
さやかに星はきらめき ⑤
前回の話↓
さやかに星はきらめき ④
ひかるは自分でも驚くほど、落ち着いていた。
ドアをノックして、向こう側にいる準に声を掛ける。
「準、ちょっと話があるんだけど、入っていい?」
「どうぞ」
ドアを開けて、部屋の中に入った。
準の部屋に入るのは、四年振りだ。
少し印象が変わった気がする。
四年も経てば当然か
準は学習机の椅子に座っていた。
今まで勉強していたのか、楽譜を手に持って、視線は少し俯いている。
「ここに入ったの久しぶり」
「ああ」
「あの時のこと、謝ってほしいな」
さすがに、それを告げるのは緊張した。
「あの時のことって…」
はあ?
そうだった、こいつは絶望的に鈍いんだった
まさか、忘れてるなんてことはないよね?
「私が準のスタジャン着てお使いに行って、その後めちゃめちゃ怒ったじゃん」
ひかるは、なるべく冷静に話そうと努めたが、少し苛立ちが口調に出てしまった。
「スタジャン着られたくらいで、あんなに怒られると思わなかった。ショックだった」
「ああ、そのことか」
なんだか、一人で悩んで、私だけバカみたいじゃんか
「今まで、さんざん悩んでたんだよ。私だって意地になってたけどさ」
準は相変わらず、手に持った楽譜の表紙を眺めるように、少し俯いている。
大事な話をしてるんだから、こっちを向けよ
昔のように、普通に話せるようになりたいだけなのに⋯
と、思ったところで、ひかるは不意に、自分の気持ちに気付いてしまった。
ぐるぐると考えが巡り、もう、昔には戻れないんじゃないか。と思った瞬間、涙が溢れてきた。
「ごめん、ひかる…え?大丈夫?」
ひかるの涙に気付いた準がそう聞いてきたが、ひかるはもう冷静では居られなかった。
目の奥がツーンとなり、喉がつまり、涙が止まらない。
「ごめん…私の方から来ておいて悪いけど、このまま話すのは無理」
「準のせいじゃなくて、こっちの問題なんだけど⋯」
「とにかく、今は無理だから、ちょっと時間ちょうだい。また後日で」
矢継ぎ早に、一方的にそう告げると、ひかるは準の部屋を出て、階段を駆け降り、外に出た。
♫
ひかるは、神社のベンチに座っていた。
準の家を飛び出したあとも、涙はしばらく収まりそうもなかったので、そのまま自宅には帰れないと思い、どこかで時間をつぶそうと考えたのだが、思いついた場所はここだった。
日はすっかり暮れていた。
ベンチの周りは街灯で照らされているが、港へ続く商店街の街並みは、まばらに灯る明かりだけが見えていた。
12月にしては珍しく晴れていたが、上着を着ていてもさすがに肌寒い。
あんまり長居はできないな
そんな風に考えられる位には、心は落ち着いてきたが、気持ちの整理はまだ付けられないでいた。
さっき唐突に、準に対する自分の想いに気付いてしまった。
四年前のあの時まで、そんな感情はなかったはずだ。
四年間の沈黙が、逆に準への想いを募らせたのか。
こんな気持ちで、これから準と普通に話せるのか。
それに、あと二週間後には、クリスマスコンサートでソロを吹かなくてはいけないのだ。
少なくとも、演奏のことだけでも、準ときちんと話しておかなければ。
だが果たして、今の心理状態で、満足のいく演奏ができるだろうか?
悶々と考えを巡らせていると、ふと、階段を上がってくる足音が聞こえてきた。
たぶん、準に違いない。
それに気付いた途端、鼓動が速まる。
やばい、どんな顔をすればいい?
できることなら隠れたい…
姿を見せたのは、やはり準だった。
息を切らせた様子で、こっちに向かってくる。
ひかるは思わず、ベンチから立ち上がってしまう。
だが、次に準が見せた行動に、唖然としてしまった。
準はおもむろにひかるの前に来たかと思うと、その場に土下座をしたのだ。
「本当にごめんなさい!」
結構な声が響いた。
ひかるは、思わず吹き出してしまった。
一瞬で、今まで悩んでいたことが、吹き飛んだ。
おそらく、真由美にけしかけられたのだろう。
準は本当に昔から、絶望的に鈍いくせに、仔犬みたいに素直な奴だった。
「恥ずかしかったんだ。亘たちに、付き合ってるんだろう、なんて言われていてさ」
「ひかるが俺のスタジャン着てるとこ見られたら、まずいと思って…」
「⋯あの時は、急に怒鳴って悪かった」
「…そんなことだろうと思ったよ」
「いいよ、許してあげよう。さっきも言ったけど、私も意地になってたし、準に一発で泣かされて、悔しかったんだ」
鼓動はまだ速いままだったが、安堵から力が抜けてしまい、ひかるはストンと落ちるようにベンチに腰掛けた。
準の弁明が続く。
「ひかると話が出来なくなって、後悔したけど、完全に嫌われたと思ったから…」
「さっき急にひかるが泣き出したから、びっくりして、でも、後日って言われたから、どうしたらいいかわかんなくて」
「母さんに、何かあったって聞かれて、話したら、土下座して謝ってこい!って言われて…」
「あはは、やっぱりね。なんか、侍みたいな土下座だったよ」
準は、まだ地面に正座したまま、少し困ったように笑った。
♫
それから、『さやかに星はきらめき』の演奏について、ひかるが考えていることを準に伝えた。
テンポをもう少しゆっくりにしたいこと、カデンツァの入りはひかるのタイミングに任せてほしいこと、ハイCの前のグリッサンドはスラーに変えること、などだ。
くわえて、ひかるが感じている率直な気持ちも話した。
「ソロ、結構プレッシャーなんだよね」
「引き受けておいて、今さらなんだけどさ」
準からすぐに返事はない。
およそ数分、沈黙の時間が続き、寒さを思い出したひかるが、「まあ、でも…」と、当たり障りのない言葉を続けようかと思ったその時に、ちょうど準が口を開いた。
「俺、ずっと、うちらの学年の最初のソロは、ひかるにお願いしようって決めてたんだ」
「ひかるの音が好きだから」
ひかるは、顔がカーッと熱くなるのを感じた。
いきなり、なんだよ!
「みんなに聴いてもらいたいんだ」
「だから、成功させたい」
「なるべく、ひかるがやりやすいように合わせるから」
「だから、思い切りやってほしい」
準は一つ一つ、言葉を慎重に選ぶように言った。
ただ、本心からの言葉だということは、ひかるにも伝わった。
もう、腹を括るしかないな
「わかった」
「いい演奏にしようよ」
ひかるは、意識してはっきりした口調でそう言った。
準に向けての言葉だったが、半分は自分に言い聞かせるためだった。
続く
次回の話↓
さやかに星はきらめき ⑥ 最終回