
教えてください、烏丸先生Ⅱ #30 鈴目先生
教えてください、烏丸先生Ⅱ #30
最終章・第5話 鈴目先生
事務室のドアを二回ノックすると、牛山さんが中から返事をした。
「どうぞ」
ドアを開けて、連れてきた生徒を事務室奥の応接スペースへ誘導する。
「そこへ座って」
「失礼します」
生徒は素直にソファへ腰かけた。正直、生徒指導は得意なほうではない。
サッカー部の指導であれば、大きい声を出せば大抵生徒はその通りに動く。だがこれは部活指導では無い。昭和時代の怒鳴りつける説教は、今の時代では御法度だ。
「これについて、知っていることを教えてもらえるかな」
黒板に貼ってあった告発文を、生徒から読めるようにテーブルの上に置いた。
「何も、知りません」
生徒は、僕のことを真っ直ぐ見た。こんなに正面から真っ直ぐ見てきたのは、初めてかもしれない。思えば、僕はクラスの生徒のことを、真正面から見れていたんだろうか。
「何も知らないんだね」
「はい」
間髪入れずに、そして目を逸らさずに僕を見てくる。
僕はどんな教師だと思われているんだろうか。
「これを教室で見つけて、どう思ったんだい」
生徒は思い出すように目を閉じた。少しの沈黙のあと、目を開く。
「ショックでした」
「そうか」
「これを貼った人は、何が目的だったんだろうか」
そうですね、と前置きして生徒は言った。
「黒瀬凛のことが、嫌いなんじゃないでしょうか」
「つまり、黒瀬さんを困らせたいということでしょうか」
「わかりません」
生徒は目を伏せ、やはり僕の目を見つめ直した。
「でも、みんなに嫌いになってほしいと思ってるんだと思います」
僕はよくわからなくなってきた。本当に何も知らないんだろうか。
少し黙っていると、牛山さんが急須持って席を立った。ポットからお湯を入れている。
涼しい事務室に、緑茶の香りの湯気が広がった。
少しだけ深く息を吸って、生徒に言う。
「君に、黒板に貼るように言われた、と証言している生徒がいるんだ」
「椿さんですね」
間髪入れずに答えが返ってきた。
「先生たちも、よくやるじゃないですか」
「よくやる?」
「誰のかわからない小テストとか、プリントとか、黒板に貼っておきますよね」
生徒は少しだけ笑っているように見えた。
「だから、言ったんです。落とし物を拾って誰のかわからなかったら、黒板に貼っておけばいいよ、って」
予想外の反応が返ってきた。
「落とし物があったと椿さんから言われたので、中身をよく見ずに言ってしまいました」
たしかに、それなら理屈は通る。が、現実的ではない。
このポイントで突き通すのは、難しそうだった。鳩山先生や烏丸先生なら、どう持っていくだろうか。
牛山さんがお茶をすする音の後、マグカップをコトンと机に置く音がした。
「少し質問を変えるね」
喉がカラカラと乾く。僕は喉の奥で唾を飲み込んだ。
「ここに書かれた黒瀬凛は、これからどうしたらいいと思う?」
少し沈黙があった。
「謝れば、いいと思います」
「誰にだい?」
「不正をしたことを、クラスの皆に」
不正。クラスの皆。
「不正というのは、どんな不正だい?」
「席替えのクジ引きの不正です」
席替え。クジ引き。
「謝ったら、クラスの皆はどう思うだろうか」
沈黙。
「今回の件、結構酷いことが書いてあったと思うんです。不正だけでなく、人格も否定するというか」
僕は頷いた。そうだね、という言葉もうまく出てこなかった。
「だから、誠心誠意謝ったら、クラスの皆も許してくれるかもしれません」
牛山さんの席のほうからゴソゴソと引き出しを開ける音がした。たぶんお菓子を出そうとしている。
「君は、そう思うんだね」
僕は受け取り、話題を変えることにした。
「文化祭の実行委員は、楽しくやれてるかい」
「はい」
生徒は今度こそ少し笑った。
「最初は一緒にやれるか心配だったんですけど、だんだん打ち解けてきて」
僕は次の言葉を待った。
「放課後に一緒にいれる時間が、いま一番楽しいです」
「そうですか」
生徒指導って、こんなにしんどいんだっけ。でも、僕はやらなければいけない。
僕は教育者で、3年B組の担任で、生徒たちにとっては僕は先生だ。ひとりひとりが成長できるように、少しでもよい道に進めるように、時には指導をしなければいけない。
牛山さんが席でバリボリと煎餅を食べ始めた。音が少し大きい。
僕は生徒に言った。
「でも、それももう、終わりかもしれないね」
「どうしてですか」
僕は牛山さんがパソコンルームで印刷した紙を出して、横に並べた。
「これが黒板に貼ってあったもの。こっちが、学校のパソコンルームで出したものだよ」
生徒はじっと二つを見比べた。余裕のあった表情が消えた。
「パソコンルームに置いてた紙はキズモノで、全部紙のここに皺が入ってるんだ」
僕は紙の左下を指差す。
「そしてパソコンルームのプリンターはちょっと古くてね。紙のここに必ずトナーの線が入るんだ」
僕は紙の縁を指差した。
「つまり、これはこの学校のパソコンルームで印刷したものなんだ」
生徒の視線は二つの紙をじっと見比べていた。
「この意味、わかるよね」
僕がそう言うと、生徒はハッとして僕の顔を見た。
僕は名探偵でも名物刑事でもない。決め台詞も何も持ってない。ただの先生だ。
ただの先生だけど、いや、先生だから、生徒にきちんと向き合わないといけない。
そして生徒にも、向き合ってもらわないといけない。
「全部話してくれたよ。赤城さんも、桃井さんも、椿さんも」
僕は生徒の目を見て言った。ここで逸らしてはいけない。
「そして、緑川さんも」
生徒は、僕の目を見たまま黙ったままだった。
「緑川さんは、話しながら、ずっと泣いていたよ」
目は逸らさない。僕はここで、三人の気持ちを伝えなければいけない。
「三人とも、後悔していたよ。皆、君を知って、君の良さに気づいて、君の言う通りに君を守ろうとした」
僕は、告発文を目の前に掲げてみせた。
「だけど君は、これについて『何も知りません』と言った」
生徒の視線は紙を凝視していた。目元が震えている。
「もう一度聞くよ、黒瀬さん」
「ここに書かれた黒瀬凛は、これからどうしたらいいと思う?」