じてしまう。だから改革についていけないという不安があるんですよ」

    「昔、教職員組合では理事会の方針には、咲山さんたちといっしょにいつも反対していましたよね」

    「ああ、好木さん、古い話を覚えているね。そう、何でも反対だった。実際にあのときの理事長はひどかったしね」

    「私なんか若い頃に評議員をやらされて、評議員会で理事長の別荘のことで業者との癒着を追及したことがあります。いやさせられたというか」

    「へえ~、でもそういう不正みたいな噂があって、結局、あの業者の土地を買わなかったね。あれ、好木さんが止めたの?」

    「いえ、私が止めたんじゃなくて、私に情報を流して、評議員だから聞く義務があるって吹き込む人がいたんです。私、バカだからそれを信じて、ホントに評議員会でしゃべったんです」

    「アハハ、君、ほんと怖いもの知らずだからね。理事長、怒ったでしょ」

    「ええ、怒ってましたね。私、そういうの見るとよけいに燃えるタイプだから、もっと追及してやった」

    「アハハハハ、好木さんって恐れを知らないバカだね、ホント。ハハハ」

    「ええ、私、あんまり後先考えないから」

    「でも、そういう好木さんの考え方を支持する人は高校にも多いよ」

    「それが咲山さんも私も今では理事会側ですからね」

    「歴代校長が組合の委員長経験者だからね」

     その頃より二十年くらい前に、理事長の豊満経営で高校が財政破綻寸前になったときがあった。
     そのとき、法人事務局長だった河浜が高校の教職員を大学に受け入れて財政再建策を提案した。河浜はその理事長の後、理事長を引き継いだ。
     その時、組合も理事会の提案を受け入れた。
     その頃から理事会と組合はともに学園の経営に責任を持たないといけないという意識を共有し始めた。

    「昔、急増期の時に生徒を入れすぎて、評判が悪くなったことがあったよね」

     咲山は1974年の倒産報道の頃のことを話し出した。
     それは大学の経営破綻だけではなく、中学校がまだあった頃、ベビーブームの人口急増期に入学させられるだけ生徒を受け入れた中学校と高等学校の問題もあったのだ。
     急増期が去り、急減期になると、そういう教育方針だった学校の評判が悪くなった。
     それで志願者が減り、中学校が募集停止になった。

    「あの後、制服の廃止運動があったんだよね」と咲山。

    「ええ、そうらしいですね」

    「もともとうちは手芸学校から始まって、高校にも被服科があったんだよね。それで理事長はヨーロッパのデザイナーに依頼して、変わったデザインの目立つ制服を作ったんだよね。それで、その制服を着た生徒がどこの学校の生徒か一目でわかった」

     咲山が話す制服の写真を私も見たことがある。デザインとしてはさすがに一流デザイナーだと今見れば思う。

    「でも、生徒たちは目立つからどこの生徒かわかる。白鳥女子だとわかるのが嫌だって言ったんだよね」

    「へえ~、今なら制服のブランドで選ぶ生徒もいるのにね」

     私はその制服のデザインは悪いとは思わない。でも当時の生徒たちは違ったのだろう。

    「生徒会がその制服を変える署名運動をして、先生の何人かも賛成した。それでその目立つ制服は廃止された」

    「で、どうなったんですか」と私は聞いた。

    「いや、どこにでもある普通の制服になったんだよ」 

    「ふ~ん」

    「生徒が学校に誇りを持っていなかったんだよね。いや誇りの持てる学校ではなかった」

    「・・・・」

    「二度とそんな学校にしちゃいけないよね」

    「・・・・」

     私には言葉がなかった。

    「私が好木さんの案に賛成なのもそれなんだよね。誇りの持てる学校を作りたい」

     私はそんな白鳥中学校の歴史をよく知らない。

    「校長も私も誇れる学校にしたい。卒業生がこの学校を卒業したことを誇りに思える学校をつくりたいんだよね」

     咲山副校長はそう言った。この訪問の移動中の三時間くらいずっと咲山と話していた。そんなに長く咲山と話したのは初めてだった。
     私は自分が卒業した大学を学歴から消したいと思ったので、経営大学院に進学したかった。知識やスキルを得たかったのも事実だが、何より最終学歴を変えたかった。私を不条理な理由で留年させるような大学の卒業生を名乗るのが嫌だった。
     ワールビズという学校名がカタカナでちょっと胡散臭いことも、むしろカッコいいと思った。名前なんてどうでもいいのだ。学んだこと、その学校で熱中したこと、友人たちと過ごしたその時間が大事なのだ。その思い出を大切にすればいいのだ。

     中学校の設立準備をしている頃、大学では次の大きな改革、健康科学部の設置が課題になっていた。
     また、同じ頃、家の近所にカルト宗教と言われている宗教法人をバックにした学校法人が中学校・高等学校を作る話が新聞に載った。反対する人は多かったが、誰もリーダーになる人はいなかった。
     私はこの二つの渦に巻き込まれ、生死の境界線を彷徨うことになる。
     そういうことになるとは予想もしなかったことなのだが。


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    #創作大賞2026 #お仕事小説部門



     
     
    学校法人の職員です。 知を愛することが好きです。 読書が趣味ってことです。 「書肆じんたろ」って読書記録ブログがあります。 ぜひ、読んでね。 http://jintaro4649.livedoor.blog/ 読書を広めるためなら何でも喜んで引き受けます。 ハードワーク以外ね。

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