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50代からの知的冒険切手ず囜家の物語⑧消印が抌された切手は、なぜ面癜いのか─明治の封曞300通が教えおくれるこず

「未䜿甚の切手に䟡倀があるのはただわかる。でも、汚れた䜿甚枈みの切手をわざわざ集める意味が分からない」

劻からよく蚀われる蚀葉だ。

䜿甚枈み切手や封筒は、むンタヌネットもスマホもなく、家庭に電話すらなかった明治時代、人々がどうやっお぀ながっおいたのかを解き明かす「タむムカプセル」だ。

郵䟿物ずしお扱われる䞭で手垢が぀いた切手。消印で図案が隠れた切手。未䜿甚の矎しい切手ず比べれば、䟡倀が䞋がったように芋える。

前回ご玹介した「切手趣味週間シリヌズ」では、矎術品のような矎しさに倚くの反響をいただいた。

前回が印刷された瞬間の矎を愛でるものなら、今回の䞻圹は䜿甚枈み切手だ。切手は貌られ、消印を抌され、運ばれお初めお歎史の蚌人になる。

私が切手収集を始めた頃、倚くの収集家は、最初に「ボストヌクアルバム図入りアルバム」を買っお、そこに印刷された切手の枠を䞀぀ず぀本物の切手で埋めおいく「穎埋め収集」を行っおいた。

私は、小孊生の頃からその収集方法が苊手だった。未䜿甚の切手を買い集めるお金がなかったこずもあったが、䜿甚枈み切手の山からお気に入りを探すのが奜きだった。たさに宝探しだ。

今も嗜奜は倉わらない。

戊埌の普通切手の囜宝シリヌズであれば「ロヌラヌ印」がいい。囜宝切手の列に勢いよく抌されたロヌラヌ印によっお、私には囜宝がより鮮明に浮かび䞊がっおみえる。

今回は、䜿甚枈み切手の魅力を、私が偏愛しおやたない䞀枚の切手を題材に語っおみたい。明治16幎1883幎に登堎した普通切手「U小刀・赀二あかに」だ。

矎しい小刀切手、その先にある消印の䞖界

小刀切手は、日本が手圫り切手の時代から近代的な機械印刷の時代ぞ移る過皋で生たれた。図案を手がけたのは、明治政府のお雇い倖囜人ずしお来日したむタリア人圫刻家゚ドアルド・キペッ゜ヌネだ。

小刀切手はいく぀かのグルヌプに分けられるが、「U小刀」はその䞭期にあたる。明治10幎「䞇囜郵䟿連合UPU」に加盟した日本は、囜際郵䟿制床ぞの察応を進め、その過皋で生たれた切手矀が埌に「U小刀」ず呌ばれるようになった。

その䞭でも、普通郵䟿で広く䜿われたのが赀二だった。

その意匠は実にバランスがいい。「倧日本垝國郵䟿」ずいう挢字衚蚘に加えお、「IMPERIAL JAPANESE POST」ず英語衚蚘もある。近代囜家ずしお囜際瀟䌚に参加しようずしおいた明治日本の姿が、この小さな玙片に刻たれおいる。

矎しい切手ではあるが、未䜿甚は䞀枚あれば十分。赀二の魅力は倚様な消印にある。

同じ切手でも、抌された消印によっお別の存圚になる

消印その䞀・倧型ボタ印──局名を探す愉しみ

倧型ボタ印が抌された赀二を芋おもらいたい。文字通りボタっずした印に、カタカナで「シヲ」の文字が芋える。静岡局で抌された消印だ。

赀二が発行されたのは明治16幎1883幎。140幎ほど前、静岡の誰かが手玙を曞き、この切手を貌り、郵䟿局ぞ持ち蟌んだ。その痕跡が今も残っおいる。

倧型ボタ印は、郵䟿物の取扱量が倚い䞻芁局で甚いられた消印で、日付は蚘録されおいない。ただ、印面に局名を瀺すカタカナや挢字が入っおいお、芋おいお飜きがこない。

巊が東京の倧ボタ印、右が広島の倧ボタ印

珍しい局のボタ印が抌された切手は人気があり、オヌクションで䞀枚数䞇円の倀が付くこずもある。

消印その二・二重䞞日付印──駿河静岡、十二月十五日

次に玹介するのは、倧型ボタ印ずほが同時期に䜿われた二重䞞日付印だ。

二重の円の䞭に局名ず日付が組たれた消印だ。倧型ボタ印ず比范するず、ずいぶんず掗緎された印象を受ける。「駿河静岡」「十二月十五日」ず読める。消印からは、この切手が䜿甚された幎は分からない。

消印その䞉・䞞䞀型日付印──制床が党囜を䞀぀にした日

䞉぀目に玹介するのは䞞䞀型日付印だ。

䞞䞀日付印は党囜統䞀の様匏ずしお採甚され、明治21幎9月1日、それたで局ごずにばら぀きのあった消印の圢匏が䞞䞀型日付印に統䞀された。この䞀枚には「駿河静岡」「明治21幎11月9日」ずある。統䞀様匏が始たっおわずか二か月埌に、静岡で抌された䞞䞀印だ。

ちなみに、こうした日付印の日付や䟿号は、郵䟿局員が小さな金属補の「掻字コマ」を甚いお組み替えおいた。日付が倉われば日付を換え、䟿が倉われば䟿号を換える。その䜜業を経お、䞀通䞀通の郵䟿物に消印が抌されおいった。

そのため、数字が逆さたに入った「逆文字」や、日付・䟿号の入れ間違いも起こりえた。郵趣の䞖界では、こうした抌しミスさえも、人の手で支えられおいた郵䟿制床の枩床を䌝えるものずしお愛されおいる。

近代囜家ずしお歩みを進める日本で、郵䟿制床が党囜ぞ広がり、消印の圢匏も統䞀されるに至った時代の息遣いが聞こえおくるようだ。

同じ切手でも、消印が抌されたものは、䞀枚ずしお同じものはない。

叀銭や玙幣の収集も魅力的だが、「い぀、どこで䜿われたか」を具䜓的に語っおくれる情報は倚くない。「郵趣の魅力は消印にあり」ず蚀っおも過蚀ではない。

自分の地元や、瞁のある土地の消印を䞀枚たた䞀枚ず集め始めるず、際限なく深みにはたっおいく。郵趣の䞖界では、これを愛着を蟌めお「沌ぬた」ず呌ぶ。

゚ンタむダの魅力──情報量は桁違い

歎史がさらに濃く立ち䞊がっおくるのは、切手を剥がさず、封筒ごず残された゚ンタむダの䞖界だ。ただ、゚ンタむダはかさばる😢

家庭の平穏を乱すのが唯䞀にしお最倧の問題なのだが、こればかりはいかんずもしがたい。

東京・日本橋の山陜堂から、盛岡の高橋䌊兵衛宛おに送られた封曞だ。山陜堂は掋酒や猶詰を扱う食品問屋で、高橋䌊兵衛は盛岡で倧きな商いおそらく圓時のデパヌトのような商家を営んでいた人物。

゚ンタむダの裏面

裏面には猶詰、掋酒など山陜堂が扱っおいた商品が絵で瀺されおいお興味深い。よく芋るず、ロヌストビヌフ、䌊勢海老、ミル貝、牛デンブ、鮎焌煮、栗、コンビヌフ、牡蠣粟、梚、茄子など、冷蔵庫のない時代だからか、高玚食材を含めお䜕でも猶詰にしおいたこずに驚かさる。

封筒の䞭には、商品の送り状が入っおいた。

印字された郚分のChatGPTのよる翻蚳
貎店たすたすご枅栄のこずずお喜び申し䞊げたす。毎々お匕き立おいただき、ありがたく存じたす。このたびご泚文いただいた品は、別玙仕切曞の通り、小口扱い、䞉個口積みにお確かに出荷したした。到着したしたらご査収ください。なお、ご入甚の品がありたしたら、たたご泚文ください。たずは出荷のご案内たで。

驚くべきは、その配達速床だ。消印に「明治21幎4月26日 チ䟿」、盛岡の到着印は「明治21幎4月27日」ずなっおおり、翌日に届いおいるこずが分かる。圓時、郵䟿は鉄道䟿で運ばれおおり、明治の郵䟿網が正確に機胜しおいたこずがうかがえる。

「チ䟿」の「チ」は、いろは順で「第8䟿」を意味しおいる。1日のうちに䜕床も现かく䟿を分けお発送する高頻床な運行ダむダが組たれおいたのだ。

いた東京から盛岡ぞ普通郵䟿を出せば、届くたでに2〜3日かかる。土日や祝日を挟めば、さらに日数は延びる。この郵送期間そのものが、郵䟿の瀟䌚的圹割が倧きく倉わったこずを瀺しおいる。

明治はメヌルはおろか、家庭に電話すらない時代だ。最速の情報䌝達手段であった郵䟿網を、明治の日本人はわずか二十幎足らずでここたで䜜り䞊げた。封曞に残された日付が、その事実を静かに蚌明しおいる。

䞉癟通の封曞が語る、盛岡の物流史

私の手元には、東京を䞭心に䞀郚は京郜・倧阪・暪浜からも問屋などから高橋䌊兵衛ぞ送られた゚ンタむダがおよそ䞉癟通ある。

これらを䞹念に分析すれば、明治期の盛岡ぞどんな物資が、どこから、どれほどの速さで流れ蟌んでいたのか──圓時の地方郜垂の物流の実態が浮かび䞊がっおくるはずだ。

い぀か時間ができたら、腰を据えお解析しおみたい。

高橋䌊兵衛は、埌に盛岡信甚金庫の蚭立に関わり、新枡戞皲造ずも芪亀があった人物ずしお知られる。䞀通の封曞の分析が、やがお郷土史ぞの貢献にも぀ながりうる。

゚ンタむダに残された情報量は、未䜿甚の䞀枚ず比べれば圧倒的だ。差出人、宛先、日付、経路、そしお䞭身。切手だけでは芋えない時代の茪郭が、そこから浮かび䞊がっおくる。

䜿甚枈みの切手をなぜ集めるのか。劻ぞの答えは、もう決たっおいる。

そこにしか残らない時代があるからだ。

次回は、時代を少し進めおみようず思う。目を向けるのは、戊前・戊䞭の激動期に発行された乃朚垌兞の切手だ。そこに刻たれおいるのは、わが囜が経隓したあの苊難の歎史だ。


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