酔うように読み続けている本
夜、また同じ本を開いている。
もう10年、繰り返し読んでいるはずなのに、
今夜もまた、輪郭がぼやけてくる。
誰が誰なのか、
いつのことなのか、
分からなくなってくる。
それでもページをめくる手が止まらない。
あと少し、もう少し読んだら止めよう。
そう思ってどんどんと浸っていく。
酒に酔っているような気分になる読書
と、私は呼んでいる。
あなたには、こういう読書体験ありますか?
私は、マコンドという町に入るといつも抜けられなくなる。
ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』。
1967年に出版された、ノーベル文学賞作家の代表作。
世界で5,000万部以上読まれ、
46以上の言語に翻訳されている。
ラテンアメリカ文学のマジックリアリズムを世界に知らしめた一冊と書けば、聞いたことがある人も多いかもしれない。
最近では、Netflixでも配信されているから、
観たことがある人もいるかもしれない。
物語は、コロンビアの奥地に築かれた架空の町「マコンド」を舞台に、そこに住むブエンディア家の7世代を描いている。
100年かけて町は栄え、100年かけて滅ぶ。
この本はあらすじで語れる本ではない。
たとえば、こんな場面。
マコンドを、不眠症の伝染病が襲う。
人々は眠れなくなり、
そして次第に物の名前を忘れていく。
ブエンディア家の当主ホセ・アルカディオは、家中のあらゆるものに名札を貼り始める。
「これはテーブル」
「これは椅子」
「これは牛」
牛の首には、こう書き加える。
「牛は毎朝乳を出す。乳はコーヒーに混ぜて飲む。」
それでも忘却は進む。

この場面を読むたび、私は少しだけ自分の日常を思い出して息が詰まる。
そして、10年以上繰り返し読んでこう思っている。
最初に読んだ時と今、
同じ場面で息が詰まる理由は多分違う。
最初に読んだ時、私は怖いと思った。
名前を忘れていく人々、
家中に貼られる名札、
それでも進む忘却。
ホセ・アルカディオ・ブエンディアが「牛は毎朝乳を出す」と書き加える、あの必死さ。
これは物語であり、他人事。
それなのに、
遠くからみているだけですべてが怖かった。
今は、少し違う。
たぶん、この本を仕事の風景と重ねて読むようになったからだ。
認知症の症状と同じように思えるマコンドの町の風景。
私は、認知症の患者さんを目にしても
怖さは感じない。
それは、日々向き合っているからかもしれない。
患者さんの存在そのものが、私にとっては日常の一部だからかもしれない。
でも、なぜか自分事となると、
怖さを感じることがある。
10年前は、他人事として怖かった。
今は、自分事として怖い。
その違いだけなのに、
怖さの手触りはまるで違う。
忘れたくないと思っていたことも、
忘れられないと思っていたことも、
どちらも忘却として、
静かに進んでいくからだろうか。
この本は、世界中で読まれ続けている。
5,000万部以上、46以上の言語に翻訳されて、
今なお新しい読者が増えている。
私だけがこの町に惹かれているんじゃない
と、時々思う。
多くの人が、それぞれの理由でマコンドに入って、そして抜けられなくなっている。
それにしても、10年で10回以上読んでるって、
私、マコンド住民みたいなものかもしれない。
抜けられないまま、また入って、
抜けられないまま、また入って。
ホセ・アルカディオ、私にも名札を貼ってくれ。
「これはHONO。10年前からいる。まだ本を読んでいる。」(笑)
……いや、そのうち、
名札の存在も忘れていくのかもしれないけど。

▼ブランドになった私
▼もう一人の私
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