
【連続小説】たまに夢で見る #4
第九章「回復」
佐々木からメッセージが届いたのは、木曜日の朝だった。
「日向慎平先生、取材しないか」
驚きはなかった。
日向は信州ARCと連携する薬物依存専門外来の医師で、すでに何度か取材記事になっている。PORTをめぐって財団内で議論が起きているという話も、最近よく目にしていた。佐々木の中で、その二つがつながったのだろう。依存症と回復のテーマで記事を書いたことがある。八年前の我孫子の記事も、そのうちの一本だ。その経歴を、佐々木は覚えている。
ただ、佐々木はPORTを社会的な論点としてしか知らない。一年近く通っていることは、誰にも話していなかった。
スマホを伏せた。別のことをしようとして、できなかった。ノートパソコンを開いても、文字を追う手前で止まる。
昨夜も、似たことがあった。
ノートパソコンを閉じる前、再起ネットワークのサイトを開いた。八年前に取材した我孫子の名前を、役員一覧の中に見つけた。写真はなかった。名前だけをしばらく見て、何もしないままタブを閉じた。
タブを閉じたあとも、名前だけが頭に残った。
そのまま寝た。
カーテンの隙間から、朝の光が机の上に細く落ちていた。冷めたコーヒーが半分残っている。一口飲むと、苦みだけが先に来た。
PORTの壁に貼られたポスターで日向の名前を見たのは、昨日だった。記事もいくつか読んだ。
当事者経験を持つ支援者。
どの記事にも、たいてい冒頭近くにその枕詞が置かれていた。その言葉が置かれた時点で、続きがどう読まれるかは決まってしまう。そう分かりながら、読んだ。
記事の中の日向は、迷いのない人間として書かれていた。ARCの自販機の前で「分からないです」と繰り返していた姿とは、別の人間のようだった。
昼になって、佐々木から追加のメッセージが来た。
「PORTが進めているようなハームリダクション支援のあり方が議論になっている今、回復した側の言葉も必要だと思う。日向先生なら、読まれる」
「回復した側」
その五文字を、しばらく見ていた。
日向をそう括れば、記事は読まれやすくなる。本人が何を考えているかとは別に、その記事はPORTのやり方を批判する側のものとして読まれる。
佐々木は、そのことを分かったうえで言っている。
佐々木とは、もう七年か八年の付き合いになる。組織にいた頃から、外に出せる仕事を選んで回してくれた。逮捕を機に組織を離れたあとも、理由は聞かず、記者としての仕事を振り続けてくれた。
だから、断りにくい。
佐々木は、断っても責めない。ただ、理由を聞く。責められる方が、ある意味では楽だった。
「少し考えます」
返信した。
カーソルが画面の中央で点滅していた。コーヒーを淹れ直し、湯気が消えるのを見てから、コートを着た。
今日は木曜日だった。PORTは十五時から開いている。時計を見ると、もう十五時を少し過ぎていた。
空は曇っていて、風には湿った匂いが混じっていた。
商店街を抜けると、PORTの入ったビルが見えた。隣のクリーニング店のガラス越しに、ドラム式の乾燥機がゆっくり回っていた。木の階段を上がると、二段目と五段目が軋んだ。手すりは冷たかった。
三階のドアを開けると、辻堂が棚の前に立っていた。パンフレットを補充していた。振り向き、うなずいた。
何も言わなかった。
ここへ来るようになって、もうすぐ一年になる。最初に来た理由は、今ほどはっきりしていなかった。Xで深夜にPORT東京のアカウントの投稿を見て、理由も書かずに住所だけDMで聞いた。翌朝、返信が来た。住所と「お待ちしています」という簡潔な一行だった。
受付には、名前を書く紙もなかった。最初に来たとき、辻堂は言った。名乗らなくていい場所だ、と。ここでは、名乗らないことが特別ではなかった。薬物依存の当事者とも、支援者とも、記者とも言い切れないままいても、何者なのかを問われることはなかった。
名前を知られないまま通える場所は、ここだけだった。
棚の前に立った。
一番上に、HIV検査の案内が並んでいた。一枚抜き取った。けれど、読まなかった。
男と会うようになった頃から調べ続けてきたことばかりで、開かなくても内容は分かる。それでも、紙の縁が指に触れているあいだだけは、知らないふりができなかった。
しばらくして、元の場所に戻した。隣に薬物依存症のリーフレットがあったが、手を伸ばさないまま棚の前を離れた。こちらは、触れないままでいる方が楽だった。
棚の端に、フォーラムの案内が数枚重なっていた。一枚取って、鞄に入れた。紙はほとんど重さを感じなかった。
丸椅子に座った。紙コップに水を注ぎ、飲んだ。水道水特有の、わずかな塩素の味がした。佐々木の依頼を抱えたまま、ここにいた。取材に来たわけでもなかった。ただ、返事ができないまま出てきてしまった。
助成している財団との折り合いが難しくなっているという話は、辻堂から何度か耳にしていた。
辻堂が机の電話を取った。受話器を耳に当てたまま、こちらに小さく頭を下げる。財団の担当者からだと、声の張り方で察した。普段より一段高い、丁寧すぎる声だった。
「はい、はい。来週の公開検討会の件ですね…はい、資料は今週中に」
辻堂の「はい」を、頭の中で数えていた。気づくと、そうしていた。
三回。
辻堂はメモを取り、ときどき相槌だけを挟んだ。電話は長くなりそうだった。
ドアが開いた。四十代くらいの男が入ってきた。雨の匂いを連れてきたような気がした。
男は棚を一度見渡し、迷わず奥にあるパンフレットへ向かった。辻堂は電話の途中で、一度だけそちらを見た。
辻堂は受話器の送話口を手で覆った。
「今日はどういったことで…?」
いつもなら、辻堂はすぐには声をかけなかった。名乗る人もいる。何も言わずに棚へ向かう人もいる。そのどちらかが決まるまで、少し待っていた。今日は、電話がその間を埋めていた。
男は一枚だけ取って、すぐに出ていった。辻堂は受話器を耳に当てたまま、もう一度だけそちらを見た。
電話は、まだ続いていた。
ドアが開いた。
三十代後半くらいの男だった。藤沢日出夫、と後から知る名前だった。細めのコートを着ていた。静かにドアを閉め、室内を一度見渡す。辻堂が電話中だと分かると、小さく会釈して棚の方へ向かった。
棚の前で止まった。最初に取ったのは、薬物のパンフレットではなかった。性感染症の検査案内だった。
開いて、読んでいた。途中で指が止まり、またページを送る。何かを確かめるような手つきだった。
勝手に、自分と近いところにいる人間だと思った。そう見えただけかもしれなかった。
他人のことなら、少しの仕草で何かを決めてしまう。自分がなぜ今日ここへ来たのかは、まだ何一つ決められないのに。
辻堂の電話の声が続いていた。
「ええ、そこは説明できます…いえ、利用者の本人確認は…」
相手が何を言っているのかは聞こえなかった。辻堂の声だけが、普段より堅かった。
男は案内を棚に戻した。隣のHIV検査の案内を一枚取る。折り畳んだまま手に持ってから、こちらを見た。
「あの、スタッフの方ですか」
返事はしなかった。棚の方を、少しだけ示した。
男はそれを見て、カードを一枚取った。案内と重ねて持ち、ドアへ向かう。
「ここ、誰でも来ていいんですか」
「はい」
口に出してから、自分が何者として答えたのか分からなくなった。
男はうなずいた。
「ありがとうございます」
誰に向けた言葉だったのかは、分からなかった。
ドアが閉まった。湿った空気だけが、一瞬、部屋に残った。
しばらくして、辻堂が受話器を置いた。机のメモを見たまま、言った。
「次は、僕を呼んでくださいね」
怒っているようには聞こえなかったから、すぐには返せなかった。
空の紙コップを手にしたまま、座っていた。窓の外で雨が降り始めた。窓に当たる音が、ぽつ、ぽつ、と続いていた。
「コーヒー、いりますか」
さっきとは違う声だった。
「いただきます」
辻堂がカップを二つ出した。湯の落ちる音がして、コーヒーの匂いが部屋に広がった。
二人で、何も言わずに飲んだ。
なぜあの男に何も言わなかったのか、辻堂は聞かなかった。そのことだけが、しばらく残った。
コーヒーを飲み終えてから、荷物を持って立った。
階段を下りると、上るときには鳴らなかった四段目が、一度だけ軋んだ。外は雨だった。折りたたみ傘を開いた。商店街を歩きながら、鞄の中にフォーラムの案内が入っていることを思い出した。アスファルトに雨が当たって、土の匂いが立っていた。
佐々木への返事は、まだ送っていなかった。
第十章「夢の話」
帰宅して、別の資料を探していた。
部屋の電灯はつけていなかった。画面の光だけが顔を照らしていた。外付けHDDのフォルダをいくつか開いて、目当てのものが見つからず、また別のフォルダを開いた。過去の取材資料がまとまっている階層に迷い込んで、三年前の音源や使わなかった写真が入っているのに気がついた。
その中に、取材メモのファイルが一つあった。
「我孫子インタビュー_メモ」
作成日付は八年と数ヶ月前だった。
開いた。古いフォントのまま表示された文字が、画面の中で少し滲んで見えた。
急いで打ったときの癖が出ていた。タイポが二箇所。スペースの入り方がおかしい部分もあった。インタビューが長引いたとき、メモはいつもこうなった。
場所は再起ネットワークの事務所だった。古いビルの四階で、窓の外には灰色の非常階段が見えていた。折りたたみ椅子が二脚、向かい合っていた。座面の金属が冷たかったことを、今でも覚えている。我孫子はずっと背中を少し丸めて座っていた。インスタントコーヒーが出てきた。湯気はほとんど立っていなかった。
我孫子はよく話した。話すのが得意ではないのに、聞いてもらう機会が少なかったような話し方をした。その日、四時間ほど一緒にいた。レコーダーを回していたのは二時間半。残りの一時間半は、音源には残っていない。
レコーダーを止めてから、我孫子はしばらくカップを持ったまま座っていた。それから、誰かに連絡しなければいけないと思い出したように立ち上がって、また座った。そういうことを二度か三度繰り返した。夢の話が出てきたのは、その後だった。
夢の話だった。
使っていた頃の夢を見る。嫌な夢ではない。怖くも苦しくもない。ただ、目が覚めたとき、今どこにいるのか、今がいつなのかを確認するのに、少し時間がかかる。我孫子はそう話していた。
聞きながら、自分にもそういう朝があったことを思い出していた。
我孫子は窓の方を向きながら話していた。外は曇っていた。話しながら、時々手のひらを太ももの上に置いた。何かを確かめるような動作だった。
声が少し低くなった。整理しきれていないものを、できる限り正確に言葉にしようとしているような声だった。その種の声の区別には慣れていた。聞きながら、記事に使えるかどうかを同時に考えていた。
その場では、使えないと判断した。
見出しは「再出発した男の十年」というものだった。使い始めてから支援の側に立つまでの十年を、編集者はそう括った。よくできた見出しだった。我孫子の話した内容のうち、使いやすい部分だけが整然と並んでいた。
記事が出てから、我孫子とは会っていない。記事が出た翌月、「丁寧に書いてくださり、ありがとうございます」というメールが届いた。返信はした。それきりだった。
夢の話を書かなかったことを後悔したことはない。ただ、記事が出た後も夢の話は残った。我孫子の声が、今でも思い出せる。低く、少し掠れていた。
メモの中に、太字にした一行があった。自分で太字にしたものだった。
――夢の話が強すぎる。回復までの道筋がぼやける。
それで切ったのだった。回復についての記事が、夢についての記事に変わってしまう。だから外した。今でも間違いではなかったと思う。
ただ、使いやすい部分だけを使ったという感覚は、残っている。八年が経っても。
ファイルを閉じた。画面が暗くなって、部屋がさらに暗くなった。
雨の音がしていた。さっきより少し強くなっていた。外付けHDDのウィンドウがまだ開いていた。三年前の音源、使わなかった写真、八年前のメモ。どれも整理されていない。誰かの声が、使われないまま残っている。
昨夜、再起ネットワークのサイトで名前を見つけていた。役員の一覧に、写真のない欄があった。我孫子は今も、支援する側にいる。回復した側、だ。今夜は、そのまま閉じられなかった。
問い合わせフォームと、佐々木とのやりとり画面を、並べて開いた。画面の光が、両手の甲を白く照らしていた。
文面を打った。
「以前、我孫子さんを取材した者です。赤坂と申します。記事に書かなかったことについて、今になって確認したいことがあります。ご都合のよいときにご連絡いただけますでしょうか」
打ち終えて、しばらく動かなかった。送信ボタンの上にカーソルを置いたまま、画面を見ていた。
指がキーボードの上で止まっていた。
雨の音が、一段強くなった気がした。窓を見たが、変わっていなかった。
送信した。
もう一つの画面に切り替えた。佐々木とのやりとりだった。
「やります」
打って、すぐには送らなかった。佐々木の「回復した側」という五文字が、また浮かんだ。日出夫が案内を手に持ったままこちらを見た、あの一瞬も、浮かんだ。何も言わなかった自分も。辻堂が電話の途中で声を止めた、あの間も。
送信ボタンを押した。
二つの文面を送り終えて、画面が静かになった。どちらが先だったかは、後で思い出せなかった。
送ってから後悔が来るかどうかを、少し待った。来なかった。雨の音だけが、規則的に窓を叩いていた。
部屋は暗いままだった。
第十一章「逡巡」
翌日、PORTに寄ると、辻堂の机の上に見慣れない紙が置かれていた。
今日は金曜日だった。ここ数日のことを、辻堂には話していなかった。佐々木への返事も、我孫子への連絡も。話していなかったが、昨日の沈黙だけは、もう辻堂に見られていた。こちらが来ると顔を上げて、うなずいた。いつもと同じうなずき方だった。
棚の前に立った。補充がされていた。財団がどんな条件を出してきても、棚に案内を補充することは続ける。それが辻堂のしていることだった。
一番上の段を見た。HIV検査の案内。性感染症の検査案内。昨日、二人目に来た男が最初に手を伸ばしたのはここだった。
丸椅子に座った。
机の上の紙が、座った位置からも読めた。財団の名前が印刷されていた。財団名、日付、会場。来週開かれる公開検討会についての通知だった。文面は丁寧だった。
辻堂は何も言わなかった。
何も言えなかった。
PORTの中は、いつもと変わらなかった。それでも、机の上に通知の紙が一枚あるだけで、部屋の空気は少し違っていた。辻堂は通知を一枚コピーすると、こちらに差し出した。コーヒーを差し出すときと、ほとんど変わらない手つきだった。
「必要なら、持っていきますか?」
受け取って、鞄に入れた。
佐々木に「やります」と送ったことを、辻堂は知らない。PORTをめぐる議論と無関係ではない日向の取材を、昨夜のうちに引き受けていたことを。
以前辻堂から聞いた話では、財団が求めるものとPORTのやり方は根本から合わなかった。利用者を番号で管理し、目標を設定し、成果を数値で出す。それをPORTに求めている。日向のフォーラムは来月の別の話だ。だが、佐々木が考えている記事の掲載時期は、来週の公開検討会と重なる。
しばらく、二人とも何も言わなかった。辻堂はパソコンを見ていた。紙コップに水を注いで、飲んだ。今日の水は、昨日より少し冷たく感じた。
しばらくして、辻堂が画面から目を上げずに言った。
「昨日も来てましたね」
返事はしなかった。
「知ってます」
辻堂はそれだけ言って、また画面に目を戻した。
帰宅して鞄を開くと、フォーラムの案内が出てきた。
机の上に置いた。財団からの通知の隣に並べた。
日向の記事が出れば、来週の公開検討会を前に、「回復した側」の言葉は、PORTの支援のあり方に異を唱える側の材料として読まれることになる。PORTが回復そのものを否定しているわけではない。それでも、「回復した側」という括りを置くだけで、完全断薬を目標にしない支援とのあいだに、対立があるように見せることはできる。佐々木の依頼を受けた時点で、そのことは分かっていた。
ただ、日向が何を話すかではなく、その言葉をどう並べるかで、記事の意味は変わる。日向は「回復した側」として読まれることになる。
八年前、我孫子にも同じことをしていた。
フォーラムの案内を手に取った。紙は乾いていた。登壇者一覧の下に、問い合わせ先のメールアドレスが印刷されていた。
フォーラムは来月だった。公開検討会は来週だった。
記事を公開検討会に間に合わせるなら、今夜しかない。パソコンを開き、新規メールを作成した。件名を打った。消した。もう一度打った。
取材依頼の文面なら、何百通も書いてきた。型はある。型どおりに書けば、十分もかからない。
ただ、本文の二行目で手が止まった。
自己紹介に、PORT東京を利用していることを書くかどうか。ARCで何度も顔を合わせた日向なら、名前を見れば、あの頃の赤坂だと気づくかもしれない。だが、PORT東京に通っていることまでは知らないはずだった。利用者でもある記者から取材依頼が来たと分かったうえで、受けるかどうかを日向に決めてもらうべきなのか。
書かなければ、ただの取材依頼になる。どちらが正しいのかは、分からなかった。
カーソルが、二行目で点滅していた。
窓の外で、街灯がひとつ点いた。
公開検討会まで、一週間だった。(#5に続く)