
【連載小説】スーパー大学職員と呼ばれたくて 第十一話:作文と現実の間
<前回のお話>
<第十一話のあらすじ>
文科省での設置認可申請は、好木にとって“作文”のはずだった。しかし心理学科・理学療法学科・通信教育課程の三本同時申請は、大学の命運を賭けたウルトラC。教員確保は難航し、面接予定の教員は酒で呂律が回らず、同行した海野事務局長は階段から転落して肋骨にひび。それでも申請期限は迫る。追い打ちをかけるように文科省の分科会から「実験心理学の教員が足りない」と痛烈な指摘。三週間で専任を確保できるのか? 専任教員か常勤で悩み、喫茶店で頭が真っ白になる好木。だが、学部長予定者の望月が静かに口を開く――「私、一人当てがあります」。
ここから、白鳥大学の逆転劇が動き出す。
第十一話:作文と現実の間
文部科学省で設置認可申請手続きの相談をしていた。これは「事務相談」と呼ばれる。「事前相談」と呼ばれるのは別の言葉だ。事前相談は実際の法的な手続きで、学部の名称変更やすでにある学位分野の学科設置などの「届出」を行うことと区別されている。事前相談の方は相談と呼ばれながら、実際は審査があり、結果が通知されるのだ。実際には厳格な手続きなのだ。このことを知らない私立大学の職員も多い。それに比べて事務相談は原則何を聞いてもよい。文部科学省の事務担当者と何でも話が出来る機会となっている。
「えっ、心理学科と理学療法学科で健康科学部を設置ですか? でもこの二つは学位の分野が違いますよね」
文部科学省の担当者は私にそう聞いた。
同行していたのは課長補佐の村中伸吾だ。
「はい、わかっています」
私が答えると、
「でも、設置趣旨が問題ですね。心とからだの健康ってのは、まあわかりますが、この二つの学科だけでそう言うんですか?」
「と言いますと?」
「からだって言うと身体のことですよね。ほかにも関連領域がいろいろありますよね」
「ええ。じゃあ、他の関連学科を将来構想しているって書けばいいんですか?」
「いや、書けばいいって言うか、そういうふうに構想しているとなると分科会で、より理解できる委員の先生方も多いということです。一般論ですが」
「わかりました。そう書きます」
相談時間は20分くらいだった。それで文部科学省を出た。
「好木課長、あんなこと言っていいんですか? 委員会ではそんなこと決まっていないでしょ」
と村中が私に言った。
「ああ、いいの、いいの。どうせ作文なんだから、架空の話。実際にそうならなくても命までは取られない。せいぜい次の申請の時に同じ委員がいたらちょっと意見を書かれるくらい」
「そんなもんですか」
「実際には委員が同じでもそんな注意もない。同じ委員がいても忘れている可能性のほうが高いからね」
「好木課長の常識にはついていけません」
「これ、私の常識ではなくて、文部科学省の申請・手続きの常識。ただ、時代によって緩くなったり、厳しくなったりするけどね。そのトレンドは大事だよ」
結局、そのときの設置趣旨には、将来、作業療法学科や管理栄養学科などを設置する予定だと書いた。
作業療法学科は四年後に設置することになったが、管理栄養学科は15年経った今でも構想すらない。白鳥大学はいつも市場の教育ニーズと競合の動きで設置構想を決めていた。管理栄養学科の教育ニーズは相変わらず高かったが、市場の大きさの割には競合が増えすぎた。だから村中と相談して選択肢から外した。その選択のプロセスを委員会でも説明した。白鳥大学ではその頃から誰の発案でもいいものはどんどん検討の俎上に載せた。しかし、徹底的にその仮説が妥当かどうかを検証し、最終案を絞った。だから失敗が少なくなったのだろう。その力は今でも日本の大学のなかで高い水準だと思う。
ただ、2012年頃、この地域の大学に心理学科の競合が多かった。白鳥大学は後発だったのだ。
実は、その20数年前に心理学科を設置すべきだと私は当時の将来構想を検討する委員会に提案した。
白鳥女子大だった頃だ。私はまだ二十代でヒラの職員だった。その頃将来計画を考えていたのは、総合計画委員会という学長の諮問組織だった。
私は哲学科心理学専攻を卒業した。私が大学を卒業した頃、関東地方にはまだ大手大学にしか心理学科はなかった。アメリカの状況が日本にやってくるとしたら、心理学科が増えると私は思った。私は手書きで心理学科が設置されている大学の地図と志願者・合格偏差値の推移グラフを作り、提案資料を作った。パソコンがまだない頃だったのだ。それを総合計画委員会の委員長宛として大学事務局長に渡した。
しかし、その約3か月後、総合計画委員会の結論は文化財学科という新学科を作ることだった。白鳥女子大学にはすでに歴史学科があった。どうして共食いになるようなその学科を作るのか私には理解できなかった。
将来計画を描くこと、それは白鳥学園の場合、一職員のちょっとした思いつき、あるいは仮説をそれらしく将来構想として描き、企画課で検討して、委員会に提案する。委員会で委員たちから疑問などが出されれば、次の会議までに調べて回答する。それは2005年改革の時に小西学長が好木に教えたスタイルだった。それを知らず知らずの間に踏襲していた。
2012年に健康科学部という学部を設置した時には、心理学科と理学療法学科の設置認可だった。しかし、そのとき近隣の大学にはすでに心理学科が多かったのだ。20数年前に私が心理学科の設置を提案したときにはなぜかその案は闇に葬られた。結果的にそれで乗り遅れてしまっていた。
ちょうどその頃、アメリカではMOOCs(ムークス)と呼ばれるインターネットの大学でのプログラムが話題になっていた。マサチューセッツ工科大学にはモンゴルからの受講生もいるという話だった。
後発の心理学科の競争倍率を上げて難易度を上げる。そのために18歳の受験生で難易度が決まる通学制のしくみとは関係ない通信教育課程の収入で財政補う。私の発想ではそういう構想だった。
課長の私が心理学科、課長補佐の村中ともう一人の部下がそれぞれ理学療法学科と通信教育課程を担当することにした。
「そんな品質の動画で通学生と同じ学費を学生からもらっているんですか」
ある大手大学がインターネットで通信教育課程を開設し、通学生と同じ学費にしているという話を聞いて私は遠方まで出かけた。
部下の岡田裕也がいっしょだった。
相手の大学の担当者に一通り施設を見学させてもらった後、岡田がそう聞いたのだ。
「いや、部下の岡田が失礼なことを言ってすみません。インターネットの動画再生はまだ進化の過程だと思います。きれいな動画にするには解像度を上げないといけない。それでは今の通信技術ではうまく再生できない。そういう状況で貴学がどうしてこのシステムを選ばれたのかをお聞きしたいという意味なのだと思います」
相手の担当者は横の上司と顔を見合わせて、何か相談していた。
岡田は別の府県の上場企業から転職して白鳥女子大学に来ていた。彼の頭脳のシャープさを私は評価していた。そのシャープさがときに相手をズバリとナイフで突き刺すことがあった。それはときどき私に対しても鋭い批判となったのだ。
でも、私はそんな岡田が可愛かった。私も岡田と同じ頃、評議員会で当時の理事長にナイフのような鋭い批判をして、理事長に恥をかかせていたのだ。自分は岡田を諫めるような偉い人間だとは思えない。
「ご指摘の動画の技術的なことは私たちも改善すべきことだと思っています。ただ、学費を通信教育課程と通学制で同じにしているのは別の理由があります。通信制では学生四人に一人くらいのラーニングアシスタントがいます。学生はシンガポールなどの海外からも受講しています。英語もできる人でアシストしているのです。だから経費がかかるのです」
「ああ、そうですか。よく理解できます。失礼いたしました」
帰りの電車で私は岡田に言った。
「あの質問は切れ味が鋭かったな」
「動画のことですか」
「うん。でも、ああいうのをズバリと聞くのはこれから止めた方がいい」
「でも、好木課長も同じことを言っていたじゃないですか」
「そう、私も君みたいにズバッと言ってやりたかったよ。学生をバカにしているのかとね」
「そうですよね」
「君は頭がナイフみたいに鋭い。それはいいことだと思う。直す必要はない」
「ありがとうございます」
「私も君と同類なので他人に偉そうに言える人間ではないと思う」
「ええ、そう思います」
「いや、それだよ」
と言って思わず私は笑ってしまった。
岡田は私が何を笑っているのか不思議そうだった。
「同類の私だから言ってもいいと思うんだけど、この職場は私のような上司ばかりではない」
「と言いますと」
「気分で人を使っている課長もいる」
「ええ、そうですね」
「ロジカルに根拠を示さず主張する人もいる」
「ああ、それは感じます」
「君にはそういう人たちともうまくやってほしいということ」
「どういうことですか」
「人は何にプライドを持つか? おそらく私とかパート職員の寺本さんとかとは違う」
「寺本さんとですか?」
「寺本さんは自分の仕事にプライドを持っている。お金じゃない。褒められることも好まない」
「ええ、確かにそうですね」
「パート職員だけど、私は寺本さんを尊敬している」
「私もそうです」
「でも、それはおそらく少数派なんだろうね」
「そうですか」
「そういうもんなんだよ。少数派。多くの人は違うところにプライドがある。体裁とか役職としての沽券とか」
「沽券ですか」
「そう。いろんな余計なものを着ている」
「着ている?」
「変なプライドとか、くだらない体裁とか、そんなものを着て着ぶくれしている」
白鳥女子学園にはそうでない人もいる。でもそういう人もいる。それはどこの職場でも、どこの世界でも同じかもしれない。
「好木課長って、天然ですよね」
「えっ」
「みんな言っています。好木課長は天然だって」
「それ天然バカってこと?」
「いえ、思い込みが激しいと」
「ああ、それはいえるかもしれない」
「でも、それがいいところだとも言われています」
「それ、褒め言葉じゃないよね」
「ええ、確かに」
岡田は転職して初めての上司が私だった。白鳥大学にはいつの頃からか、優秀な職員が集まるようになっていた。それも官僚的な頭の良さではなく、起業家的なチャレンジ精神を持った人たちだ。前例踏襲を排し、新しいことに挑戦する人たち。
おそらく2005年の改革後、この大学には、いやこの学園には他の私立学校ではできないことに挑戦できると思う人たちが集まってきたように思う。
通信教育課程のシステムは、私と岡田で考えた。まだ生まれたてのベンチャー企業のプラットフォームを採用した。私はひとりで秋葉原にある本社を探した。ペーパーカンパニーかどうかを調べるためだ。
JR秋葉原駅からかなり歩いたが、本社はまともなビルだった。
ただ、社長はほんわかした人でベンチャー企業の社長のイメージとはほど遠かった。社員たちも同じだった。
岡田はその会社の人たちにも容赦なく、要求を突きつけた。それがいくつものバグを修正させることになり、結果的にシステムを安定させた。岡田の職人気質の緻密さがコンテンツを信頼あるものにした。岡田の父親は家では自分でそば打ちをするらしい。職人気質は父親譲りなのだろう。
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心理学科、理学療法学科、通信教育課程の三つの認可申請を同時に行う申請は今でもウルトラC級の難易度だと思う。
教員獲得でも苦労した。
私が担当した心理学科では学部長も選任することになっていたが、その人事がなかなか決まらなかった。東京から九州まで大学事務局長の海野と私で面接のために旅をした。理学療法学科では早々と学科主任候補が決まり、その教員の人脈で次々と候補の教員と会い、採用する教員が揃ってきていた。正式の面接はそれぞれの教員を白鳥女子大学に呼んで行った。
しかし、最初、調子が良かった理学療法学科の教員採用は、いつのまにか心理学科の採用準備が追い越し、理学療法学科では最後の一人がなかなか決まらなかった。
ある地方の大学に赴任できる教員候補がいるという情報が主任予定者のところにあった。最後の一人の候補を大学に呼ぶのではなく、その教員のいる大学の近くの有名な和食の店で正式の面接をすることになった。
委員長である跡見寿美子看護学部長、理学療法学科の学科主任予定者である田浦友彦教授と大学事務局長の海野でその教員に会いに出かけた。
私は設置事務の責任者として現地に行くべきだと思ったが、あいにく大学でも心理学科の設置準備委員会が重なった。理学療法学科の事務担当は課長補佐の村中だったが、時間がないのでこの面接を正式の採用面接とすることになり、事務局長の海野に同席してもらうことにした。
最後の一人からは教育研究業績書をもらってすぐにデータを整備する必要があった。その前に教員審査に通る研究業績があるかどうか、その判定が必要だった。それで採用のGOサインを出す手はずだったのだ。研究業績は看護学部長の跡見と学科主任予定の田浦が、出された書類を見ればわかるという話だった。
理学療法学科の学科主任予定者は遠方の大学に勤めていたので別に一人だけ一足先にその店に到着していた。跡見と海野は白鳥大学から直接面接の地に向かっていた。
海野からはこのミッションの状況報告が30分おきに大学に入っていた。
面接地の近くの駅に着いたというメールがあった。
雪の影響で少し電車が遅れたらしい。
こちらからは既に面接を受ける教員と田浦教授が店に到着したと連絡した。
その跡見と海野は時間に遅れていたので焦っていた。駅の通路を猛ダッシュして、下りの階段を足早に降りた。海野は階段を飛ぶように、実際に一段飛ばしで下った。
そのとき海野の足がもつれた。
階段はまだあったが、体が一気にダイブした。階段を転げて、タイルの床に腹から落ちた。
驚いたのは看護学部長の跡見だ。
いっしょに階段を降りていた海野が突然一気に飛んだのだ。
海野は床に倒れた後も、立ち上がって歩こうとした。だが、また倒れた。
跡見は看護師の現場を40年以上前に離れていたが、落ち着いて119番に電話をかけた。
「大丈夫よ、すぐ救急車が来るから」
と跡見看護学部長は海野を励ました。
この情景を私は実際に見たわけではない。
あとから微に入り細に入り海野が私に話したことを再現している。
海野は痛みもだえる表情で、うーん、うーんと唸るだけだった。
五分くらいで救急車が駅の構内に到着した。
畳んだ足がぴょんと出るストレッチャーに乗せられ、海野は救急車で病院に運ばれた。
病院の診断では、海野の肋骨が折れていた。折れていたといっても正確にはひびが入っていたのだ。
肋骨が折れていたのに海野は立ち上がろうとしたのだ。
跡見看護学部長は、日本でトップの大学で博士号を取得し、大手の電機メーカーの名が冠されている病院で二年半勤務した。看護の現場にいたのはそれだけだった。跡見も救急車に乗って、いっしょに病院まで行ったのだ。
「あたし、実は救急車に乗るの、人生で初めてだったのよ」
と、後に跡見は居酒屋で言っていた。
跡見は看護学で権威と呼ばれていたが、実際に救急車に乗ったのはそれが初体験だったのだ。
「初めてでワクワクしたの」
と跡見は日本酒を飲みながら話していた。
一方、地元で有名な和食の店では、理学療法学科の田浦と面接される相手の教員が待っていた。
私は白鳥大学から電話で田浦に今起きていることを説明した。
「肋骨を折ったんですか?」
と田浦は驚いた。
「いや、折ったと言ってもひびが入ったということです。とりあえずギブスで固定しています」
と私は伝えた。
「じゃあ、面接はどうすればいいんですか?」
「あと一時間くらいで跡見看護学部長と海野事務局長はそちらに向かうと言っています」
「え~っ、肋骨が折れたまま面接するんですか?」
「ええ、痛み止めが効いているから問題ないって、海野事務局長は言っています」
私は理学療法学科の田浦とそんなやりとりをした。
それからさらに1時間30分程してから、跡見と海野は和食の店に着いた。
「もう、たいへんだったのよ。すみません、こんなに待っていただいて」
と肋骨が折れている海野は面接相手の教員にあいさつした。
その教員は三時間もその店で待たされていた。その間にお酒をたらふく飲んでいたらしい。
面接が始まったが、その教員はほとんど呂律が回らなくなっていた。しかも酔って上機嫌だった。
跡見看護学部長はその教員の態度に辟易したが、そんなことを言える立場ではない。研究業績が少し気になって、理学療法学科の田浦に尋ねた。
「今、論文を書いていらっしゃるそうです。申請までに雑誌は発行されるということです」
と田浦は言った。
跡見も田浦も、もう背に腹は代えられなかった。書類の提出期限が迫っていたが、他に候補者はいなかったのだ。
そんなふうにして面接は終わった。
面接を終えた教員はお酒を飲み過ぎて、面接の後も陽気にはしゃいでいたらしい。
「放っておけば歌でも歌い出しそうだったのよ、あの先生」
と海野は憎々しげに言っていた。
なんとか、三つの設置認可申請の書類は整い、申請期限に提出できた。
しかし、学部学科の設置認可申請には教育課程、つまりカリキュラムの審査がある。それともう一つやっかいな教員審査という教員の業績審査がある。
******
八月の始めに意見伝達という文部科学省が設置認可の最終判断をする前に申請内容を補正する必要があるかどうかを申請者側に伝える手続きがある。
これまでも白鳥大学の設置認可申請ではこのプロセスで躓くこともあったが、すべて軽傷だった。
でも、今回は違った。
教育課程審査では、心理学科の通信教育課程で定期試験の手続きについてクレームがあった。
インターネットを使って通信教育を行っているある大学で、カンニング問題があったのだ。そのことが文部科学省の認可申請を審査している分科会で問題になり、この申請で白鳥女子大学にカンニングの防止策を要求してきた。
もう一つの難題は心理学科の教員数についてだった。
「あなたの大学の申請書の設置趣旨には、この心理学科は臨床心理学、社会心理学、発達心理学だけでなく基礎心理学、つまり実験心理学も重視すると書かれていますね」
文部科学省で申請を審査している分科会の委員長はそう言った。
確かに申請書にはそう書いていた。
学部長が望月優子教授に決定されてからは、望月教授の意向を採り入れた。望月教授はもともと大学の学部時代には実験心理学を専攻し、大学院でも指導教官にしたがっていた。しかし、大学院を修了してから臨床心理学に研究の専攻を変えていた。申請では、望月が学部で学んだ心理学のベースを重視する方針だった。
「とすると、これでは実験心理学の科目と教員が少なすぎるというのが分科会の結論です。科目かクラスを増やし、専任教員を増やすべきです。専任が無理なら非常勤講師を増やすことが認可の条件です」
私は最初、言われている言葉の意味がわからなかった。
この意見伝達で意見がつくと、補正申請というのがあり、約三週間後に締め切りが設定されている。これまで白鳥女子大学の設置認可申請では、補正申請のときに申請書の差し替え程度で済んだ。設置趣旨を少し書き換えるとか、審査で落ちた教員の科目を別の専任教員が担当することにするとか、作文の世界だった。
だから、私は村中にも「命までは取られない」と言い、作文を侮っていた。
「わかりましたか?」
分科会の委員長は言った。
「いえ、少しわかりにくくて」
と私は言った。
「では、もう一度、分科会の意見をゆっくり読み上げます」
と言って、分科会の委員長は同じ意味のことを言った。
今度は行政文書として少し堅い表現だった。
どういうわけか、大事なことをときどき文部科学省はこんなふうに文字で残さないことにしているらしい。
今度は正確にメモを取った。
つまり、設置趣旨からすると専任教員が一人足りない。でも非常勤講師でもいいと言っている。
しかし、この行政文書の対策をどう判断するかが難しい。
意見伝達には健康科学部の学部長予定者の望月教授と理学療法学科の田浦教授、海野事務局長と私で行っていた。
文部科学省の建物を出て、四人で喫茶店に入った。
「好木さん、どうする?」
私に海野の問いかけは聞こえていたが、頭の思考が止まらず、返事が出来なかった。
私は必死で考えていた。
設置趣旨からは実験心理学の専任教員が一人足りないというのが文部科学省の分科会の結論だ。それは大学設置基準とは関係ない。つまり、申請している教員数は設置基準を満たしているが、設置趣旨から導かれるカリキュラムの考え方と教員数が整合していないという分科会の意見だ。でもその教員は専任でなくても非常勤講師でいいとも言っている。それが認可申請の結論にどう影響するのか? 通信教育のほうはカンニング防止のシステムを作れるかどうかが問題だ。いや期限までにプログラムは作らなくてもいい。システムを考えて、開設時までにそういうプログラムをつくると作文すればいいのだ。でも、教員については専任教員でも非常勤講師でも誰かを見つけないといけない。非常勤講師はとりあえず履歴書だけでもいい。そこから書類を作ればいい。でも専任教員となると大変だ。また教員審査もある。私には当てがない。
「好木課長、聞いてるの?」
海野のその声は鼓膜には届いていたが、言葉を発する脳が反応できていなかった。
私の思考をその声が遮った。
「は、はい」
「どうするのって、聞いているのよ」
その会話を聞いていた田浦教授がにこっと笑って、
「とりあえず、理学療法学科は無傷ということですね」
と私に聞いた。
「ええ、そうです。何の対応も要りません」
「よかった」と田浦。
他人が真剣に悩んでいても、我関せずという図太い神経が田浦にはあるのだろう。
「田浦先生、理学療法学科がよければそれでいいって言う場合じゃないでしょ!」
と海野は叱るように田浦に言った。
「すみません」
と田浦は子どものように素直に答えた。
「通信教育のカンニング防止はシステムの問題です。でも開設までにプログラムは作ればいいので、どういうシステムをつくるかをそれらしく作文すればいいと思います」
私がそう言うと、
「ああ、そうなの」と海野。
「問題は心理学科の教員です。分科会の委員長の言葉をどう解釈するかの問題です。安全線で考えると専任教員を一人追加することです。これにはコストの問題がある。でも実際の問題は実験心理学を担当できて、教員審査にも通る教員が三週間で確保できるかどうかです。私はそれを考えると頭が真っ白になります」
私がそう言うと、
「誰か意見を聞ける人はいるの?」
と海野が私に聞いた。
「ええ、思い当たる人が二人います」
「誰?」と海野。
「一人は図書館に入っている会社の支社長です。頼めば一人くらいは無料で教員の事前審査をしてくれるかもしれません。もう一人は同じ大学業界でこういう設置認可申請の経験が豊富な人です。海野局長とも親しい方です」
「あっ、本田さん?」
「そうです。本田さんです。でも、本田さんはおそらく、教員は非常勤で構わないって言うと思います。あの人、リスクが怖くない人だから」
私の意見に海野も同意して、
「そうだわね。たぶんそう言うわね。でも一度聞いてみてよ」
と言った。
「私、ひとり、教員の当てがあります」
と学部長予定者の望月優子が言った。
喫茶店を出てから、まず私は海野が「本田さん」と呼んだ本田勝重に電話した。
本田は八王子の有名な女子大学で事務局長をしていた。それまでには企画課長、企画部長として何度も設置認可申請や届出など文部科学省への手続きの仕事をしていた。文部科学省の職員には赤坂の料亭で食事をする間柄の者もいた。
「おう、君か? 元気か? 海野のおばちゃんにまたいじめられているんだろう」
本田は他大学の私のことをなぜか気に入ってくれているみたいで、いつもこんな調子で話をしてくれる。あるとき本田が海野に会いに白鳥女子大学に来た帰りに、私に、
「あのおばちゃんに会うといつも元気になる。やっぱり倒産の地獄を経験した人は違うな。いつも海野さんに元気をもらって帰るんだよ」
と言ったことがある。
「まあ、ときどき会うとそうかもしれません。でも毎日会っている私を想像してくださいよ。怒ると『私の股をくぐれ』とか言うんですよ」
「ああ、そりゃ、気の毒だね。まあ、好木にはそれもいい修行だったと思えるときが来るよ。ハハハ」
本田も海野もいつも豪快に笑う。お互いこの豪快さが気が合うところなんだろうと私は思っていた。
「実は本田さんのご意見が伺いたいんです」
「おう、好木、なんだ。そんなにあらたまって」
私は文部科学省の分科会の委員長に言われたことをそのまま話した。
「本田さんはどう思います?」
「好木ならあらためて聞かなくても私がどう言うかわかるだろう。そんなの非常勤講師を充てておけばいい。書類だけ用意して、開設までに実際に担当する人と差し替えればいい」
「やっぱり、本田さんならそうしますよね」
「ああ、そうする。でもそれでまた保留にされるかどうかはわからないけどね。他の教員や学長がうるさかったら、私のところでも専任教員を充てたこともある。そういう人が見つかればのことだけどね。三週間ではどうかな?」
「学部長予定者は、一人当てがあると言っています。同じ大学の出身でオーバードクターみたいですけど」
「ああ、安全線を取るならそれかな。でもコストがかかるからな。それはどうなの、収支は?」
「心理学科は定員数が少ないので、収支は微妙です。通信教育とセットなのでそっちが集まればなんとかなりますけど」
「そうか。難しい選択だね」
「ええ」
「でも、私なら非常勤だね。保留になったらそのとき考える」
いかにも本田らしい考え方だと思った。その老舗の女子大学でそんなリスクを恐れない考え方をするのは本田ひとりだった。本田の発案でその女子大学は次々と学部を増やしていた。もともとリベラルアーツが理念の女子大学だったが、薬学部や管理栄養学部にも広げていた。
しかし、白鳥女子大学が女子大学でなくなってから学部学科を増設し、いつの間にか学生数では本田の女子大学を超えていた。
「本田さんが、あなたは学部学科をつくるときのセンスがいいって言ってたわ」
海野が私にそう言ったことがある。
センス?
センスがいいのは本田だと思っていた。
人が考えつかないことをやるのが本田だった。社会学部に小学校教員養成の課程を作ったり、同一法人の男女共学の総合大学より先に薬学部を設置する。
でも、その本田に私がそう言われていると聞いたときは嬉しかった。
もう一人意見を聞いたのは図書館に図書を納入している業者の担当者だった。通信教育課程ではインターネットで教科書を注文するシステムの相談をしていた。その業者の深谷満とは十年くらいの付き合いだった。
「深谷さん、実は設置認可申請で困っていて」
「何ですか? 好木課長が珍しいですね。そんな弱気な声で」
地下鉄のホームから私は電話をしていた。簡単に困っている状況を話した。
「いや、ホントに迷っているんです。教員を一人追加したら収支が合わない。追加しないリスクを冒したら認可されないんじゃないか心配で」
「ああ、そうですか。でも私がお手伝いできるのは、せいぜいその候補の教員審査を元委員にお願いしてやってもらうことくらいですよ」
「ああ、それがお願いできますか。それは助かります」
そう言うと、なぜか私は涙がでてきて、深谷にそれ以上しゃべれなくなった。
「どうしたんです? 好木課長、聞こえますか」
「ええ、ええ、聞こえます。こんなに自信を失ったのは初めてです。そんなときにこれまでも深谷さんに助けられていたんだと改めて思って」
「なにを水くさいことを言っているんですか。大丈夫です。きっと認可されますよ」
「いや、今回は通学制の図書は全部、深谷さんの会社と違うところになってしまったのに、そこまでしてもらえるのは申し訳なくて」
「いえいえ、今回はダメでも、またお仕事できる機会はあると思っていますよ。これまでも好木課長は何度も危ないところを切り抜けてきたじゃないですか。元気を出してくださいよ。教員の書類を来週いただけたら一週間後には結果をレポートでお渡しします」
深谷との電話を切って、通り過ぎていく電車を何本か見送った。
深谷に仕事の損得勘定がないとは言わない。
本田にも仕事の貸し借りの感覚がないとは言わない。
でも、私は誰かの善意にも支えられている。
無意識に流れてきた涙は、私がそれらに感謝しているからなのだろう。
岡田たち部下の何人かは私のことを「天然」と呼び、私の思い込みの激しさを笑っているらしい。それも部下たちがそういう私を認めて、許してくれているということなんだろう。
私は大学に戻ると岡田にシステム業者とインフラを担当する業者を呼ぶように言った。
彼らが集まったときに私は事情を説明した後、こう言った。
「皆さんには本当に申し訳ない。文部科学省は自分たちは国家公務員でお盆などないのだと言いたいのかもしれません。私たちは三週間でどういうシステムを作るかということを書類にしないといけません。これはどこの大学も作ったことのないシステムです。世界初かもしれない」
プラットフォームを担当するシステムのベンチャー業者が質問した。
「クレームの内容はだいたいわかりました。アイデアはあります。問題は試験時間中のインフラ側の接続がどうなるかですね」
いつもはほんわかしていて緊張感がないように思えたベンチャー企業の担当者の顔が引き締まって見えた。
「というと?」と岡田が尋ねた。
「ウエブカメラをつなぎっぱなしにして、定期試験を受けるときの学生の顔を写すんです。でもずっとそれをすると付加が重くてほかのシステムが動かなくなる可能性があります。それでウエブカメラで写真を何度か撮るのです。ネットが切れないかどうか、インフラ側で可能なのかどうかをお尋ねしたい」
「ああ、それいい方法だ」
私はそう言うと、インフラを担当する業者に尋ねた。
「つなぎっぱなしでも切れることはないの?」
「停電になれば別ですが、インターネットが切れることはありません」とインフラ業者。
「だいたい停電になれば、定期試験はできません」
岡田がそう言った。
「そりゃそうだね」
と言って私が笑うとみんなが笑った。
これでいける。
そう思った。
「できれば、図にしてほしいんだけどできる?」
と私はプラットフォームのベンチャー企業に聞いた。
「図にですか? どんな図なのか・・・?」
プラットフォームの業者がいつものほんわかモードに戻ったみたいなので、
「ああ、もういい。それは私がやります」
と岡田がそれを遮って言った。
「じゃあ、すみません、皆さん。今年のお盆休みはどこかお盆じゃないところで取ってください」
私は笑いながらそういうとみんなが笑って頷いた。
集まったみんなは誰もやったことのないその仕事を意気に感じたのかもしれない。
いや、それは私の天然の思い込みか?
補正申請の方向性は決まった。
教員については、海野と相談して最も安全な線で行くことにした。専任教員を一人追加する選択肢だ。
その教員は望月優子教授が確保した。採用される本人にとっても就職口が決まって喜んでいたらしい。実験心理学の分野なので、それまではマウスの飼育設備しかなかったのだが、テグーというもっと大きな動物も飼うことになり、施設の改修が必要だった。
それを法人事務局長の赤井に頼んだ。
「あなた、すでに建設は始まっているのよ。その設計変更がどれほど難しいことなのかわかってるの?」
と赤井は私に言った。
「ええ、私も赤井さんが総務課長だったときには部下で建設の担当をしていたのでわかります。でも今回はどうしてもお願いしたいのです」
赤井はどこかに内線電話をかけていた。
おそらく、建設の現場事務所なのだろう。
「これ貸しよ」
電話を切った後、赤井は私にそう言った。
「貸しって、どうやって何を返せばいいのですか?」
「おいしいケーキでいいわ」
と赤井は言って、笑いながら店の名前も言った。
「それで済むならお願いします」
と私は頭を下げた。
私はいくつかの善意に支えられている。
赤井の笑顔を見てそう思った。
通信教育のシステムの書類もなんとか間に合った。
それで補正申請の書類は提出した。
その一ヶ月後に認可の通知があった。
みんな喜んだ。
私も事務所の中で涙をこらえられなかった。
しかし、それで終わりではなかった。
通学生の理学療法学科の志願者は予想を遙かに上回り、看護学部と同じくらいの倍率になった。心理学科はそれほどではなかったが、入学者は定員をオーバーした。
問題は心理学科の通信教育課程だった。
定員の半分も満たさなかった。
これが私を苦しめる一つになる。
<第十二話へ>