
あとがき
えっと、あとがきです。
この小説は、子供の頃からずっと不思議だった「なぜ三次にはこんなに古墳が多いのか」という問いに、自分なりの答えを出すために書きました。
最初のきっかけは、飲み会で聞いた「三次が高天原だったいう説があるんで」という話です。
正直、笑いました。
こんな山あいの「ド田舎」の三次が高天原だなんて、冗談にもほどがあると思いました。
ところが、調べてみると本当にそういう本がありました。
『日本民族の血 高天原は広島県三次盆地である』著者: 辻田禎助
さらに、寮の隣にあった桜のきれいな丘が、矢谷墳丘墓という四隅突出型墳丘墓だと知りました。
備後北部の三次盆地で出現期の四隅突出型墳丘墓が多数見つかっている。陣山墳墓群(広島県三次市)
そこから、出雲、青いガラス玉、黒い砂鉄、塩町式土器、吉備の器がつながっていきました。
証拠はありません。
断定もできません。
でも、偶然にしては並びすぎている。
そう思ってしまったのが、この小説の始まりです。
私が書きたかったのは、「三次が高天原だった」と証明する話ではありません。
須佐能は三次出身なんだよ!です
考古学的な資料を見ているとそう思えたのです。そう思ったら楽しいではないですか。田舎町の三次が実は須佐能の出身地だったら誰か三次に「聖地巡礼」できてくれないかなぁという「ご当地アニメ」を期待しているのです。
しかしそれ以前「誰も読んでくれませんでした」私はフォロワー数2万5千人なのですが、たぶんなんかの勘違いですよね。誰も読んでくれないのです
三次には、名前を残されなかった王たちがいたのではないか。
彼らは文字には残らなかった。
でも、丘になった。
その感覚を物語にしたかったのです。
八年前から、何度もこの話を書こうとして、何度も書けませんでした。
ようやく最後まで形にできました。資料は沢山集めていました。
読んでいただけたなら、それだけで嬉しいです。
感想や疑問点、分かりにくかったところなどがあれば、ぜひ教えてください。
私の思いをこうして公的な「賞」に投稿出来たので、それだけで満足です。
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