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一メートルの凪②

    ※一話はこちら 一メートルの凪①|タナベヒトシ

     次に彼女を見たのは、九月に入ってからだった。

     洗濯物を乾燥機に移しているとき、自動ドアが開いた。同じランドリーバッグ。同じ束ねた髪。ただ、前回とは違うTシャツを着ていて、薄い上着を腕にかけていた。九月の夜は八月よりも少しだけ空気が乾いている。

     彼女は自分を見て、一瞬だけ動きが止まった。それからすぐに目を逸らして、前と同じ奥の洗濯機に向かった。会釈はなかった。

     乾燥機のドアを閉めて、ボタンを押した。いつものベンチに座る。彼女は洗濯物を入れ終えると、自分から一番遠い端のベンチに座った。前回は三台分の距離だった。今日は五台分ある。

     彼女はイヤホンをつけた。

     それだけの動作で、空間に透明な壁ができた。それを見ていたわけではない。視界の隅にそういう気配があった。

     乾燥機が回っている。洗濯機が回っている。二つの機械の音が重なって、少しだけ複雑な波を作っている。その音を聴いていた。

     十五分ほど経ったとき、彼女のスマートフォンが鳴った。イヤホンをしていても聞こえたのか、彼女は画面を見て、少し眉を寄せた。それから電話に出た。

     「はい。——はい、大丈夫です」

     声が、思ったよりも明るかった。さっきまで黙って座っていた人間の声ではなかった。声の高さが違う。テンポが違う。別の人間が喋っているようだった。

     「全然、気にしないでください。——ええ、本当に。はい。——はい、失礼します」

     電話が終わると、彼女はスマートフォンを裏返して膝の上に置いた。イヤホンを片耳だけ外した。数秒、何かを堪えるように息を止めていた。それからゆっくり息を吐いた。肩が下がった。

     目は向けていなかった。でも、空気が変わったのはわかった。さっきまでと同じ蛍光灯、同じ機械の音なのに、彼女のいるあたりだけ、何かが沈んだ。

     乾燥機が止まった。衣類を取り出して畳んだ。彼女は片耳のイヤホンを戻さないまま、洗濯機の窓を見ていた。

     店を出るとき、今度は振り返らなかった。


     
     
    小説を書いています。普段の生活の中で感じたことを、静かな文章で表現したいなと思っています。1作目「線」、2作目「一メートルの凪」、今は3作目「アスカ」という作品を書いています。

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