
【連載小説】スーパー大学職員と呼ばれたくて 第十四話:超人 《最終回》
<第十三話の内容>
<第十四話のあらすじ>
大学職員の「私」は、心身の不調と通信教育課の失敗で自信を失い、うつ状態に沈んでいた。そんな中、海野局長に誘われ女子バレー部の応援に行くと、かつて進学相談で出会った山口玲華が、スポーツ推薦ではなく努力でレギュラーを勝ち取っていた。玲華の正確なトス、小久保紗代の渾身のスパイク。白鳥大学は強豪校を次々と倒し、最終戦では満員の会場が「コクボ」コールで揺れた。デュースの応酬の末、わずかに外れたボールで敗れたが、涙する選手たちの姿に私は胸を打たれる。「この世界を作った一人に私もいるのだ」。失敗も成功も、自分が関わった現実だと気づいたとき、ぼんやりした世界の中に“生きている実感”が戻り始める。
第十四話:超人
「あなたもバレー部の応援に来なさい。私も現役の職員として応援するのは最後なんだから」
大学局長の海野がそう言った。
今年、海野は赤井と一緒にバレーの応援に来ていると、学生課長からは聞いていた。
「なんかあなた最近ちょっと暗いわ。応援するとすっきりするわよ」
まだ白鳥女子大学のとき、女子バレーボールを強化クラブにした。海野に言われて、どの種目を強化すべきかというメリット・デメリット表を作った。各種目の特徴も調べた。私は学生募集の視点から意見を聞かれたのだ。その頃、海野が入試課の課長で、私は課員だった。もともと白鳥女子学園では高等学校の女子バレーボール部が強く、全国大会に出場する常連だった。ときどき内部進学でレギュラー選手が白鳥女子大学に進学するときもあり、私たちが強化クラブとしての位置づけを提案するまでにも二部リーグにまで上がる実力があった。その後、奨学金や監督に報酬を支払うクラブに位置づけた後も二部リーグに低迷していた。
海野が大学事務局長になってそれが変わった。海野は元全日本のレギュラーだった男性の監督を紹介され、その監督を説得して大学の女子バレーチームの監督として招いた。元全日本選手の監督就任はスポーツ紙でちょっと話題になった。
ただ、大学の監督の意向だけで選手を集めるようになったため、それまで内部進学で白鳥女子大学に入学していたようなレギュラー選手も大学の監督が要らないと言えば、別の大学に行くことになった。
白鳥女子高校の四葉誠司監督は私に、
「好木さんとの約束はもう果たせそうにないな」
と言った。四葉は東京の体育大学卒で私と同い年だった。白鳥女子高校が財政危機になったとき、高校の教職員を大学が受け入れたりしたが、学園全体で回復しようという施策がいろいろ実施された。そのときに四葉と私は、白鳥女子大学の女子バレーボール部の卒業を大学が受け入れ、財政的にもスポーツの評判も向上させようと誓ったのだ。その頃、四葉も私も20歳代で若かった。私は四葉が体育館で指導する練習風景を見ていた。
「バカか」「ボケ、そんなこともできんのか」「一生そんなことをやっておけ」などその言葉遣いの荒さに驚いた。
四葉は熱血教師であり、その頃まだそういうことをパワハラという人もほとんどいなかった。
その四葉の指導により、白鳥女子高校は15年連続全国大会出場を果たし、いつしか四葉誠司は「カリスマ闘将」と呼ばれるようになっていた。
「約束を果たせないって、どうしてなの、四葉さん?」
と私は練習している選手たちのコートの外で四葉に聞いた。
「田口さんは私の勧める選手を取ってくれない」
四葉はそっけないようにそう言った。
田口というのは男子バレーボールの元全日本代表の選手だった田口博史た。海野局長が監督に据えた人物だった。
「好木さん、高校も大学も教育機関だよね。白鳥高校は男女共学になったけど女子バレーはずっと全国出場している。これをもっと強くして全国大会で優勝できるチームにしろ!と言われれば方法はある。都内の高校がやっているように奨学金をつぎ込んで、いい選手をたくさん集めればいい。選手同士をもっと競争させればいい。でもそれをうちはやらない」
四葉は、カリスマ闘将と呼ばれるようになったが、教育者としての評判がそれを上回るようにあった。練習風景からもう昔のように「バカ」「ボケ」いう言葉を聞くことはなくなった。
「どうしてですか? 強くなれば知名度が上がり、いい生徒も集まるでしょう」
私がそういうと、コートの向こうにいるコーチらしき女性を指さして、
「彼女はうちの卒業生なんだ。森次陽子って言う。全日本の選手になると思われていた。でも肩を故障して選手を続けられなくなった。それで指導者になる道を選んだんだ」
森次は背の高い細面の女性だった。
「本人はショックで落ち込んでいた。私は彼女に人生を見直そうと励ますしかなかった。彼女はその後、国立大学の大学院にまで行って、学位を得て、指導者の資格も取った。都内の高校で体育の教師をした後、母校の白鳥に戻ってきた。私が後継者になってほしいと彼女に言ったら、承諾してくれて公立高校の先生を辞めてうちに来てくれた」
四葉がそう言うのを聞きながら森次陽子が生徒一人一人に話しかけるのを見ていた。
「高校の生徒は春高バレーに出るとかがゴールじゃないと私は思っているんですよ。むしろ高校を卒業したときが人生のスタートだと」
「というと」
「森次みたいに夢を変更することもある。でも、そんなことは誰でも人生でよくあることだよね。好木さんも新聞記者になろうと思っていたとか」
「ええ、そうです」
「レギュラー選手で白鳥大学に行きたいっていう選手は少ない。でもたまにいる。それを受け入れてくれないと高大接続なんて話にならない」
四葉は高校バレー界で「カリスマ闘将」「真の教育者」という評判が全国に広まるようになった。一方、元全日本のレギュラーだった田口博史の知名度はそれに引けを取らなかった。同じ法人なのに田口はいつしか四葉をライバル視して、今では二人の間で会話はないと聞いた。バレーの内部進学はゼロになっていた。
この状況に心を痛めた海野は、四年前には田口に白鳥高校の生徒を受け入れるように頼んだ。しかし、田口が受け入れたのはレギュラー選手ではなかった。キャップテンでレギュラーだった選手を四葉は英都学院大学に送ったのだ。
「生徒が行きたいって言うんでね。英都学院大学には経済学部なんかもあるしね。大きい大学は知名度もあるし、希望者は多いんだよ。生徒の将来だから、本人の希望が一番だからね」
そんな女子バレー部の試合を海野が好木に応援に行ったらどうかと言ったのだった。
ホームゲームがあったので、その試合を一人で見に行った。
試合会場では選手の写真と出身校などが載っている選手名鑑みたいな冊子を売っていた。千円だった。それを一部買った。
会場に入るともう試合は始まっていた。
遠くに海野と赤井の姿が見えた。海野の大きな声はコートのこちら側にまで聞こえた。
私はコートのこちら側に座って、選手名鑑の白鳥大学の見開きページを見ていると、ひとりの進学校からの選手がいた。
よく見ると見たことのある顔だった。
山口玲華。中部地方の進学校の出身だった。
ああ、この子、入学していたんだ、と私は思った。
4年前の12月だった。その頃、白鳥大学では一般入試直前のオープンキャンパスをその時期に開催していた。
私は他課からの応援で進学相談の席にいた。
一人の女子生徒が私の前に座った。
彼女は進学校でバレーボールのセッターをしていて推薦入試を受けられなかったと言った。
「今から受けられる大学で、建築士の勉強が出来て、バレーボールができるところを探したんです」
山口玲華はそう言った。
「そしたら白鳥大学があったんです。だから今日は長野から来ました」
「へえ~、そう。それは遠くからありがとう」
山口玲華といろいろ話した。両親は自分の思うように好きにすればいいと言ってくれていること。国立大学も受けるのでセンター試験利用の試験を受けようと思っていること。
「でも、センター試験利用は競争倍率が高いよ。三科目の一般試験で受けたら?」
と私が言うと、ニコッと笑って、うんうんと一人で頷き、
「じゃあ、考えます」
と言った。
隣にいた企画課長補佐の村中伸吾が、
「入学するはずないですよね。まず、センター試験利用なんて本気じゃないでしょ」
と言った。
「それもそうだね」
と私は村中の意見に同意した。
でも、山口玲華は白鳥大学に入学していた。
女子バレーボール部でスポーツ推薦でなく、レギュラーになっているのは山口玲華だけだった。それもエースのセッターになっていた。
私の隣で熱心に試合を見て、
「玲華ちゃ~ん。頑張れ!」
と声援を送る中年の女性がいた。
たぶん母親かこっちにいる親戚だろうと思って声を掛けた。
「玲華ちゃんのお知り合いのかたですか?」
「ええ、母親です」
「えっ、そうですか。玲華ちゃんなんて呼んですみません」
「いえいえ」
その母親と話すと、自動車で5時間掛けて山口玲華の応援に来ていると言う。
試合は小久保紗代というエース・アタッカーが次々とスパイクを決めていた。
山口がトスを小久保に集めていた。
どんな体勢でも山口は正確なトスを小久保に上げた。選手名鑑を見ると小久保は内部進学で山口玲華と同じ4年生だとわかった。
試合はセットカウント3-0で勝った。完勝だった。
試合が終わってから、玲華の母親と少し話をした。
母親からこの学科を作ってくれて、バレーボールをさせてくれて感謝していると礼を言われた。
都市環境デザイン学科というネーミング、一級建築士の資格をとれるカリキュラム。それは私の発案だった。自分の考えた構想が自分の知らない幸せを生んでいるんだと思った。
試合後、玲華が母親のところに来た。
「この人が玲華のことを覚えているって」
と母親が娘に言った。
玲華は首をかしげて、「はてな」のマークが頭に見えたような気がした。そりゃ忘れているだろうと思った。でも、やがて思い出したように、
「ああ、オーキャンで相談した人!」
と言った。
「進路は決まったの? 建築関係の会社?」
「いえ、四年間勉強してみて、私、設計に向いていないのがわかったんです。それより接客の方が好きなのに気づいたんです。それでホテルに就職を決めたんです」
「もう、バレーはやらないの?」
「いいえ、それがこのホテル、女子バレーのチームがあって、V2リーグ昇格を目指しているんです。社長さんに声を掛けてもらったんです。社長はバレーの監督さんなんです」
「へえ、そう。よかったね。頑張ってね」
私が関係した世界で方向転換を決める学生もいる。私は職員として芝居の稽古場を作っているようなものなのかもしれない。そこで、演じる練習をしているうちに歌を歌ったり、漫才をしたりしてその道の方が向いていることに気づく学生もいる。
翌日、海野の部屋で、海野、赤井と話をした。
通信教育課程が開設されてからも、私は企画課長と通信教育課長を兼務していた。
その頃、企画課と通信教育課の事務室はキャンパスの端と端くらいに離れて位置していた。その間を行き来するとき、私が階段を上ると肺に穴が開いたようなスースーという音がした。
「兼務を解いていただきたいんです」
海野も赤井も黙っていた。
「通信教育課程で定員の半分しか集まらなかったのは私の責任です。事前のインターネット調査では定員の二倍集まるということでした。実際にやってみるとバナー広告もリスティングも有効ではありませんでした。だから通信教育課の仕事に専念したいんです。」
「で、どうすればいいと好木さんは思ってるの?」
海野が私にそう聞いた。
「絶対これだというものはまだわかりません。でも、まずコンテンツを完成させないといけないし、プログラムもバグが多くて安定していません。受講生からのクレームが毎日あります」
「ところで、あなたご飯を食べているの?」
赤井がそう聞いた。
「えっ、どうしてですか?」と私。
「いや、ずいぶん痩せたような気がするから。でも、そのほうが若い頃みたいで格好はいいけど。ぶくぶくしているよりはいいわ」
と少し笑った。
「それに誰かしっかり運営できる職員を回してほしいんです」
私がそう言うと、
「定員割れの通信教育に人を増やせというの?」
と海野が言った。
「学生が集まらなかったのは私の責任です。でもそれはこんなに難しい事業だと思っていなかったからです。心理専門職の国家資格の審議が国会で流れたのも痛かった。でも、なんとか立て直すか、閉じるかを判断しないといけないと思っています」
もともと2012年に心理学科で通信教育を始めようと考えたのは、心理職の国家資格化が国会で成立する予定だったからだ。五つの心理関係の団体が結束して上程に努力をした。しかし、国会に上程されなかった。それは国会が政治もないで揉めていたのと、医師の団体がその法案に反対していたからだ。看護師や救急救命士でもそうだが、医師はそれまで独占していた業務を他の職種にも開放するのを嫌う。
「閉じる?」
海野は私が事業の廃止に触れたので驚いたみたいだった。
赤井はそれを無視して、
「で、誰がほしいの?」
と言った。
「藤崎です」と私は言った。
「藤崎? なんで彼を通信教育課なんかに持って行かないといけないの?」と海野。
「藤崎は優秀な職員です。私が推薦して、海野局長の評価は最初低かったと思います。でも彼は半年で海野局長の評価も変えました」
藤崎敏郎は有名な高校、大学時代とエスカレーター式に進学し、野球部に属していた。大学卒業後、証券会社に就職したが、なんと就職した年に倒産した。大規模な会社の倒産は当時社会問題になった。藤崎は債権者400人を相手に謝罪し、説明をさせられた。先輩たちがビビって、その仕事から逃げたからだ。会場は怒号の嵐だったらしい。藤崎は清算に目途が付いたところで、証券会社を去り、広告代理店に移った。そこで地方のテーマパークを相手に営業の仕事をしていた。学校法人もクライアントの一部だった。
そのときに私と出会った。私はクライアント側だったのだ。彼の誠実な姿勢、貪欲な営業力はすぐにわかった。
海野と赤井が誰かいい人はいないかと私に言ったときに、思い浮かぶのは藤崎しかいなかった。河浜理事長は藤崎のことがたいそう気に入ったみたいだった。それを快く思わなかったのは大学事務局長の海野だった。その頃から海野は河浜が将来ビジョンすら示さないことを小西元学長と同じように批判していた。
それで海野は藤崎の採用に反対したのだが、赤井が私の推薦だからと採用のために海野を説得したらしい。赤井も私と同じように藤崎のことを評価していた。
「私は今でも河浜理事長に取り入って採用された藤崎のことなんか評価していないわよ」
と海野が言うので、
「でも、周年事業の時、藤崎のことを『あんな優秀な職員を見たことがない』って言っていましたよね」
「そ、それは、あのときはそういったかもしれないけど、あの時だけよ。でも藤崎ほどの職員が通信教育課に要るの? 岡田がいるじゃない?」
「岡田も優秀です。でも、通信教育課は通信教育の学生の入学から卒業まで面倒をみないといけません。それにうちは退学率を減らそうとあらゆることをしています。課内の運営もやらないといけないし、学生募集も立て直さないといけない。二人のしっかりした職員が必要なんです」
私はそう言ったが、本当は私がうつ病で役に立たないことが一番問題だった。でもそれは言わなかった。いや、この二人には口が裂けても言えないと思った。
「まあ、言いたいことは聞いた。赤井さんと相談するわ」
海野がそう言うと、私は「お願いします」と礼をして部屋を出た。
どういう相談があったのかは知らないが、二人は私の言うことをすべて聞いてくれた。
藤崎は翌月から、通信教育課へ異動になった。
通信教育課の事務室で藤崎と会ったとき、
「何も知らないですけど、お願いします」
と藤崎は挨拶をした。
「いや、君がいてくれるだけで安心だ」
と私は言った。
それは正直な気持ちだった。藤崎は私の紹介で白鳥学園に就職したが、いっしょに飲みに行くこともほとんどなかった。
「いえ、私は好木課長に拾われた恩がありますから」
と藤崎は言った。
恩? 最終面接に来なかった阿久津祐介が言った言葉だ。「平田淳三学長に拾われた恩がありますから」と阿久津は言っていた。
「いや、その恩なら藤崎さんはもう仕事で返してくれているよ。もう恩はない」
私はそう言った。
兼務から通信教育課の課長に専念すると申し出たことを中学校・高等学校の事務長の佐久間幸治に言った。
佐久間は2005年の改革の時、教務課長をしていた。
明央大学との合併のときには事後処理でいっしょに明央大学に行ったことがある。佐久間は明央大学で私の一年先輩だった。
「どうしてそんなもったいないことをするんだ」
佐久間はそう言った。
「もったいないって?」と私。
「企画課は法人組織の中核じゃないか。通信教育課って端っこの組織だろ。中学校・高等学校の事務所と同じ。まだ中高の事務長は法人事務局会議のメンバーだ。通信教育課は法人の管理部門でもない。力がない課だ。むしろ通信教育課の課長を誰かに任せればいい」
佐久間は2005年改革の時、いっしょに残務処理で明央大学に行った仲だ。明央大学は合併が早すぎるので様子をみようという体のいい断り方をした。様子を見ようと言って提示したのは明央大学の海外連携校を紹介することだけだった。
佐久間は海野と赤井と折り合いが悪かった。それで中高の事務長にさせられるんだと内示があったときに佐久間は私に言った。
私は佐久間が大学に必要だと思ったので、海野と赤井に佐久間の異動を止めてくれるように掛け合ったことがあった。
「あなたは何もわかっていない」
そのとき海野がそう言った。
「あなたには見えない世界があるみたいね」
赤井はそんな意味ありげなことを言った。
でも、明央大学で合併の残務処理をした帰りに、私は佐久間とJRの駅のホームでこういう会話をした。
「海野局長と赤井局長がいなくなったら。我々がその役割を担わないといけない。佐久間課長は法人事務局長か大学事務局長のどっちの仕事をしたい?」
と私が聞いた。佐久間は少し考えて、
「そんなこと考えられない」
と言った。
「海野さんと赤井さんがいなくなると、そのときはわれわれ二人がその役割を担わないといけないと思う。私はどっちでもいい」
と私はもう一度言った。
佐久間は答えなかった。
その佐久間は私が企画課の課長との兼務を辞めて、通信教育課の課長に専念することを中核でないのでもったいないと言っている。
「通信教育課の大幅な定員割れは私の見込みの甘さだ。その責任を負うことは当然だと思っている」
私がそう言うと、佐久間はそれ以上何も言わなかった。
********
その頃、大学女子バレーボールの一部リーグで白鳥大学が健闘していた。白鳥大学は前シーズンで不調だった。二部降格の恐れがあった。それを最終試合でようやく勝ち残ったのだ。今シーズンは二部リーグから勝ち上がった 一校の一つ上の順位、つまり下から二番目の出発だった。
今シーズンは中盤過ぎまで三校が全勝で優勝争いを演じていた。
その三校とは、明央大学、英都学院大学となんと白鳥大学だったのだ。
この三つ巴の戦いとともに地方紙では「白鳥高校出身選手のエース対決」という見出しでスポーツ欄に特集記事が載った。
白鳥大学のエースである小久保紗代は白鳥高校では新庄有美の陰に隠れていた存在だったと書かれていた。
一方、白鳥高校のエースだった新庄有美は英都学院大学にスポーツ推薦で進学し、大学でもエースになっていた。そのどちらもがそれぞれの大学でエース・アタッカーになり、しかもどちらもキャップテンだった。
シーズンはあと二試合を残していた。
英都学院大学との最終試合の一週間前に、明央大学との試合があった。
明央大学と白鳥大学の試合はほぼ互角の戦いだった。
セットカウント2-2で、最終セットまでもつれ込んだ。
海野が大きな声で応援していた。
「コクボ、コクボ、コクボ」
それに合わせるように白鳥大学の控えの選手たちが「コクボ」コールを始めた。
コクボを呼ぶ声は大きく、広がった。
山口玲華はできるだけ小久保紗代にトスを集めた。
でも、ときにはフェイクとして紗代を使った。
巧みな玲華のトスワークは光っていた。
玲華と紗代だけでなく、チームのみんなが明央大学のようなマンモス大学には負けないのだという気迫がみなぎっているようだった。
フルセットの最後の得点は玲華がトスを上げて、紗代が決めた。
明央大学に勝った。
海野が「オーッ」という声を上げた。
いや、その前に声を上げたのは私だった。審判が得点を告げる前から私は「オオーッ」と声を張り上げていた。
「いいぞー、ヤマグチー」
私がそう言うと、
「あの子は小久保でしょ」と隣にいた海野が言った。
「トスを上げたのが山口、山口玲華です」
と私は言って、コートのメンバーに拍手を送った。
「明央大学に勝つなんて夢みたいね。あの憎き明央にね」
海野はあの合併の失敗のことを言っているのだろう。私もあのときの応接室のことを思い出した。あの屈辱を決して忘れたことはなかった。
翌週の最終戦は英都学院大学と白鳥大学の全勝対決だった。
地方紙に白鳥高校卒業生の対決と書かれたこともあって、両チームの応援以外の人も大勢集まった。英都学院大学の会場は満員だった。
最初のセットは英都学院に取られた。
優勝がかかっている試合なので、みんなが堅くなっているようだった。
それにエースの小久保が前の試合をフルセットで出たときに、最終セットで足を痛めて、控えに回っていた。足には白いサポーターがぐるぐる巻かれていた。
次のセットもあっけなく取られた。
後がなくなった。
三セット目で田口監督は小久保をコートに送った。
ああ、小久保が出るんだと私は勝利へのかすかな期待を持った。
そのとき誰かが、小久保コールを始めた。
「コクボ、コクボ、コクボ、コクボ」
海野も赤井も声を上げていた。
私も声が枯れるほどの大声で小久保の名前を呼んでいた。
大きな声を出すと、アドレナリンか何か物質が分泌されるのか、興奮してきた。自分がうつ病だったのを忘れるようだった。
小久保紗代は高校時代控えの選手だった。英都学院に進学した新庄有美の陰に隠れ、注目されることはなかった。でも今はこの会場で一番人気があるのが小久保だった。
敗者復活。
挫折した経験のある誰もが小久保紗代に自分を重ねているのだろう。敗者復活をして、勝ってほしい。そう願う人たちが小久保に声援を送っていた。
英都学院大学は私が関わった二つ目の合併で失敗した法人だった。先方の教授会の代表である複数の理事が反対したのだ。でも、明央大学の時ほど屈辱に思うことはなかった。英都学院大学都の合併は卒業生である海野事務局長が主導したことだったし、先方の窓口だった学長室の小畠課長は献身的に働いてくれた。恨みはまったくない。むしろこの失敗でクリスチャンでない小畠の評価が下がることにならないか心配になったくらいだ。
会場は白鳥大学のエース、「コクボ」コールで一色になった。
第三セットは、白鳥大学のエース・小久保紗代と英都学院大学のエース・新庄有美とのスパイクの打ち合いになった。山口玲華が正確なトスを上げると、小久保紗代が重いスパイクを打った。コートにドーンという音が響いた。
英都学院の新庄有美はクイックや時間差のアタックを決めていた。スパイクの力は小久保が優っているように思えたが、アタックの技術は新庄が優れているように見えた。
第三セット、第四セットも接戦だったがどちらも白鳥大学がリードして二セットを取った。2-2のイーブンとなり、最終セットになった。
白鳥大学はコートの外で円陣を組んでいた。
キャップテンの小久保がかけ声を掛けて、「オッー」という声をみんなが返して、ハイタッチをしていた。
第五セットも一点取ったら相手がまた一点を取り返す展開になった。
英都学院が14点目をとった。14-13 になった。
相手がサーブをミスして、14-14のデュースになった。
小久保がアタックを打った。
コートの隅に決まった。
14-15で白鳥大学が一点リードした。
あと一点だ。
今度は新庄有美がアタックを決めた。
またデュースになった。
そんなことが三度ほど続いた。
また英都学院がリードした。
英都学院のサーブを白鳥の選手がレシーブして、玲華がトスを紗代に上げた。
紗代のアタックを英都側の二人にブロックされた。ボールがブロックの手の端に当たった。ブロックに当たったボールが、そのままネットの上をスルスルスルと滑っていった。
そして相手のコートのほうにポトリと落ちた。
一瞬、会場が静まった。
ボールは英都学院側に落ちた。
でも、落ちたのはコートのラインのわずかに外側だった。
審判が英都学院側のポイントだと手で告げた。
ネットのこちら側は落胆のため息、向こう側では一気に歓声が上がった。
試合が終わった。
負けた。
選手たちが握手をしてコートの外に出た。
「ごめん、玲華」と小久保紗代が山口玲華に詫びているようだった。声は聞こえなかったが、そういう口の動きに見えた。
「なんで泣くのよ。最下位から準優勝できたのよ」
紗代はただ、え~んと泣いている。
「あなたのスパイクでここまで勝ってきたのよ」
と玲華が紗代に言った。いやそう聞こえたような気がした。
玲華の顔も涙でぐちゃぐちゃだった。
私の顔も涙でぐちゃぐちゃだった。
バレーボールの応援をしているときに、私が説明会で会った学生がセッターでレギュラーになっていた。進学校でバレーをしていて推薦入試を受けられなかった玲華。建築が学べ、バレーボールができるところで探した白鳥大学。センター試験利用で入学した。そんな偶然が本当にあるのだ。
スポーツ推薦でなく入部して、レギュラーなのは玲華だけだった。自動車で5時間掛けて玲華の応援に来ている母親。これらすべてに私も関わっている。この世界を作った一人に私もいるのだ。
通信教育の学生募集で私は失敗した。いやこの事業は続けられないかもしれない。でも失敗にも成功にも私は関わっている。私は失敗しているだけではない。この世界を作り上げた一人であり、欠くことのできない存在なのかもしれない。
抗うつ剤の薬はまだ服用している。
薬のせいで世界がぼんやり見えるときがある。
でも、この世界、今、ここのこのぼんやりした世界のなかで自分は生きているのだ。確かにここで生きている。
そのことを山口玲華や小久保紗代が教えてくれた。
試合後、白鳥高校のバレー部の監督、四葉誠司と目が合った。四葉もこの試合を見に来ていたのだ。
私は四葉に挨拶した。
「見てくれてたんですね」
と私は話しかけた。
「ああ、でもどっちを応援していいのか難しかったですよ」
と言って四葉は嬉しそうに笑った。
「どうしてですか? 白鳥大学に決まっているでしょ」
私がそう言って笑うと、
「いや、小久保紗代も新庄有美も私の教え子だからね。どちらも成長した。高校の時とまったく違う」
と四葉が答えた。
「ああ、四葉さんにとっては、どちらも教え子なのか」と私。
「ええ、そうです。でも、いつかの好木さんとの約束、これでちょっと果たせましたね」
四葉は、あの約束を覚えていてくれている。高校と大学で学園を再建しようという約束を。
「ええ、覚えていただいてたんですね。ありがとうございます」
と四葉の手を両手で握った。
まるで勝者の監督を祝うように握手した。
教え子が成長していることを四葉は喜んでいる。どの大学に所属していようとそれは変わらないのだろう。四葉が「カリスマ闘将」と呼ばれるより「真の教育者」と呼ばれることの方が多くなったのがわかる気がした。
*****
次の日、私は赤井法人事務局長の部屋に呼ばれた。
海野大学事務局もいっしょにいた。
「どうして呼ばれたかわかる?」
「いえ」と私は言った。
「あなたが私の後の法人事務局長になるのよ。理事にもね」
赤井はそう言った。
海野も私を見ていた。
「えっ、私がですか?」を私は言った。
「ええ、大学事務局長には初田凡児がなる」
初田と私は文化共生学部の偏差値のことで対立し、それから一言も言葉を交わしていない。
「でも初田さんは私より八歳も歳上です。他にも歳上の人たちがいます」と私は言った。
「初田さんは支えるって言っているわ」と海野が言った。
本当なら喜ばないといけない場面だ。
でも、人生で最低の健康状態の時の異動命令だった。
海野と赤井は去る。
八人の先輩たちが私の部下になるということだ。
その夜、私は精神科の森村伸太に会った。
助言を聞くためだった。
森村は静かに言った。
「その異動命令を受けるべきではない。むしろ今あなたは仕事を休むべきだ」
「でも、法人事務局長が仕事を休むわけにはいきません」
「だから受けないことですよ」
私は黙っていた。
どうすべきなのか、わからなかった。
妻の呂美に相談したかった。
呂美はもういない。
「いえ、それはできない。命じられた職務をやってみます。やってみて、死にたくなったら、退職します」
私はそう言った。
森村は困った顔をして私をじっと見た。
「そうですか。あなたは私が言っても聞かないでしょうからね。でも約束ですよ。死にたいと思ったら仕事を辞めるんです。それだけは守ってください」
森村はそう言うと少し笑った。
水晶玉は出さなかった。
*****
その日から数日後の日曜日だった。
突然スマホが鳴った。
着信拒否になっていた妻のミーロの電話番号からだった。
私は受信をオンにした。
「もしもし」
「あたし」
妻はそう言った。
「えっ、どうしたの?」
「ちょっと会えないかと思って」
「会う?」
「ええ、どこか外で」
私は近くのイタリアン・レストランで会う約束をした。
慌てて車のドアを開けてキーの操作をした。
するとどこかを触ったらしく、大きな警報が鳴り出した。
私はまた慌てて、ダッシュボードを開けて、ディーラーの電話番号を探した。
近所の家のベランダには「何事か?」と思う人が出てきていた。
私は車と私の鼻を指さし、この車は自分のものですとアピールした。
ディーラーに電話がつながった。
「これ、どうやって止めるんですか?」
大きな警報ブザーが鳴っているなかで私はディーラーにそう聞いた。
ディーラーが言うとおりにすると、すぐに警報は止まった。
「私、考えたの」
イタリアン・レストランにミーロは私より少し遅れてきた。そしてそう言った。
「うん、何を」
私はミーロが離婚を申し出るのを半分覚悟していた。
するとミーロはこう言った。
「また、いっしょに暮らせないかと思って」
「えっ、ま、またって、私といっしょに」
「ええ、そう」
その後、どんな話をしたのかよく覚えていない。
でも、別れてもミーロの面倒を見るつもりだということは説明したように思う。法人事務局長という事務のトップになることも言ったのだろう。
これは現実なのか? それとも抗うつ剤の副作用の幻影なのかわからなかった。
私は腕時計を見た。
時計の秒針が正確に時を刻んでいた。
やっぱり現実のようだ。
妻と復縁できる。
この事実を理解する頭が私の体から少し遅れて付いてきている感じだった。
それから日曜ごとにミーロとデートした。
二人でボートに乗るために中央自動車道を通って30分くらいで記念公園にも行った。動物園に行きたかったが、近くになかったので八王子水族館に行った。
ミーロと一緒ならどこでもよかった。
水族館を出たときに、
「楽しいね」
と私が言ったら、ミーロは、
「そう? 私はよくわからない」
と答えた。
手をつなごうかと思って手に触れた。
ちょっと手をつないでいた。誰かが来たので、なぜかお互い手を離した。
ミーロの手は冷たかった。指先は細かった。
ミーロの体に触れたのはいつ振りだろうか?
もう覚えていなかった。
結婚する前、付き合って初めてのデートは上野動物園だった。
それは覚えている。
レモンとモモといっしょに公園に行ったときは、それぞれのリードを持ちながら、当たり前のように手をつないで歩いていた。
水族館で手をつないだとき、二人のあとにはレモンとモモがいるような気配がして振り返った。
そこにはどこかの犬がいた。
ゴールデン・レトリーバーのレモンではなく、どこかのラブラドール・レトリーバーだった。トイプードルもモモではなく、どこかのミニチュア・シュナウツァーだった。ミニチュア・シュナウツァーはドイツで生まれた犬種だ。
昔、ドイツの哲学者が「超人」について書いていた。その話のなかでは、超人とは神ではない。人間の限界まで挑戦することができる人のことだった。つらい人生を経験して、もうこんな人生を二度と経験したくないと思う人ではない。もう一度、その人生を繰り返してもよいと思える人、それが超人だとか。
私はスーパー大学職員になりたかった。誰よりも優れた職員になりたかった。それは神のような職員という意味ではない。学生の成長とそれに教職員が尽くす大学を作る職員だ。一人ひとりの学生や教職員、卒業生を大切にする職員だ。
私は私の能力を超える経験をして心を病んでしまった。でも命はつながった。もう一度同じ経験をしたらどうするか?
また、繰り返せばいいのだ。医者のいうことを聞き、医者が言うよりもっと早く戻りたいと思うなら、薬をカッターで少しずつ切って、こんなふうに戻ってくればいいのだ。でも、また病気になったらどうするか? また繰り返せばいいのだ。それができれば超人なのだ。私の場合、それがスーパー大学職員だ。
社労士、行政書士、簿記、司法試験、MBA、私はこれまでいろんな勉強をして、いろんな経験をした。でも、一番役立っているのが、「うつ体験」「うつからの生還」だろう。
この体験によって、職員のどん底の状態から最善の健康状態のレベルまでわかるようになった。法人事務局長になってから、メンタル不全になった職員には私が直接主治医と話をして生還させることを何度か経験した。ひとりも見捨てない。そういう気持ちで仕事をすることができる。実際にはすべては救えない。戻ってこられずに退職する職員もいる。
でも大学職員、学校職員、教育に携わる職員として一番大切なのは、そういうふうに人を大切にすることだと思う。
MBAも荷物にはならないが、うつから生還したこと。それが何より私の誇りだ。でも、また仕事やプライベートで、同じようになるかもしれない。そのときにも、同じように薬を処方してもらい、主治医に隠れて薬をカッターナイフで切って、戻る努力をすればいい。そう開き直っている。
一ヶ月後、私はミーロのマンションに引っ越した。
マンションは前に住んでいたところと同じだったが、二つ隣の部屋にした。
そこの方が新しくて少し広かったからだ。
引っ越しの荷物をまとめるときにミーロは私が一人暮らしをしているアパートに来た。
部屋に入るなり、「まるでゴミ屋敷ね」と言った。
「ゴミ屋敷は大げさだよ。これでも週一回は掃除をしていたから」
と私は言った。
「私がいなきゃダメね」
ミーロが言った。
「ああ、そう。その通り」
と私が言った。
いっしょに暮らして三ヶ月が過ぎた。
海野も赤井も退職した。
法人事務局長になると、自分で自分のスケジュールが決められるので少し楽になった。
抗うつ剤は予定通り、九か月ちょうどで止めた。カッターで少しずつ切っていった。薬が無くてもちゃんと眠れるようになった。薬を勝手に切り刻んだことは森本医師には言わなかった。
一年以上別居していて、離婚する夫婦は八割以上だとミーロの女性弁護士は言った。
確かにそれが世間の常識なのだろう。
統計的にはそうなのだろう。
でも、統計には例外の数値もある。
統計的には八割が当たり前でも、私にとって統計はいつもそれが実現するかしないかにすぎない。成功確率、失敗確率は私にとってはいつも五割なのだ。でも十割成功すると信じて努力する。バレーボールで勝つと信じて誰もがプレーするのと同じだ。それが大事なのだ。
仕事では相変わらずいろいろある。それも予想していたことだ。
夜遅く家に帰ると、妻のミーロはもう寝ている。
静かな家。ときどき玄関にレモンとモモがトコトコトコトコとやってくる。そして私に飛びつく。
「こら、ママに叱られるぞ」
そう言ってもレモンは飛びついて、私は立っていられなくなり、廊下に寝転ぶ。
倒れた私のお腹にモモが乗っかる。
「こら、止めろ、モモ」
と私は笑いながらモモを叱る。
レモンは私の顔をぺろぺろ舐める。
そのうちモモも一緒になって私の顔を舐める。
「こら、こら、止めてくれ~」
レモンとモモは幻想なのだろう。
でも私には見える。
たぶんミーロにも見えている。
でも、ミーロはもうそんな遊びはしない。
もう一度、生まれてきたらまたミーロとレモンとモモに会いたい。
ほんの一瞬でいい。
こんな幸せなときがあればそれでいい。
それがあれば生きてよかったと思える。
レモンとモモの幻想が消えて、私は玄関の廊下に仰向けに寝たままで一人、天井を見る。
小さな天井灯が光っている。
一生で一瞬だけでもいい。
夢のような思い出。
それだけでいい。
******
私が法人事務局長と理事に就任したとき、白鳥大学は共学前の学生数の二・五倍になっていた。志願者数は五倍になっていた。
その後、私はその学校法人に13年間いることになる。
超人を続けられたのかどうか?
その話はまた今度。
< 完 >