
【連載小説】スーパー大学職員と呼ばれたくて 第九話:さよなら、レモン
<前回のお話>
<第九話のあらすじ>
大学の合併交渉の最前線に立つ主人公は、理事長説得という重責を背負わされる。緊迫した理事長室で、反対を続ける河浜理事長は突然「私が邪魔なら辞める」と激昂し、組織の亀裂が露わになる。その直後、主人公の携帯が震えた。妻からの知らせは、愛犬レモンの死。大学の命運と家庭の喪失が同時に押し寄せ、主人公は深い無力感に沈む。やがて合併は理事会で否決され、大学は独自路線へ。混乱の渦中で主人公は新たな改革に挑み始める。組織の思惑、仲間との軋轢、そして家族の痛み――そのすべてを抱えながら、彼は次の一歩を踏み出す。
第九話:さよなら、レモン
妻のミーロから電話があった。
レモンの様子がおかしいと言う。
「ごめん、今帰れない。車を運転していつもの動物病院に行ける?」
「ええ、すぐ行くわ。でも今日は早く帰ってきてね」
「ああ、わかった。こっちが片付き次第すぐ帰る」
海野大学事務局長と赤井法人事務局長に理事長室にいっしょに行ってくれと言われていた。
英都学院大学との合併では先方の執行部は最後の理事会へ向けて学内をまとめる根回しをしていた。
白鳥大学側では一人だけ反対する者がいた。
「私と赤井さんではダメなのよ」と海野。
「お二人が説得してダメなものを私のような課長が言っても無駄でしょう」
「いいえ、そんなことはない。河浜理事長はあなたの言うことはこれまでも聞いてきたわ」
赤井がそう言った。赤井法人事務局長と河浜理事長とが唯一何でも話せる間柄だと思っていた。私は確かに明央大学との合併では理事長と二人に任せてもらった。でも、それは理事長と私が明央大学の卒業生だったからだ。私の言うことなら何でも聞くというのは違う。
「でも、まあ、行けと言われるなら行きます。どうすればいいんですか?」
「とにかく調印してほしいと。そして来年合併するときには退いてほしいと言うのよ」
海野がそう言った。
「それを私が言うんですか?」
「そう。私たちが言ってもダメなのよ。だからあなたから言うのよ」
今度は赤井が言った。
理事長室の応接テーブルの向かい側に河浜理事長が座り、こちら側には私を挟んで赤井と海野が座った。
二人に挟まれると、どこにも逃げられないみたいに思えた。
「ふたつの法人はいっしょにはなれない。うまく行かない」
河浜は不機嫌そうにそう言った。
「どうして理事長はそう思われるんですか?」
海野が聞いた。
河浜は何も喋らなかった。
怒っているのが一目でわかった。
「交渉の最前線で向こうの課長と話している好木さんからうまくいかないかどうかを話してもらいます」
赤井はそう言うと手で私の横腹を突いた。
私は赤井の手の先を見た。
赤井は目で私に「喋れ!」と合図した。
もう逃げられないな、と思った。
「英都学院はカトリック本部の理事長とすでに話をしたそうです。本部も了解したと小畠課長は言っていました」
河浜がさらに不機嫌になるのが顔色でわかった。
首から上が興奮でだんだん紅潮してきていた。
私はさらに言った。
「これはわれわれの経営を守るチャンスです。この機会に正しい判断を下すことが経営者の役割だと思います。こちらの理事で河浜理事長以外はみんなこの合併に賛成です。あと理事長だけです」
河浜はしばらく黙っていた。
そして口を開いた。
「私のところにはいろいろ向こうの情報が入ってくる。これはうまくいかない。だけど私が邪魔なら私は今月で辞める」
それを聞いて驚いたのは私だけではない。海野局長も赤井局長も私を真ん中にして顔を見合わせ、目をぱちくりさせた。
「けれど、最後まで理事長として扱ってくれ。私を無視するのは止めてくれ」
「無視なんてしていませんよ」と海野。
「あなたはそう言っても私にはわかっている。私が邪魔なのは前からわかっていた」
河浜理事長は興奮して声が震えていた。
それより驚いたのは河浜理事長の首から上が真っ赤になっていたことだ。
まるで茹で蛸みたいだ、と思った。
あんなに人間の顔が真っ赤になるのを見たことはなかった。
誰も何も喋らなかった。
いや喋れなかった。
河浜理事長は自分が邪魔ならと言った。
いつからそんなふうに思っていたのか?
私はこの数年間のことを考えた。
河浜理事長は、前の小西学長とも最後は会話がなかった。明央大学との合併が無くなったときから、河浜理事長は死に体だったのかもしれない、とふと思った。
「私は今月で辞める。けど、最後まで理事長として扱ってくれ」
河浜理事長はそう言い残し、自分の部屋から出て行った。
海野、赤井、私の三人が部屋に残された。
三人が三人掛けの応接椅子に腰掛け、対面には部屋の主がいない。
おかしな絵だった。
その後、海野の部屋に三人がいた。
「あの顔、見た?」
海野が笑いをこらえながら言った。
「真っ赤だったわね」と赤井。
「これまでさんざん私たちを怒鳴り散らして、いい気味よ」と海野。
ああ、そういう関係になっていたのか。知らなかった。表面上は仲良く見えてもそうでない関係がある。その頃から幹部間の利害関係というものを私は感じていた。
「今月で理事長を辞めるって言ったね」と海野。
「あれにはあたしも驚いたわ」と赤井。
「あなたのせいよ」
海野が私に向かって言った。でも顔は笑いをこらえられないようだった。
「わたし?」
「そう」と海野。
「わたしは今月で辞めてほしいなんて言っていません。思ってもいなかったし」
「うそよ。あなたはよくやった。でもあなたからの一言が効いたのよ」と赤井。
「そんなことないでしょ。こうなったのは私の責任ではありませんから」
「そう、あなたの責任じゃない。河浜さんの責任よ。こんな修羅場を演じさせるなんてね」と海野。
ブッブー、ブッブー。
私の携帯電話の振動だった。
妻のミーロからだった。
私は携帯電話を持って部屋から出た。
「はい、わたしだけど、そっちはどう?」
向こうの携帯は無言だった。
やがてミーロのすすり泣く声がかすかに聞こえた。
「どうしたの? 大丈夫?」
「ダメだったの」
「ダメって何が」
「レモンが亡くなったの」
レモンが亡くなった。
その言葉を理解できなかった。
「亡くなったって、なんで?」
「手術をして、一時はもう大丈夫って、獣医は言ったのよ」
「うん」
「私が家に戻ったら、容態が急変したので来てくれって」
「うん」
「そしたらレモンが亡くなってい・・」
ミーロの最後の言葉は涙で消えた。
「車の運転はできる?」
「・・・・・」
「聞こえる」
「無理よ」
「わかった。すぐそこへ行く」
私は海野と赤井に起きたことを告げて病院へ向かった。
レモンは病院のベッドにまだ横たわっていた。
車に移すとき、レモンに掛けられていたタオルが落ちた。
手術のあとが見えた。お腹を十字に大きく切って、縫った跡が見えた。
痛かっただろうな、レモン。
そう思うと涙が止まらなくなった。道路の街灯が涙で滲んだ。
腸炎だと獣医は言っていた。
「でも、どうして?」
動物病院でレモンの遺体を横に置いて私は獣医に聞いた。
詰問とも言えた。
「やれるだけのことはやりました」
獣医はそう言った。ここがこのあたりで一番大きな病院だった。レモンとモモに何かあると、いつも車で一時間ほどかけてこの病院まで連れてきていた。
「先生は一度、手術をして、もう大丈夫って言ったんですよね」
「ええ、そうです。その後、容態が急変したんです」
「なぜですか?」
私は納得いかなかった。手術がどうとかいうより、レモンが亡くなったことを受け入れられなかった。
「手術にはリスクがあります。それは説明しました」
リスク。この場でその言葉を聞くとは思わなかった。
何事にもリスクはある。
この獣医の言うとおりだ。
しかし、この場でリスクなんて言葉は聞きたくなかった。
ミーロが乗ってきた車は動物病院に置いて帰った。
レモンを車の後部座席を倒したフラットなシートの上にのせ、私が運転して帰った。ミーロはずっと泣いていた。
モモが家に来るまでの二年間。この車でミーロと私、後ろにはレモンを乗せていろんなところに出かけた。海にも行ったし、牧場にも行った。牛を初めて見て、挨拶していたレモンを思い出した。
翌日は仕事を休んだ。合併の準備で忙しいのはわかっていたが、課長補佐の村中伸吾に頼んだ。
「合併のことは何もわかりませんよ。海野局長に今、聞いたばかりなんですから」
村中は慌てた口調でそう言った。
「英都学院の学長室の課長から電話があったら、今日、私はいないって、電話にも出られないって言ってくれればそれでいいから」
「それだけでいいんですか?」
「なんかややこしいことを言われたら海野局長につないでくれればいいから」
「そんな丁稚の遣いみたいなことでいいんですか?」
「いいから。今日はゴメン」
妻のミーロと二人で喪服に着替えて、動物を火葬する霊園に行った。
灰の一部を骨壺に入れてもらった。
ミーロは憔悴していた。
実の母親が亡くなったときもこんな姿ではなかった、と思った。
「職場に行かなくていいの? 大変なんでしょ」
ミーロはそう言った。
「ああ、いい。娘の葬式だ。今日は家にいる」
車のなかでミーロは頭を私の肩にもたせかけていた。
膝の上にはレモンの骨壺があった。
*******
「理事長は松っちゃん。一年と数ヶ月間、松武先生で行く」
海野がそう言った。
理事長の代わりを誰がするのかを赤井と海野が相談して副学長の松武に一年だけだからと依頼したらしい。松武も一年と数ヶ月間ならと承諾したらしい。一ヶ月は理事長なしの期間ができるが、河浜が辞任するのは健康上の理由ということで発表された。
もともと河浜理事長はあちこち手術をしていたし、腎臓の持病もあった。ほとんどの人が健康上の理由という発表を信じていた。
いよいよ英都学院の理事会の日となった。
会議終了予定の時間を一時間過ぎても連絡はなかった。
「あなた、電話をかけたら?」
海野が私にそう言った。
「そう焦りなさんな。果報は寝て待てって言うでしょ」
赤井がそう言っているときに私の携帯電話が振動した。
「はい、好木です」
「小畠です」
「ああ、お世話になっています」
「今からそっちに行ってもいいですか?」
「ええ、構いませんが。どうなったんですか、理事会は?」
「ちょっと電話では。総務局長も一緒に行くって言っていますからいいですか?」
30分後に英都学院の総務局長の大林英二と学長室課長の小畠義人がやってきた。
大林は部屋に入ってくるなり、
「海野さん、済まない。合併案が理事会で否決された」
と言った。
「否決? それどういうこと? 大林さん、説明してよ」
「三人の学部長の理事が反対だと意見を言ったんだ。もちろん賛成意見もあった。でも雪崩を打ったように反対が増えたんだ」
「理由は何? 教えてよ、大林さん」
大林の説明では、まず文学部と政策学部の理事が反対意見を言った。理由は財務リスクの問題と白鳥大学はカトリックのグループ校ではないということだった。
リスクか。
レモンの獣医も言っていた。
私はここでもこの言葉を聞くことになるとは、と思った。
政策学部の理事はグループ校でもっと深刻な経営難の大学がある、まずそちらの救済を先に着手すべきという意見を述べたらしい。
英都学院大学の文学部は白鳥学園の元学生部長の河田良一が研究では格下のところに吸収されるのかと、憤りを海野にぶちまけたところだ。その理事はいっしょに教授会を運営する不安も述べたらしい。河田の憤りは逆の立場では乗っ取られる不安だったのだろうか。
短期大学部は自分たちの将来の処遇が決まっていないのに、他大学のことを受け入れている場合ではないという不満を言ったらしい。賛成だという法学研究科の理事もいたが、約三分の二が反対に回ったということだ。
私はそれを聞いて、この組織のへそは学部理事集団だったのだと思った。
へそはそこだったのか。
宗教法人がバックにある学校は執行部を押さえればいいというものではないのだ。
「ほんとうに申し訳ない」
大林はもう一度頭を下げた。
誰も何も言わなかった。
部屋には白鳥大学の学内理事がほとんど揃っていた。
学長の畑田靖子は、海野を慰めるように
「仕方ないわね」
と言った。
なぜか理事長に内定していた松武だけがニヤリとしたような気がした。
畑田のような労いの言葉は無かった。
いずれにせよ白鳥大学は吸収されずに残ったのだ。
理事長の河浜が去り、新理事長には松武が就任する。
それだけが変化だった。
明央大学との合併の時、もしいっしょになったら私は去ろうと思っていた。経営は安定するだろうが、内部の競争が激しくなって自分の処遇をよく思わない者も出てくるだろう。合併の論功報償で私は出世するかもしれない。でも同僚のいろんな目の中で生きていくのは苦痛だと思っていた。でも、明央大学との合併が破談になって、私は残った。
しかし、英都学院大学との合併で私は自分の処遇がどうなるかを考えたことはなかった。今回は海野の敷いたレールの上を進んでいたし、自分がどうなるかなんて考える余裕もなかった。教員の不満をどう低減するか。誰を相手のどこに移すのがいいかなどばかりを考えていた。カトリックの思想も研究した。自分は事務組織のトップの役割を担うことはないことも私をいくらか楽にしていた。
でも、白鳥大学は残り、高校を含めた学校法人白鳥学園として独自に生きていくしか無かった。
*******
次の日から新たな仕事に着手した。
2005年改革のときに実行できなかった文化共生学部の改組だ。
学部長の沼上建司は定年退職で去り、学部名称にこだわる教員が何人か減っているのも名称を変えるタイミングとしては前より容易かった。
部下の村中伸吾といろいろアイデア出しをした。
文化共生学科の名前を変えて、人気の出てきた現代マネジメント学科の上に来るその二つを合わせた学部名称とするのがいいだろうというのが、村中と私の一致した考えだった。
「山梨県の大学にそういう学部名称の経営系の学部があります」
村中は記憶のなかからそれを引き出した。
文化共生学科は都市環境デザイン学科にして、それまで二級建築士の資格を取得できるカリキュラムだったのを一級建築士の資格が取得できるカリキュラムに変える構想を私が考えた。
問題は学科名称だったが、関西の大学の大学院研究科にあった都市環境デザインという学科名称にすることにした。
「これ、ちょっと格好いいんじゃない?」
と私は自慢げに言うと、村中は、
「ちょっと長いんじゃないでしょうか。でもどこにもない学科だからまあいいか」
と言った。
ただ問題は現代マネジメント学科でも何か国家資格が取れるようにしないと、改組するインパクトがないということだった。
「現代ビジネス学部にも看護学部や児童教育学科みたいに確実に志願者が集まる方法はないの?」
大学事務局長室で、海野がイライラしてそう言った。
「看護学部も児童教育学科も資格や免許が取得できるから集まるんです。文系の学部では有効なのは教員免許くらいです」
「あなた、本気で考えていないでしょ。逆立ちして鼻血が出るくらい考えたの?」
赤井もその部屋にいた。三人がこの部屋にいることが多かった。その赤井がそんなことまで言うのだ。
海野と赤井が揃うと私はいじめの対象みたいになる。だんだん話がエスカレートしていく。
「赤井さん、逆立ちして鼻血って、それはなんでも言い過ぎでしょ」
「何、言ってるの、あなただって、好木さんに、股をくぐれって言ったんでしょ」
「誰がそんなこと言ったのよ。わたしがそんな汚いこと言うわけないでしょ」
「いいえ、言いましたよ。あれは海野局長が入試課長のときに、『おまえは失礼だ、股をくぐれ!』って歌舞伎みたいなことを課員の私に言いました」
「それはあなたがあたしになんか失礼なことを言ったからでしょ」
「まあそうですが、『股をくぐれ!』と言ったのは事実です!」
「そんな昔のこと、忘れたわ」
白鳥大学がここまで成功したのは看護学部と児童教育学科で医療系の資格と教員免許、保育士資格の取得を目指す学生が集まったからだ。それで志願者が増え、合格者の受験偏差値が上がった。
志願者のほとんどが模擬試験を受けている。追跡調査をされ、それぞれが模擬試験の時の成績での合否がわかる。それを受験偏差値として模擬試験業者が次の年度に発表する。それが大学の学部・学科のランキングになる。大体のところが大手二社による格付けみたいにして進路指導の部屋に貼られる。次の年の受験生はそれを見ている。模擬試験ではその数値で受験の合格予想がA・B・Cとか合格可能性で示される。
この国ではそんなことが50年以上も行われている。
それで大学がランキングされるというばかばかしい世界なのだ。ランキングの根拠は教育の質などではない。入学している学生の学力水準、いや模擬試験の成績の平均が根拠なのだ。それでどこの大学が上で、どこの大学が下だとか受験生に思わせているのだ。
ただ最近では模擬試験の受験リストから志望校がわかるので、その併願を狙う大学がそれらの受験生にダイレクトメールを送るサービスもあって、それが志願者数に影響したりする。
そういう偏差値の呪縛から逃れるには資格や免許の取得が受験生を集めるひとつの要素だった。
「文部科学省の大学設置基準と厚生労働省が作っている各資格の養成学校の指定規則を整理して、すべての資格を比較するから手分けをしよう」
私は部下の村中に言った。
「それで何がわかるんですか?」
「その資格の課程を作る難易度がわかる」
「ああ」
「それと厚労省の白書からその資格の人材の需給関係を調べよう」
「ああ、それがいいですね」
「それから、寺本さんは近隣の他大学のその学科の志願者数と偏差値の推移を調べて」
「ええ、わかりました。いつもの本から拾えばいいのですね」
「ああ、そうです。旺文社の入試結果と河合塾の各年度の偏差値一覧です」
「それをグラフにまですればいいんですか」
「ええ、今じゃ私より寺本さんの方がそれを作るのが上手いですからね」
私は笑いながらパート職員の寺本に言った。
「今回の問題はコストだな」
「それはどうやって調べるんですか?」
村中が私に聞く。
「現地に行くしかない。行って施設と設備を調べる。教えてくれないところは推測で金額を調べる。建物は延べ床面積がわかればコストはわかるからね」と私。
「どうやって現地に行くんですか?」
「その大学に頼むしかない。近隣はライバル視されるだけだから、できるだけ遠くに行く。田舎ほど親切に教えてくれる」
「ホントですか?」
「ああ、逆でも教えるだろ。遠くから来れば、それだけ自分たちが遠くでも評価されていると思う。それにライバルではない。併願もしないだろうから。それとその大学の教育への熱意を感じる。それには共感する」
「ああ、それはありますね」
データの整理作業に一週間ほどかかった。
それを持って海野の部屋に行った。赤井もいた。
「次は救急救命士です」
と私は行った。
「救急救命士?」と海野。
「あの24時間なんとかのテレビドラマの?」と赤井。
「それは救命医でしょ。でもそれです」
「それをどこに作るの?」
海野が聞くので、
「現代マネジメント学科にです」
と私は言った。
「そんなことできるの?」と海野。
「ええ、この資格は管轄が曖昧なんです。もともと医療系の資格なんですが消防署を管轄する総務省の付属のセンターが資格を与えています。関連科目を取得するのが受験資格になっています。だから科目の受講歴があればいいんです」
「へえ~。で、実際にそんな大学があるの?」と今度は赤井が聞いた。
「ええ、二つありました」
「どこ?」と海野。
「どこなの、そんなことするのは?」と赤井。
私はその二つの大学名と学部名を告げた。
「ああ、やりそうね」と海野。
「さすがだわね」と赤井。
「ベンチャー精神ですね」と私。
その二つの大学は世間では評判がいいと言われる大学ではなかった。だが、私はそれらの大学が社会の人材需要をいち早く察知して改革していることを感じていた。
「で、そのコストはどうやってわかるの?」と海野。
「そこへ行くんです」
「えっ、誰が?」と赤井。
「私と赤井法人局長がです」
「えっ、私?」と赤井。
「ええ、赤井局長ならその建物と設備を見て計算できるでしょう?」
「ええ、まあ総務課長をやってたからね」
「私も赤井総務課長の元部下です」
「ああ、それがいいわ。それがいい」
と海野は手を叩いて喜んでいる。
「あなた、自分が行かなくてよかったら誰でもいいんでしょ」
「いえいえ、優秀な元総務課長様が適任なのよ」
そうして私と赤井局長で二つの大学に出かけて見学させてもらった。
私が言っていた通り、それぞれ地方にあった大学は歓待してくれた。親切にもすべての施設と設備を見せてくれた。赤井はそれを金額に換算した。
案外コストが低く抑えられることがわかった。
白鳥大学はそれからもこのやり方で学部学科を拡大していくことになる。
改革が一段落したら、私は本格的に経営学を学びたくなった。
2005年の改革の頃、会議では知ったかぶりをして経営学のフレームワークなんかを説明していた。それを本格的に学びたかったのだ。
私はビジネススクールで学ぶことの楽しさ、学校の存在価値を考えるようになる。
そして次の課題、40年前に経営難から閉校した中学校を復活させるかどうか。その挑戦が待っていた。
<第十話へ>