
【読書・展示紹介】ちいさい、けれどたしかな光 - 星の眼差し展/水色の器展/小さな声の向こうに

モノと情報の溢れる社会の喧騒の中で、いつしか「大きくてわかりやすいもの」よりも「ちいさい、けれどたしかに光るもの」のことを愛するようになっていた。
ちいさいものは儚く、時に弱く見えることもあるけれど、その光は決して弱くはない。
そんな、「儚くも、たしかな美しさをたたえる」作品や本を、この記事では集めてみました。
tukifune 「星の眼差し」展
星のような石たちの声を聴く

今回の展示は、作家・tukifuneさんと、石が大好きな小学生の女の子・秋映灯さんとの共同制作。
tukifuneさんが秋映さんの表現する石の魅力に声を傾けながら、暮らしに彩りを添えるさまざまな作品を制作されたものだ。
秋映さんがそれぞれの石の魅力を語った言葉が作品の隣には添えられているのだけれど…
この言葉の表現一つひとつがまた、良いのである。

「し、小学生なんですよね…?」と聞きたくなるほどの語彙力と表現力の高さに、彼女ならではの純粋で独自的な視点。
彼女の言葉を見ながら石を見ると、また石の違った表情が見えてくる気がするのである。

石は、周囲の自然環境の影響を大きく受けながら形作られる。
一つひとつ、決して同じ形はない。
その点でまさに石は、銀河系の中で形作られる「星」のメタファーのようでもある。
その「星」たちの声を一つひとつ聴きながら、暮らしに彩りを添えるものとして制作された今回の作品たちは、静かでやさしい光を湛えていた。

【展示情報】
tukifune「星の眼差し」
2026.05.28 - 06.14
代官山 蔦屋書店
9:00 - 22:00
会期中無休
金恵貞「水色の器」展
陶芸の碧が織りなす静かな光

展示テーマの通り「水色の器」の並んだ空間には、静けさと同時に波打つような気配が感じられる。
作家の言葉通り「静かな光」を湛えた作品群。

作家曰く、釉薬の碧い色合いが現れるのは空や海の色が現れるのと同じように、自然の原理なのだという。
作品群の水色/あるいは碧は、釉薬の中の化学反応により、光のスペクトラムが碧く現れることで生まれている。つまり、実際には水色ではない釉薬が「水色に見える」のだ。
それは、実際には透明である空や海が光の具合によって「碧く見える」のと同じような自然の摂理なのだとか。

土と向き合い形を作り上げていく過程は、「やきもの」というものの偶発性を多く含む。
釉薬が竈のなかでどんな色を映し出すか、
土がどう形を変えるか、どんな質感を出すか。
それらはすべて自然の摂理の一部であり、(もちろん高い技巧が前提とされながらも)「偶然の産物」とも呼べるものだ。
作品の水色の光がきらめく空間は、陶芸が自然との対話であることを再認識させてくれた。

木漏れ日の揺らぎや音の響きのように、そこに在るだけで心が整うもの。物質の奥から「静かな光」が放たれるようなものを作りたいと願い、制作を続けています。
作家・金恵貞氏の言葉より

【展示情報】
金恵貞「水色の器 Vessel of Water - Celadon and Patina」
HIN / Arts & Science (青山)
2026.04.29 - 05.10
11:00 - 19:00
火曜休み
塩谷舞『小さな声の向こうに』
美しいものを拾いあつめて

日常の近くにある美しさにふれることを、筆者の暮らしを追体験するような形で体感させてくれるエッセイ集。
取り上げられる様々な「美しいもの」は、繊細な中にたしかな光を湛えるものばかり。
私もこんな体験を生み出せるようなものを作り出したい、と思わせてくれる読書体験だった。

この本(の特に前半部分)を通じて、静けさと穏やかを貫くこともまた、現代に存在しうる強さのひとつであるように思った。
何も刺激に強くあることや毎日精力的に動き回ることだけが現代の正統ではない。
刺激に弱い/脆弱な自らのあり方を自覚して、
しかしそんな自らでしか感受できない美しさを守りつづけること、
それに誇りを持つこともまた、ひとつの正統であるように思う。

大事なのは、ただ自分であること、自分を忘れないこと。
自分の領域を出たものを求めるのではなく、
自分の領域の中で、自分にしか実現できないものをどうやったら守り抜けるかに頭を巡らす。
私にとってはその答えのひとつは「静けさ」「穏やかさ」、けれどその中に拘りとも呼べるほどの強さをもって輝く光を追いつづけることなのだろうなと思う。
ただそうして私は私をいつまでも諦めずにいたいと、この本を読んで感じた。
【書籍情報】
塩谷 舞(2024)『小さな声の向こうに』文藝春秋
ちいさな、けれどたしかな光たち
情報があふれる社会の中で、「わかりやすさ」は時に人目を引くための重要なファクターになる。
それは色合いの鮮やかさであったり文字や画像の大きさであったり、あるいは扇情的な言葉の連なりであったりすることもある。
もちろんそういった表現にもそういった表現にしかない美しさはあるのだけれど、
私自身はどちらかというと「静かな佇まいの中にある、けれどたしかな光」をもつものに惹かれてきたように思う。
そこに息をする場所をみつけてきた、ともいえるかもしれない。
決して激しい主張はせず、誰かに「見つけてもらう」ことに主眼を置いてはいない。
ただそこに、自らの色を貫いて静かに佇む。
けれど、その中に揺るぎないたしかな光を秘めていて、だからこそなぜか目を奪われる。目が離せなくなる。
そういうものに惹かれてきた。
tukifuneさんの「星の眼差し」展、金恵貞氏の「水色の器」展、塩谷舞氏の『小さな声の向こうに』はどれも、そういった「ちいさくて静かだけれど揺るぎない光」を映しているようにみえる。
それらをこうして並べてみると、
その光は「自らと外にあるものの関係を丁寧に紡いでいる」ことを源にもっているように思う。
「外にあるもの」とは、自然環境かもしれないし、もっと広がって宇宙、あるいは隣にいる他者かもしれない。
そういった、自然や宇宙、隣の誰かにやさしく繊細なまなざしを向けながら、そのひとにしかない視点で関係性を紡いでいく。
それが「ちいさい、けれどたしかな光」の根底にあるもののように、わたしには思えてならなかった。
…といった感じで、noteではアート/文化/言葉/生活/たまに仕事などの様々なトピックを、
「アートと人文と暮らしの交差点」をテーマに
自由気ままに書いていこうと思っている。
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それでは、今日が良き日となりますように。
春は。/Haru - wa.

【参考文献】
ARTS & SCIENCE 公式HP
金恵貞「水色の器 Vessel of Water – Celadon and Patina」
https://arts-science.com/events/hyejeong26/
塩谷 舞(2024)『小さな声の向こうに』文藝春秋