
南家の一大事~精神科ナースが弟の借金400万問題に取り組んだ3か月記#6
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【第六話】結果が出る前に起こる信用問題
借金問題発覚からひと月半。
自己破産の道を自ら選択し、一度目の弁護士相談を終えてから半月。
進捗状況を伝えるというスキルの持ち合わせのない弟だが、必要書類をいつまでにどう集めるのかを繰り返し父に確認され、それに反発してケンカ腰で応じながらも、なんとか期日までに揃えることができた。
そうして二度目の弁護士さんとの面談に、父同伴で臨んだのである。
提出した書類や資料を細かくチェックしてもらい、幸いにも、この日のうちに自己破産の手続きへ入ることが決まった。
家族一同、早く決着がつきますように、できれば同時廃止で通りますように、と祈るばかりだ。
そんな折に弟から、『面接に行くためのスーツがない』『スーツ代が欲しい』という名目で私のもとへ連絡が入った。
お金も含めて、相談窓口は私なのでそこは問題ない。
借金の反対は貯金である。
秋彦自身が望むひとり暮らし継続のためにも、少しでも収入を得られるように就活に勤しむように伝えていたし、ようやく書類選考から面接へと進めることになったらしい。
それ自体は喜びたい。
「このひと月半で成果が出せるなら、こんなに借金を作る前に動けよ」「やれただろ」というツッコミが家族から聞こえてきたが、そこは私の方でフォローを入れたい。
精神状態や病状によっては追い込まれても動けないケースを山ほど見てきたので、むしろ動けただけエライ、と言っておこう。
ただ、問題は、スーツ代を希望してきた後に続く言葉である。
家主の夏江が自分に対して不機嫌な顔を向けてきてつらい、と漏らしてきたのだ。
「スーツ代が欲しいって言ったら、いやな顔をされた。ナツ姉は、俺を実家に戻したいから、就活がうまくいかない方がいいんだ」
「母さんもおんなじだ。お金のことはハル姉にまず相談しろって」
そう感じるんだね、といったん相手の言葉を受容しつつ、姉としての私は溜息が出そうになる。
秋彦が、『自分の頑張りを否定されてる』『邪魔されてる』と受け取る思考になっていること自体は否定しない。
でも、何に使うのか、本当に必要なのか、と問われた際に、「仕事なんて決まりっこないって俺に呪いをかけてくる」と受け取ってしまう感覚が悲しいし、『お金に関してはまず私(春奈)に』と言っておいたのに打診していたのも悲しい。
そもそも秋彦はすでに、書類選考も通っていないのに『もう来月から働ける』と言ってしまった前科がある。
ここですでに言動への信用がない。
さらに、私は、秋彦の生活態度に関して夏江や父から苦情という形で聞いている。
生活費を含めて支出を必要最低限に抑えようという夏江の姉心と西島氏の厚意によって一時的な同居を行なっているのに、日常的な挨拶もせず、夏江の部屋にひきこもり、食事の時にもまともな会話もないとのことだ。
弁護士のことや就活のこと、集めるべき資料の進捗も自らは伝えてこない。
にもかかわらず、お金が欲しいときだけ声をかけてくるとあっては、相手もそりゃあ、気分を害するだろう。
さらに、ここ数日ほど、就活という名目で、夏江宅から自分の家に戻って連泊しているとの報告も合わせて受けていた。
ネット環境の良し悪しや、3歳児がいる中でのオンライン面談は確かに難しい側面もあるだろう。
ただ、そんな事情を踏まえた上でなお、何のためにわざわざ部屋のブレーカーを落として、夏江が弟を引き取ったのかを忘れているんじゃないか、と思われているのだ。
人は、生きているだけでお金がかかる。
おまえが使った交通費や飲食代、家賃、弁護士費用、すべてが他人の給料から出されていることをどう感じているのかと詰められてもおかしくない状況にいるのだ。
もらって当然だとでも思っているのか、と詰められる状況だ。
お金を貯めるなら実家にいったん身を寄せて、支出を限りなくゼロにするとこからスタートするのも手ではないか、それができないならせめて我が家に、という夏江の意図も温情もまったくもって伝わっていなかったのである。
困ったときだけ声をかけてくる、金の無心しかしてこない人間に、人は優しくできない。
都合のいい扱いをされて喜ぶ人はいない。
だいたい、『搾取されている』『利用されている』と相手に思わせたら、その時点で縁は切られるものだ。
お金は信用の証。
将来への投資と思えたら、喜んで援助する人間はいる。
でも浪費に対して、自身の資産を差し出したいと思える人間はそうそういない。
人は口ではなんとでも言える。
だけど、行動が全てを語る。
普段の言動の端々に信用にたる人間か否かがにじみでる。
うまくいかないことを他人のせいにしている段階では前には進めないのだ。
報連相のなんたるかを知らず、当たり前のコミュニケーションを取らず、感謝が態度に出ないどころか反発するというのは致命的なエラーである。
これからはお金に対してちゃんとしたい、と告げた言葉がまるで重みのない、薄っぺらいものへ変わってしまうのが切ない。
けれど、いまはまだ弟にこれを言ったところで真意は伝わらないし、響かないだろう。
なお、借金によって生まれた家族間の感情的な隔たりとは別に、就活に関しては、秋彦と夏江や母とでは、視点が違うこともコミュニケーションエラーの要因になる。
システムエンジニアである秋彦に対し、私も夏江も、そして母寿美子も、それぞれの所属科は違っても看護師である。
だからこそ、「病気をしたら、リカバリーには相応の時間がかかる」ことを知っている。
心身に変調をきたして生まれたブランクは、そう簡単には埋まらない。
治療さえ終われば完全に元通り、元のパフォーマンスを存分に発揮できるようになれるかと言えば、そういうわけでもない。
どこかに必ず変調を残す。
これは本人の努力とか資質とかとはまったく関係なく、そういう仕様なのだ。
だからこそ、世の中には復職者のためのリワークプログラムが存在しているし、自身の変化と向き合ってうまいこと折り合いをつけ、付き合い方を身につけていく。
そして、どれだけ企業側が受け入れてくれるかで就労も就労後の継続の難易度も変わる。
治療やサポートが不十分な状態で復帰してもすぐに体や心のバランスを崩してしまうだろうことは予測できる。
弟には、本人の申告ではうつ病による1年半のブランクがある。
この重さをどれだけ客観性を持って自覚できているかという話になると、「自分はやれるのに周りが邪魔をする」という言動で、看護師視点で見ると「現実が分かってない」とみなされてしまうのだ。
ただ、相手の強みや可能性よりも、問題点にフォーカスして対策を考えてしまうのは、看護師の悪いクセではある。
なので、ここでカウンセラースキルを使う。
現実の問題点に対して、相手の言動に否定的にならないよう己の言動に気を使いつつ、でも、うまくいかなかったときに建設的にフォローする精神で。
ひとまず、就活が進んでいることを評価し、かつ、スーツはできるだけ量販店の安いもので値段を抑えてもらうこと、そのためのリサーチはしておくこと、夏江には私の方からスーツ代の提供を依頼する旨を伝え、弟との15分ほどのオンライン面談を終えた。
こんなやりとりから、わずか2日後。
秋彦から、スーツがどうなったのという報告がない代わりに、携帯電話の代金の立て替え、および、今後もし差し押さえられた場合には私名義で新規契約をしてもらえないかというメールが届いたので、乾いた笑いが漏れた。
おまえ、ホントそういうとこだぞ、と言いたい。
言わないけど。
携帯の請求内容をスクショして確認させてもらったが、支払いは1万近い。
ベースのプランが高いためなのだが、なぜそれを今更いうのかと頭を抱える。
まずは一番安いプランへ変更するように伝え、かつ、さらに安くするための情報を得るため、父を付き添いにして翌日家電量販店へ向かってもらうことにした。
ちなみにこういう時の相談先は、キャリアの出張所や代理店はなく、すべての機種を扱う家電量販店がおすすめである。
すべての会社の中から、一番自分の希望(用途)にあったプランを提案してもらうためだ。
ただし、あくまでも今回は情報収集である。
そんなこんなでその日の夜。
実家に赴いた私は、スマホで恒例のオンライン家族会議を実施した。
ストレスがたまっている父と夏江の愚痴も聞きつつ携帯電話契約の進捗を確認したところ、機種変更とキャリア変更を提案され、さらにフェア中だと聞き、弟は舞い上がってしまったらしい。
明日にでも契約に行くと予約までしたと聞き、しかもその進捗を弟は私には方向していない点も含めて唖然としてしまった。
お金の節約意識は大事だが、目先のことに惑わされ、深く考えずに飛びつく性質と、自己破産の手続き途中に何をしているのだろうという疑問でめまいがする。
いや、どこかでそうなるかもしれないとは思っていた。
だから、わざわざ携帯電話に詳しいわけでもない父に、弟の付き添いを頼んだ。
不測の事態を予測するのが看護師である。
伊達に精神科で働いていない。
でも、できればそこは杞憂で終わってほしかった。
とりいそぎ、秋彦に連絡を入れ、家電量販店への予約はキャンセルとし、プラン変更のみにしておくようにと私から伝えた。
昔、精神科で行っていたソーシャルスキルトレーニングを弟に対して組む必要性をひしひしと感じる。
言われたことをやる、やった前後で報告する、やれないならその進捗を報告する、というのは仕事をする上で必須である。
そして、人間は意図して笑顔を作りといった表情管理を必要とされる場面が多々ある。
なにより社会に出て働くとき、コミュニケーションの第一歩は笑顔で挨拶、だ。
他人の表情に文句をつける前に、主観ではなく客観的に自分が人からどう見えるかを意識できないと厳しいだろう。
いま自分は何を考えて、どういう計画で、何をしていて、そのために何が必要かもふくめ、常日頃からコミュニケーションをとっていなければ、信用はされない。
今回の件は、どう好意的に解釈したところで、はたから見ればただの金の無心としか取られない。
あまつさえ、借金を背負い、まだ何も終わっていないのに、という目も向けられることになる。
信用を落とすとはそういうことだが、もともと今回の一件で地に落ちていた弟の信用がさらに落ちて地面にめり込んでいる。
しかも、秋彦の言動が女性陣の顰蹙をかうエピソードが父によって追加されてしまう。
精神状態的に判断能力が低下していると思われる秋彦だが、なんと、「今はプラン変更に留めた方がいい」という父の助言に対し、「親父はなにもわかってないだろ」と突っぱねたらしいのだ。
お金がないから助けてほしいと言いつつ、相手の提案を聞かないのはいかがなものかという点で、この話を聞いた妹や母の不快指数は急上昇だ。
そもそも今回の弁護士費用も立て替えてくれたのは父だというのに、この言動である。
父は苛立ちつつも、その点についてはコメントを控え、無言となった。
父にとって秋彦は、それでもかわいい息子なのである。
信用が奈落の底まで落ちれば、家族間の関係修復は絶望的になる。
病院にいるとそういった事例を幾度となく目にするのだが、患者家族関係というのは本当に根が深い。
医療者は『いま目の前にいる患者』と関わるが、家族はそれ以前の『患者になる前』の相手と関わり続けて、そして病院につながるのだ。
今はとても穏やかでニコニコしている好々爺だったとしても、そこに至るまでに壮絶な家族の闘いがあったりもする。
これは外からではわからない闇の深さである。
迷惑をかけられたから関わりたくないと告げる家族をどうして責められよう。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、という諺がある。嫌いになると、その人物が身につけてるものまで憎らしくなってくる、要はなんもかんもが嫌悪の対象になるという話だ。
好きな相手なら大抵のことは許せるし、嫌いな相手ならどんなことも目につき許せなくなる。
ちなみに、一度「嫌い」となると、それまでどんな関係が良くともすっぱり切って心を閉ざすのが南家女性陣の気質である。
祖母もそういうきらいがあったので、これは南家というよりは母方の血だろう。
そして、父や弟はこの「切って捨てる」感覚がない。
その辺の性質の違いがコミュニケーションエラーの一因にもなっているのだが、そう分析するのは、精神科で鍛えられた感覚だろう。
自分の感情と仕事は切り離さねばならないのが、看護業界であり、感情労働の現場である。
そして精神科は、コミュニケーションエラーで苦しく、生きづらい方々への支援の場でもある。
とりあえず、携帯電話の件だけでなく、今後のために、お金の使い方も、そして人間関係の基本的礼儀作法についても二人三脚でいかねばならないかも、と考えて、ちょっと気が遠くなった。
頭が痛い。
→★第七話(最終回)