
28歳限界フリーター、なぜシンガポールへ?
「なんでいきなり行ったのがシンガポールだったの?」
「ほかの国に行こうとか、考えなかったの?」
こういうの、よーーーく聞かれます。
ね。当時フリーターで正社員になれない日々にもがき苦しんでいて、人生逆転するためにシンガポールに飛んだって、ね。ちょっと意味が分からない。
でも、その答えはシンプルなもので。
地元で交流したシンガポール人たちから始まったのでした。
当時は「なんでもいいから行動しないと」みたいな、謎の不安と焦燥に追い立てられていたというか。
今になって振り返ってみると、そういえば「シンガポールにしよう!」と決めるきっかけが、ちゃんとあったなーと。
この記事を書いた人:ゆきの(@yukino_shenzhen)
シンガポール、カナダ、中国深センなど、世界のあちこちで働くアラフォー女。趣味の語学、旅行、海外生活にまつわる体当たりエピソードを発信中。
28歳、完全に追い詰められていた
28歳のとき、私は完全に追い詰められていました。
同級生たちは結婚して子どもがいたり、仕事で責任のあるポジションについていたり、着々と「人生のレール」に乗っていた。
それなのに、私はずっとフリーター。
「なんで正社員になれないんだろう」
毎日毎日、この問いが頭から離れない。
面接に落ちまくったし、そもそも書類選考すら通らないことが何度も何度も。
つまり、日本国内では自分の価値がゼロだと思い知らされた。
人間関係も最悪でした。
田舎は、いつでもどこでも誰かの話をしてる。
親戚の集まりでは「そろそろ就職しないの?」と聞かれるし、昔の同級生に会えば「へえ、フリーターなんだ」という微妙な顔をされる。
なんとなくしんどい。どうにかしなきゃ。
でも、なにしよう?
そんな悶々とした日々が続いていました。
通訳ボランティアに応募してみた
わが地元には県民交流センター、というものがありまして。
そこでの国際交流イベントとか、当時けっこう面白かったから、最新情報をたまにチェックしていたんですよ。
「シンガポール青年団がやって来る! 通訳ボランティアをしながら、いっしょに観光しませんか?」
みたいな内容だったはず。
おおお、よくわからないけどおもしろそう。
こっちが行くんじゃなくて、むこうが来てくれて歓迎するっていうのも、なんかいい。
地元で英語をしゃべる機会といえば、アメリカやイギリスからやって来た英語教師たちと、年に1回か2回くらい、飲んではしゃぐ程度だった。
しゃべる時はみんな楽しく酔っ払ってるから、正直あちらもこちらもなにしゃべってるのかわからない。
よおし。どこまで通訳っぽいことができるのか、わかりきった地元について英語で言い表すことができるのか、試してみたい。
シンガポールって、行ったことないや。どんな国なんだろう、どんな人たちが来るんだろう。
こんな具合で、ワクワクいっぱいでボランティア当日を迎えました。
「cancancan」が人生を変えた
Hello~ と陽気な挨拶から始まったシンガポール青年団5人は、全員が中華系シンガポーリアンだった。
つまり私たちと見た目は近い雰囲気。あちらもこちらもアジア人って感じ。
彼らとの会話は、私の中で嬉しい衝撃がたくさんあった。
まず初めに、私の言ってることが通じた。
おお。
そして、彼らがしゃべる内容もよーーく分かった。
おおお。
わたし、英語、わかるんだ。
この瞬間、何かが変わった気がしました。
日本国内では「価値ゼロ」だと思わされていた私。
でも、シンガポール人たちとの会話では、確実に「通じている」「わかっている」という実感がある。
さらに衝撃だったのが、シングリッシュと言われるシンガポール訛りの英語。
Ok lah とか、cancancan とか、教科書でぜったい習わない英語をたーくさん耳にした。
そうか、英語って、アメリカ式とイギリス式だけじゃないのか。これが私にとっての「生きた英語」に初めて触れた瞬間だった。
そしてなにより、彼らはとても陽気で優しくて、しゃべってる間ずっと楽しかった。
「ねえ、私シンガポールに行ったら仕事見つかるかな?」
その場の盛り上がった雰囲気で、うっかり本音で聞いてみた。
「Cancancan!! of course can lah ~」
即答されたそのシングリッシュを聞いた瞬間、じわじわと胸が熱くなった。
そうか、「can」なのか。
日本では「無理です」と言われ続けていた私。
でも、シンガポール人たちは「can」と言ってくれた。
この出会いが、その後の人生を大きく変えることになるとは、その時の私は知りませんでした。
「逃げ」じゃなくて、「選択」だった
なんでもいいから、とにかく動きたかった。
現状を変えたかった。
その切実さが、シンガポール行きという決断につながったんだと思います。
きれいなことを言うなら「新たなチャレンジへの第一歩」とか「自分を変えるための行動」とか、そう表現できる。
でも、本音は逃げです。
完全に追い詰められた状態から、唯一見えていた光が「海外に行くこと」だったんです。
そして、その光の方向が、あの5人との出会いで、たまたまシンガポールになった。
もし、その時点で「完璧な計画を立ててから行く」と決めていたら、私は今ここにいないと思う。
完璧な計画なんて、存在しないから。
必死に体当たりを繰り返して、できる範囲で、できることからやってみた結果、今がある。
地元にいても、とにかく手と目を動かしているだけで、どうにかなるもんだなあ。
振り返ってそんなことを思います。
※創作大賞2026に応募している記事です。そのほかの応募記事もあわせて読んでもらえたら。