
教えてください、烏丸先生Ⅱ #31 ヴェルサイユの約束(最終話)
教えてください、烏丸先生Ⅱ #31
最終話 ヴェルサイユの約束
セミの五重奏を聴きながら、エアコンの効いた事務室でパソコンを眺めていた。
七月に入ると外気はすさまじいもので、入口を開けるとすぐに熱気が校舎内に入る。連日「今年は特に猛暑です」とニュースで報道されているが、毎年そんなことを言われている気がする。もはやこれが普通なのではないだろうか。
自分のデスクでパタパタと団扇を仰いでいると、鈴目先生が事務室にやって来た。
「牛山さん。お昼ご飯、食べに行きませんか」
今日は一学期最終日で、午前中の終業式が終わったら生徒は帰宅する。午後に会議があり、部活動をする生徒は十五時以降に再度登校する形だった。こういう日は給食が無いので、自分たちで昼食を調達する必要がある。
「いいですよ、どこに行きま」
「ラーメンと餃子」
言い終わる前に、鈴目先生の後ろから声が聞こえた。鈴目先生の肩の向こうから、烏丸先生の顔が覗く。
「お昼の餃子はニンニク抜いてくださいよ」
午後の会議室で匂うのはやめていただきたい。
「ニンニク抜いたら餃子じゃなくなるだろ」
烏丸先生が餃子の定義を変えてきた。種無しスイカみたいなものではないのだろうか。
「まあまあ。それでは洋食にしませんか。美味しいランチが食べれるところを、最近見つけたんです」
「そこにしましょう」
匂いを回避したかった私は、鈴目先生の意見を即採用した。
「けっ」
「烏丸先生は、行かないですか」
「行く」
烏丸先生とじゃんけんをした結果、私が車を出すことになった。
灼熱の車中を少しクールダウンさせ、車に乗り込む。
烏丸先生が当然のように無言で助手席に座った。
「ナビできるんですか」
私が言うと、「ナビは後ろからでもできるだろ」と助手席がぶつぶつ言った。
後部座席の鈴目先生が、運転席と助手席の間にひょこりと顔を出した。
「シートベルトしてください」と伝えると、大人しく後ろでカチャカチャと締める音が聞こえた。
「鈴目先生、道順教えてください」
私は後部座席に向かって声を反響させ、サイドブレーキを外した。
狭い通りを抜け、大通りを走る。
「3Bは、その後落ち着いてるんですか」
「なんとなく、ですね」
鈴目先生の声が聴こえた。私はラジオの音量を少し落とした。
「黒瀬は、まだ少し時間がかかりそうです」
黒板貼り紙事件から、三週間が経っていた。あの時、鈴目先生が最後に面談したのは黒瀬凛だった。
最終的に黒瀬は自分のしたことを認め、その日六限の道徳の時間に、自分で話すことを約束していた。
どんな時間だったのか私は見ていないが、その後放課後の廊下から3年B組の教室を見てみると、文化祭実行委員の四人が、楽しそうに何か話をしていた。黒瀬が大事にしたい時間は、終わらなかったということなのだろう。
「クラスで話した時は、どんな感じでしたか」
そうですね、と鈴目先生は腕を組んだ。
「まあ、いろんな生徒がいますよね」
鈴目先生は思い出しながら、クスッと笑った。
「それが、社会ってやつなのかもよ」
助手席から低い声が聴こえた。
車は信号を右折し、少し細い道に入る。歩道では、日傘をさした親子が手を繋いで歩いていた。
「とにかく、無事に一学期が終わってよかったですね」
バックミラー越しの鈴目先生に目を合わせて言った。
鈴目先生は目を細めると、車の窓の外に視線を移した。
「皆さんのおかげです」
隣を見ると、烏丸先生は頬杖をついて、眠そうな顔をしていた。
「洋食屋って、何が食べれんの?カレー?」
欠伸をしながら烏丸先生は伸びをした。私もふと考える。洋食ってなんだろうか。
「フレンチがメインのところですよ」
意外と鈴目先生は、食のセンスがお洒落なのかもしれない。
やれラーメンだ、やれ餃子だと言っている人は見習ったほうがいいと思う。
「フランス料理って聞いても、パッと料理が浮かばないんですよね」
庶民の私には食材しか浮かばなかった。トリュフ、キャビア、フォアグラ。
あとなんだろう。フランスパン。
「キッシュとか、ラタトゥイユとか、ブイヤベースとかありますよ」
「腹いっぱいになるかなそれ」
烏丸先生がカタカナの料理にケチをつけた。
「パンのおかわり、できますよ」
「いいなそれ」
腹いっぱいになればいいらしい。
「あ、ここです」
鈴目先生が、三十メートル先の店を指した。
一見するとレストランではなく、一軒家のような、こじんまりとしたお店だった。
手前の駐車場に車を停め、エンジンを切った。
「こんなところに店あったんだな」
烏丸先生が珍しそうな顔をして、赤い屋根のその店を眺めた。造形的には好きな感じなのだろう。
「よかったです」
「まだ食ってない」
いえ、と言って鈴目先生はお店の門を開けた。きぃ、と木製の門が懐かしい音を出す。
「烏丸先生に、初めてのお店を教えられたことにです」
木製の門から入口までの飛び石を、鈴目先生はひとつ飛ばして進んだ。
お店のドアは、木製で年季が入っていて、ドアノブは金属の装飾が施されている。
来店の方はこちらへ、というポップの下にチャイムが設置されていた。
「これでひとつ、返せたような気がします」
鈴目先生が振り返り、私を見て、そのあとに烏丸先生を見た。
烏丸先生は鈴目先生を見ずに、視線だけが屋根に向いている。
「だから、これからも」
鈴目先生が烏丸先生を見ながら、チャイムを押した。
「教えてください、烏丸先生」
(完)