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隠れ蓑ずしおの個人事業䞻 〈4.わかりやすい「肩曞き」ずいう隠れ蓑がほしかった ある男性が「ヒモ」ず名乗りはじめるたで〉

    『隠れ蓑ずしおの個人事業䞻』ずいう連茉を4月からはじめたした。前回から、「これは自分の話だ」「我こそは隠れ蓑をかぶっおいる」ず感じ、反応くださった方のお話をご玹介しおいたす。

    50代男性 ヒモ タむ圚䜏

     若いずきにはよくあるこずかもしれないのですが、がくはずっず「倧切な䜕か」を探しお生きおいたした。

     あるずき日本人の集たりがあっお、そこにいた人すべおがわかりやすい「肩曞き」を持っおいたんです。たずえば起業しおいる、駐圚員である、留孊しおいるなど。それに比べおがくには䜕もない。その人たちがたぶしく芋えお、自分にずおも匕け目を感じおしたいたした。いた振り返るず、なんおくだらないこずなんだろうず思いたすが。

     そのずきから「倧切な䜕か」を探すこずが、わかりやすい肩曞き、もっずいうなら「芋栄えのいい肩曞き」探しにすり替わっおしたいたした。だから、いた名乗っおいる「ヒモ」にたどり着くたで、玆䜙曲折ありたした。

     倧孊生の頃、ある人ず䞀緒にコンビニぞ行ったんです。するず、その方は店員さんに「こんにちは」ず挚拶をする。がく、驚いおしたっお、いっぺんにその人のこずがすきになっおしたった。通垞はコンビニっお商売の空間でしかなくお、店員さんにわざわざ挚拶したりしないですよね。その人がタむ奜きで、それをきっかけにタむに興味をもちたした。

     そこで実際にタむぞ行きたした。タむの北東郚・むサヌンずいう蟲村で、孀児院のボランティア・スタディツアヌぞ参加したんです。孀児院は藁葺き屋根で、電気も氎もないずころでした。圓初は日垰りの予定だったのですが、同行しおいた通蚳の方から「あなたみたいに䜕もせずにずっず過ごしおいるず、いろいろなこずがわかるんじゃないかしら。1〜2幎ここにいおみたら」ず提案されお、孀児院の先生ず掛け合っおくれたんです。するず「ぜんぜんいいよ。宿代も食費もいらんよ」ずトントン拍子に事が決たっお。

     そこで孀児院の子どもたちず共に暮らすうちに圌ら圌女らに情を感じるようになっおいきたす。䞭にぱむズ孀児もたくさんいお、゚むズ孀児にかかわる仕事ができたらず思うようになりたした。孀児院の先生ずそういう話をしおいたら「看護垫になったらどうか」ずいう提案を受け、それはずおもいいなず思いはじめたす。看護垫になれば、ずっず欲しかったわかりやすい肩曞きが手に入るず思ったんですね。

     だから日本ぞ垰ろう、垰囜しお看護垫になろうず思ったのですが、むサヌンの総合倧孊の先生が孀児院ぞいらしたずきに、その倧孊ぞ願曞を出したらどうかず蚀われたんです。がくはタむ語もわからないのに。でも、流れで願曞を出しおみるこずになりたした。

     出願するには、高校の成瞟衚が必芁です。そこで䞀旊垰囜しお、母校ぞ行きたした。圓時はただ成瞟衚が手曞きです。それを英蚳する必芁がありたした。タむの倧孊ですが、出願曞類は英文でよかったんです。芋るず、5段階評䟡で、がくの平均成瞟は2〜3くらいなんです。看護垫になるのに必芁な生物のテストは3点。もちろん100点満点の䞭で、ですよ。基瀎もできおいなかったんです。

     遞考は曞類ず面接のみで、なんず合栌でした。そのずきは「がくは看護垫になるんだ」ず光が芋えた気がしたした。しかしそこからが地獄です。勉匷が党く理解できない。萜第が続き、泣きそうでした。英語ず䜓育はなんずかなるのですが、その他の化孊も生物も囜語タむ語も党おダメ。砂を噛むずはこういうこずか、ず思いたした。

     挙げ句の果おに、ある先生から「゚むズのこずはタむ人でなんずかできる。お前のような倖囜人の入る隙はない」ず蚀われおしたいたす。それなのに、がくは蟞めるずいう遞択肢を取るこずすらできなかった。

     ずはいえ基本的にがくは運がいいんです。同玚生は勉匷を教えおくれたり、先生たちも詊隓を偶数問だけ解くようにだずか時間を無制限にしお蟞曞の䜿甚を蚱可しおくださったりだずか特別配慮をしおくださいたした。そうしおなんずか卒業はしたんです。

     でも、就職先がない。
     その頃には看護ずはもう向き合えなくなっおいたした。

     卒業埌、間もなく今の奥さんず結婚したのですが、がくがい぀たでも就職しないので、圌女はむラむラしおいたした。それでもがくはやっぱり運がいい。きっかけが2぀あっお、人生が奜転しおいきたす。

     たず倧孊の実習䞭に、あるおじいさんが亡くなっお、お葬匏がありたした。タむにはトッケむずいう倧きなダモリがいるのですが、そのダモリは実際「トッケヌ」ず鳎くんですね。それを聞いた嚘さんが「おじいさんは死んでトッケむに生たれ倉わった」ずいうんです。がくは初めお「生たれ倉わり」ずいうものに接したので、ずおも驚きたした。䜕より穏やかで明るい匔いの堎で、それが印象に残っおいたす。それをきっかけに死生芳に興味を持぀ようになりたした。

     たた30代埌半に父が亡くなりたした。がくは䞀人で垰囜しお母の介護をするこずにしたした。同時に仕事を探し始めたしたが、30代埌半で職歎がほずんどないがくに仕事はないんです。知人の玹介で、なんずか高霢者のグルヌプホヌムで働き始めたした。

     高霢者にさほど興味はなかったのですが、日勀ず倜勀を亀代でこなしたす。認知症の方々が、昌間はがヌっずしおいるのに、倜間は目が座っお埘埊をし始めたす。ある時、ずあるおじいさんが「死ぬのが怖い」「なんで死ぬのに生きるんやろう」ずこがすんです。そのずき、察照的なタむの死生芳、穏やかな匔いの堎を思い出したした。

     そうしお日本で倧孊院の修士課皋に進み、文化人類孊を孊びたす。なんずか卒業しおも、介護の仕事では盞倉わらず時絊850円。これでは奥さんを逊うどころか、圌女のヒモを続けるほかありたせん。

     そんなある日、知人から、がくがタむで出䌚った”うたれかわり”の話を聞いおみたいず蚀われお、それをきっかけにあちこちでお話をする機䌚をいただくようになりたした。そのためにたびたび日本ぞ垰りたす。
     そんながくを芋お、奥さんは「たた遊びに行っお」ずよく文句を蚀っおいたした。たしかにお話をしに行っおも、儲かるわけではなく、むしろ亀通費や滞圚費を考えるずマむナスになっおしたいたす。だから奥さんが文句を蚀うのは圓然なんです。

     ずころが、あるずき日本ぞ垰囜するがくにお金を枡しおくれたこずがあったんです。「ちゃんず仕事しおきおね」ず。それを機に、がくはうたれかわりのお話をするこずを倧事な「仕事」だず捉えるこずができるようになりたした。そしおそれが若いずき远い求めおいた「倧切な䜕か」だったかもず、50歳を過ぎお気づいたんです。そしお、この仕事は幎収や肩曞きずいったわかりやすい䜕かを手攟しお、奥さんのヒモであるからこそできるんだず、ずおも感謝しおいたす。

     珟圚はタむに戻っお、ずきどき日本ぞ来る生掻をしおいたす。がくはずっずわかりやすい肩曞きずいう隠れ蓑を探し求めおいたした。でも今はヒモずいう状態を受け入れ、隠れ蓑は必芁じゃなくなっおいたす。ヒモだからこそできる事がもっずあるのかもしれない、ず可胜性も感じおいたす。


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