
教えてください、烏丸先生 #17 ドーチェスターの家
教えてください、烏丸先生 #17
第4章・第2話 ドーチェスターの家
連休最後の日、家でコーヒーを淹れながら、烏丸先生のノートを開く。
日付と断片的な言葉は、杉本嘉朗。ヴァルザーの詩は、楠飛晴。ロダンの作品名は、葛城実結。
私は次のページを眺めた。メモがあるのは、残り2ページだった。
ドーチェスター 家
↓
ウィルミントン 教会
↓
フィラデルフィア 聖女
↓
セント・キャサリンズ
海外の地名が、矢印で繋がれていた。
ドーチェスター。ウィルミントン。フィラデルフィア。セント・キャサリンズ。
調べると、ドーチェスターは、イギリスの都市。アメリカにも同名の地名があった。ウィルミントンとフィラデルフィアはアメリカ、セント・キャサリンズはカナダにあった。何らかの関連があるとすれば、ドーチェスターはアメリカだろうか。だとすると、矢印で繋がれた四つの地名はどんな意味なのか。
そこから先が繋がらなかった。
「鶴田先生、アメリカに行ったことはありますか」
健康診断の書類を配布しながら、英語の鶴田先生に声をかけた。
「Of course。牛山さん、アメリカに旅行でも行くの?どこ?」
鶴田先生は、机の上にあるアメリカの地図を広げた。
「友達が今度行くらしいんですけど、あんまり聞いたことないところで、どこかなって。ドーチェスターから始めて、ウィルミントン、フィラデルフィアを経由して、最後はセント・キャサリンズらしいんです」
鶴田先生は眉を上げた。
「だいぶ変わった友達だね。Dorchesterはここだよ」
Marylandと書いてある場所を指さしながら、鶴田先生は言った。
「Wilmingtonはデラウェア州とノースカロライナ州にあるけど、どっちだろう。フィラデルフィアに行く途中ならデラウェア州になるのかな。St. Catharinesはアメリカじゃなくカナダのオンタリオ州かな。アメリカの東海岸を北上するルートだね。」
「南から北へ、ということですね」
「それにしても、旅行にしては渋めのコースだね」
私の顔を見ながら鶴田先生は「本当に友達?」と意地の悪い顔をした。
「よく海外に行く友達なんですよ。今度またアメリカに行くからお土産何がいいかって聞かれてて。行先を聞いたんですが、お恥ずかしい話、そもそもどこにあるのかも全然わからなくて。鶴田先生ならアメリカ詳しいかなと思ったんです」
頭の中で友達のイメージをつくりながら、舌を二枚に増やした。鶴田先生はふむ、と言ってから続けた。
「海外旅行なら鴨志田先生が好きだから、何か知ってるかもしれないよ」
保健室の鴨志田先生。若いし流行りものが好きだし、確かに何か知っているかもしれない。
「牛山さんは、旅行とか興味ないの?」
目を細めながら鶴田先生は言った。
「私はあまり、外には出ないですね」
「まだ若いんだし、色々出かけるのも良いと思うよ」
まだ若い、と私に言ったが、鶴田先生は私と3つしか変わらなかったはずだ。健康診断の資料に書いてあった年齢を思い出す。たしか今年で36歳だった。
「そうですね、たまにはどこかに行こうかなと思います」
「来週末に良いイベントがあるんだけどさ」
鶴田先生は机上の「タイフェスタ」という紙を私に見せた。紙面には数々のタイ料理の写真が並んでいる。
「タイ料理、苦手なんです。楽しんできてください。」
「牛山さん、最近なんか忙しそうだね。なんかあった?」
鶴田先生は赤ペンをくるくるさせながら、ギラついた目で私を見た。
「そうですかね。特に変わったことはないですよ」
残念そうな鶴田先生に会釈をして、鴨志田先生がいる保健室へ急いだ。
保健室のドアの前に立つと、中から鴨志田先生と図書室の鵜飼先生の声が聞こえた。音を立てないようにドアを開ける。カーテンに隠れて、二人からは見えない。
「鷹尾先生って、ああ見えて結構マメじゃないですか」
「マメ?あの人が?」
「先週、この棚が壊れそうだって言ってたら、次の日には直してくれてたんですよ」
「それは普通に仕事としてじゃないの」
「黙ってやってくれるのがいいんですよ。言わないじゃないですか、自分から」
「まあ、女相手には口下手だもんね。小鳥遊先生みたいに喋れればいいのにね」
「小鳥遊先生、よく喋りますよね」
「古文でね。家でもあんな感じなのかしら」
さて、いかに。と小鳥遊先生の真似をしながら二人は笑った。
「鶴田先生は喋るけど、なんか違うじゃないですか」
「自分が一番好きそう?」
「そうそう、そういう感じ」
「烏丸先生が一番素敵よね」
「え~、怖くないですか」
「鴨志田先生は大人の男が全然わかってないわ」
二人は、パイプ椅子を向かい合わせにして座っていた。鵜飼先生は自分のマグカップを手にしている。私はドアの内側から二回ノックをし、音を立てて保健室のドアを閉めた。
「失礼します」
「あら、牛山さん。ねえねえ、鷹尾先生って実は優しくない?」
鴨志田先生が私を巻き込みにかかる。
「優しい先生だと、思いますよ」
「やめなよ、牛山さん困ってるじゃない」
鵜飼先生は鴨志田先生をたしなめる。
「何かあったの?」
鵜飼先生は細い眼鏡をキラリと光らせた。
「健康診断の書類をお渡ししようと思いまして」
私は二人に、それぞれの氏名が書かれていた封筒を手渡した。
「あら、机の上に置いてくれればいいのに」
「個人情報が入ってますので」
「牛山さんは真面目ねえ」
鵜飼先生が個人情報取扱を軽んじた発言をした。
「そういえば、鶴田先生から、鴨志田先生が海外旅行に詳しいと聞いたんです」
「詳しいっていうか、好きなだけだけど」
鴨志田先生は照れ笑いをした。
「友達がアメリカ旅行に行くんですが、どんなお土産がいいかって聞かれてもよくわからなくて。ルートがこれなんですが、どんな旅行なのかわかりますか」
私は、鴨志田先生に地名のメモを見せた。
「うーん、行ったことないなあ。ニューヨークとかサンフランシスコとかラスベガスならわかるんだけど、これはたぶん東海岸のルートよね。東海岸はシーフードが美味しいわよ、あとフィラデルフィアにチーズステーキっていうのがあるわ。ステーキとチーズがたっぷり挟まったパンでね、食べてみたいのよね」
鴨志田先生は到底お土産にならなそうなものを私に教えた。
鵜飼先生がマグカップを置いて、メモを覗き込んだ。
「ちょっと見せて」
眼鏡の奥で、目を細める。
「ドーチェスター、ウィルミントン、フィラデルフィア、セント・キャサリンズ」
鵜飼先生は小さく声に出して読んだ。それからしばらく黙って、ふと顔を上げた。
「映画で見たことある気がする」
「映画ですか」
「ハリエット、奴隷解放の話よ。逃げるルートがこの地名だったような。ハリエット・タブマンっていう実在の人物の映画よ。アカデミー賞にノミネートされてたやつ。見てないの?」
「見てないですね」
「私は三回見たわ」
鴨志田先生が「三回も?」と大げさに手を口に当てた。
「この並びは、奴隷を逃がしたルートだと思う。南から北へ、カナダまで。もしかしたらお友達は、そのルートを辿りながら旅行をしようとしてるんじゃないかしら」
「確かに、映画が好きな友達ですね」
架空の友達に設定がひとつ追加された。
鴨志田先生が「それなら」と言って目をキラキラさせた。
「お土産、自由の女神がいいんじゃない?」
「自由の女神ってニューヨークじゃないんですか」
「奴隷解放といえば自由の女神でしょ」
「奴隷解放にまつわるお土産ということですね」
「でも映画見ないなら、牛山さん向けではないかもしれないわね」
私はメモを受け取った。
「ありがとうございます、参考にしますね」
「映画、見てみるといいわよ」
鵜飼先生はうふふと笑った。
私は保健室を出た。ドアが閉まったあと、鴨志田先生が「さっきの話、続きしていい?」と言う声が聞こえてきた。
これまで、ノートには烏丸先生が携わった生徒が暗示されていた。今回のページもその可能性が高い。
ハリエット・タブマンの逃亡ルート。
何かから、逃げた。
移動した。
烏丸先生がこの中学に来てから5年。私は過去5年分の卒業生、そして在校生の記録を事務室で引っ張り出した。
ドーチェスター 家
↓
ウィルミントン 教会
家から、教会へ。
記録のうち、住所が変更になった生徒。
住所が変更になった生徒はいたが、教会に繋がりそうな生徒はいない。
住所変更ではないとすれば、卒業生でも在校生でもない生徒。
卒業を、していない生徒。
私は、別で管理されていた転校生の記録を取り出した。
その生徒は、卒業前に転校していった生徒ではないか。
記録には、転校理由、転校先の学校名、転居先住所が記載されていた。
一人ずつなぞっていくと、一人だけ情報が制限されている記録があった。
・転校理由:非開示
・転校先:非開示
・転居先住所:非開示
氏名は、藤野羅澪。
備考欄には、「主担当:烏丸」と書いてあった。
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