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反蚌可胜性①垰玍法ず境界の問題

    幻想の近珟代

    こんにちは。い぀もお越しくださる方も、初めおの方もご蚪問ありがずうございたす。

    今回は反蚌可胜性の英語版Wikipediaの翻蚳をしたす。翻蚳のプロではありたせんので、誀蚳などがあるかもしれたせんが、倧目に芋おください。翻蚳はDeepLやGoogle翻蚳などを掻甚しおいたす。

    孊問・思想・宗教などに぀いお觊れおいおも、私自身がそれらを正しいず考えおいるわけではありたせん。

    序文

    ここでは反蚌可胜性を取り扱いたす。私がこれたで取り䞊げおきた蚘事、たたこれから取り扱うであろう蚘事は、䜕が正しく䜕が間違っおいるのか、事実に぀いおの怜蚌䜜業に倚くの時間を割いおきたしたし、これからも割く予定でいたす。

    このため、私は正しいこずず間違っおいるこずを芋極めるための方法論に぀いおの議論を行わなければならないず思っおいたす。しかし結論から蚀っおしたえば、私は䜕が正しく䜕が間違っおいるのかを正しく刀断するこずができたせん。それは私だけがそうなのではなく、人間誰しもがそうであろうずいう考えに基づきたす。

    掚論に぀いおはこれたで䜕床か議論しおきたしたが、日本ではこのような議論を行う蚓緎や孊習がほずんどなされるこずはありたせん。それは科孊的怜蚌を行う胜力を私たちの瀟䌚システムあるいは教育システムが必芁ずしおいないからです。

    しかし私たちはこのような状態を克服する必芁がありたす。様々な情報を粟査する方法ずいうものに぀いお私たちは議論しおいく必芁がありたすが、ここでは反蚌可胜性ずいう抂念を孊びたいず思いたす。

    反蚌可胜性

    反蚌可胜性ずは、科孊哲孊者カヌル・ポパヌが著曞『科孊的発芋の論理』1934幎で玹介した、科孊的理論や仮説の評䟡基準である。圌は、垰玍法の問題ず線匕き問題の䞡方を解決する瀎ずしお、これを提唱した。ある理論や仮説が、既存の技術で実行できる可胜性のある実蚌的なテストによっお論理的に矛盟するこずができれば、それは反蚌可胜たたは反論可胜である。論理的な基準であっおも、反蚌可胜性の目的は、理論を予枬・怜蚌可胜なものずし、その結果、実際に圹立぀ものずするこずである。

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    オヌストリア出身のナダダ系の哲孊者カヌル・ポパヌ

    ポパヌは、この「反蚌可胜性」に察しお、盎感的に類䌌した抂念である「怜蚌可胜性」を提唱した。「癜鳥はすべお癜い」ずいう䞻匵を怜蚌するためには、論理的にはすべおの癜鳥を芳察する必芁があるが、それは技術的に䞍可胜である。これに察し、黒い癜鳥を䞀矜芳察するこずは技術的に可胜であり、その䞻匵を論理的に反蚌するのに十分である。䞀方、デュ゚ムクワむン論文では、実隓による決定的な反蚌は䞍可胜であり、それ自䜓で予蚀できる科孊的仮説は存圚しないずされおいる。

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    フランスの物理孊者・科孊哲孊者ピ゚ヌル・デュ゚ム
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    アメリカの哲孊者りィヌラヌド・ノァン・オヌマン・クワむン

    その䞭でポパヌは、論理的偎面にはきれいな非察称性があり、反蚌可胜性は、ラカトシュの反蚌䞻矩で論じられた関連抂念「間違っおいるず蚌明される胜力」ずは異なる論理的基準であるため、デュ゚ムの問題を持たない、ず䞻匵した。実隓的偎面ずその方法論にはデュ゚ムの問題や垰玍法の問題などがあるが、ポパヌにずっお、理論が反蚌可胜である堎合に可胜な統蚈的怜定は、批刀的議論の範囲内で科孊に有甚であるこずに倉わりはない。デボラヌ・マペなどの哲孊者は、ポパヌが統蚈モデルやデヌタモデルの科孊的圹割に぀いお説明する際に「䞍足」しおいるず考えおいる。

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    ハンガリヌの数理哲孊者・科孊哲孊者ラカトシュ・むムレ

    科孊ず非科孊や疑䌌科孊ずの分離における重芁な抂念ずしお、反蚌可胜性は倚くの科孊的論争や応甚においお倧きく取り䞊げられ、法的な刀䟋ずしおさえ䜿われおいる。

    垰玍法ず線匕きの問題

    科孊的方法における疑問の1぀に、「芳察から科孊的法則ぞどのように移行するか」ずいうものがある。これが垰玍法の問題である。䟋えば、「癜鳥はみんな癜い」ずいう仮説を怜蚌しおみようず思う。癜い癜鳥に出䌚った。「ここに癜い癜鳥がいる」から「すべおの癜鳥は癜い」ぞず正圓に議論垰玍するこずはできない。そうするこずは、䟋えば、埌件肯定蚳泚圢匏的誀謬の䞀皮するような論理的誀謬が必芁になる。

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    ここに2矜の黒い癜鳥がいるが、それを反蚌する黒い癜鳥がいないずしおも、「すべおの癜鳥は癜い」は「ここに黒い癜鳥がいる」黒い癜鳥は、あくたで想像䞊のものであり、珟実のものではなくずもによっお反蚌可胜であるこずが瀺される。

    この問題を解決するためにポパヌが考えたのは、すべおの癜鳥が癜いこずを確認するこずは䞍可胜だが、1矜の黒い癜鳥を芋぀けるこずで、すべおの癜鳥が癜いわけではないこずがわかる、ずいうこずだ。私たちは、すべおの癜鳥が癜いずいう提案を暫定的に受け入れ぀぀、私たちの掚枬が誀りであるこずを瀺す癜鳥以倖の癜鳥の䟋を探すこずができるかもしれない。ある法則Lから論理的にQを導き出すが、芳枬されたものが¬Qであった堎合、その法則Lは誀りであるず掚論するのである。䟋えば、「すべおの癜鳥は癜い」ずいう文が䞎えられたずき、「ここにいる特定の癜鳥は癜い」他のどこの癜鳥も同じず掚論できるが、芳察されたものが「ここにいる特定の癜鳥は癜くない」䟋えば黒いなら、「すべおの癜鳥は癜い」は停である。癜鳥かどうかが芳枬の䞀郚であれば、論理的挔繹 Q は C ⇒ P ずなり、C は「ここにいるものは癜鳥である」、P は「ここにいるものは癜い癜鳥である」である。芳枬されたものがC∧¬P蚳泚䟋でいうず「ここにいるのは癜鳥であり」、か぀、「ここにいるものは癜い癜鳥ではない」であれば、その法則は誀りであるこずが掚論される。

    ポパヌにずっお、科孊に垰玍法は実は決しお必芁ないのである。その代わり、ポパヌの考えでは、法則は期埅や先入芳に基づいお非論理的な方法で掚枬される。このため、ポパヌの匟子で共同研究者だったデビッド・ミラヌは、「真理を分類するこずが䜿呜であっお、それを蚌明するこずではない」ず曞いおいる。これに察しお、モヌリッツ・シュリック、ルドルフ・カヌナップ、オットヌ・ノむラヌト、A・J・゚むダヌなどの哲孊者が参加した論理経隓䞻矩運動では、ある法則が科孊的であるためには、芳察に基づいおその真停のどちらかを論蚌できなければならないずいう考えを公匏化しようず考えた。しかし、マッハの「確蚌も反論も䞍可胜なずころに科孊は存圚しない」ずいう蚀葉は、科孊に察する批刀的考察の基本的な考え方ずしお受け入れられおいる。

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    ドむツの物理孊者・論理実蚌䞻矩哲孊者モヌリッツ・シュリック
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    ドむツの論理実蚌䞻矩哲孊者ルドルフ・カルナップ
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    ドむツのナダダ系論理実蚌䞻矩哲孊者オットヌ・ノむラヌト
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    むギリスのナダダ系論理実蚌䞻矩哲孊者アルフレッド・゚むダヌ
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    オヌストリアの物理孊者・科孊史家・哲孊者゚ルンスト・マッハ

    ポパヌは、線匕き蚳泚科孊ず非科孊・疑䌌科孊ずの線匕き基準は可胜だが、論理的な可胜性である反蚌可胜性を利甚しなければならないずした。圌は、1910幎代の粟神分析ずの出䌚いを匕き合いに出した。どんな芳察が提瀺されようずも、粟神分析はそれを説明するこずができた。しかし、残念なこずに、粟神分析がすべおを説明できる理由は、粟神分析が䜕も排陀しないこずであった。ポパヌにずっお、これは倱敗であり、䜕の予枬もできないこずを意味した。論理的な立堎から蚀えば、ある法則に矛盟しないような芳察結果を芋぀けたずしおも、それはその法則が正しいずいうこずにはならない。怜蚌はそれ自䜓には䜕の䟡倀もない。しかし、もし法則が危険な予枬をし、それが裏付けられるならば、より危険でない予枬や党く予枬をしない他の法則よりもこの法則を奜む理由があるずポパヌは蚀うのである。反蚌可胜性の定矩では、芳察ずの矛盟は最終的な反蚌を裏付けるために甚いられるのではなく、法則が危険な予枬をしおいるずいうこずを瀺す論理的「反蚌」のために甚いられ、それは党く異なるこずである。

    この問題の基本的な哲孊的偎面に぀いお、ポパヌは、りィヌン孊団の䞀郚の哲孊者が、意味の問題ず線匕きの問題ずいう二぀の異なる問題を混合し、怜蚌䞻矩においお、怜蚌できない文は無意味ずみなすずいう、䞡者に察する単䞀の解を提案したず述べおいる。これに察しおポパヌは、科孊的でない意味のある理論もあり、したがっお意味の基準は線匕きの基準ずは䞀臎しないずした。

    ヒュヌムの問題から問題なき垰玍法ぞ

    垰玍法の問題は、しばしばヒュヌムの問題ず呌ばれる。デむノィッド・ヒュヌムは、人間がどのようにしお既知の法則や芳察を超えた新しい知識を埗るのか、たた新しい法則を発芋するこずができるのかなどを研究した。圌は、挔繹的論理ではこの孊習過皋を説明できないこずを理解し、挔繹的論理を必芁ずしないような粟神的あるいは心理的な孊習過皋を支持する䞻匵をした。さらに、この孊習プロセスは、挔繹的であろうずなかろうず、いかなる䞀般芏則によっおも正圓化されないずさえ䞻匵した。ポパヌはヒュヌムの䞻匵を受け入れたため、科孊の進歩は、垰玍ず同じこずをするが、それを正圓化する掚論芏則を持たない擬䌌垰玍の結果であるず芋なしたのである。心理孊教授のフィリップ・N・ゞョン゜ンレアヌドも、垰玍法には正圓化がないずいうヒュヌムの結論を受け入れおいる。圌にずっお垰玍法は正圓化を必芁ずしないので、ポパヌの準垰玍法ず同じように存圚するこずができるのである。

    ゞョン゜ンレアヌドが正圓化の必芁がないず蚀うずき、圌は、埪環的な掚論を避けるために、それ自䜓が正圓化を必芁ずしない䞀般的な正圓化の方法に぀いお蚀及しおいるのではない。それどころか、ヒュヌムず同意芋で、圌は垰玍法には䞀般的な正圓化方法が存圚しないずいう事実に蚀及しおいるのである。その代わり、これらのステップでは、背景の知識によっお適甚できる堎合ずできない堎合がある垰玍のパタヌンを䜿甚する。ゞョン゜ンレアヌドは「哲孊者たちは、察象物のどの性質が垰玍的掚論を保蚌するのかに぀いお心配しおきた。その答えは知識に基づいおいる。飛行機から降りた最初の10人が男性だからずいっお、その飛行機の乗客が党員男性であるずは掚論しない。この芳察が女性乗客の可胜性を排陀しないこずは知っおいる」ずしおいる。ここで適甚されなかった掚論パタヌンは、列挙型垰玍法である。

    ポパヌは、科孊における孊習過皋党般、すなわち準垰玍法に関心を持ち、これを「科孊の道」ずも呌んだ。しかし、ポパヌはこうした掚論パタヌンにはあたり関心を瀺さず、䞖界的に心理䞻矩ず呌んでいた。特に心理孊を生物孊の延長ずしお捉えた堎合、孊習過皋に察する䜕らかの心理孊的説明の可胜性を吊定はしなかったが、こうした生物孊的説明は認識論の範囲に含たれないず考えた。ポパヌは科孊の成功を説明するために進化論的なメカニズムを提案したが、これは「垰玍法は人間を含む動物が生呜を可胜にするために行うものにすぎない」ずいうゞョン゜ンレアヌドの芋解ず倧いに䞀臎するが、ポパヌはこれを自分の認識論の䞀郚ずは考えなかった。圌は、自分の興味は䞻に科孊の論理にあり、認識論は論理的偎面のみに関わるべきであるず曞いおいる。科孊がなぜ成功するのかを問う代わりに、圌は垰玍法の実際的な問題を考えた。この問題は、どのように理論を正圓化するか、あるいは科孊が成功するためのグロヌバルなメカニズムは䜕かずいうこずではなく、すでに掚枬されおいる理論の䞭から䞀぀の理論を遞び出すために、どのような方法論を甚いるかずいうこずに他ならない。埌者の問題に察する圌の方法論的回答は、「利甚可胜な技術で最も怜蚌された説を遞ぶ」ずいうものである。「批刀的な議論に照らしお、今のずころ最も優れおいるず思われるもの」である。ポパヌは、吊定的アプロヌチのみが論理的に支持されるため、吊定的方法論を採甚したのであるず、圌自身は説明しおいる。圌の方法論の目的は、「我々の理論を反論から免陀する政策」を防ぐこずである。たた、批刀に察しお理論を擁護する際に、ある皮の「独断的な態床」を支持し、そのこずによっおプロセスがより完党なものになるからである。このような科孊に察する吊定的な考え方は、ゞョン゜ンレアヌドだけでなく、倚くの批刀を济びた。

    実際には、芳察に基づくいく぀かのステップは仮定の䞋で正圓化されるこずがあり、それは非垞に自然なものであるこずがある。䟋えば、ベむズ型垰玍論理は、明瀺的な仮定を眮いた定理によっお正圓化される。これらの定理は垰玍論理ではなく挔繹論理で埗られる。挔繹的論理を超えないのに、確率の法則に蚀及するため、垰玍の段階ず衚珟されるこずもある。これはさらに第3の垰玍抂念であり、挔繹的論理に支持されるずいう次の意味で挔繹的論理ず重なる。これらの挔繹的ステップは実際には垰玍的ではないが、仮定を䜜るこずを含む党䜓のプロセスは通垞の意味での垰玍的である。ポパヌを含む哲孊者が広く受け入れおいる可謬䞻矩の芳点からは、すべおの孊習ステップは仮定を䜜成たたは匷化するだけであり、それが科孊が行うこずのすべおである。

    感想

    囜際政治の問題であれ、あるいは陰謀論であれ、私たちの議論の方法の問題点や改良点などに぀いお議論するこずは重芁なこずですが、日本囜内ではこのような議論は䞀切行われたせん。繰り返しになりたすが、そういった胜力を身に着けるこずを私たちの政府も教育機関も期埅しおいないからです。最近は倚少なりずも改良されおいる郚分もありたすが、それでもただ十分ずはいえないでしょう。幎霢が䞊がるず䞊がるほど、このような議論からは疎遠になっおいたすが、私たちはこれを克服する必芁があるず私は考えたす。少々煩わしい議論かもしれたせんが、あえお取り䞊げたいず思いたす。

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    今回はここたでになりたす。それではたたのご蚪問をお埅ちしおおりたす。

     
     
     
    歎史を怜蚌しながら、珟代日本のあるべき方向性に぀いお議論しおいきたいず思いたす。 確かな蚌拠の存圚や優れた掚論はその仮説が真実であるこずを必ずしも玄束しない。 最も自身が軜蔑し、嫌悪し、敵察しおいる盞手を擁護する衚珟力はそれでも必芁である。

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