
不器用な街 第五話 〜トオル〜
先日ミサキと話してから、僕はなんとなくギャレットから足が遠のいていた。彼女と会いたくないわけでも、あの時間が楽しくなかったわけでもない。むしろあの日の夜は久しぶりに誰かと話しながら飲んで、いい時間を過ごせたと思う。なのに、なぜか気が向かない。
今まで一人で過ごしていた自由な空間が、毎回あぁなるのは少し憂鬱だという気持ちも正直あった。しかし、その憂鬱さは彼女と話すことに、というより、僕のもっと奥底の部分から来ているような気がする。人と話すのは嫌いじゃない。でも、そこに行けば毎回誰かがいて、みんなでワイワイというのもそんなに得意じゃない。
誰かと距離が近くなるほど、自分がどう映っているのか、どんな言葉を返すべきかと考えてしまう。そんな自分が嫌になって、結局面倒になってしまうのだ。
とは言え、もともと行動範囲は広くない。
平日は大人しく家に帰る毎日を過ごしていたが、休日になって家のことを全てやり終えると、僕はいつものレコード屋を覗いて気になった音源を一枚買い、第二の行きつけであるやきとん屋へ向かった。
駅からほどよく離れたこの店は、穴場とまでは言わないが繁華街から少し離れているので騒がしい学生やふらっと飲みに来るような一見客は少ない。
顔ぶれは付近に古くから住んでいるであろう中高年が中心で、駅を中心にして家とは反対方向に歩いた方面にあるため、顔見知りにはまず会わないところも気に入っている。せっかく外に出ているのに、挨拶程度しか交わしたことのない同じマンションの住民などに遭遇しようものなら落ち着かない。
狭い店で客同士が物理的に近いからこそ、よく知る街の、馴染みのないエリアという立地がちょうどいいのだ。
もちろん味がいいというのもある。
店主は昔ながらの大将といった感じの寡黙なタイプだがメニューは斬新なものも多く、季節によって旬の食材を豚バラで巻いた創作串が出るので飽きない。最近はバングラデシュ人の学生アルバイトを雇ったようで、彼の故郷でよく食べられているボルタという料理が新しくメニューに加わった。
「イラシャイマセー!兄さん、こちら席、ドゾー」
例のアルバイトの彼に促されカウンターの一番奥に入ると、大将が「いらっしゃい」と焼いている串から一瞬目を上げて言う。そのタイミングでウーロンハイを注文。
アルバイトの青年ラヒルは、店の客を全て兄さん、姉さんと呼ぶ。
彼はとても愛想がよく、とにかく喋るのが好きだ。最初の方こそ大将は「無駄口叩くな」なんてよく怒っていたが、彼のキャラクターは常連から好かれ、今では無口な大将と何を言われてもへこたれない明るいラヒルの掛け合いがこの店の名物になったようだ。
「兄さん、ウーロンハイドゾー!それから今日はナスボルタですね〜」
ボルタはスパイスの効いた野菜のペーストのようなもので、日によってメインの具材が変わる。たまに「本日のおすすめ」に登場していたのが、串を待つ間のちょうどいい酒のアテとして常連客からのリクエストで常設となった。
「じゃあそれ一つ」
「アザマース!タイショー、ボルタ入りマァス!」
どこで覚えてきたのか、威勢のいい声を出すラヒルに「そんなでけぇ声出さなくたって、狭い店なんだから聞こえてる」と呟く大将。
「でもタイショー、大きいの声、元気なるダカラ〜!」と謎の言い分を述べるラヒル。常連たちがくすりと笑う。いつものやり取りだ。
「大将もっとラー君に優しくしてあげて〜」
手前のカウンターにいた中年女性が笑いながら言う。「姉さん、だーいじょぶ、ダイジョブ。タイショーとても優しい、ワタシ、いつも感謝してる」と答えるラヒル。大将はちょっと照れくさそうにしながら無言で串をくるりと回す。
この店では皆、彼のことを「ラー君」と呼んでいる。ラヒルは「”ラー君”はアッラーとちょと響き似てるだから嬉しい」とそのあだ名を気に入っていた。
僕は常連との会話にも混ざらないしラヒルともたいして話さないが、彼らの会話を聞きながら串をつまむのが嫌いじゃない。テレビを見ながら飯を食うような感覚だろうか。でも、家で一人でそうしているよりもどこか居心地がよく、だからこの店に来るというのもあるかもしれない。
8人並べるかどうかというくらいの立ち飲みのカウンターと、後ろに二人席のテーブル席が二つ。大体常連がカウンターに並び、たまに訪れる一見さんやカップルが後ろのテーブル席に座る。
土曜の夜、19時を回ると大体カウンターはほぼ埋まり、皆小一時間程度で会計、そしてまた新たな客が来る。
ナスボルタと串を4本、ウーロンハイを2杯飲み終えた。そろそろ帰ろうか、あと一杯飲んでもう少しつまもうか。カウンターに置かれているラミネートされたA4のメニューを眺めながら考えていると、ラヒルの元気な「イラシャイマセー!」が聞こえてきた。新たな客が来たようだ。
「あ〜姉さん!久しぶりダナ〜。ちょとお待ちクダサーイ、今みなさんちょと詰めてもらう」
ラヒルがそう言うと、新しく入店する女性が言った。
「あーいいよラー君、大丈夫!奥の人知り合いだから横入れてもらう」
奥の人って...
思わずメニューから目を上げると、入口からすいっと人を縫って一人の女性が入って来た。
「こんばんは、横いいです?あ、あたしのこと、誰かわかりますか?」