
普通に殺される僕ら|3話
彼女が一人を好むことを知るのに、そう時間はかからなかった。彼女が他の女子たちと一緒にいる姿を見かけたことはある。その間、彼女は笑みを浮かべ、周囲の人間も笑っていた。一瞬見ただけでは分からないけれど、確かにそこにある温度差を、女子たちはどう思っていたんだろう。
「女子ってなんでツレションすんだろうな」
休憩時間。クラスメイトは、「トイレに行こう」と言った女子に同意して立ち上がる複数の女子を見て、不思議そうに口にした。ぞろぞろと群れをなして教室を出ていく女子たちは、楽しそうにおしゃべりしている。
「そーいう男子だってずっと男で群れてんじゃん」
クラスメイトの呟きに、近くに座っていた女子が割り込んできた。この二人はよくお互いの言うことに口出ししていて、友人曰く、両思いだけど素直になれないのだそうだ。クラスメイトは顔をくしゃりと歪ませる。
「別にトイレまで一緒に行かねえし」
「行く時だってあるでしょ」
「女子のはなんか違うじゃん、そうしなきゃーっていうか……ってか、誰かがトイレ行こうって言うまで我慢してんの?」
「我慢とかじゃないから。デリカシーなくてさいてー」
「じゃあいちいち割り込んでくんなよなあ」
「ふんっ! それに女子だって別に一人でいるときだってあるし」
「広瀬みたいな?」
「ちょっと」
咎める声はあたりを見渡して、僕たちを見つけた。助け舟を出したのは友人だ。
「確かに広瀬って基本一人だったもんな」
「そうだけど……まあ、一人でも大丈夫っていうか、孤高?私は気にしませんって感じだったけど」
「端切れわりー」
「五月蠅い。ボッチだったっていうのもなんじゃんか。その、死んじゃった人にさ」
死んじゃった人。その言葉に、一瞬しんと静まり返った気がした。周囲の視線さえも感じる。それを察したのか、クラスメイトは目の前の女子に向けたものにしては大きすぎる声で言い放った。
「めんどくせー」
「ちょっと」
「俺らからすればお前らがめんどくせえよー付き合っちゃえよお」
「はあ? 意味わかんねー」
「変なこと言わないでくんない?」
またもや差し出された友人の助け舟は、二人から冷ややかな眼差しを浴びることになった。自分の席に戻っていく二人は、まだ何か言い合っている。その姿を見送った友人は両手を胸元に寄せて泣き真似をする。
「俺、可哀想」
「そんなこと言えるんだから大丈夫」
「隆明くんひでー。でもさ、林のやつさっき南のこと庇ってたじゃん?」
「そう?」
「そうそう。ヘイト自分に向けてたんだって、あれ」
小さな声で耳打ちしてくる友人は楽しそうだ。恋愛絡みの話題が好きで勘ぐってしまうだけで、悪意はないんだろう。悪意はない。だから、さっきクラスメイトが言った言葉が浮かんでしまうことも、きっとどうしようもないことだ。
早く席に戻れと友人を促せば、友人は拗ねたようなことを言いながらも先ほどのクラスメイトをからかいに行った。楽しそうだ。だからこそ、より思う。友達、他人、知人、クラスメイト、親友、男子、女子──彼氏、彼女。めんどくさいラベルがなければ、もっと過ごしやすいのに。
彼女もよく「めんどくさい」と言っていた。会話の端々でそう口にすることが多く、中には僕も同意するものがあったけど、彼女のめんどくさいの範囲は広かったように思う。
「学校行くために起きてご飯作って食べて寝癖整えて着替えてさ、人がいっぱいの電車に乗るってなんだろうね。疲れたーって思ったら授業受けて、休憩時間になったら誰かと一緒に居なきゃあって感じで息が詰まるし」
めんどくさい。そう言って息を吐く彼女には悪いけど、そこまで不機嫌になってしまえている彼女を見るのは面白かった。
「そこまで?」
「君だって友人たちといるとき、めんどくさーって顔してるときあるよ」
すべてが嫌だとばかりに吐き捨てる彼女に何げなく聞いてみれば、すかさず毒を盛ってきた。下手な笑みは彼女の口を滑らかにする。
「特に、女子との会話が苦手でしょ?」
「あなたも女子だよ」
「ええ? 君、私に女子っていう?」
「……どう見てもそうでしょ?」
その長い髪も睫毛も、大きな瞳も、ほんのり赤く色づいたリップが塗られた唇も──慌てて、視線を止める。彼女は「ふうん?」と笑みを浮かべ、深く聞くことはしなかった。無言が落ち着かなくて、僕は話を逸らすために、彼女の興味を引きそうな話題を探した。
「あなたはそうしなきゃっていう型みたいなのが嫌いなの?」
「……嫌いっていうかめんどくさいね」
「でも流石に僕でも体育の時間になったら体操服に着替えるとか、そういうの当たり前だと思うけど」
「めんどくさいんなら授業自体でなかったらいいじゃん」
「ああ、それでときどきいないんだ」
「ええ? 君、私のことよく見てるねえ」
「君を知らない人、学年にあんまりいないと思うよ」
それが失言だったのは、彼女を見れば明らかだった。笑みを浮かべたかと思うと、眉間に皺を歪めて吐き捨てる。
「めんどくさい」
今思えば、広瀬は他の誰よりも型に囚われた人だった。
学年で広瀬を知っている人が多いのは、広瀬が皆と違うことをしている人だったからだ。傍目には平然と一人でいる彼女を、彼らは凄いとか変とか生意気とか憧れとか色んな形で話題にした。クラスメイトがいつだったか「気楽でいいよな」と言っていたけど、彼女はそんな人じゃなかった。
そうしなければならないという型は、面倒くさい。僕も、それを知っていた。それなのに型がないとどうしたらいいか分からなくなる。矛盾してる自分が嫌になるときもあるけど、やっぱり、そういうときにどうしたらいいか分からなかった。
だからこそ、輪から外れた彼女は、僕にとって面白い人だった。だから、僕は彼女の背中を見るだけは嫌だったんだ。
彼女と歩く時間は、僕にある型を消していくようだった。
「じゃあ人間やめて犬になる?」
僕を見る彼女は目を見開いていて、言外に「何を言ってるの?」と訴えていた。きっと、彼女に話しかけられたときの僕と同じ顔だ。つい笑ってしまえば、彼女は眉を寄せた。
「なんでそこで犬をチョイス? でもまあ、いいねえ。ワンワン! ってね。でも犬より」
「……何?」
「内緒。それで、君は?」
「僕は犬でいいかなあ」
「そっちじゃなくて、本当のところめんどくさいとか思わないわけ?」
彼女が何を内緒にしたか気になったけれど、答える気はなさそうだ。そのくせ肘で腕をつついてきて、答えを急かしてくる。なんとなく癪だったけど、僕も頭を切り替えることにした。
「面倒くさい、ね。確かにそう思うよ。学校行けとか制服とかさ、良い会社に入るために良い進学先とかさ。じゃあそれ言ってる人たちみんな良い環境で過ごしてるのかなって思うよ。その良い場所とやらで……まあ、だから? って感じもするけど」
小学校、中学校、高校──特に悩むことなく、こうしろと言われて進んできた。それが当たり前で、次は、良い大学に行くのが決まっている。その次は良い会社。その次は──そのときにはきっと、自分で決めるようになるはずだ。そしてきっと……僕は違う型を、寄生先を探すんだろう。
「面倒臭いよ」
生きるために殺して食べて、子孫を残すためにセックスをする動物だったらよかった。そんな単純だったらいい。ここは色んな感情が混ざって、息苦しい。
「……やっぱり君って変わってる」
彼女は感心してるようにも馬鹿にしているようにも見える顔で、静かに呟いた。聞いてきた本人なのに面食らっていて、僕は気恥ずかしくなってしまう。
「あなたもね」
「あはっ! なんか難しいことばっかり考えて、生きづらそうだね、君。」
「あなたもね」
「あはは!」
面倒臭いことをよく話す彼女が、僕を笑う。どこか居心地が悪かったけど、僕も笑ってしまった。
「駄目だよ、君。めんどくさいなんて言っちゃってさ」
「あなたが先に言ったんじゃん」
「そうだっけ?」
太陽が眩しい。ご機嫌な彼女を表すように髪がぴょんぴょんと揺れて、明るく輝いていた。ほんの少しだけ、彼女が先を歩く。
「人間なんてやめちゃいたいね」
楽し応な声だった。言葉は毎日僕にガラクタのような意味のない情報を届けてくるけれど、重りを感じたのは初めてだった。
隣に並ぶ僕を見た彼女は、目を細めて笑っていた。
「やめたいの?」
「……なんで? 気になる? 私のこと」
「気になる」
正直に言えば、彼女は珍しい表情をした。言い淀む口を困ったように動かして、眉を寄せている。身の置き所がなさそうに首を傾けながら腕を組むのだから、よほど不可解なことだったんだろう。おかしなことばかりいう彼女が見ているものを知りたいのは、そんなにおかしいことだろうか。知りたかった。色があるなら何色だろう。僕と同じような色で世界はできているんだろうか。彼女は何を見てきて──そんなに飽きてしまったんだろう。
募る僕の興味と裏腹に、彼女は、切り捨てることを選んだ。
「どうでもいいや!」
悩んでいたことが嘘のように、彼女は僕を見て笑った。僕はどうしたらいいか分からず、犬のように鳴きたくなったけど、彼女の中で完結してしまった話題を掘り起こす気にはなれなかった。彼女は楽しそうで、別にいいかと、諦めるしかない。
彼女が鼻歌を歌い出した。聞き覚えのない歌だ。不思議な時間だった。彼女の鼻歌を聞きながら二人で歩く下校時間。
悩み事だってくだらないことだって、どうでもいい面倒臭いことだって──この時間の前には、それこそどうでもいいことだった。
「君は馬鹿だね」
そう言って泣いた広瀬は、僕のことをどう思っていたんだろう。