私を迷子にする本がある
人に説明しようとして、いつも失敗する本がある。
頭蓋骨だけの紳士。
親指から生まれた赤ん坊。
死者の町。
そこまで言うと、たいてい相手が黙る(笑)
そりゃそうだ。意味わからないもん。
エイモス・チュツオーラの『やし酒飲み』。
1952年に出たナイジェリアの小説。
やし酒を飲むことしか能のない男が、
死んだ自分専属のやし酒造りの名人を連れ戻すために、死者の町へ旅に出る話。
この本を一言でいうとこうなる。
何も伝わらない(笑)
でも私は、
なぜかこの本を読みたくなる時がある。
最初にこの本に惹かれたのは、冒頭だった。
主人公は、金持ちの父の息子。
働きもせず、専属の名人が作るやし酒を毎日飲んで暮らしている。
やがて父が死ぬ。
そして酒造りの名人が、
やしの木から落ちて死ぬ。
主人公は、父の死には特に動じない。
ところが、旨いやし酒が出なくなった途端に途方に暮れる。
なんてひどい奴…
しかも、酒がなくなったら、
毎日集まっていた友人たちも、
さっといなくなる。
読みながら、『これ、杜子春だ』って思った。
芥川龍之介の『杜子春』。
親の遺産で遊び暮らしていた若者が、
財産を使い果たす。
お金があるときは友達が集まってきて、
なくなると誰も来なくなる。
それが二度繰り返される。
そして彼は、地獄まで連れて行かれる。

私がこれを知ったのは、
小学生の頃の夏休みだった。
テレビで影絵のアニメーションでやっていた。
無性に怖かった。
しかも、多方面に怖かった。
輪郭だけで人が動いていて、
顔がないのが怖かった。
お金がなくなったら人がいなくなる、
という構図が怖かった。
そして、
地獄に足を踏み入れていくのが怖かった。
いろんな怖さが同時に来て、夏休みの午前中なのに寒かったのを今でも覚えている。
『やし酒飲み』の冒頭は、そこに似ていた。
親の遺産で暮らす男。
酒の供給が絶たれる。
人が離れる。
そして、死者の世界へ入っていく。
入口が同じなら、出口は逆だろうって
なんとなく思っていた。
杜子春は、人間に愛想を尽かす。
金があるときだけ寄ってくる人たちを見て、
もう人間なんてやめて仙人になりたいと願う。
やし酒飲みは、その逆。
人がいなくなったのに、
酒のために死者の町まで行く。
離れる話と、行く話。
……のはずだった。
ところが、二冊とも終わり方を思い出して『あれ?』ってなった。
杜子春は、
何を見ても声を出すなと言われていたのに、
「お母さん」と叫んでしまって仙人になり損ねる。
そして、人間らしく正直に暮らしたいと言って帰ってくる。
やし酒飲みのほうも、名人には会えない。
死んだ者は生きている者のところへは戻れないと告げられる。
代わりに、
何でも出てくる卵を渡されて帰ってくる。
その卵で、飢えた故郷の人たちを食べさせる。
結局どっちも、帰ってくる話だった。
入口だけじゃなくて、出口まで同じだった。

実をいうと、私は『やし酒飲み』を読み進めるうちに毎回迷子になる。
誰がどこにいて、
今どの町なのか。
何と戦っているのか、
途中でさっぱり分からなくなる。
それなのに、
一年に一回くらいまた読みたくなる。
たぶん私は、進んで迷子になりに行っているのかもしれない(笑)
ところで、私にとってのやし酒は何だろう。
切れたら本気で困るもの。
人に言うと、
たぶん大したことないと思われるもの。
まず思い浮かんだのは、積読の本。
読んでいないのに、樽のように積んである。
いつか読むつもりで、たいてい読まない。
そのくせ、切れると困る。
減らないのに、買い足す。
それから、スーパーの総菜に貼ってある値札。
あと、期限のシール。
あれがないと、本当に困る。
いくらなのか分からないし、
いつまでなのかも分からない。
誰かが貼っている。
考えたこともなかった。
やし酒とは、そういうものだ。
書いていて一つ気づいたことがある。
やし酒飲みが探しに行ったのは、
酒そのものじゃなかった。
酒を作る人だった。
そして子供の頃みたあの影絵で私がいちばん怖かったのは、 たぶん地獄の場面じゃなかった。
お金がなくなった途端に、
人が誰もいなくなるところだった。
つまり私は、
今も昔も 同じところを気にしているらしい。
酒ではなく、
酒のある場所に誰がいるか。
それが切れたら、
私もたぶん、死者の町まで探しに行くと思う。
これじゃ、やし酒飲みの主人公を笑えない。
あなたが切れたら困るものは、何ですか。
そしてそれは、誰が作っていますか?
とはいえ、今日はまだ何も切れていない。
積読の山は減らないままそこにあって、 その中から、この変な本だけは 定期的に自分で出てくる。
出てきて、また私を迷子にする。
しょうがないから、また読んであげよう。
まったく、困ったもんだ(笑)
▼KITAcoreさんにつくっていただいた✨

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