
あの頃はラブソングだったのに——卒園の日に聴いた椎名林檎『幸福論』
未就学児の卒園って、思っていたよりずっと重たい。
「最後の〇〇」よりも、このあとにやってくる「初めての〇〇」の多さに、足元が少し揺らぐ。
最後の登園の日、いつも通りの時間に家を出た。
いつも通りの道を歩いて、いつも通りの門をくぐる。
その“いつも通り”が、今日で終わる。
そう思った瞬間に、急に足取りがぎこちなくなった。
教室の窓から見えるロッカーやタオル掛けは、いつもと同じように並んでいる。
名前の書かれたシールも、少し擦れているところまで同じだ。
特別なことは何も起きていないのに、
当たり前だったその全部が、もうすぐ自分たちのものじゃなくなる。
帰り道、子どもはいつもと同じように話しかけてくる。
今日あったことや、明日のこと。
その隣で、私はうまく相槌が打てなかった。
寝かしつけたあと、真っ暗な部屋でスマホを手に取る。
子どもが起きないように、小さな音で
椎名林檎の「 幸福論 」を再生した。
あの頃、この曲はただのラブソングだった。
カラオケでもよく歌っていたし、「いい曲だな」くらいの距離感で、深く考えたことはなかった。
でも、今はまったく違う。
時の流れと空の色に何も望みはしない様に
素顔で泣いて笑う君のそのままを愛している故に
あの頃は、恋人のことを歌っていると思っていた。
今は、まったく別の顔が浮かぶ。
変わらないでほしい、ではなく、
変わっていくことごと、そのまま受け取るような感覚。
同じ歌なのに、こんなにも違って聴こえる。
あの頃みたいに、この曲を無邪気に歌うことはもうできない。
でも、それでいいのだと思う。
寝息を立てている子どもの顔を見ながら、
もう一度だけ、小さく、私だけに聞こえる音量で、曲を最初から流した。
あの頃は歌っていたこの曲を、
今はただ、静かに聴いている。
▼ 連作エッセイ
日常の中で、少しだけ見え方が変わった瞬間を記録しています。
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