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那覇の昼ごはん③ 息子と食べた、会話のない昼ごはん

    【連作エッセイ・全3話】
    第一話:https://note.com/fit_guppy8130/n/nf1ba6538b1dc
    第二話:https://note.com/fit_guppy8130/n/n4a2979b61e29

     息子は、あまり喋らない。

     小学校の高学年になってから、そうなった。低学年の頃はよく喋った。学校であったこと、友達のこと、給食のこと、くだらないことを矢継ぎ早に話した。私はそれを、夕飯を食べながら聞いていた。両手で箸を動かしながら、うんうんと頷きながら。

     今は、食卓に座っても、ゲームのことを考えているのか、窓の外を見ているか、どちらかだ。

     私も、あまり話しかけない。何を聞けばいいか、よくわからなくなった。

     退院してからしばらく、息子と二人で昼ごはんを食べる日が続いた。

     妻は仕事に出ている。私はまだリハビリ中で、家にいた。息子は——理由はここでは書かないが——学校に行っていない時期があった。だから昼、那覇の家に二人だけ残された。

     最初は気まずかった。

     何か作ろうとして、台所に立つ。左手が思うように動かない父親が、フライパンの前で格闘している。息子はリビングのソファに座って、膝を抱えている。声をかけようとして、やめる。邪魔したくない、というより、何を言えばいいかわからない。

     結局、インスタントの沖縄そばを二人分作った。

     袋を開ける。お湯を沸かす。右手だけで全部やる。麺を入れる。スープの素を入れる。それだけだ。

     テーブルに二つ並べた。息子は無言でやってきて、席についた。

     食べている間、何も喋らなかった。

     窓の外で、那覇の空が青かった。十月なのに、まだ夏みたいな青さだった。換気扇が回っている音だけがして、二人でただ麺をすすった。

     息子がふいに、「おかわりある?」と言った。

     インスタントそばに、おかわりはない。「ないよ」と言ったら、「そっか」と言って、また麺をすすった。

     それだけだ。それだけの会話だった。

     でも食べ終わった後、息子は自分の丼を台所に持っていって、水で流してシンクに置いた。私の丼も、黙って持っていった。

     それを見て、なぜか少し泣きそうになった。こらえた。2話に続いて、また那覇でこらえた。

     子どもに服を着せてもらった日のことを、私はまだ覚えている。

     入院中、シャツのボタンを留めようとして、左手が動かなくて、息子が横から手を伸ばしてきた。「パパ、やったげる」と言って、小さな指でボタンを留めた。私はありがとうと言いながら、息子の顔をまともに見られなかった。

     あの日から、息子は何かが変わった気がする。うまく言えないが、少しだけ、やさしくなった。やさしくなったというより、気を遣うようになった。いや、それも違う。

     たぶん、息子も何かを知ったのだと思う。父親が壊れるということを。壊れても、飯を食うということを。

     今も、二人で食べる昼ごはんは静かだ。

     会話はほとんどない。膝を抱えてぼんやりしていることもある。窓の外を見ていることもある。

     それでも息子は、食べ終わると必ず丼を台所に持っていく。私の分も、一緒に。

     何も言わない。私も何も言わない。

     ただ、それだけのことが、那覇の昼ごはんをずっと支えている。

     
     
    Kindle作家|AIクリエイター 40代で脳梗塞を経験。 小説、音楽・動画制作、Kindle出版、eBay海外販売など、「人生をもう一度作り直す挑戦」を発信しています。

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