
中国生活7年、得たものと失ったもの
もうすぐ中国生活を卒業します。
7年間も仕事を続けたのは、わが人生初の快挙。30代のほとんどをここで過ごした。アプリが便利で、タクシーや外食が安くて、それに対して給料水準は高くて。
慣れたら快適だった。
意外といいものですよ、中国で暮らすって。
もともと、香港に住みたかった。でもみんな香港に住みたいから、転職市場は要求が多く、条件は悪い。じゃあ、香港の隣でもいいかーと軽い気持ちでやってきたのが深センだっただけだ。
このままでいいのか、もっとほかにいい条件の仕事が、もっと楽しく住みよい場所が、探したらあるんじゃないか。7年間のうちに何度も考えた。
転職が好きすぎた昔の私なら、「ここに留まる」という選択を7年も繰り返すなんて信じられないだろう。すっかり若さを失った自覚がある。同時にフルスロットルとか暴走モードとか、過度な行動やおしゃべりもごっそり減った。
落ち着いた、とはこういうことか。
7年間、同じ場所に留まる。安定していていいじゃない、と思う人もいるかもしれない。でも私にとっては、留まることもリスクだった。
なぜなら、転職市場で平等に有効な切り札は「若さ」だから。毎日、毎月、毎年、ゆっくり確実に若さを失っている気がした。ひとつの職場に居座ると、未来の職場はどんどん遠のいているんだよなあ。
そういう静かなリスクにさらされていても、とても居心地のいい場所だった。給料高いし、休み多いし、嫌な人間関係ないし。
若さは、誰にも保存できない。瓶詰めにすることもできない。冷凍保存も不可能だ。すり抜ける砂のように、気づかないうちに手からこぼれ落ちていく。
若さに執着はないけど、なくした分だけなにかを手に入れたいと思った。いつかまた転職市場に自分の能力を売りに出すときに、少しでも有効な切り札を準備しておかないと。
というわけで、できる範囲でできることから、手当たり次第にやってみた。まず中国語。語学学習に最適な学習環境であるからして、基本的な会話スキルと、HSK6級合格という資格も手に入れた。
次に、働きながら大学院留学に挑戦した。これはマジで無謀だった。
午前中は勉強、午後に仕事、夜は復習。さらに週末は宿題の山という、怒涛のスケジュールを3年間も続けて、修士号という新たな学歴を得た。これは本当に辛かった。
修士号を得たので、博士号進学もできるけどさすがにビビっている。またあの研究生活を、さらに深く濃くやるの、かあ・・・。ここはもう少し考えよう。
それから、2年間のバー経営もけっこうな経験だった。経験値がザクザク貯まった。未経験の素人が、いきなり店舗経営なんてよくやったよね。
この経験から学んだこと、夜は寝たい、酒は体によくない。当たり前のことだけど、自分の中の優先順位を思い知った。
朝まで飲むぞ、と言われても「いや、眠いんで帰りましょう」とあくびをしながら店を閉めた。売上金よりも睡眠時間が欲しかった。
おかげさまで、こんなに雑な経営だったのに、たくさんの人におもしろがってもらってまあまあ儲かった。
いつか全財産を失っても、健康に動く体ひとつあれば、どうにかして稼いで暮らしていけるかも。そういう、ささやかな自信の芽がひとつ出ただけで、十分すぎる収穫だ。
若さと時間を差し出して、その代わりに得たもの。語学、学歴、経営の経験。具体的にはこんなんで。
なにより、知り合いもいない、ひとりで始める新生活の困難さ、言語と文化の壁にぶち当たる痛さとそこから立て直すガッツ。
「意外とできるもんだな」という謎の自信と「意外とできないものだな」という挫折の両方。
たくさんの人に優しさに頼り、できる範囲の努力を積み重ねて、幸運に恵まれた。特に大きな病気やケガもなかった。ハプニングは数え切れないほどあったはずだけど、もう忘れたのでなかったことにするとして。
7年間の中国生活は、けっこう理想の生活だった。ほかにもっといい選択肢があったかもしれないけど、ここに留まるという自分の選択は悪くなかった。ひとりで知らない土地にきて、ここまでよくがんばったよ。次はなにが待っているだろうか。ワクワクしかない。
※創作大賞2026に応募している記事です。そのほかの応募記事もあわせて読んでもらえたら。