
記号論とアウェアネス——補稿『存在の声に耳を澄ます』
茶の湯という記号世界
千利休が茶道具の箱蓋に「箱書」を一筆したためれば、つぎはぎだらけの茶碗であっても大名屋敷一棟分の値打ちを持つ。しかし、記号によってもたらされた価値は、その記号を共有するコミュニティの内側でしか機能しない。外の者にとっては、見分けることもできなければ、日常使いの茶碗以上の価値を感じ取ることもできない。戦国時代末期は、南蛮貿易によってもたらされたバブル経済の元、堺の商人たちによって練り上げられた超高度な記号文化が存在した。ヴィトンのバッグでさえあっても、足元にも及ばない。
織田信長は永禄12年(1569年)、堺を直轄化し、今井宗久・津田宗及・千利休ら堺の茶人を茶頭として召し抱えた。名物茶器を一国一城に匹敵する褒美として家臣に下賜し、茶会の開催許可を恩賞とする——この仕組みによって、茶器という記号に宿った価値は、そのまま権力の序列を可視化する装置となった。
信長の死後、天下を狙った羽柴秀吉は信長の三男・信孝宛てにこのような書状をしたためている。「御茶湯道具以下取揃被下、御茶湯雖御政道、我等は被免置、茶湯を可仕と被仰出候事、今生後生難忘存候」。信長から茶道具を下賜され、御政道としての茶の湯を特別に許された——その恩を今生来世まで忘れない、という内容だ。書面を差し出し、新たな主君に向けて忠誠を誓ったのだ。しかし、私は、信長のもと苦労を重ね這い上がってきた秀吉の言葉には、茶の湯という記号体系を知り尽くした、静かな皮肉と天下への野望が潜んでいると思っている。記号論へ傾倒し、利用するどころか、逆にそれに飲み込まれて死んでいった信長——その姿を息子である若き主君に投影した、秀吉の呪いの書だ。信孝は翌年、政争に敗れ、腹を召して果てた。
私は、そもそも農民の出でもあると言われた秀吉は、記号の外でその世界を見ていたと読んでいる。利休は生前、茶の湯を政治の道具として使い続ける秀吉と徐々に考え方が乖離し、その美学に苦言を呈することもあったと伝えられている。詫び寂びの極致を追求した利休の目に、秀吉自慢の黄金の茶室はどう映ったか。利休たちの作った超高度な記号体系を馬鹿にしたような「露骨で下品な」茶室は、体系そのものからの意図的な逸脱だったのではなかろうか。
価値は、枠組みの外では意味を持たない
ショーペンハウアーは『意志と表象としての世界』の中でこう述べている。
あらゆる客観的なものは、客観的なものであるからして、認識主体によって、その認識形式をも含めて、多様なかたちで制約を受けていて、主観の認識形式を前提としている。したがってすべて客観的なものは、主観を取り去って考えれば、消えてしまうものである。(中略)物質的なものは――くりかえして言うが――さまざまな制約を受けきわめて間接的に与えられたもの、したがって単に相対的に存在するものにすぎない。なぜなら、物質的なものは、脳の機構と工程とを一度はくぐり抜けているからである。
「客観的な価値」などというものは存在しない、と彼は言っているのだ。あらゆる価値は主観の認識形式を前提としており、その前提が取り払われれば消えてしまう。さっきみたように、主観が共有されたコミュニティの内側では、何の変哲もない茶碗にも家が買えるほどの値がつく。しかしその幻想の外にいる者には、それは茶を入れる器であって、他の何物でもない。
利休の茶碗の話はそのまま現代にも通用する。日経平均が7万円を超えたと言っても、株を持っていない人にはなんの関係のない話だ。むしろ、物価が上がるばかりで、庶民の生活は株高という好景気!?の恩恵をまったく受けていない。転職市場が活況で、ビジネスパーソンの市場価値に注目が集まっていると言っても、四季の移ろいに神経を注いでいる農業従事者に、その価値観や当事者が抱く焦燥感は届きようがない。
そもそも「価値付け」とは、主観を共有している枠組みの中でしか通用しないのだ。
「個の価値を高める努力」もまた、特定の文脈の産物だ。戦後教育と新自由主義が育てたこの言説は、個人に固有のアイデンティティが存在するという幻想を前提としている。しかしアイデンティティとは何か。自著のコラムの中で論じたように、私たちが「自分固有の価値観」と信じているものは、外から持ち込まれたパターンの組み合わせに過ぎない。ショウウィンドウに並んだアイテムを手に取り着飾ったとき、隣を見れば同じものを着た人間がいる——それがアイデンティティの実態だ。そもそも、個の市場価値を高め続けよという言説は、誰にとって都合がいいのか。労働力を自ら磨き、自ら供給し続ける人間を大量に生み出す仕組みとして、これほど便利なものはない。個人の市場価値を高め続けなければならないという暗黙の前提に気づいた者、常に求められる成長が誰のためのものであるかに気づいた者——そういう人間が、その文脈に追従できないことで自己嫌悪に陥っているとすれば、本来はその逆で、枠の外を感じ取れていることを誇らなければならない。
「無」への移行と「意志」への回帰
同書の中でショーペンハウアーは次のようにも述べている。
われわれが完全なる聖境に達すれば、いっさいの意欲の否定ならびに放棄を目のあたりにし、まさしくこれによって世界からの解脱――世界の全存在はわれわれには苦悩として現われている――を目のあたりに見ることになる、というところまで、本書の考察がついに到達したのであってみれば、それならばほかでもない、このことこそわれわれには空虚な無への移行のように思われてくるということである。
先程私が述べたような狭い枠組みからの解脱、「世界からの解脱」は「空虚な無への移行」であるという。まさに、私が『存在の声に耳を澄ます』の中で論じた「無の受け入れ」のことである。
しかしショーペンハウアーはこの議論をこう締めている。
われわれがこれほどにも無を嫌悪しているということ自体が、われわれがいかにはげしく生を意志しているか、われわれが生きんとするこの意志以外のなにものでもなく、この意志のほかにはなにも知っていないということを、別様に言い換えていることにほかならない。
ショーペンハウアーは「無」を反語的に使っている。
多くの人は、はめ込まれた枠組みから自由になりたいという。そのためにマインドフルネスなどをやって「無」に至ろうとする。しかし、人は——ショウペンハウアーに言わせると、それほど希求してやまない「無」を自ら捨てて生きているではないか、と。彼にとって世界の前景には「意志」があり、人間はその乗り物として生きているということだ。価値の幻想と知りながら、他者からの評価を気にしてしまうし、格付けに意識が動いてしまう。これはまったくその通りだと思う。
もう一度ゆり戻すが、だからこそ、アウェアネス——覚めた状態——が問われるのだ。
禅の持つリアリティ
「無」になることとなると私はいつもこのシーンを思い出す。
『臨済録』勘辨 第十五則に、このような場面がある。
修業時代の臨在和尚の師匠である黄檗和尚が台所へ入り、炊事係の飯頭に問う。「何をしている」。飯頭は「米を選っています」と答える。黄檗がさらに「その米は僧たちは食べるのか」「お前も食べるのか」と問い、飯頭が「はい」と答えると、黄檗はいきなり飯頭を打った。
その出来事を聞いた臨済は、黄檗の真意を見届けに行く。黄檗が「さっき面白い公案があった」と言うと、臨済は「飯頭にはお心が分かりませんでした。どうかお言葉を添えてお示しください」と切り出す。黄檗は「『明日また来て申し上げます』とでも言えばよかったのだ」と言う。その瞬間、臨済は言い放つ。「何が『明日』だ。『今日もいただいています』と言え!」——そして黄檗を平手で打った。黄檗は笑って言った。「この狂い者め。また虎の髭を撫でに来おったな。」
師匠の黄檗が「時の流れ」という前提を作ったため、臨済はすかさず、その場で「今」を突き刺したのだ。これこそがアウェアネス——覚めた状態を指している。
秀吉が利休に切腹を求めたのは、記号論に対する彼の回答の象徴でもあり、権力者のリアリズムでもあった。臨済が「今」を叩き込んだのもまた、覚めた意識による超出だった。
私たちは意味付けの手前に立つこともできる。