
教えてください、烏丸先生 #12 葛城実花
教えてください、烏丸先生 #12
第3章・第2話 葛城実花
美術室のドアを開けると、絵の具の匂いと、声が来た。
「蕎麦には天ぷらが合うのよ」
孔雀川先生が部員の一人に詰め寄っていた。ロングソバージュを揺らしながら、花柄のワンピースを翻す。美術部員は石膏像と自分のデッサンを黙って交互に見ていた。私はドアを開けて待ちながら、とろろも合うなと思った。
「芋羊羹にはお茶が合うの。だからここには」
そう言いながら、孔雀川先生は生徒のキャンバスにカリカリと書き足した。
「この線が合うのよ」
目をパチパチさせている部員の隣で、別の部員はサラサラと書いている。孔雀川先生はキャンバスを覗き込むと「手を止めて」と中断させた。
「組体操は一人欠けたら崩れてしまうの」
孔雀川先生は鉛筆を持つ手に自分の手を添える。
「その線一本に意味を持たせてあげないと、運動会では勝てないわ」
組体操はケガをするから、今はほとんど行われおらず、やったとして扇程度だと、体育の鷹尾先生は言っていた。孔雀川先生はきっとピラミッドの上に居たに違いない。
「孔雀川先生は、花柄がお似合いですね」
私が声をかけると、孔雀川先生はくるりとターンをして、ワンピースがふわりと跳ねた。
「あら、牛山さん」
「先日注文した画材が届く予定だったんですけど、業者から再来週になってしまいそうだと連絡がありまして」
「みんな、来週もデッサンをやりなさいと御告げがあったわよ」
部員たちは「え〜」と声を揃えて出した。どうやらデッサンは今週までのようだった。
「ワインは時間をかけて寝かせた分、美味しくなるのよ」
「孔雀川先生、ちょっと聞いてもいいですか」
「好きなワイン?」
「イタリアっぽいといえばそうなんですけど」
私はノートを書き写した自分のメモを見せた。アダムとイヴ、ウゴリーノ、カリアティード、三つの影、接吻、葛城。
「共通点を探してるんです」
孔雀川先生はメモの字を追いながら、ふんふんと頷き、部員たちに向かって言った。
「みんなならわかるわよ、きっと」
孔雀川先生は黒板に、私のメモのうち5つを板書した。アダムとイヴ、ウゴリーノ、カリアティード、三つの影、接吻。
「この5個に共通するものはな〜んだ。見事当てたら、再来週届くやつを一番に使わせてあげる」
部員たちは石膏像から黒板に視線を移した。夕方を知らせるチャイムが教室に響き、鳴り終わると部員の一人が答えた。
「彫刻」
「20点。それなら東大寺の大仏でもよくなっちゃう。バナナはおやつには入らないわ。」
「ダンテ」
「30点。ダンテも関係あるけど、全部じゃないわね。マカロニだけどパスタじゃないわ」
窓の外から、運動部の掛け声が聞こえた。
「ロダンじゃないでしょうか」
おさげでメガネの先輩部員が答える。
「70点。ラーメンです、それだと間違いではないけど、高得点はとれないわ。出汁は煮干と鶏ガラとローリエですね、まで言えないと」
私が知っているロダンはひとつだけだったが、どうやら他にも沢山あるらしい。おさげメガネ部員は「あっ」と「うーん」を繰り返していた。
「迷ってるのね」
「合ってるかわからないんですけど…」
「加える色が黒だとしてもなんとかなるわよ」
「地獄の門…?」
「85点ね」
「でも先生。アダムとイヴ、接吻は、地獄の門の中には無かったと思うんです」
「そうね。けれどアダムとイヴは地獄の門の両脇にあり、接吻は元々地獄の門のモチーフになる予定のものだったとしたら?」
おさげメガネ部員は、まだ眉を顰めていた。周りの部員は孔雀川先生とのやり取りに、目を瞬かせていた。
「1年生は手を挙げて」
3人が手を挙げる。
「ロダンを知っている人は?」
1人が手をおろす。
「地獄の門を知っている人は?」
1人だけが手を挙げていた。
「地獄の門で一番有名なモチーフは?」
「『考える人』です」
「そう。『考える人』よね。答えが地獄の門だとしたら、『考える人』が入っていないのは変よね」
「つまり共通点は、地獄の門の中でも、考える人以外ということですか」
おさげメガネ部員は言った。
「その回答だと、90点。牛山さんは分かるかしら」
孔雀川先生はワンピースをふわりとさせ私のほうを向いた。
「孔雀川先生、もうひとつ言葉があります。『葛城』です」
「葛城?実花先輩?」
おさげメガネ部員は声のトーンを三段上げた。
知ってるんですか、と聞くとさらに一段上がった。
「私の3つ上の先輩です。3月で高校を卒業して、プロになったって聞いてます」
プロ?と言った私に、部員は美術室の壁にあるひとつの絵を指差す。
「これが実花先輩の作品です」
絵の前に立って眺めた。てっきりプロが描いたポスターだと思っていた私は、絵の下にある「葛城実花」の氏名を見つけた。ガラスの花瓶に咲く二輪の雛菊。絵というよりも写真といったほうが近いかもしれない。精巧なスケッチ、色遣い、そしてなぜか目を惹く光と影。中学生が描いたとは思えなかった。
「ペンネームは、みしろはな、ですよ。SNSのフォロワー数もすごくて」
「今度サイン会があるらしいよ」
「え〜行こうかな〜」
ざわざわし始めた美術部員と孔雀川先生に「ありがとうございます」と言って、足早に美術室を出た。ドアを閉めると、廊下には運動部の声が響いていた。
もうすぐ4月が終わろうとしていた。