
教えてください、烏丸先生 #11 三つの影
教えてください、烏丸先生 #11
第3章・第1話 三つの影
私は便座の上で、「考える人」と同じポーズで座っていた。
アダムとイヴ
ウゴリーノ
カリアティード
三つの影
接吻
葛城
烏丸先生のノートの次のページには、6つの言葉が並んでいた。アダムとイヴは知っていたが、他がわからない。
「鶴田先生」
職員室に戻り、英語の鶴田先生に声をかけた。普段は優しいが、時々鋭い目つきをする。機嫌が悪いと面倒だ、と生徒が言っているのを聞いたことがある。
「こないだ注文されてたリスニングのCD、届きましたよ」
鶴田先生の横に行き、そっと机の上に置く。
「ありがとう、牛山さん」
にこにこしている。今は機嫌が良いらしい。
「鶴田先生、伺ってもいいですか」
「なんでしょう」
鶴田先生は採点中だったが、椅子を回して、赤ペンを手にしたまま私の方に向き直った。
「聖書、詳しいですか」
「聖書って、旧約聖書?それとも新約聖書?」
「アダムとイヴなんですけども」
鶴田先生の目の奥が光った。
「アダムとイヴのStoryは旧約聖書だよ。神はエデンの園を作って、アダムとイヴを住まわせた。食べていい木はたくさんあったけど、一本だけ禁止されてたんだ。
“the tree of the knowledge of good and evil”
食べると神のようになれると蛇に言われて、イヴが食べてしまった。そしてアダムにも渡して、アダムも食べたんだ」
「へえ」
「二人は自分が裸であることを知って、恥ずかしくなったんだ。神に問いただされると、アダムはイヴのせいにして、イヴは蛇のせいにした。誰も自分の罪を認めなかった。だから神は怒って、二人を追放したんだ。
“the LORD God sent him forth from the garden of Eden”
これが創世記3章23節で」
「本文を覚えてるんですか」
「でも面白いのはね、新約聖書でも二人とも出てくるんだよ。アダムはキリストの、イヴは聖母マリアとのcontrastとしてね。イヴは神の言葉に背いた女性、マリアは神の言葉を受け入れた女性なんだ。同じ女性なのに、antithesisだよね」
赤ペンをくるくる回しながら、鶴田先生は同じくらい舌を回していた。
「なるほど。ちなみに、聖書にはウゴリーノやカリアティードは出てきますか」
「聖書には出てこないね。ウゴリーノはItalian、カリアティードはGreekだと思うよ」
「ぐりーく?」と私が怪訝な顔をすると、鶴田先生は「ギリシャ語だよ」と笑った。生徒なら勉強不足だと怒られているだろうか。
「ということは、鶴田先生の管轄外ですよね」
鶴田先生の鼻の穴が大きくなった。
「よく勘違いされるんだけど、聖書って元々Englishじゃないんだよ。旧約はヘブライ語、新約はギリシャ語なんだ。Englishの聖書は翻訳なんだよね。カリアティードはギリシャ語だけど、聖書のギリシャ語はコイネーギリシャ語っていってちょっと違うやつで」
リスニングCDだけ渡して席に戻れば良かった。
「牛山さんが聖書に興味があるなんて嬉しいね」
一通り喋った鶴田先生の指の上で、赤ペンは酔って吐いたりしないだろうか。
「また、知恵の実ちょうだいね」
「こないだ食べたのは知恵の実じゃなくて芋羊羹ですよ」
「あと、ウゴリーノとカリアティードは、美術か音楽関係の名前だと思うよ。オペラかなんかで聞いたことあるし」
「ありがとうございます」
軽く会釈をした私の足は、頭を上げる前に美術室へ動き出していた。
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