
【読書感想文】ゆるい生活 と、わたしの漢方日記
漢方薬局にいった。
本当は行きたくなかった、というと語弊があるのだけれど
病院を五度以上変えても、鍼灸を頼っても、わたしの身体はよくならなかった。(鍼灸には救っていただいたけれど、たぶんわたしの身体が悪すぎた)
コロナ後遺症、否定型うつ病、適応障害などの病名を賜ったわたしは
病院では「これでも飲んどいて」と言われて、よくわからない漢方を渡され
血液検査をすれば「異常ありません」と言われる。
心療内科でもらった薬の影響と思われる症状で救急車も呼んだのに、同じ薬を処方され続けたり(二度と行かなかった)
「コイツ話聞いてないなあ」という態度の先生がいたり
「コロナ後遺症は、もうウチでは見れません」と見捨てられたり
やっとの思いで次の病院を見つけたら「あ、これは(できることないから)もう来るな。ってことね」と感じてしまったり
散々な目にあった。
直近では、半年近くも休職したのに、仕事に行こうと思えば電車に乗るのが精一杯(それすらできないこともある)とは、どういうことだろうか。電車に乗れないならば家で仕事を……というわけにもいかない。多くの時間を、痛みか、思考もモヤに耐えている。
実家に帰ろうと思ったけれど、実家でも自分のおこづかい分も稼げないし、年金も保険料も払えない。
「生きるのも死ぬのも大変ってことだよ」って言葉に、ちょっと救われちゃったよね。
死ぬのも大変って気づけたから、今日も生きている。
そんな感じで、まさしく八方塞がりのわたしに、「漢方薬局」という選択肢が、チラついていた。
いつからだろう?
病院での漢方には結局救われなかった(効果を感じなかった)のだけれど、「漢方薬局ってよさそうだなあ」と思っていた。
▼このときには、確かに意識していたのだけれど、きっかけが思い出せない。
▼鍼灸の世界に飛び込んで、「東洋医学」を意識したからだろうか?
▼病院通いに傷ついたわたしを救ってくれたのは、鍼灸マッサージ師のミツルさんでした。今でも感謝しているし、これからもお世話になります。
とにもかくにも、行き場を失ったわたしは「今できることをしよう」と思って、漢方薬局に行った。
結論からいえば、「もっと早くに行けばよかった」に尽きるのだけれど、やっぱり、行きたくなかったのよね。
▼漢方薬局に行ったときのはなし。自分の体質のことなど、学んだことのメモ。行きたくなかった理由もたくさん話しました。
そもそも、新しい病院って疲れる。
どれほど、相性があるって言われても、嫌な思いをたくさんしたのに、これからもっと嫌な思いをしなきゃいけないかもしれない。と思うと、頑張れなかった。
病気って、病院に行くのがしんどいんだよ!
行動も、選択も。
▼病院や治療院は相性。っていうのもミツルさんに教えてもらった。
そのうえ、漢方とか東洋医学って、あれこれ「しちゃダメ」なことが多いイメージだった。
身体を冷やしちゃいけない、シャワーで済ませちゃいけない、などなど。
わたし、こんなに弱っているのに「湯船につからなきゃダメですね」なんて言われたら泣いちゃうよ。毎日シャワーを浴びるまで体力を回復させられたのも、つい最近で。今でも(漢方薬局にいく前は)シャワーを浴びたあと、30分以上も息切れで動けないっていうのに。
それでも、健康のために風呂に入れと。
あるいは、「シャワーだからあなたはよくならないのよ」なんて言われたら
もう絶対に、立ち直れないと思っていた。
だから「元気になりたい」って思えるくらいの気力と
「もうなんとかしなきゃ人生詰む」という、言葉通りの状況と、
いくつかの有り難い出会いが、わたしを漢方薬局に導いてくれた。
いつか行こう、と思っていた漢方薬局だったのだけれど
「もう、行くしかないかもしれない」と涙ながらに帰宅したその日(休職明けでようやく、予定より2週間ほど遅れて出勤したのに、具合が悪くなって数時間しか働けなかった)、Amazonのほしいものリストから、この本が届いていた。
ある日突然めまいに襲われ、訪れた「漢方薬局」。
ここから漢方薬を飲むだけでは終わらない、我慢と忍耐の暮らしが始まる。
お菓子禁止、体を冷やさない、水分を摂りすぎない、趣味は一日ひとつなど、約6年にわたる体質と意識改善の様子を丁寧に綴る。
この本、本屋さんで見かけて
すごく気になったんだけど、「我慢と忍耐の暮らし」って書いてあって。
その現実を、どうしてもひとりで受け止められなかったんだよね。
だって、毎日ごはん食べるのだって必死なんだよ?
シャワーを浴びる気力も、駅前まで行く元気もないのに、これ以上の我慢と忍耐には耐えられない、って思っていたわけだけれど。
なんとか電車に乗れるくらい回復したタイミングに、
「贈っていただいた」というのが、有り難かった。
たいへん分厚いやさしさでコーティングしてもらって、この本と向き合うことができたのです。
「ゆるい生活」って書いてあるけれど、けっこうゆるくない。
と、思うのはわたしだけじゃないはず。
群さんは、大好きなお菓子も禁止(症状が改善して、週に1個を許されるようになる)
裁縫や読書など、日々のご褒美も日にひとつまで。
と、「人生の喜び」と、新しい向き合い方をしている。
前向きな言い方をしたけれど、「我慢」とも言うわけで。
でも、わたしは群さんの言葉にたくさん、たくさん救われました。
「注意することばっかりだ」
これまで気楽な一人暮らしをいいことに、野放図に生きてきた。
だよね。わかる。
自分の体、好きなように乱暴に扱ってきた。
「編み物や縫い物も読書も、わたしの楽しみなのに……」
健康のために楽しみを奪われることは、やっぱり苦しいよね。
「苦しい」と思ってよいということを、認めてもらえた気がして、それは救いだった。
胃の問題のときは食生活を改めればいいだけだったが、今度は自分の好きな事柄について、考え直さなければならなくなり、こちらのほうが正直いって困った。私の好きなことをやめろと言われたときには、大げさではなく、心の底からがっかりしてしまった。
ああ、このあたりでちょっと泣きそう。
わたしも、「執筆は控えたほうがいい」と言われていた時期がある。
書けば書くほど頭痛がする、と自覚症状もあった。
結局わたしは書くことを辞められなくて、症状を長引かせた(かもしれない)代わりに、いまも生きている。
そんなことと比べれば「食生活を改める」ということは、大きな問題ではない。と、少なくともわたしはそう思う。
ただ、友達には「食を変えろといわれて、変えられる人は少ないよ」と言われて、大変褒められた。
すなおに嬉しいのだけれど、変えない人は、変えなくても生きていけるのだと思う。必要がなければ変えないし、病院にも行かないし、漢方にもたどり着かない。
それはそれで、いいのだと思う。
わたしは、漢方の先生の勧めでお米中心の暮らしをしているけれど、実家の親から「晩ごはんは手抜きで」とパスタの写真が送られてきた。
なんていうか、そういうもんだなあ、と思う。
パスタを晩ごはんにする人もいる。
ただわたしは、これからしばらくは「とてもスペシャルなとき」にしかパスタを食べないけれど、そんな小さな選択で、毎日会社に行ける心身を手に入れられるなら安いモンである。
というところに、たどり着いてしまったのだ。
こうなる前に、なんとかなればよかったんだけどなあ。
と思うと同時に、「ここでなんとかできてよかった!」と強く思っている。
群さんの食生活と比べると、わたしの食への気の配り方なんて、たいへんに些末なものだと思う。そもそもわたしは、仕事へ行く日は一日一食で、そのうえ数日間は同じものを食べ続けてる。(毎日食べるものを考えるっていうのが、どうしてもしんどい)
そして、群さんの場合でいうと、「体に推奨されないもの」を食べたりすると、すぐに体調に違いが出るそうだ。
「前は体が鈍かったんですよ。だから体によくないことをしても、何の反応も出なかったわけです。すぐに反応が出るのは。体としてはいいことなんですけどねえ」
何度も休職したわたしは、体の変化に気づきにくい人間性と、鈍い体を全力で掛け合わせたような、最強に鈍い人間である。ということに、ようやく気が付いた。
だからいまも、本当は何を食べたかで体の変化はあるのかもしれないけれど、全然気づいていない。
漢方薬局に行って、食事に気を使うようになってから一度だけ、友達に「おごるから何でも食べなさい」「デザートも食べなさい」と言われて、モリモリ食べたのだけれど「おいしい」と「おなかがいっぱい」以外の感想がなかった。
丈夫なのではない。鈍いのだ。
だから、何時に寝ても、何時間寝ても、体調に違いがないと信じ込んでいたワケである。
世の中には、すぐに「疲れた」とか「頭が痛い」という人がいて
わたしはそれを否定しているわけじゃないけれど、「大変によくあることなのに、わざわざ口に出して言う必要があるのだろうか」と思っていた。
父や兄と同居していたときは「こちとら毎日の不調に耐えてンだから、おまえらちょっと黙ってろ」というのが本音だった。
それがこの年になってようやく、「父や兄は、体調の変化にきちんと気づける人なんだ」ということを理解できた。
兄は年中病院に通っているけれど、働きに出てから一度も長期休職をしていない。そういえば、睡眠時無呼吸症候群だと言っていたけれど、ひとり暮らしでよく気づいて、病院に行ったモンだ。エラすぎる。
兄を見ていると「痛みに敏感」と「病院が嫌いでいない」ということは、大きな才能だと思う。
もしも自分が三十代ならば、休めといわれたら、いくらでも休んでしまうだろう。しかしこの還暦間近になって、休むということはなかなか難しいものがある。平均寿命を考えて、あと何十年というリアルな問題が出てくるし、自分が元気なうちにやりたい趣味もたくさんある。
三十代のわたしは、患って四年。
患う前(コロナウイルスに罹患する前)は、「松永さんは、休まないのがいいね」と言われていたのに、この四年間で当欠をしなかったのは、たった一か月。
この二年に関しては半分以上の期間、仕事に行くことができなかった。
期限付きならまだよかったのだけれど、いつ治るかわからない。
途中でよくなった気がして、頑張ってダメになって、
頑張っても頑張らなくても頑張れなくても、もう全部が苦しかった。
最初に「休職しましょう」と言われたときは、不甲斐なさに泣いた。
最初に親からお金を送ってもらったときにも泣いた。
送れるお金がもうないと言われたときには困って、
「生きていて欲しい」というのはエゴではないか、などと最低なことを思った。
結果的に消費者金融にお金を借りたときにも、やっぱり泣いた。働けないのだから、返せる気がしないのに。生きなきゃいけない現実は残酷とも言えないくらい、直視できなかった。
多くはお金の悩みだったけれど、実家で衣食住を確保していても、別の苦しみがあったと思う。母よりも動けないわたし。元気なふりをするわたし。年金暮らしの母に心配され、養われる立場。
「またダメだった」と泣くわたし。
わたしが考えすぎだと言われればそれもそうなのだけれど、怪我で長期休職した友達に「わかるよ」と言われたときにも、やっぱり泣いた。
「あのときは実家でよかった」と語る彼女は教員で、衣食住も、手に職もあるのに、働けない事実には苦しんだと言って寄り添ってくれた。
働けないから強制的に休まされるっていうのは、思ったより全然おもしろくない。
「今はねえ、いくら冷えるからっていっても、変えようとはしないんです」
そりゃそうだよなあ、と思う。
ちょっと寒いのとかさ、我慢しちゃうし。よくあることで。
それで歩けなくなるとか、起きれなくなるってなるわけじゃないし。
っていうか、我慢すりゃいーじゃん。に尽きる。
あんまり「疲れた」とかいうの、ついこのあいだまでダサいと思っていたし。
欲望溢れる現代社会の、我慢のデフォルト。
ぶっ壊れちゃうまで気づかないよなあ、と言うと、ちょっと前のわたしが激しく首を縦に振っている。
でも、ぶっ壊れちゃうと判断能力も落ちるし、病院に行くのもしんどい。
だからこそ「予防」が大事なのだけれど
やっぱり、効果を感じないと難しい。
何を食べても寝なくても元気だったら、それでいいじゃん。と思うわたしもいる。
「喰いたい物を喰って、やりたいことをやってやるぜ」
とパンクな自分になりたいときもある。しかしそうすると、後からひどいしっぺ返しがくることがわかっている。
しっぺ返しがくることを、手放しで「すばらしい」と言っていいのかは、ちょっとわからない。
喰いたい物を喰って、やりたいことをやっても元気にいられるのが一番なのかもしれない。
でも「しっぺ返し」があるのに気づかない。
という最悪な状況は脱していると思う。
そして、「ゆるい生活」を貫きながらも、本心の一部がそう叫んでいる、という事実にも安心した。
そうだよな、そうだよなあ。
しっぺ返しがきたってさ、好きなことやりたいって。思っちゃう瞬間があって、それもそれでいいんだよね。と、許してもらえたような気がした。
体調が悪なったとき、何に信頼を置くかというのは、人それぞれだ。西洋医学でも漢方でもいい。基本は自分の体を見てくれる人が信頼できるかどうかしかない。漢方の先生がみんないい人とは限らないし、プライベートにも立ち入られるので、先生と肌が合うかという問題もあるだろう。(中略)
それまで自分が選択肢納得して過ごすことが、大切なのだと思うのである。
わたしは、漢方薬局に行った。
助けを求めた。
四年も原因不明で患っているので「これを飲めばよくなる」とむやみに信じることは、前向きを通り越した楽観が過ぎる、と思えるような状態だった。
でも、もうほかにわたしを助けてくれる人はいないので、一生懸命に飲んだ。
そして、飲んだ結果がすごかった。
毎日少しずつ、確かに、動けるようになっていたことを実感できた。
あんなに自分の体の変化に鈍いわたしなのに!
家を出れなかったのが、
何度か座って休憩すると、家を出られるようになり
職場までの途中で電車を降りてしまったわたしが
職場の最寄り駅にたどり着けるようになり
職場にたどり着けず、スターバックスに逃げ込んでいたわたしが
スターバックスでの休憩をはさんで、会社に行けるようになった。
そして今では、まっすぐ会社に通っている。
漢方薬局に通って、三週間足らず。
まだ五回と少しくらいしか出勤できていないけれど、一度も早退していない。
漢方が効くと眠気を感じるようになりますよ。と言われていたのだけれど、
飲み始めてから数日で夜眠くなり、23時半~7時半くらいの睡眠を確保できるようになった。今まで途中で起きると眠れなくなることが多く、寝つきも悪かったのだけれど、大変によく眠れている。
いまでは、ラジオ体操をしてから出勤して、仕事後に10分ほどの短い散歩をしている。
最初に漢方薬局に行ったとき、「どれくらいで効きますか?」と尋ねたら、「細胞が入れ替わる(ぜんぶの細胞が一気に入れ替わるわけではないけれど、考え方として)、約三か月」という説と、「患った期間の半分」という説を教えてもらった。
わたしは日に日に具合がよくなったので、「すごく効いています」と言ったら、「そういう人もいます」「一度飲むだけで変わる人」と言われて、運よくそれに当たったのだと思う。
効果を感じられたから、毎日飲めている。というのもある。
あと、薬を「毎日三回」と言われなかったのが、とてもよい。
朝起きてからと、晩ごはんの前。この二回なら、きちんと飲める。
友達に報告したら「食生活を改めたのはあなたの努力よ!」と褒めてもらえたのだけれど、君たちが運んでくれたミックスナッツとドライフルーツのおかげで生き延びたも同然だ。
あと、毎日お米を食べることは、「麺類や大好きなパンを食べられない寂しさ」と同じくらい「米以外の選択肢を考えなくてもいい」というラクさもある。と思えるタイプの人間なので、これはラッキーだったと思う。
「ラッキーだったと思う」というところまで、わたしを支えてくれた家族(たいへんに迷惑をかけた)と、なぜか弱ったときにやってきてくれる友人各位には救われた。
友達が「病気であることと、わたしの人格の良し悪しはベツモノである」と、何度も何度も教えてくれたので折れずに済んだ。
漢方薬局の先生に「漢方ってすごいですね!」と言ったら、「すごいんですよ」と頷いた。「みんなに勧めてください」と言ったその顔は、格好良かった。
ひとりひとりに体に向き合い、なぜそうなったかを考えて、原因をひとつずつ(先生の言葉を借りるならば「十二単のように」)剥がしてゆく。
だから、いろんな症状の人を診られるのだそう。
もし、行き場に困った人がいるならば、漢方や東洋医学の考え方を勧めたい。
でも、自分がこれだけ効果を感じてしまったので、逆に勧めづらさもあって「こんなによくなるかわからないけどね」と付け加えなければならない。
群さんも「漢方の先生がみんないい人とは限らない」と言っていて、その通りだと思う。
ただ、わたしが知り合った東洋医学で診てくれる人(鍼灸マッサージ師のミツルさんと、漢方の先生)は、たいへんに真摯に話を聞いてくれた。
どちらも保険が適応しないので(わたしのいっているところは)、病院と比べるとかなりお高いのだけれど、代わりにじっくりと話を聞いてくれる。
病院だと「早くしろ」っていう雰囲気を感じ取って、「余計なことを話さず的確に」とか「何を話すのか準備しなくちゃ」とか考えたりするわけだけれど、ミツルさんのところも、漢方の先生のところも予約制で「行きます」というと、ミツルさんの施術は1時間、漢方の先生は初回1時間+2回目以降は30分。しっかりとわたしの話を聞いてくれる。質問すると、何でも教えてくれる。
「こんなに自分のことばっかり話してごめんなさい」と言うと
「そういう情報が大事なんですよ」とほほ笑んでくれるその顔に、わたしは何度救われたか。
わたしにとっては、「病ではなく人を診る」というような、東洋医学の考え方は合っているように思う。
「病院に行くほどでもない」というときや「病院の診察に納得できなかった」というときに、病院ではないところ(治療院や漢方薬局)を頼る。という選択肢があることは、声を大きくして伝えたい。
あるいは、病院が苦手な人。とかも。(あんなに待ち時間があるのだから、ほかに待っている人もいるわけで、わたしなんかに時間を割いてもらうわけにはいかない。などと、わたしは思ってしまうのもあって、病院は得意になれなかった。うまく話せない)
そして、病院で「もう診れない」と言われたわたしや、「コイツ話聞いてないな」と思って絶望していたわたしに出会ったら、この話をしてあげて欲しいです。
まだ道はある、って。
そして、「ゆるい生活」を贈ってくれてありがとう。
この本を読んで、漢方との向き合い方の実例を知れて、「こんな感じね」ってイメージをつかみつつ、「ゆるい生活」よりも、さらにゆるく、生活に向き合っています。
漢方薬局に行く前にこの本を読み始めて、イメージができたというか、覚悟ができた。希望も持てた。
ふたを開けてみれば、群さんの先生と、わたしがお世話になっている先生は全然違うし、群さんとわたしの体質もぜんぜん違う。
でも、「喰いたい物を喰って、やりたいことをやってやるぜ」という猛獣を腹の中に飼いながらも、ときには我慢も必要な暮らしに向き合っているのは、わたしだけではない。わたしだけが不幸なわけじゃない。病気になって、自由な食生活も失って……という考え方をしなくてすんだのは、群さんが「ゆるい生活」を届けてくれたからだと思う。
うん、わたしも頑張るよ。やりすぎないくらいに。ゆるく、わたしらしく。誰とも違う速度で。それでも、諦めずに。
とにもかくにも、食べ物や行動の良し悪しについては、「人による」なので。
「人による」なのに、「水を飲むといい」とか、お酒のあれがいいとか悪いとか、諸説ある。情報が溢れすぎている。
群さんに関しては「あまり水は飲まない方がよい」とされる体質だった。
何が自分にとって良いのかを知りたい人は、漢方薬局に相談に行くのはいいんじゃないかなあ、と思う。
こういうとよくないかもしれないけれど、自己分析のひとつとして。
ということで、漢方薬局に行って2週間と少し。
会社に行っています。
1週間前の不調が信じられないくらいです。
今までは「体調不良の隙間で行動する」っていう感じだったんだけど、動ける時間が増えてちょっと戸惑うくらいよ……
こんなに一発逆転が用意されていると思わなかった。
何を選ぶかは自分次第だけれど
知らないと選べないから
そしてわたしは、「ゆるい生活」という、群さんの自身の生活や考えを綴ったエッセイに救われたから
わたしも、わたしの思いをここに残します。
あなたを救えるかどうかは、わからないけれど。
「知らぬは罪。知って伝えないことは更なる重罪」というのが、与えられた道標なので。
知れたよ。
生きて、ここまで来られました。
ありがとう。
2025年10月6日
仕事に行って帰って、ほとんど頭痛もなく8000文字も書ける日がくるとは思わなかったな~

(この記事は、レビュアーのお仕事は無関係です)
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似顔絵:朝日奈愛コ
似顔絵を描いてもらって、「なりたいわたし」見つけました!
▼実際に漢方薬局に行った感想文はこちらから
▼この本を読んで、「わたしも漢方薬局に行ってもいいんだ~」って思えました。気になる人は覗いてみてね。こわくないよ、大丈夫。わたしが、こわいの嫌いだから。
▼病院嫌いなあなたには、こちらを。本気で学んで書きました。
・どうやって先生を選べばいいの?
・いくらくらいかかるの?
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▼読んで学ぶ「生きやすさ」。この前知識があったから、漢方のこと受け入れやすかったです。
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▼群さんの言葉が、とてもすなおに響いたのは、鷺沢さんの「おねえちゃん」だったからかもしれない。と思うのです。わたしの転機となった、最愛のラブレターをここに
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