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普通に殺される僕ら|1話

    【あらすじ】
    「広瀬が自殺したんだって」教室に響く声は、唐突に日常を終わらせた。高校二年生、夏が終わり秋の気配が差し込む日のことだ。彼女はなぜ命を絶ったのか。クラスメイトは競うように噂を口にし、真相を探り合っていた。広瀬は「めんどくさい」と口にすることが多く、一人を好む女子だった。他人の目を気にせず孤高を貫く姿は学年でも浮いた存在で、誰もが広瀬を知っていた。様々な憶測が飛び交うなか、隆明は広瀬と過ごした時間を思い返す。崖、灯台、交わした言葉、誰にも話さなかった秘密──記憶をたどるたび、見えていたものが少しずつ姿を変えていく。彼女が抱えていたものは何だったのか。そして、自分は何を見落としていたのか。

     



    「広瀬が自殺したんだって」

     教室にいた友人が、僕を見るなり駆け寄ってきて、開口一番にそう言った。ショッキングなニュースに不安や戸惑いが見て取れたけれど、その口は次から次へと最新の情報を吐き出して止まらない。
     それはクラスメイトも同様だった。教室中、大小さまざまな声色で熱を持った言葉が渦巻いている。

     なんで──自殺だって──自殺? どこで──あの崖で──またかよ──いつ──昨日──サイレンが鳴ってたよね──私、警察官見たよ──目撃者がいたんだって──知ってる。四丁目のおじさんだろ──聞いた?

    「広瀬、笑ってたんだってよ」

     どうだとばかりに囁いた友人は、近くで話を聞いていたクラスメイトと一緒に肩をさすりながら「怖いな」と笑った。
    「そのおじさんって、広瀬が崖から飛び降りるとき隣にいたの?」
    「え……?いや、知らねえけど」
    「確かに表情なんか分かるわけないか」
     笑うクラスメイトに何か一言いいたくなるが、なにも言えない。クラスメイトは僕の次に登校してきたターゲットに向かって話を振った。

    「なあ、知ってる?」

     話は振出しに戻った。僕は肩に食い込む鞄を背負いなおして、窓際にある自分の席に向かう。誰かが窓を開けてくれていて、気持ちいい風が肌を撫でた。外は教室の異様な雰囲気と違い、いつも通りの光景だ。隣の席に座った友人が話しかけてくるのもいつも通り。友人の顔は、いつもと違う。
    「隆明ごめん。お前ってさ、思ってたより広瀬と仲が良かった感じ?さっきすげえ嫌な言い方しちゃったよな。ごめん」
     怪談話をするかのように話したことを言っているのだろう。本当に申し訳なく思っているようで、最初に事件を知らせたときよりも悲壮な顔をしている。
    「いいんだよ。それに……そんな感じじゃないし」
    「え、でも」
    「仲が良かったら、こんなことになってなかった」
     手を組んで親指同士をくるくるまわす友人は、居心地悪そうに眼をきょろきょろと動かしている。何かを言いたいが、悩んでいるんだろう。
     似たような人はクラスにも何人かいた。大抵が事件についてどちらがより知っているか競うように話しているが、身の置き所が悪そうに眉をひそめて無言でいる人や、不安そうに辺りを見渡す人も、果てには泣いている人もいた。

    「広瀬さん、可哀想」

     普段話してもいない相手だったはずだ。いや、僕が知らないだけで広瀬と交流があったのかもしれない。
     とにかく、彼女は泣いている。その事実が僕を何か嫌な気持ちにさせた。
    「あの、さ」
     僕を見ていたらしい友人が慎重に話を切り出した。
    「自分のせいとか思うなよ?ほら、仲が良くてもさ、そんな……全部相談とかしないだろうし、ほら、自殺しようとしてたとか、分かるわけねえじゃん」
     分かるわけがない。そのとおりだ。だけど返事ができずにいると、チャイムの音が聞こえてきた。僕たちを救ったチャイムは、しばらくして難しい顔をした先生を連れてきた。いつもと違って、皆、席に着いた状態だ。けれど先生は何も話さなかった。本鈴が鳴る。先生は、チャイムが鳴り終わってもすぐには話し出さなかった。

    「皆さんに悲しいお知らせがあります。本日──」

     もはや聞き慣れた話が先生の口から話される。皆、もう知っていたことだったのに、教室はどよめいた。不謹慎という言葉が脳裏にちらついたのか、全員声を抑えてはいたけれど、沸いた音は重なっていくつかの言葉を浮かび上がらせる。

     本当だった──やっぱり──なんで自殺したんだろ──死体があったってことだよね。

     先生は「静かに」と注意したあと、「ショックを受けるのは当然です」や「悩みがある人は相談に乗ります」と口にした。全員神妙な面持ちを浮かべる。すすり泣きさえ聞こえれば、先生が締めくくるように言った言葉にふさわしい空間が出来上がった。

    「広瀬さんのために、皆で一緒に祈りましょう」

     どこか芝居がかったようにも見える表情をして、先生は目を閉じる。隣に座る人を見れば、悩む顔を見つけた。僕と目が合うと彼は肩を縮こませ、気まずそうに視線を逸らしたあと、目を閉じる。皆、小さく頭をさげていた。賑やかだった朝が嘘のようだ。
     そして僕も、目を閉じる。

    「めんどくさいよね」

     そう口にした広瀬の声が聞こえた気がした。
     脳裏に浮かぶのは、真っ青な空の下で崖に立つ広瀬の姿。
     昨日は快晴だった。それでいて日差しも強くなく、風が気持ちいい日だった。
     広瀬は怯えを感じさせない足取りでまっすぐ歩いて、崖の端まで移動する。心を落ち着かせなくするのは風だ。広瀬の胸元まである茶色の髪が、吹き上げる風に揺れている。広瀬は、膝上まで折り曲げたスカートから覗く白い脚を、恥ずかしげもなく晒していた。
    「──紺色の制服って、地味だからこれぐらいいいでしょ?」
     そう言っていたのはいつ頃だっただろう。はっきりとはしないが、笑っていたのを覚えている。そうだ、彼女は笑っていた。最初から最後まで……きっと、落ちるときも本当に笑っていただろう。
     風を一番に浴びる場所で、両手を広げながら深呼吸をするんだ。すべてがくだらないと言って、広い海と空を見ながら、笑う。太陽の光に視界が遮られるのは癪だっただろうけれど、それさえも、最期は許して笑ったはずだ。
     そして、落ちた。広げた手をそのままにして、一瞬で終わらせたはずだ。

     ありありと思い描ける光景に、追加される意味のない目撃者の叫び声。きっと明日にはまた新たな光景が追加されるだろう。なんにせよすべてただの妄想だ。彼女のことを分かった気でいただけの僕が、今更何を思っても、もうしてあげられることは何もない。広瀬は……そう考えて、もう止めた。

    「はい、ありがとうございます。最後に、もし記者と名乗る人から話しかけられても何も答えないように。学校が対応します」

     先生は毅然とした態度で言い放つと、そのまま、質問を促すように教室を見渡す。見開いた目が生徒一人一人を映していて、結局、僕らは何も言わなかった。そのあと続けられた話はSNSで事件のことを呟かないようにすることと、二階の廊下の端に相談室というところがあって、そこにはスクールカウンセラーがいるから悩みがあるなら遠慮なく利用するように、といった注意事項だった。
     予鈴が鳴ると先生は適当なところで話を切り上げて、教室から出ていく。ドアが閉まると、皆、ようやくとばかりに息を吐いて好きに話し出した。喧騒に包まれながら思い出すのは文化祭だ。音と熱気に満ちた空気に埋もれながら、文化祭のとき広瀬は何をしていたいのか思い出そうとする。どんな顔をしていただろう。淡々と準備作業をする姿は想像できるのに、いま、この教室に広がっているような顔はまるで想像できない。

     僕は次の授業の準備をした。当たり前ではあるけれど、事件があっても授業は滞りなく進み、僕たちもまた、いつも通り授業を受けた。自分が先生に当てられる日かを考えたり、宿題を慌ててしたり、黒板の文字を翻訳したり、ぼんやり外を見たりと忙しい。先生の目をかいくぐって回る女子の手紙には、きっと事件のことが書かれているだろう。

    「広瀬って一人でいること多かったよな」

     休憩時間、当然のことながらクラスメイトの一人が広瀬のことを話題にした。僕の隣の席を陣取る友人は気まずそうな顔をしているが、友人の近くに集まるクラスメイトたちは気がついていない。
    「あー確かに。変わってたよな」
    「友達って誰だっけ? 知ってる? つーか友達いたか?」
    「泣いてる奴いたじゃん……あそこ」
    「めっちゃ笑ってんじゃん」
     ずっと悲しむべきとは思いもしないけれど、教室に響き渡るほど笑っている声に眉が寄る。だけど、生前の広瀬について好きなように話す僕らも同じようなものだ。少なくとも広瀬だったら僕らを見て、冷ややかに思うほど無表情で一瞥したあと、すぐに背を向けるはずだ。
     彼らも広瀬の話をして想像したに違いない。微妙な笑い方をして話を濁した。全員が暗黙の了解とばかりに目配せするなか、友人がひとり呟く。

    「実は一人が寂しかった、とか」

     また、手を組んで親指をくるくると回している。おかしなことに、友人がいつもより小さく見えた。視線を浴びた友人は僕らを見渡すと、焦ったようにへらりと笑う。
     そして予鈴が鳴った。
    「あ、俺日直だった」
     大義名分を得たクラスメイトが自分の席に戻っていく。友人は、自分が座る席の持ち主の視線に気がついてようやく席を立った。その姿を見送りながら、僕は次の授業の準備を始める。次の授業は、広瀬が好きだった数学の授業だ。よく眠れていい時間だと言っていた。思い出して、笑ってしまう。
     笑う。
     慌てて表情を戻して辺りを見渡せば、誰とも目は合わなかった。ドクドクと鳴る心臓の音が聞こえて、落ち着かない気持ちになる。きっと、先ほどの彼らも同じ心境だったに違いない。

     彼らがぎこちなく笑ったのは、広瀬がずっと一人だったことを皆知っているからだ。もし、それが自殺の原因だった場合──本鈴が鳴る。感傷に浸るのにはうってつけな時間の始まりだった。




     
     
     
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