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普通に殺される僕ら|4話

    普通に殺される僕ら|1話
    マガジン





     次の授業は合同体育だった。僕たち男子はもう一つのクラスのほうに着替えに行かないといけない。女子たちの冷たい視線を浴びながら、僕たちは追い立てられるように体操服の着替えを持って廊下に出る。毎回のことだけど、これがいつまで経っても慣れない。もう一つのクラスから出てくる女子たちはゆっくりとした足取りだ。
     その一人に既視感を覚えて、目で追ってしまう。友達とおしゃべりして歩く女子は確か──。

    「お、おい隆明。こっちに来いって」
    「え?」
    「お前もそんな煽るなよ」

     何が、と言いかけたけど、友人の顔を見て黙ることにした。通り過ぎざま、女子の視線を感じた気がする。ヒュー! と口笛を吹くクラスメイトとは違い、友人は肩を落とした。

    「俺はこういうドキドキは求めてねえんだよ。でも俺のせいでもあるから、ちょっぴり罪悪感」
    「西川まだキレてんじゃん。どんまい隆明」

     クラスメイトに背中を叩かれて、ようやく、女子の名前が分かった。僕が笑みを浮かべて肩をすくめれば、クラスメイトは楽しそうに思い出話をしてくれる。去年のことなのに僕よりも詳しい。そういえばそうだったと話を聞く僕に気が付いたんだろう。友人が目を細めて非難してくる。
    「凄かったよなあ。あの頃の西川ってもう、陰で隆明の悪口言いまくってたもんな」
     クラスメイトの思い出話は、さっき見た光景に広瀬を浮かび上がらせる。

     去年のことだった。席に座る僕に、友人がビッグニュースだと廊下から話しかけてきた。廊下の出入り口近くにある席に座ったまま振り返れば、友人越しに、廊下で話す女子たちの姿を見つけた。けれど次の瞬間には友人の顔が迫っていて、そこに立っていたのが誰かなんて気が付きもしなかった。友人の興奮ぶりに、近くにいたクラスメイトが一人二人と集まってくれば、もう記憶にすら残らない。
    「どうしたの」
    「どうしたもこうしたも、ついにヤッタんだってよ!」
     何を言っているのかと思って眉を顰める僕と違って、周りの男子は察するのが早かった。
    「おいマジかよ!もう!?」
    「そうそう!な!」
     そう言って友人に手を引かれた男子は、照れくさそうにしながらも自信を滲ませる笑みを浮かべていた。かすれた口笛が鳴って、妙な興奮が辺りを包む。

    「童貞卒業おめでとーう!」

     高らかに響く声、笑い声、はやし立てる声──よく分からないけれど、僕も笑って手を叩いた。高校生になって半年しか経っていない男子にとって、それはとても大きなニュースだったのだ。
    「男子さいてー」
     教室にいる女子が笑いながら非難した。思わず皆で声を追えば、下着が見えそうなほど折り曲げられたスカートを揺らす女子が、追い払うようなしぐさで僕たちに手を振ったあと、自分の席に座った。組まれてさらに露出した白い脚に「おお」と友人が声をあげる。
    「俺、アイツ狙ってんだよなあ」
    「マジ? 俺は二組の──」
    「あ、分かる! すっげ可愛いよな!」
    「分かんねー俺は──」
     笑う友人たちに合わせて相槌を打ちながら、ゆっくりと席を立つ。苦手な話題から逃げようとした僕を、友人は見逃さなかった。
    「隆明はどんな子がタイプなんだよ」
    「別にいいじゃん」
    「それこそいいじゃん! 言えっておいー! なんだったらツテで紹介するし」
    「紹介はいらない。あと僕って実はノーマルなんで。女が好きなんだ」
     肩を組んできた友人の腕を掴んで、近くなった顔を笑いながら離す。「フラれてやんのー!」軽い野次がとんで、「つれねー」と嘆く友人の声。
     くだらなさすぎて、嫌いじゃなかった。

    「──女が好き、ねえ」

     友人の軽口を恨めしく思ったのは、この日が初めてだった。彼女は嘲るような表情で僕を横目に見る。普段友人とはできそうもない話をする彼女と、まさか、日常のくだらない話をすることになるとは思いもしなかった。廊下に居たのが彼女だと分かっていたら、僕はきっと、友人を静かにさせたはずだ。
    「なんのこと?」
    「男子たちと話してたじゃん。君は女好きらしい」
    「っ! そういう意味じゃなくて、女好きっていうか、そうだけどそうじゃなくて……男子じゃなくて女子が好きだってだけで」
     彼女なりの軽口なんだろうけれど、自分でもよく分からないほど落ち着かなくなる。身体が熱くなって声さえ震えそうだ。
    「ふうん? てっきり君は女に興味がないんだと思ってた。なんか、ソウイウ感じじゃない」
    「ソウイウ感じって……」
    「なんていうの? 盛ってる?」
    「……そう」
     少しの会話で疲れ切った僕には、もう、それ以外答える言葉はなかった。ソウイウ感じではないと思われていることに安心しつつ、どこか、がっかりしているような自分もいる。

    「興味あるよ」

     やけくそのような気持ちで言った。僕らしくないと思う。なにせ言った瞬間に後悔して、頭をかいてしまった。

    「ふうん?」

     彼女の顔は見れなかった。
     名前にできない感情がぐるぐると渦巻いていて、その日の会話をほとんど覚えていない。それでも今日まであの日のことを覚えているのは、広瀬の気持ちがよく分かったからだ。

     西川さんの笑い声が聞こえてくれば、その日のことをより鮮明に思い出す。

     あの頃、今とは違って髪をひとつくくりにしていた西川さんは、学校に来たばかりの僕に話しかけてきた。
    「──隆明くん。今日、日直だね」
     教室のドアを開けてすぐのことだったから、驚いたのを覚えている。僕は、笑うことにした。
    「あー、そうだね。どうする? 日誌書く? 黒板する?」
    「一緒にすればいいんじゃないかな?」
    「でも効率悪いし」
    「そ、っか」
     西川さんは「じゃあこっち」と日誌を見せて笑うと、自分の席に戻っていった。そこには女子が沢山いて、西川さんが席に戻るなり甲高い声をあげている。僕も自分の席に向かえば、明るい笑顔を浮かべた友人がすり寄ってきた。

    「なあ、隆明。なに喋ってたんだよ」
    「日直のこと。僕、今日日直だったみたい」
    「忘れてたとか西川さんかわいそー」

     ニヤニヤと笑う友人が肩を叩く。鞄を置きながら友人を見れば、友人は指を西川さんに向けていた。そして次はその指を僕に向ける。
    「好き、らしいぜ? 噂だけど」
    「噂だろ」
     笑う友人、笑う僕。それだけのはずなのに、何かを間違えたような違和感を覚える。違う、と思って、けれど理由が分からない。
     西川さんと目が合った気がしたけど、僕は笑う友人に応えて、そのまま顔を逸らした。

    「──今日はお疲れ様」
    「お疲れ様。日誌、ありがとう」
    「ええ? 私こそ黒板消しとかありがとう」

     日直という面倒な一日の締めくくりは、朝の気まずさの再来だった。クラス全員のプリントを先生に提出し終わって教室に戻ると、ちょうど日誌を書き終えたらしい西川さんがいた。教室には僕たちしかいない。
     まっすぐな目に笑い返したあと外を見れば、ところどころ雨雲を見つけた。

    ──好き、らしいぜ?

     唐突に、友人の言葉を思い出してしまう。西川さんはまだ僕を見ていて、もう、笑うこともできない。できるだけ自然に、僕は自分の席に行く。
    「じゃあね」
    「あっ、隆明くん……ううん。なんでもない」
    「そう」
     なんでもないなら言わないでほしい。そう思ってしまって、僕はいよいよここから逃げるべきだと分かる。「あのね」廊下に出る直前に聞こえた声は気のせいだ。誰もいない静かな廊下で僕は息を吐きだす。遠くから聞こえる部活の声に、僕は心から安心した。

    ──めんどくさい。

     彼女の口癖が何度も頭の中に木霊する。好き、嫌い。知りたくなかった情報は僕の頭に刻まれて、知ってしまった僕を見る視線に息苦しくなる。嫌われるより好かれたほうがいいのだろうか。以前、そんな話を友人としたとき、友人は「そりゃそうだろ」と即答した。僕はどちらも嫌だと思った。向けられる視線は、重たい。少なからず反応を期待しているのが分かるから、疲れてしまう。自惚れた考えだとしても、そうなってからじゃ遅い。
     僕はそれを知っている。

    「雨?」

     西川さんと別れてようやく辿り着いた下駄箱の向こうで、雨が斜めに降っていた。雨雲はそこまで多くない。きっと夕立だろう。鞄に折り畳み傘はない。置き傘は──。

    「あ」

     思わず、声が漏れてしまう。
     広瀬がいた。靴を履き替えているのに、彼女は空を見上げながら帰ろうとしないで突っ立っている。
     傘ないの?
     ただそれだけでいい。
     広瀬、って言える。

    「なんだ傘ねえの? 入る?」

     知らない奴が、彼女に近づいて、傘を傾ける。何か話しているみたいだった。彼女は傘に入る。そして、二人並んで雨の中を歩きだした。
     おかしなことに僕は二人が校門を出て見えなくなるまで、ずっと、二人の背中を見ていた。雨はまだ降っている。ボタボタ、ボタボタ。とてもやみそうにない。
    「隆明くん? 帰ってなかったんだね」
     振り返ると西川さんがいた。手に赤い折り畳み傘を持っている。
    「うん。雨が降ってるなって思って」
     僕は靴を履き替えながら西川さんを見る。西川さんの目がじっと僕を見ていて、その唇は言葉を押し込めるように歪んでいた。
    「今度こそ、じゃあね」
     西川さんが何かを言う前に僕は雨の中に走って行った。雨粒が身体に当たって、じわりと滲んでいく。体温を奪う冷たい雨が、頭を冷やせと言わんばかりに降ってくる。それなのに、僕はいつもとは違う道を走った。

    「──なに。君、風邪ひいたの」

     昨日とは違って雲一つない空の下、あなたはそう言った。僕がじっと彼女を見ても、彼女は、目を細めるだけだ。
    「昨日、傘忘れて」
    「え、雨の中帰ったの?」
    「走ったからそんなに濡れなかったし」
    「それで風邪ひいてるんだから、馬鹿でしょ。君」
     あなたは笑った。
     僕は笑うこともできなかった。友達でもない。知人でもない。ただ、こうやって話すだけの、ただそれだけの人。

     あなたが僕の顔を覗き込む。
     僕は、目を逸らすしかなくて。

    「馬鹿だし」

     苦し紛れに答えた僕の恨み言を、彼女は「かわいそう」と笑って終わらせた。






     
     
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