
地味な恋愛|翻訳の翻訳 ー上海⑬ー
せつないって
日本語にしかない表現なのよ。
中国語の漢字にはないの。
せつない
せつない
と唱えながら酔う。
Rinは北京語も上海語も使いたがらなかった。
Rinとどうやって
出会ったのか、はっきりしない。
事件後、一月あまり
長野の蓼科ホテルで住み込みのアルバイトをして上海に戻った。
30万円ほど朱さんに渡した。
何かと朱さんから小遣いを
貰っていた引け目があった。
それが父からなのか、
朱さんからなのか分からず、
朱さんに全部渡した。
預かっとくわ。
必要なものは何でも言いなさい。
と仕方なさそうに頷いて受け取った。
少し身体が軽くなった気がした。
⸻
もう師範大には戻れなかった。
肩書きもない。
Rinと知り合って
何度かチャットをして
頻繁に会うようになっていた。
誰もRinを知らない。
Rinも僕の事情を知らなかった。
それだけで足が動いた。
日本語での会話が新鮮だった。
目線が同じなのに、圧を感じない。
細い目の上に、重そうなまぶた。
くぐもった日本語の断片。
小さな声。
日本語しか喋らないから
余計に感じる。
抑揚がないカタコト。
ジンジンの空気に似ていた。
ビビッドなロングスカートに
色褪せた水色のジージャン
品があるのに
2人でいると腕を絡めたり
遠慮なく触れてくる。
彼女のマンションに招かれる。
電子ロック付きの鉄格子。
親に買ってもらったマンションで一人暮らし。
アニメの制作会社に転職したばかりだった。
自分で描いた水彩画や
お気に入りのデザインで
部屋が埋まる。
静かな空間。
ソファに腰を下ろす。
風呂上がり、バスローブ姿で
こんなの上海ではフツー。
と慣れた手つきでたばこを巻く。
草の焦げる香りの中で
顔を近づける。
肩にもたれる。
溶けるように眠る。
カーテンの隙間
昼の眩しさで起きる。
⸻
外灘にあるライブハウス。
高いビルがひしめく一角で、
パンクロックが流れている。
Rinに聞くと
反日のことを歌ってる。
私は嫌い。
逆に新しいって流行ってんのよね。
流行り…
流行ってれば
殴られても仕方ないのか。
今1番上海でイケてる店に連れてってあげる。
川沿いの一等地。
建物の輪郭が水辺に映って滲む。
近づくと眩しい電球色が立ち並ぶ。
TATAMI BAR
畳の上でカクテルやら洋酒が出てくる。
確かに良いけど…
笑ってしまった。
Rinはキョトンとしていたけど
日本語でも説明できなかった。