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【質問箱リクエスト】アナ雪2に見る「めちゃくちゃな和訳」の正体:なぜ“Into the Unknown”は「心のままに」になったのか

    #0. 「めちゃくちゃな和訳」について書いてほしいといただいた

    先日、質問箱にこんなリクエストをいただいた。

    『アナと雪の女王2』の中でエルサが歌う“Into the Unknown”の、日本語版と英語版の違いを解説してほしいという内容。

    しかも質問には

    「英語が苦手な私にも分かるように」

    とある。これはなかなか責任重大。

    そして、もうひとつ大事な点。
    日本語版歌詞について、

    「和訳がめちゃくちゃと噂を聞いた」

    とあった。

    なるほど。確かに英語詞と日本語詞を並べてみると「いやいや、全然違うこと言ってるやん」という場所は大量にある。

    そもそもタイトルからして

    Into the Unknown
    ↓
    心のままに

    なのだから。

    英語タイトルを直訳すれば「未知なるものへ」「未知の世界へ」といったところ。

    unknown の「未」の意味すら残っていない。めちゃくちゃと言いたくなる気持ちはよく分かる。

    ただ、私自身は「めちゃくちゃ」という評価は、少々辛すぎる気もしている。

    なぜなら、これは文章の翻訳ではないから。なんせ歌だ。歌には「正しく訳せばいい」では済まされない、とんでもなく面倒くさい制約がある。

    ---

    #1. 英語の歌を日本語にすると、ほぼ100%の確率で全部入らない

    外国語の歌を日本語にする場合、意味だけを考えることはできない。同じメロディに収めなければならない。場合によってはキャラクターの口の動きも意識する必要さえある。

    さらにディズニー作品なら、子どもにも理解できる言葉でなければならないし、キャラクターの感情や物語も伝えなければならない。

    つまり、

    ●意味
    ●メロディ
    ●リズム
    ●キャラクター
    ●演技
    ●リップシンク
    ●分かりやすさ

    あたりを、全部同時に成立させなければならない。うん、無理ゲー。

    英語から日本語への歌詞翻訳には、もうひとつ厄介な問題がある。日本語は、同じ意味を表現しようとすると必要な「拍」が多くなりやすい。

    ここで少しだけ、言語学っぽい話をしたい。

    ---

    #2. “my friend”を日本語にすると、友達が消える

    たとえば英語で

    my friend

    と言ってみる、とする。

    my / friend。
    大ざっぱに言えば2音節(パンパンと手拍子を2回したら、その手拍子に収まるくらいの短さで発音できる、と考えると分かりやすいかも)。

    では、これを日本語にしてみよう。

    ぼくのともだち

    ぼ・く・の・と・も・だ・ち。
    7モーラ(拍)である。

    所有を表す「ぼくの」を諦めれば、

    ともだち

    と・も・だ・ち。
    それでも4モーラ。

    仮に英語の my friend が置かれている短いメロディに、日本語も2拍程度で押し込まなければならないとしたら、

    と・も

    くらいまで削ることになる。友達であることを示す限界ギリギリ。文脈によっては友達のことを言っていると認識できないかも。

    もちろん厳密には、英語の「音節(syllable)」と日本語の「モーラ(mora)」は同じ単位ではない。実際の歌では母音を伸ばしたり、ひとつの音節に複数の音符を割り当てたりできる。
    よって、「英語の2音節 = 日本語の2モーラ」という単純な話でもない。

    ここではあくまで、同じメロディに言葉を載せるとき、英語と日本語では必要な音の量がだいぶ違う、というイメージとして考えてほしい。

    要するに、

    原詞の情報を全部残す
    ↓
    日本語にする
    ↓
    メロディに入りきらない

    ということが普通に起こる。

    そこで歌詞の翻訳者は恐ろしい選択を迫られる。
    「何を捨てるか」である。

    ---

    #3. 『線路は続くよどこまでも』では、誰も働いていない

    この問題を示すにあたり、非常に分かりやすい日本語の歌詞の例がある。

    『線路は続くよどこまでも』だ。
    誰もが知っているだろう、

    線路は続くよー
    どーこまでーもー

    から始まる、あの歌。英語の原詞は、

    I've been workin' on the railroad
    All the live long day

    かなり素直に訳すなら「朝から晩まで、ずっと線路の上で働いている」くらいの意味になる。

    ところが日本語版では、

    線路は続くよー
    どーこまでーもー

    誰も働いていない。
    労働者が消えた。
    労働も消えた。
    一日中働いているという情報も消えた。

    残ったのは線路だけである。

    文の翻訳として採点したら十中八九赤点だろう。しかし私たちはこれを「誤訳」とは感じない。

    日本語版では、原曲の労働歌的な内容から離れ、日本の子どもたちが歌える唱歌として作り直されているからだ。

    ここに歌詞翻訳の面白さがある。原詞の情報を全部運べないなら、「この歌を聴いた人に、何を感じてほしいのか」を選び直さなければならない。

    翻訳とは足し算だけではない。
    時には、かなり大胆な引き算を要求される。

    では、この前提で “Into the Unknown” を見てみよう。全文だとディズニー様が怖いので、重要な部分をピックアップする形で書いてみた。

    ---

    #4. 「いつもの生活を続けたい」が消えた

    まず序盤。英語詞では、エルサは謎の声に対してかなり抵抗している。

    ●英語詞
    There's a thousand reasons I should go about my day
    And ignore your whispers, which I wish would go away

    ●忠実に訳すなら
    私にはいつも通り一日を過ごすべき理由が山ほどある
    あなたの囁きなんて無視して、消えてしまえばいいと思ってる

    ●日本語詞
    目を覚ませ 起きると
    どこかで呼ぶ 謎めいた声
    無視をすれば 消えてゆくのか

    ここで原詞のエルサが歌っているのは、単に「変な声が聞こえる」ということではない「今の生活を守りたい」というニュアンスが強い。

    私はここにいて、私の日常がある。だから、わざわざ未知の何かについていく理由なんてない。

    英語の原詞には「日常 vs 未知」という対立がある。ところが日本語版では、「いつも通り一日を過ごすべき理由が山ほどある」という情報が丸ごと落ち、「謎めいた声が聞こえている」という状況説明へ圧縮されている。

    既になかなかの乖離が生じている。

    ---

    #5. 英語のエルサは、日本語版よりちょっと往生際が悪い

    続く箇所も面白い。

    ●英語詞
    You're not a voice, you're just a ringing in my ear
    And if I heard you — which I don't — I'm spoken for, I fear

    ●忠実に訳すなら
    あなたは声なんかじゃない、ただ耳鳴りがしてるだけ
    それに、もし聞こえていたとしても ― 聞こえてないけれど ―
    私にはもう大切にすべき人たちがいるから、応えられない

    ●日本語詞
    どうかしてるわ 空耳よ きっと
    だまされるはずがない
    聞く気はないわ

    私はここに関しては、英語版のほうが人間臭くて好きだ。特に

    which I don't

    の部分。「もし聞こえていたとしても……いや、聞こえてないけどね!あー全然聞こえてないわーー!」とわざわざ挟む。めちゃくちゃ聞こえている人の言い方である。気になって仕方がないからこそ、必死で否定している。

    一方、日本語版では、

    だまされるはずがない
    聞く気はないわ

    かなり毅然としている。

    つまり、原詞の「動揺している自分を必死で説得するエルサ」から「誘惑をきっぱり拒絶するエルサ」へ、キャラの見え方が少し変わっている。

    ---

    #6. 「失うのが怖い」が「危険はもう嫌」になる

    次もかなり重要な変更だ。

    ●英語詞
    I've had my adventure, I don't need something new
    I'm afraid of what I'm risking if I follow you

    ●忠実に訳すなら
    冒険ならもう経験した、新しいものなんて必要ない
    あなたについて行ったら何を失うことになるのか、それが怖い

    ●日本語詞
    危険をおかすこと 二度としないわ
    冒険にはもう うんざりしてる
    それでも あの声は求めてる

    ここで英語版のエルサが恐れているのは、単純な「危険」ではない。

    what I'm risking

    つまり「今持っているものを危険にさらすこと」を恐れている。

    家族。仲間。国。ようやく手に入れた居場所。未知へ踏み出せば、それらを失うかもしれない。だから怖い。それが日本語版では、

    危険をおかすこと 二度としないわ

    とかなりシンプルになっている。
    「今ある幸せを失いたくない」から「もう危険なことはしたくない」への圧縮。

    ところが、である。興味深いことに、日本語版は削っているだけではない。

    それでも あの声は求めてる

    という、原詞にはない心理説明のようなニュアンスを追加している。つまり細かな葛藤を削った代わりに、「怖い。でも心は行きたがっている」という、次のサビへ向かう感情を暗示している。

    ---

    #7. 「あなたは誰?」が「私を迎えに来たのね」になる

    中盤では、エルサが謎の声に興味を持ち始める。

    ●英語詞
    Or are you someone out there who's a little bit like me?
    Who knows deep down I'm not where I'm meant to be?

    ●忠実に訳すなら
    それとも、あなたはどこかにいる、少し私に似た誰かなの?
    心の奥では、私が本来いるべき場所にいないことを知っている誰かなの?

    ●日本語詞
    あなたは私に似た誰かなの?
    本当はここにいてはいけないと
    見つけに来いというのね

    前半はかなり近い。問題は後半。

    英語版では、「あなたも、私が本来いるべき場所にいないことを知っているの?」と尋ねている。
    まだ疑問なのだ。

    ところが日本語版では「だから私を見つけに来たのね」というところまで話が進む。

    謎の声には自分を呼び出す意図がある、とエルサ自身が解釈している。英語版が「問い」を残しているところを、日本語版は一歩先回りして答えらしきものを与えている。

    これも、日本語版の特徴を考えるうえで重要だと思う。曖昧さをそのまま保存するよりも「エルサがなぜ次の行動へ進むのか」を優先している。

    ---

    #8. 「力が強くなっている」が「みんなと違う」になる

    そして個人的に、最も面白い改変がここである。

    ●英語詞
    Every day's a little harder as I feel my power grow
    Don't you know there's part of me that longs to go

    ●忠実に訳すなら
    自分の力が強くなっていくのを感じるたび、毎日が少しずつ苦しくなる
    私の中に、行きたいと願っている部分があることを分かっているんでしょう

    ●日本語詞
    みんなと違うと
    感じてきたの
    だから 心が望むの

    情報だけ見るとかなり異なっている。
    英語版では

    my power grow

    とはっきり言っている。

    自分の力が強くなっている。
    そして力が増していくにつれて、現在の場所に留まり続けることが難しくなっている。

    ところが日本語版では、

    みんなと違うと
    感じてきたの

    になっている。
    「能力が増大している」という具体的な現象が、「私は周囲のみんなとは違う」という、分かりやすい「感情」へ変換されている。

    そして、

    there's part of me that longs to go
    (行きたいと願っている部分がある)

    も以下になっている。

    だから 心が望むの

    英語ではまだ「心の一部分」しかそう思っていないのに、日本語では「心全体がそう望んでいる」とも捉えられる言い切り。

    ここで、タイトルまで一本につながる。

    ---

    #9. なぜ“Into the Unknown”が『心のままに』になったのか

    冒頭でも述べた通り、原題は

    Into the Unknown

    である。直訳すれば

    未知なるものへ/未知の世界へ

    辺りだろう。
    つまり英語版タイトルが指しているのは行き先。外側にある未知。

    対して日本語版は、

    心のままに

    になっている。
    こちらが指しているのは行き先ではない。
    「なぜ進むのか」という内側の動機だ。

    英語版では、

    力が強くなる
    ↓
    今いる場所に違和感を覚える
    ↓
    未知の場所へ行きたい

    という心理が描かれている。
    一方、日本語版では、

    私はみんなと違う
    ↓
    本当の自分はここではない
    ↓
    心が外へ行くことを望んでいる

    よりシンプルな心理線に再構成されている。
    つまり、

    Into the Unknown=「どこへ行くか」
    心のままに=「なぜ行くか」

    なのだ。

    これは単にタイトルだけを大胆に意訳した結果ではない。歌詞全体の翻訳方針自体が、『心のままに』という方向へ改変されている。

    ---

    #10. 日本語版は「ネガティブな情報」をかなり捨てている

    ここまで比較すると、もうひとつ面白い傾向が見えてくる。

    英語のエルサは思った以上にウジウジしている。
    声なんて(聞こえてるけど)聞こえていない。
    聞こえていたとしても応えられない。
    今の生活を捨てたくない。
    何かを失うのが怖い。
    自分の力が増していくことも不安だ。

    もちろん最終的には未知へ向かうのだが、そこまでにかなり細かな葛藤が描かれている。原詞では「未知なる声に惹かれる自分」と「それを拒もうとする理性」が細かくせめぎ合っている。

    一方、日本語版では、そのネガティブな逡巡をかなり削っている。

    代わりに残っているのは、

    謎の声が私を呼んでいる
    ↓
    私はみんなと違う
    ↓
    心は外へ行くことを望んでいる
    ↓
    未知の旅へ踏み出す

    という、とても分かりやすい流れ。

    もちろん「日本の子ども向けだから、意図的にポジティブにした」と翻訳者の意図そのものを断定することはできない。

    ただ、完成した日本語詞を比較する限り、結果としてそんな構成になっているとは言えるだろう。

    英語版の複雑な自己否定や不安を少し薄めて「自分は人と違っていてもいい。心が望む場所へ踏み出そう」という、子どもにも掴みやすいメッセージを前面に出している。

    だから最後の、

    踏み出そう!

    まで非常にきれいにつながる。

    原詞の情報量を失った代わりに、日本語版独自の一本のメッセージを手に入れているのだ。

    ---

    #11. 翻訳とは「何を捨てるか」を決める仕事でもある

    さて、最初の質問に戻ろう。
    “Into the Unknown”の日本語版は「めちゃくちゃな和訳」なのか?

    辞書的な意味の対応だけを見れば、確かにめちゃくちゃだ。タイトルからして

    Into the Unknown
    ↓
    心のままに

    なのだから。

    しかし歌詞翻訳には、先に述べた通り、そもそも原詞の情報を100%運べないという制約がある。

    全部を守れないなら、翻訳者は「選ばなければ」ならない。何を捨てるか。
    そして、何を絶対に残すかを。

    “Into the Unknown”の日本語版は、英語版にある細かな心理描写をかなり大胆に捨てている。

    その代わり、「自分はみんなと違う」「それでも心は外の世界を求めている」「だから未知の旅へ踏み出す」というエルサの感情の核を残した。

    いや、残したというよりは「日本語の歌として、もう一度組み立て直した」と言ったほうがいいかもしれない。『線路は続くよどこまでも』から労働者を消しても、歌として成立させたように。

    歌の翻訳とは、原詞を小さな箱へ無理やり押し込む作業ではない。箱に入らないものを捨てながら、別の言語でも同じ場所まで観客を連れていくために、ルートを引き直す仕事なのだ。

    そう考えると、

    Into the Unknown
    ↓
    心のままに

    という、一見めちゃくちゃな翻訳も景色が違って見えてくる。

    英語は未知の世界へ向かう歌だった。
    日本語は自分の心に従って踏み出す歌になった。

    同じ言葉ではない。
    同じ情報でもない。それでも最後には、エルサは同じように一歩を踏み出す。

    翻訳とは、言葉を同じにする仕事ではない。
    違う言葉で、観客を同じ場所へ連れていく仕事なのかもしれない。

    まあ、「あまり後ろ向き過ぎる内容の歌詞だと子どもに親しまれづらい(から変えた)」という、大人のマーケティング事情も感じなくはないが。

    ---

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