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翻訳はなぜ〈直訳では成立しない〉のか:『ティファニーで朝食を』の the mean reds から考えてみた

    “いやったらしいアカ”って、どういう意味なんでしょうか?どういった意図での翻訳?原文は?

    私のある記事のコメントで、質問をいただいた。

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    ※ユーザー名など加工しています

    本記事はそこから発想を得た内容となる。
    カポーティの小説『ティファニーで朝食を』の有名な一節だ。村上春樹による新訳版。

    取り上げる原文は以下。

    You know those days when you've got the mean reds... Same as the blues? ... But the mean reds are horrible... Quite often. Some people call it angst.

    「いやったらしいアカ」は“the mean reds”の部分に該当する。単体では全く意味の分からない謎の造語である。

    直訳しようとすると、たぶんこうなる。
    「意地悪な赤」
    「嫌な赤」

    うん、意味不明。

    今回は、筆者自身による翻訳を通して、「日本語に訳す」という作業、ひいては「言語そのもの」の本質に迫っていきたい。

    ---

    #1. 中島板による翻訳と「再現不能」の話

    では、私による翻訳。

    【案1】
    心が「醜い赤」に染まることってあるじゃない……「憂鬱の青」と同じですって?……でも「醜い赤」は、大抵それよりも酷いわよ。人によっては、それを「苦悩」って呼ぶようだけど。

    【案2】
    あなただって、あの嫌な赤を感じたことぐらいあるでしょ……それって憂鬱のことじゃないか、って?……あの嫌な赤は憂鬱なんかよりよっぽど恐ろしいわ。人によっては、それを不安って呼ぶようね。

    さて、なぜ私は2案も出したのか。
    自信がないからではない。これ、どちらも翻訳として成立している(※少なくとも、原文が立ち上げている〈感情の輪郭〉は外していない、という意味で)。

    身も蓋もないことを言うと、英語を100%忠実に日本語へ置き換えるのは「不可能」だからだ。

    逆の立場で考えてみると分かりやすい。たとえば「吾輩は猫である」を英語にしてみる、とする。

    I am a cat.

    英語には、話者の属性やニュアンスによって一人称が変わるという機能がない(私も俺も拙者も、すべて“I”)ので、「猫が吾輩という大仰な一人称を使うことのおかしみ」を、どうしてもその枠組みでは再現できない。

    つまり、その言語が持っていない機能は、どれだけ工夫しても直訳ではまかなえない。

    それと同じ現象が、この the mean reds を始めとした一連の文章には起こっている。

    ここから先は「正解かどうか」の話ではない。
    翻訳とは「正解を当てるゲーム」でもない。

    ---

    #2. 翻訳は他言語を日本語に「置き換える」作業じゃない

    翻訳とは、言葉を置き換える作業ではなく、その言葉が置かれていた「関係性」を、日本語で再構築する作業のこと。

    “the mean reds” という用法は、辞書を引いても出てこない。というか言葉単体では成立していない。前後の文脈を踏まえることで、初めて意味が立ち上がってくる表現。

    これを言っているのはホリー・ゴライトリーだ
    (映画版ではオードリー・ヘプバーンが演じている。原作とは結構、いやかなり別モノだが)。
    キュートで、美人で、知的で、かなり面倒くさい。しかも自己分析がどこかズレている。それこそ村上春樹作品で出てきそうなタイプの女性。

    彼女は自分でも正体がよく分からない感情に、勝手に名前をつけて飼い慣らそうとする癖がある。

    つまり “the mean reds” とは、概念でも、診断名でも、詩的表現でもなく「ホリーだけがそう呼んでいる比喩的感情」となる。

    「どんな属性を持つ誰がこの言葉を発しているのか」。ここを外した瞬間、翻訳は必ず事故る。この作業は「人格込み」でやるものなのだ。

    ---

    #3. 筆者による和訳を逐次解説してみる

    では、ホリーという人格を軸に、前述した和訳になぜ辿り着いたのか、逐次分解していこう(和訳は案1をベースにする)。

    You know those days when you've got the mean reds
    →(心が「醜い赤」に染まることってあるじゃない)

    ●はい、いきなり「直訳すると何もかも崩壊する」やつが登場。
    無理やり訳すと「あなたはあの頃の、嫌な赤を得た時を知っている」。意味不明。

    ●“You know 〜 you've got”には「あなたにもそういう時ってあるでしょ?」という、確認の呼びかけのニュアンスが含まれている。日本語にはない機能だ。

    ●そして肝心の“the mean reds”。これは、その後語られる“the blues”(=憂鬱な気分。マリッジブルーのブルーと同義)の対比語として用いられている。つまり、青と反対色の赤を、ホリーオリジナルの「名前の付いていない感情」として語らせているわけだ。

    ●ちなみに「感情を色で語る」のは、英語では口語として極めて自然。日本語ではどちらかというと「文学的な比喩」として捉えられるので、これもまた日本語にはない機能。

    ●そして、なぜ“reds”と複数形なのか。
    これは、「嫌な赤い感情が、ホリー個人のものではなく、万人が持っているもの」前提で語られている、という含みがある。

    この「感情を複数形で扱う」感覚も、日本語にはない機能となっている。

    よって、この「日本語にない機能」を和訳の枠内に収めるために、翻訳後の語り口は「普遍的な話題に処理する」必要が生じてくるのだ。 

    ●その後に出てくるが、この「赤い感情」は「ブルーな気分」よりもっと酷いもの、と語られる。そのため、“mean”を辞書通りに「嫌な・意地悪な」にすると、「青より酷い」という意味が立ち上がってこない。
    なので、私は“mean”を「醜い」とした。

    以上を踏まえたうえで再掲する。

    You know those days when you've got the mean reds
    →(心が「醜い赤」に染まることってあるじゃない)

    ――――――

    Same as the blues?
    →(「憂鬱の青」と同じですって?)

    ●この一節はいわゆる「反語」。「〜なのか?いや、そんなはずはない」のニュアンス。

    ●“the blues”は前述の通り、“the mean reds”と対比される感情。「醜い赤」と対応させるため、単に「憂鬱」ではなく「憂鬱の青」と処理した。

    ―――――――

    But the mean reds are horrible... Quite often
    →(でも「醜い赤」は、大抵それよりも酷いわよ)

    ●ここまで来ると、前述した節の前提があるので、比較的和訳作業は楽になる。この箇所は「醜い赤」の定義が既に完成しているので、割と直訳寄りに日本語をあてるだけ。

    ●ただし、「ホリーのキャラクター」をぶらさずに日本語化する必要は、もちろんある。

    ――――――

    Some people call it angst.
    →(人によっては、それを「苦悩」って呼ぶようだけど)

    ●と思っていたら、最後の最後で頭を抱える単語が出てきた。“angst”。直訳すると「実存的不安」で、“worry”よりもっと観念的な、正体の分からない不安を指す。

    ●まさかホリーに口語で「実存的不安」と言わせるわけにはいかない。このシチュエーションはあくまで「自然な会話」なのだから。
    しかも「憂鬱」よりも「ひと目で酷い状態だと分かる」必要もある。

    ●と迷った末に、筆者は「苦悩」の2文字をあてた。辞書的な意味でも外してないし、「憂鬱」よりも苦しい状態だし、口語としてもナチュラル。

    ――――――

    以上を踏まえて、いま一度、原文と和訳を見てもらいたい。それが「適当な意訳」ではないことを感じていただけるはずだ。

    You know those days when you've got the mean reds... Same as the blues? ... But the mean reds are horrible... Quite often. Some people call it angst.
    (心が「醜い赤」に染まることってあるじゃない……「憂鬱の青」と同じですって?……でも「醜い赤」は、大抵それよりも酷いわよ。人によっては、それを「苦悩」って呼ぶようだけど)

    ---

    #4. 結論:翻訳とは、「文脈の役割を別の言語で再構築すること」

    こうして分解してみると、“the mean reds”という表現が、単なる直訳では捉えきれない構造を持っていることが分かる。
    村上春樹の「いやったらしいアカ」という訳も、その構造を踏まえた着地点として理解できる。

    意訳とは決して「逃げ」ではない。

    直訳に寄り過ぎると、「言葉だけを取り出す」「意味の完全対応を試みる」「キャラクターを無視する」という罠にかかりやすくなる。

    結果、「不安とは何か」「angstとは何か」という概念説明合戦に陥る。それは作品や作者が一番嫌がる行動だろう。

    ここで、日常的な問いをひとつ挙げてみたい。

    私たちは「ありがとう」を
    “It’s hard to be”
    とでも訳すべきなのだろうか。

    実際には、誰もそんな翻訳はしない。何の違和感もなく“Thank you”に対応させる。

    だがそれは「有り難い」という語の意味を直訳しているわけではない。「感謝を伝える」という言葉の役割を、英語で再現しているに過ぎない。

    この時点で、「ありがとう → Thank you」への変換は既に「意訳」なのだ。

    翻訳とは「他言語 → 日本語」の変換ではない。言葉、文脈、人物、その人の癖……全部ひっくるめて、「原文の語と同じ位置に感情が立ち上がるかどうか」。
    だから自然と、翻訳には「外国語への理解と同等、もしくはそれ以上に、母国語への理解が重要」という構造も見えてくる。

    翻訳は「文法的正しさ」だけでは語れない。
    それは「単に言語を訳す行為」ではなく、「人格を別のプログラムで再現する行為」なのだと、私は思っている。

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    ポップカルチャー × 文化論 × 言語を「居酒屋サブカル談義」的に語るディレクター兼ライター。 アメリカ高校留学→芸術系大学→広告ディレクター。 文化批評、留学体験、言語論などを展開。 初めての方は固定記事「自己紹介」へ。 コンサル・ライティングなどの仕事依頼はDMよりどうぞ!

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