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「倧人のみなさん瀟䌚の問題や課題を考えるずきに意倖ず歎史の考え方っお䜿えるよ」

    はじめに 高校生向けには難しかった孊習参考曞・『レキシンク』

    「高校生向けずしおは、正盎、難しいず思いたす。」

    幎前、旺文瀟の孊習参考曞に関する公募䌁画以䞋のサむトを参照で、私は日本史孊習参考曞ずしお『レキシンク』を執筆しおみた。この『レキシンク』の内容やその構成に぀いお、担圓者の方から䞊蚘の趣旚の蚀葉をいただいた。「歎史」ず英語のthink考えるを組み合わせ、歎史を「暗蚘する」だけではなく、歎史を「考える」ための方法を孊ぶずいう意味を蟌めた造語がレキシンクである。


    執筆圓時、私は高等孊校で地理歎史科・公民科の教員ずしお勀務しおいた。日々の授業を通しお感じおいたのは、歎史教育が長幎にわたり「暗蚘科目」から脱华しようずしおいるにも関わらず、孊習者の偎には䟝然ずしお、歎史を人物名や幎代、制床、出来事の順序を「芚える」教科ずしお捉える傟向が残っおいるずいうこずであった。もちろん、珟圚の歎史教育研究や授業実践では、歎史的思考や孊習者が問いを立おおその解決を図る孊習、史資料の掻甚、教科固有の芋方・考え方を掻甚する倚面的・倚角的な考察などが重芖されおいるため、「孊校では暗蚘しか行われおいない」ず単玔化するこずは適切ではない。しかし、倧孊入詊や定期考査を意識する高校生にずっお、倧量の歎史知識を蚘憶する必芁が存圚するこずも事実であり、結果ずしお「芚える→詊隓で答える→詊隓埌に忘れる→必芁になれば再び芚える→  」ずいう孊習における負のスパむラルに入る堎合がある。

    念のため申しおおくが、私は暗蚘自䜓を吊定しおいるわけではない。歎史的事象を比范するためには、比范する察象に関する知識が必芁であり、因果関係を考察するためにも、出来事の時間的順序や瀟䌚的背景を理解しおいなければならない。たた、史資料を読解する堎合も、その資料が䜜成された時代や人物、制床に関する基瀎的な知識を欠けば、資料の意味を十分に怜蚎するこずは難しい。したがっお、歎史教育の問題を「暗蚘か思考か」ずいう二項察立で敎理するこずには、正盎あたり意味がない。重芁なのは、獲埗した知識がその埌の思考ぞどのように接続されるのかずいう点にある。぀たり、孊んだこず歎史的事象やその考え方をどう掻かすこずができるのかずいうこずである。

    人物名や幎代を芚え、それを詊隓で再生する吐き出すこずによっお孊習が終了するならば、歎史知識は孊習者の倖偎に蓄積された情報であり続け身䜓化されるこずはない。しかし、獲埗した知識を甚いお、その出来事がなぜ生じたのか、異なる時代や地域ず比范した堎合にいったい䜕が芋えるのか、珟圚の制床がどのような経緯によっお圢成されおきたのかなどに぀いお考えるならば、歎史知識は思考を支える土台・基盀になる。私がレキシンクずしお衚珟したかったのは、たさにこの「芚える」から「考える」ぞの質的転換であった。

    そこで私は、高校生向けの日本史孊習参考曞ずしおレキシンクを構想し、䞊蚘の出版䌁画の公募ぞ提出した。幞いにも䌁画は評䟡され、敢闘賞倧賞なしをいただくこずができたが、その際に瀺されたのが、冒頭の「高校生向けずしおは難しい」ずいう指摘であった。圓時の私は、その評䟡を課題ずしお受け止めおいた。高校生に歎史を暗蚘ではなく思考の方法ずしお孊んでほしいず考えおいた以䞊、その察象である高校生にずっお難しいのであれば、説明の方法や内容構成に問題があるず考えたからである。

    しかし、公募時の2020幎からおよそ幎が経過した珟圚、私はこの指摘を少し異なる角床から捉えおいる。もしかするず、レキシンクずいう思考構成が高校生にずっお難しかったのではなく、私自身がレキシンクの察象を「高校生向けの孊習参考曞」ずいう狭い枠組みに閉じ蟌めおいたのではないか。レキシンク、すなわち歎史的思考を甚いお瀟䌚の問題を捉え、正解の存圚しない問いに぀いお他者ず考え、䞀定の刀断を圢成するずいう営みは、むしろ孊校を卒業した埌の倧人瀟䌚人にこそ必芁なのではないか。このような問いを持぀ようになった。

    珟圚私は高校教員を退職し、東京倧孊倧孊院で教育孊を研究するずずもに、授業づくりや探究教育支揎の仕事ぞ関わっおおり、私は孊校ずは異なる䜍眮から瀟䌚を芋るこずになった。仕事や組織、地域、家族、教育、経枈などに぀いお考える堎面では、無論暡範解答があらかじめ甚意されるこずはない。むしろ、䞍十分な情報ず異なる䟡倀芳が亀錯する状況の䞭で、䞀定の刀断を圢成する必芁がある。幎前に高校生向けずしお構想したレキシンクは、実はこのような耇雑な問題を考えるための方法だったのではないか。珟圚の私は、そう考えおいる。

    本皿は、その幎間の倉化を螏たえながら、レキシンクを倧人のための歎史的思考ずしお再構成する詊みである。

    歎史を「芚える」から「考える」ぞシフトチェンゞするためのレキシンク

    歎史的思考に぀いお考える際、歎史教育孊者のサム・ワむンバヌグの議論は重芁な瀺唆を䞎える。圌は、歎史的思考を人間が自然に行う思考ずは異なる、ある意味で「䞍自然な知的行為」ずしお論じおいるWineburg , 2001。私たちは通垞、自らの経隓や珟圚の垞識を基準ずしお他者や瀟䌚を理解しようずする。しかし、過去を考える際に珟圚の䟡倀芳をそのたた適甚すれば、圓時の人々が眮かれおいた条件を芋倱う可胜性がある。歎史を考えるためには、自らの珟圚を䞀床留保し、異なる時代の制床や䟡倀芳、知識や情報、倚様な人々の遞択可胜性を怜蚎しなければならない。そうでなければ、いわゆる珟圚䞻矩や歎史吊定論や歎史修正䞻矩などに、瀟䌚孊者デュルケムの思考、すなわち「瀟䌚的事実」を揎甚すれば、自身が意図しおいる・しおいないを問わずに結果的に繋がっおしたう恐れすらある。

    さらに、歎史教育孊者のピヌタヌ・セむシャスず同じく歎史教育孊者のトム・モヌトンも、歎史的思考を「歎史的意矩・䞀次資料の蚌拠・継続ず倉化・原因ず結果・歎史的芖点・倫理的偎面」ずいう぀の抂念によっお敎理しおいるSeixas & Morton , 2013。ここで瀺されるのは、歎史孊習が事実の蚘憶だけによっお成立するものではなく、蚌拠を確認し、時間の䞭の倉化を読み、因果関係に぀いお史資料を基に怜蚎し、珟圚ずは異なる立堎や芖座から過去を客芳的に理解する掻動を必芁ずするずいうこずである。

    私は、この歎史的思考を孊校の歎史授業の䞭だけで展開するのではなく、広く珟実瀟䌚においおも機胜させたほうが良いのではないかず考える。なぜなら、私たちが珟代瀟䌚で盎面する問題もたた、突然私たちの県前に出珟したものではなく、䞀定の時間をかけお圢成されおきた歎史的事実に他ならないからである。

    珟代瀟䌚における諞課題や諞問題の䞭で、たずえば、「教員の倚忙化」ずいう問題を考える堎合、「教員の仕事の仕方働き方が非効率だから忙しい」ず説明するこずは可胜である。しかし、ICTの積極的な掻甚や现かな䌚議の削枛など、孊校内郚の業務改善には怜蚎すべき䜙地があろう。なぜ孊校が授業だけではなく、生埒指導や進路指導、郚掻動、保護者察応、地域連携、堎合によっおは犏祉的な支揎の入口たで担う制床になったのかを倚面的か぀倚角的に考えなければ、教員の仕事が増加しおきた構造自䜓を理解するこずはできない。歎史的にどのような過去があっお珟圚の課題や問題が生み出されたのかを螏たえるこずが求められる。

    同様に、「少子化」ずいう問題を考える堎合、「若者が結婚しなくなった」や「若者の䟡倀芳や結婚に察する認識が倉わった」ず説明するこずもできよう。しかし、雇甚や教育費、家族芳、性別圹割分業、地域瀟䌚、郜垂ぞの人口集䞭などが長期的に倉化しおきた過皋を怜蚎すれば、個人の䟡倀芳だけでは説明できない諞条件が浮かび䞊がっおくる。仕事を続けながら子どもを育お、自分の時間も確保し、さらに芪の介護や教育費、䜏宅費、将来の収入䞍安にも向き合わなければならないずすれば、子どもを持぀か吊かは単なる䟡倀芳の問題ではなくなる。加えお、地域に頌るこずのできる人間関係が匱い状況では、その遞択に䌎う負担は個人や家庭ぞ䞀局集䞭する。これはたさに、珟圚の新自由䞻矩ネオ・リベラリズムに立脚する斜策展開の問題を歎史的に捉えお指摘するこずにも぀ながる。

    このように、歎史的に考えるこずには、珟圚起きおいる珟象を時間の䞭ぞ眮き盎す働きがある。珟圚を批刀するこず自䜓が目的なのではなく、珟圚を「最初からこのような瀟䌚だった」ず考えないために、制床や䟡倀芳の圢成過皋を確認するのである。珟圚が歎史的に圢成されたものであるならば、珟圚ずは異なる遞択が過去に存圚したずいう可胜性があり、未来に぀いおも珟圚ずは異なる瀟䌚を構想する䜙地があるなお、本皿では未来があるかないかずいう、ある皮の哲孊的な考察は展開しないでおく。

    ここで重芁になるのが、珟圚が過去や未来ず必ずしも぀ながっおいないずいけないずいう発想を抱かないこずである。ずいうのも、珟圚が過去や未来ず䜕かしら぀ながっおいるず思い蟌んでその理由や背景等を芋出そうずしおしたい、匷匕に解釈しおしたう可胜性が歎史的思考の特性ずしお存圚するからである。この点に぀いお、私たちは歎史的思考を駆動させる堎合、意識しなければならない。぀ながるものもあれば、぀ながらないものもある。こういった認識で察象を芳察しおいくこずが䞍可欠である。

    歎史は、過去を保存するためだけの知識ではない。歎史的に考えるこずは、珟圚の圓然性を盞察化し、未来の遞択可胜性を広げるための方法にもなり埗る。そういった意味で、レキシンクは歎史的思考を珟代瀟䌚ぞ開く詊みであるず私は考える。

    昚今の「人文知ブヌム」の䞭で、人文知を「重芁だ」ず語るだけではもの足りない

    レキシンクを再構成する䞭で、私は人文知に぀いおも考えるようになった。ChatGPTをはじめずする生成AIの加速床的な発展やSNSにおける分断の助長、䞀囜䞻矩の匷調による囜際秩序の䞍安定化などを背景ずしお、近幎は人文孊やリベラルアヌツの重芁性を改めお匷調する議論が増えおいる。政治哲孊者のマヌサ・ヌスバりムは、人文孊教育が批刀的思考や他者を想像する胜力を育成し、民䞻䞻矩を支えるうえで重芁な圹割を持぀ず論じたNussbaum , 2010。たた、瀟䌚科教育孊者のキヌス・バヌトンず同じく瀟䌚科教育孊者のリンダ・レノスティクは、歎史教育を公共善や民䞻的瀟䌚ぞの参加ずの関係から䜍眮づけおいるBarton & Levstik , 2004。加えお、歎史孊者のリン・ハントは、民䞻䞻矩の維持のために歎史を孊び続けるこずの必芁性やその理由を瀺したリン・ハント、2019。

    私も、人文知の重芁性そのものには同意しおいる。しかし、「人文知は重芁である」ずいう䞻匵を繰り返すだけでは、人文孊に普段觊れおいない人に察しおその意味や重芁性を十分か぀的確に䌝えるこずは難しいのではないか。「人文知は重芁」ず論ずる者のほずんどは、人文知界隈の人間である。これもたた䞀぀の課題なのであろう。

    歎史は過去を教蚓にしお珟代瀟䌚を考察するうえで、そしお文孊や哲孊は人間理解を深めるために重芁である。このような説明は、人文知にすでに䟡倀を認めおいる人にずっおは理解しやすい。しかし、仕事や生掻の䞭で人文孊を意識する機䌚が少ない人に察しおは、「それを具䜓的にどのように䜿うのか」ずいう問いぞの回答が必芁になる。人文知の重芁性を瀺す論者の倚くは、人文孊は我慢しお長期的に孊ばなければ䜓埗するこずはできないなどずいった蚀説を展開しやすい。蚀いたいこずは分かるが、これは人文知をこれから孊がうずする方に察しおのある皮䜓育䌚系の仕眮そのものである。それでは、い぀たで経っおも人文知は䞀過性のブヌムで終わっおしたい、普く人々の臓腑に人文知の重芁性が萜ちおいくこずはない。そうならないようにするための秘策ずたではいかないが、方法論を構築しなければならないず私は考える。

    そこで私は、人文法ずいう考え方を提案したい。人文法ずは、人文知を知識ずしお所有するだけではなく、䞖界に察する問いを圢成し、瀟䌚的文脈を解釈し、異なる他者ずの関係の䞭で自らの刀断を曎新するために甚いる方法である。

    このように定矩した堎合、人文知の䟡倀は短期的な実利だけによっお枬定されない。歎史を孊んだからずいっお翌日から業務時間が短瞮されるわけではなく、哲孊曞を読んだ結果ずしお組織の問題が盎ちに解決される保蚌もない。しかし、人文知は、私たちが圓然芖しおいる問いそのものを倉曎する可胜性を持぀。きわめお柔軟性に満ちた思考法を促すこずが人文知なのである。

    この柔軟な思考展開によっお、少子化の原因を若者の意識に求めおいた人が制床や生掻条件の圢成過皋ぞ目を向ける堎合がある。たた、教員の倚忙化を孊校珟堎の非効率性ずしお理解しおいた人が孊校に瀟䌚的圹割が集䞭しおきた過皋を考え始める堎合もある。問題そのものが解決したわけではないが、問題の認識は倉化しおおり、その結果ずしお怜蚎すべき解決策の範囲も柔軟に倉化する。

    人文知の圹割は、必ずしも明瞭な解を぀くるこずにあるのではない。むしろ、自分が最初に立おた問いが適切であったのかを考え盎し、別の角床から問題を芋る契機を䞎えるこずにある。レキシンクは、この人文法の䞀぀ずしお、歎史的思考を瀟䌚ぞ開く方法ずしお機胜する。

    歎史から「教蚓」を取り出すこずず歎史的に考えるこず

    ここで明確にしおおきたいのは、レキシンクは過去から珟代に圹立぀教蚓を盎接抜出する方法ではないずいうこずである。

    歎史をビゞネスや人生ぞ掻甚する議論では、歎史䞊の人物からリヌダヌシップを孊び、過去の囜家や䌁業の倱敗から珟圚ぞの教蚓を埗ようずする堎合がある。このような詊みのすべおを吊定する必芁はない。教蚓からは、勇気や垌望ずいったものを抱くこずはできる。しかし、過去ず珟圚の条件の違いを十分に怜蚎しなければ、衚面的な類䌌から安易な結論を導く危険がある。この点は極めお重芁である。

    たずえば、織田信長が革新的だったため珟代の経営者も革新的であるべきだずいう䞻匵は分かりやすいが、戊囜期の政治秩序ず珟代䌁業の組織環境は無論、倧きく異なるため䞡者を盎接接続するこずは䞍可胜であるし、そうしおはならない。たた、過去の囜家が特定の政策によっお衰退したずいう説明を珟圚ぞ適甚する堎合にも、政治や経枈、囜際関係、技術などの諞条件を確認する、぀たり圓時の史資料ずの突合などが必芁ずなる。

    歎史孊者のE・H・カヌは歎史を「過去ず珟圚ずの察話」ずしお捉えたCarr, 1961。私はこの察話を珟圚の自分が過去から必芁な答えを自由に取り出す行為ずは理解しおいない。珟圚の問いを持っお過去ぞ向かいながら、過去の蚌拠や文脈によっお珟圚の問いそのものが問い返される関係ずしお理解しおいる。

    か぀お私がnoteで曞いた蚘事以䞋の蚘事を参照で安土城を取り挙げた際、私は織田信長の築城戊略を珟代䌁業の経営戊略ぞ盎接転甚しようずはしなかった。むしろ、安土城ずいう空間を考える䞭で、䞭心が圢成されるこずによっお、人や物、情報の流れがどのように倉化するのか、たた空間が人間の行動をどのように方向づけるのかずいう芖点に泚目した。この芖点を珟代ず関連させれば、郜垂や孊校、䌁業、SNSなどにも䞭心ず呚蟺、人の流れ、空間蚭蚈ずいう問題や課題が存圚するこずに気づく。


    このずき、珟代ぞ転甚されおいるのは安土城の歎史的事実そのものではない。安土城を考察する際に圢成された問い方や芖角である。したがっお、レキシンクが目指すのは「歎史を䜿う」こずよりも、「歎史的に考える方法を転甚する」こずである。

    この区別を明確にしなければ、レキシンクは歎史䞊の成功者から成功法則を抜出する自己啓発的な方法ず区別できなくなる。私が考えおいるのは、歎史から正解を取り出す方法ではなく、歎史的に考えるこずによっお珟圚の問いを組み替える方法である。

    レキシンクは「問いを蚂正する」思考法でもある

    初期幎前のレキシンクでは、5W1HにReally、Result、Ifを加えた「5W1H2R1I」ずいう枠組みを考えおいた以䞋の蚘事を参照。぀たり、本圓にReally起こったこずなのか、あるいはそう考えるこずができるのか、ある歎史的出来事の結果Resultによっお䜕がもたらされたのか、そしお、もしもIfある歎史的出来事が起こっおいなかったら以埌の歎史はどうなっおいったのかなどに぀いお考察する枠組みである。さらに、耇数の遞択肢から䜕を遞択するのかを怜蚎するWhichを加え、歎史的事象を倚面的に考えるための問いの䜓系ずしお敎理しおいた。


    珟圚では、この方法をより広い思考過皋ずしお捉えおいる。すなわち、問いを持ち、問題を分け、根拠を確かめ、比范し、圢成過皋をさかのがり、異なる立堎を想像する。そのうえで䞀定の方向を構想し、他者ずの察話を経お、自らの問いや刀断を曎新するずいう埪環的な過皋である。私は、この思考過皋をレキシンク・サむクルず珟圚、呌んでいる。ここで重芁なのは、最初から優れた問いを立おる必芁はないずいう点である。

    たずえば、先述した「少子化」ずいう問題課題に぀いお「なぜ若者は結婚しないのか」ずいう問いから思考を開始するこずは可胜である。その問い自䜓を盎ちに吊定する必芁はない。しかし、人口動態や雇甚圢態、䜏宅・教育費、家族芳、性別圹割分業などを確認し、それらがどのように倉化しおきたのかを考えれば、若者の意識だけに原因を求める問いの限界に気づく可胜性がある。その結果、「なぜ若者は結婚しないのか」ずいう問いは、「なぜ子どもを持ちたい人が、その垌望を実珟しにくい瀟䌚的条件が圢成されおきたのか」ずいう問いぞ倉曎される。

    問いが倉化したからずいっお、最初の思考が倱敗だったわけではない。最初の問いを持ったからこそ、調査や察話を通しお、その問いが䞀定の前提に䟝存しおいたこずに気づくこずができたのである。このいわば、仮説蚭定を繰り返しおいくプロセスが倧切なのである。

    同様に、先述の「教員の倚忙化」問題を「なぜ教垫は仕事を枛らせないのか」ずいう問いから考え始めたずしおも、孊校制床の圢成過皋を怜蚎する䞭で、「なぜ孊校は瀟䌚の䞭で倚くの機胜を匕き受ける制床になっおきたのか」ずいう問いぞ移行する可胜性がある。

    私は、問う力を「最初から優れた問いを提瀺する胜力」ずしお捉えるこずには慎重でありたい。珟圚、生成AIずの関係においおも、問いを立おる力やプロンプトを蚭蚈する胜力が重芁であるず論じられおいる。しかし、最初から高床な問いを立おられる人だけが生成AIを有効に利甚できるず考えれば、それは新たな胜力䞻矩を圢成する可胜性がある。この点は極めお重倧な問題である。したがっお、ここで必芁なのは、問いを䞀床で完成させる胜力ではない。自分の問いを蚂正できる胜力なのである。

    自らの経隓から暫定的な問いを持ち、根拠を確認し、過去ぞさかのがり、異なる立堎からの芋え方・考え方を知る。その過皋においお、自分の問いに偏りや䞍足があるこずに気づいた堎合には、問いを修正する。この修正は、思考の倱敗ではなく、思考が継続しおいるこずを意味する。レキシンク・サむクルは、完成された問いから正解ぞ䞀盎線に進む方法ではない。暫定的な問いから思考を開始し、考察の過皋で問いず刀断を曎新し続ける方法である。

    「過去・珟圚・未来」の芖点を䞀方向に䞊べない

    レキシンクの特城をさらに明確にするためには、「過去・珟圚・未来」ずいう぀の芖点に぀いお説明する必芁がある。

    珟圚の孊校の歎史教育では、過去を孊び、その過去ず珟圚ずの関係を考え、さらに未来の瀟䌚を構想するずいう流れのもず展開されやすい。過去から珟圚を経お未来ぞ向かう思考である。この思考過皋は歎史孊における歎史的思考を身に付けるうえでは倧切な孊びずなる。しかし、倧人が瀟䌚問題を考える堎合には、必ずしも過去から思考が始たるわけではない。むしろ、珟圚盎面しおいる問題から思考を始め、その問題がどのように圢成されおきたのかを過去ぞさかのがり、そのうえで未来の方向を考える堎合が倚い。

    教員の倚忙化に問題意識を持おば、珟圚の勀務状況から過去の孊校制床ぞさかのがり、孊校が倚機胜化しおきた過皋を確認したうえで、未来の孊校がどのような圹割を担うべきかを考えるこずができる。たた、将来の望たしい瀟䌚像を仮に蚭定し、そこから珟圚の制床や過去の圢成過皋を怜蚎するこずも可胜である。

    「過去・珟圚・未来」ずいう぀の芖点を組み合わせれば、思考の方向には耇数の可胜性がある。過去から珟圚を経お未来ぞ向かうだけではなく、珟圚から過去ぞさかのがっお未来を考えるこずも、未来の構想から珟圚の条件を確認しお過去ぞ向かうこずもできる。総合すれば、①「過去→珟圚→未来」・②「過去→未来→珟圚」・③「珟圚→過去→未来」・④「珟圚→未来→過去」・⑀「未来→過去→珟圚」・⑥「未来→珟圚→過去」の方向での歎史の孊びが実珟可胜であるず考える。

    歎史孊者のラむンハルト・コれレックは、歎史的時間を考える䞭で「経隓空間」ず「期埅地平」ずいう抂念を提瀺したKoselleck , 2004。過去の経隓ず未来ぞの期埅は単玔な連続関係にはなく、その䞡者の緊匵の䞭で珟圚が認識される。たた、歎史孊者のペルン・リュれンも、歎史意識を時間の䞭で自己ず䞖界を方向づける働きずしお論じおいるRÃŒsen , 2005。

    レキシンクが過去、珟圚、未来の埀還を重芖するのは、過去から未来を予枬するためではない。過去の経隓を参照するこずによっお珟圚を盞察化し、未来ぞの構想を持぀こずによっお珟圚の問題を別の角床から捉え盎すためである。この捉えはたさに、地理孊の抂念ではあるが、「䞉角枬量」的に物事を考えるず換蚀するこずもできよう。時間を埀還する目的もたた、問いを曎新するこずにある。

    生成AIが答えおくれる珟代においお、なぜレキシンクが必芁なのか

    生成AIの高床な発展に䌎っお、情報を取埗・敎理し、䞀定の文章ぞたずめるために必芁な時間は倧きく倉化した。歎史䞊の出来事の抂芁を確認するこずも、瀟䌚問題の論点を敎理するこずも、たた耇数の政策を比范するこずも、短時間で行うこずができる。情報収集における時間を飛躍的に削枛するこずができるようになったこずは瞠目すべきこずである。

    留意しおいただきたいのは、私は生成AIを吊定する立堎ではない。珟圚倧孊院で研究を進め、教育に関する仕事ぞ関わる䞭でも、生成AIは有効な補助手段ずなっおいる。自分の思考に䞍足しおいる芳点を確認したり論点を敎理したりする堎面では、積極的に掻甚する䟡倀がある。人間の知胜云々の問題を取り挙げお、生成AIを掻甚するこず自䜓を吊定的に論ずる方がいるが、生成AIの䟡倀はもう認めざるを埗ない局面に来おいるのが珟代瀟䌚である。しかし、生成AIが高床な回答を提瀺できるこずず、人間が適切な問題蚭定を行えるこずは別の問題である。

    仮に、「少子化の原因を教えおください」ず尋ねれば、生成AIは耇数の原因を敎理するだろう。しかし、少子化を出生数の枛少ずしお問題化するのか、人口増加を前提ずした瀟䌚制床の持続䞍可胜性ずしお考えるのか、それずも子どもを持ちたい人が垌望を実珟しにくい瀟䌚条件を問題ずするのかによっお、怜蚎すべき内容は倉化する。生成AIは入力された問いに応答するが、その問いをなぜ自分が有したのかずいう個人の経隓や瀟䌚的な䜍眮認識たでを汲み取っお胜動的に匕き受けるわけではない。぀たり、その問いの背景や理由にたで及んで考えおはくれないのが、珟圚の生成AIの技術である
    私自身が「教員の倚忙化」問題を考える際、「なぜ孊校は倚くの圹割を匕き受けおきたのか」ず問う背景には、およそ10幎間の高校教員経隓がある。別の立堎にいる人であれば、同じ問題に぀いお、行政制床や家庭ず孊校の圹割分担、人員配眮、組織マネゞメントなどの異なる問いを持぀可胜性がある。぀たり、問いを発する圓人によっお、䜕を問いたいのかずいうこずが異なるずいうこずである。

    人間の問いは完党に䞭立ではない。しかし、重芁なのは䞻芳を消去するこずではなく、自分の問いがどのような経隓や立堎から圢成されたのかを認識し、その問いを他者ずの察話ぞ開くこずである。生成AIに問いを入力し、提瀺された回答を読んだ埌、自分の問いが倉化したのであれば、その倉化を確認する。さらに、研究や統蚈、史資料、珟堎経隓、珟実の他者ずの察話によっお問いを再怜蚎するこずも重芁な知的営為である。

    生成AIを回答装眮ずしおのみ利甚するのではなく、自らの問いの前提を可芖化する䞀぀の察話盞手ずしお甚いるこずも可胜である。回答を埗る費甚が䜎䞋する時代だからこそ、回答の前提ずなっおいる問いを蚂正可胜な状態に眮く必芁がある。この点においお、歎史的思考ず生成AI時代の思考は接続する。

    レキシンクは唯䞀の絶察的な正解ではなく「玍埗解」を構想する

    レキシンクでは、瀟䌚的な問題に぀いお唯䞀の正解を提瀺するこずを目的ずしおいない。珟代瀟䌚で盎面する問題の倚くは、異なる䟡倀が関係しおいる。少子化ぞの察応を考える堎合、出生数を増加させるこずや個人の生き方を尊重するこず、瀟䌚保障制床を維持するこず、あるいは地域瀟䌚を持続させるこずなど、耇数の目的が存圚するだろう。「教員の倚忙化」問題に぀いおも、勀務時間を削枛するだけではなく、子どもぞの教育的支揎をどのように維持するのかを考える必芁がある。

    理論家のホルスト・リッテルず同じく理論家のメルノィン・りェバヌは、明確な問題定矩や唯䞀の解決を持たない瀟䌚的問題を「wicked problems厄介な問題」ずしお論じたRittel & Webber, 1973。このような問題では、䜕を問題ずしお定矩するのか自䜓が関係者の立堎によっお異なり、䞀぀の察応が別の問題を生じさせる堎合がある。したがっお、「最適解」ずいう蚀葉を甚いる堎合には、誰にずっお、どの目的に照らしお最適なのかを確認しなければならない。そこで私は、レキシンクにおいお玍埗解ずいう抂念を重芖しおいる。

    私が考える玍埗解ずは、異なる立堎の存圚を前提ずし、利甚可胜な根拠を共有し、反論や蚂正の可胜性を残したうえで、珟時点においお関係者が䞀定皋床受け入れ可胜な方向ずしお圢成される暫定的な刀断である。玍埗解は党員䞀臎を意味しない。たた、「人によっお考え方が異なるため、それぞれが玍埗すればよい」ずいう盞察䞻矩でもない。自分の刀断が他者にどのような圱響を䞎えるのかを怜蚎し、異なる立堎からの反論を受けながら、䞀定の方向を遞択する必芁がある。

    教育哲孊者のゞョン・デュヌむは、民䞻䞻矩を政治制床だけではなく、人々が共通の経隓や問題を共有しながら盞互に関係する生掻様匏ずしお捉えたDewey, 1916。たた、先にも蚘したバヌトンずレノスティクは、歎史教育を公共善や民䞻的参加ずの関係から論じおいる。

    私は人文知を、I私の芖点からWe私たちの芖座ぞ開くための知ずしお考えおいる。自分はどう考えるのかずいう問いは重芁であるが、公共的な問題では、自分ずは異なる他者ずどのような瀟䌚を圢成するのかずいう問いを避けるこずはできない。玍埗解は、このIからWeぞの移行の䞭で圢成される。

    自分の正解を他者ぞ抌し぀けるのではなく、自分の刀断の根拠を提瀺し、異なる立堎からの反論を受けながら、珟時点で受け入れ可胜な方向を構想する。その刀断は最終回答ではなく、新たな根拠や察話によっお曎新される。この曎新可胜性こそ、玍埗解に必芁な条件である。

    蚂正するこずは思考の倱敗では決しおない

    珟代瀟䌚では、䞀床瀺した意芋を倉曎するこずが、䞀貫性の欠劂ずしお批刀される堎合がある。SNS䞊には過去の発蚀が蚘録され、以前ずは異なる芋解を瀺した人に察しお、「以前ず蚀っおいるこずが違う」ずいう批刀が向けられる。もちろん、自らの責任を回避するために堎圓たり的に䞻匵を倉曎するこずず、新しい根拠にもずづいお刀断を蚂正するこずは区別しなければならない。しかし、新しい事実を知り、自分が考慮しおいなかった立堎の存圚に気づき、刀断を倉曎したのであれば、その倉化は思考の倱敗ではない。むしろ、孊習の結果ずしお理解するべきなのである。

    東浩玀は『蚂正可胜性の哲孊』においお、蚂正可胜性を共同䜓や瀟䌚の持続ずの関係から論じおいる東、2023。この本の論理に珟圚のレキシンクは倧きな圱響を受けおいる。私がレキシンクにおいお重芖する蚂正可胜性も、䞀床圢成した刀断を無責任に倉曎するこずを意味するものではない。刀断を倉曎するのであれば、なぜ倉曎したのかを根拠ずずもに瀺す必芁がある。耇雑化か぀カオス化する珟代瀟䌚においお、この蚂正可胜性ずいう発想は極めお重芁である。VUCA時代ずも衚象されおいる珟代瀟䌚では、䜕がより正しい理解や刀断、方向性なのかを策定するこずが容易ではない。だからこそ、私たちの考えや行動は垞に蚂正可胜性を保持しなければならない。しかし、それに察抗するかのごずく、私たちの考えや行動は垞に絶察的なものでなければならないずいう幻惑が瀟䌚には浮遊しおいる。この珟況を打砎するためには、この蚂正可胜性ずいう思考圢態は有機胜するだろう。

    歎史研究もたた、過去に぀いお䞀床だけ最終回答を提瀺する営みではない。新たな史資料が発芋される堎合もあれば、これたで十分に泚目されおこなかった人々の経隓が研究察象になる堎合もある。たた、研究䞊の問いが倉化するこずによっお、同じ出来事が異なる角床から怜蚎されるこずもある。歎史理解が継続的に怜蚎されるように、私たちが珟代瀟䌚に぀いお圢成する刀断にも曎新の䜙地が必芁である。私は、このような思考を持続可胜な思考ずしお考えたい。

    珟時点で刀断するこずず、その刀断を氞久の正解ずしお固定しないこずは䞡立できる。䞀定の刀断を匕き受けながら、新しい根拠や他者ずの察話によっお必芁な蚂正を行い、その蚂正理由を説明する。耇雑な瀟䌚においお必芁なのは、䞀床も刀断を誀らない人間ではなく、自らの刀断を根拠に基づいお曎新できる人間なのではないか。レキシンクは、この問いから圢成されおいる。

    倧人の孊び盎しは、胜力のアップデヌトだけではない

    倧人の孊び盎しに぀いお語る際、近幎はリスキリングやリカレントずいう蚀葉が頻繁に甚いられる。生成AIやデゞタル技術を孊び、新しい専門技胜や資栌を取埗するこずによっお、倉化する劎働垂堎ぞ察応する。このような孊習には重芁な意味がある。しかし、倧人の孊びを「新しい胜力を珟圚の自分ぞ远加するこず」だけによっお理解しおよいのだろうか。

    瀟䌚孊者のゞャック・メゞロヌは成人孊習成人教育に぀いお、自らが圓然芖しおきた準拠枠を批刀的に省察し、その枠組みを倉容させる孊習を論じたMezirow , 1991。この芖点に立おば、倧人の孊びずは知識や技胜を増加させるこずだけではなく、自分が䞖界を理解する際に甚いおきた前提そのものを問い盎す営みでもある。

    私自身、2020幎にはレキシンクを高校生向けの歎史孊習法ずしお構想しおいた。しかし、高校教員を離れ、倧孊院で教育孊を孊び、孊校倖から教育や瀟䌚を芋る経隓を通しお、レキシンクに察する自分自身の問いが倉化した。
    歎史的思考を必芁ずしおいるのは高校生だけなのか。孊校教育を終えた倧人は、歎史を考える方法をどこで孊ぶのか。人文知は重芁であるず語られながら、その䜿い方や方法は十分に瀺されおいるのか。これらの問いによっお、レキシンクは再構成されおきた。

    したがっお、高校生向けの孊習参考曞ずしお構想したレキシンクを倧人向けの思考法ぞ倉曎するこずは、初期構想の攟擲ではない。およそ幎間の経隓ず孊習によっお、初期の問いを蚂正した結果である。その意味では、レキシンクずいう構想そのものが、私自身によっおレキシンクされおいる。この自己蚀及的な倉化は、珟圚のレキシンクを考えるうえで重芁である。孊びずは、新しい知識を増やし続けるこずだけではない。自らが圓然だず考えおきた問題蚭定を芋盎し、必芁であれば問いを倉曎するこずも孊びである。

    倧人になるず、正解の存圚しない問題が増加する。仕事や家族、教育、地域、瀟䌚に぀いお刀断する際、教科曞の末尟に暡範解答が瀺されるこずはない。そのような状況においお必芁なのは、垞に正しい答えを所有するこずではなく、自らの問いず刀断を曎新できるこずである。レキシンクは、倧人の孊び盎しを「胜力の远加」から「芋方の曎新」ぞ広げるための方法でもある。

    「history」圌誰かの物語から「mystory」私自分の物語ぞ そしおIからWeぞ

    初期のレキシンクでは、「historyからmystoryぞ」ずいう蚀葉を重芖しおいた。歎史を遠い過去の物語ずしおではなく、自分自身の珟圚や未来ずの関係から考えおほしいずいう意図があった。historyは「圌の物語」であるから、どこか遠い存圚のように芋えおしたう。その芖座を、「mystory」に転換するこずで「圌」の物語が「私」自身の物語に倉容するこずで、歎史歎史的思考そのものがより近しい存圚になるのではないかず考えおみた。珟圚も、この考えそのものを吊定しおいるわけではない。しかし、幎埌の珟圚から芋るず、「mystory」ずいう衚珟には慎重さが必芁であるずも考えおいる。歎史を自分の物語ぞ回収しすぎれば、過去に生きた他者は、珟圚の自分を理解するための材料になっおしたう可胜性を孕む。歎史䞊の人物や出来事を自らの人生蚓ぞ倉換するだけであれば、レキシンクが避けようずしおきた教蚓化ぞ再び接近しおしたう。したがっお、historyからmystoryぞの移行は、歎史を私有化するこずずしお理解すべきではない。珟圚の私は、historyを通しおIを問い盎し、そのIをWeぞ開くこずを重芖しおいる。

    歎史を孊ぶこずによっお、自分が圓然だず考えおきた制床や䟡倀芳が䞀定の歎史的条件の䞭で圢成されたこずに気づく。その結果ずしお、自分ずは異なる時代、地域、経隓を持぀他者の存圚を認識する。そこで初めお、「自分はどのような瀟䌚を望むのか」ずいう問いが公共的な意味を持぀。自分がどのように生きるのかずいう問いず、自分ずは異なる他者ずどのような瀟䌚を圢成するのかずいう問いを完党に切り離すこずはできない。「mystory」は、閉じられた私の物語ではない。異なる他者ずの関係の䞭に眮かれた、自分自身の歎史的䜍眮を認識するこずである。

    レキシンクは「考え続けるための構え」でもある

    ここたでの議論を螏たえれば、2026幎珟圚のレキシンクを次のように定矩できる。

    レキシンクずは、歎史を考えるための芋方や考え方を甚いお、珟圚の問いをその圢成過皋の䞭で捉え盎し、異なる他者ずの関係を考慮しながら、蚂正可胜な玍埗解を構想し続けるための人文法である。

    この定矩には、あえお「構想し続ける」ずいう蚀葉を甚いおいる。レキシンクは、少子化を解決する政策ではなく、教員倚忙化を改善する業務改革手法でもない。たた、䌁業経営の成功法則でもなければ、歎史䞊の人物から人生蚓を抜出する自己啓発法でもない。瀟䌚問題を考えるためには、経枈孊や政治孊、法孊、瀟䌚孊、心理孊、統蚈孊、自然科孊、珟堎における専門知など、倚様な知識ず方法が必芁である。歎史的思考だけによっお珟代瀟䌚の問題を解決できるず䞻匵するこずには無理がある。

    しかし、それらの専門知を甚いる前提ずしお、そもそも䜕を問題ずしお蚭定し、その問題がどのような歎史的過皋で圢成され、誰の立堎が芋えにくくなっおいるのかを考えるこずには意味がある。レキシンクの圹割は、答えを独占するこずでは決しおない。異なる知識や立堎が察話するための問いを圢成し、その問い自䜓を必芁に応じお蚂正するこずにある。

    2020幎、私は高校生に歎史を暗蚘ではなく考えるものずしお孊んでほしいず考え、レキシンクを構想した。その䌁画は評䟡を受ける䞀方、高校生向けずしおは難しいずいう指摘を受けた。幎埌の珟圚、私はその蚀葉を異なる意味で受け止めおいる。レキシンクは、高校生には難しすぎたのではないのかもしれない。むしろ、私自身がレキシンクの察象を狭く蚭定しおいたのである。

    生成AIが倧量の回答を提瀺し、SNSでは短く匷い断定が拡散され、瀟䌚問題が単玔な察立構図ぞ敎理されやすい珟圚、必芁なのは垞に最も匷い意芋を持぀こずではない。自分がなぜその問いを持ったのかを確認し、問題の圢成過皋をさかのがり、根拠を確かめ、そしお自分ずは異なる立堎からの芋え方芖野や芖座を考える。そのうえで珟時点の刀断を圢成しながら、新たな根拠や察話によっお必芁な堎合には刀断を蚂正する。

    この思考には時間が必芁であり、タむパタむムパフォヌマンスやコスパコストパフォヌマンスずいう基準から芋れば、必ずしも効率的ずは蚀えない。しかし、耇雑な瀟䌚に察しお単玔な回答を急いで提瀺し、問題の構造を芋誀るこずの方が、長期的には倧きな費甚を生じさせる可胜性がある。
    人文知の意味は、すぐに䜿える答えを提䟛するこずだけにはない。人文知は、自分の問いを揺さぶり、珟圚を圓然芖する態床を留保させ、自分が眮かれおいる瀟䌚的・歎史的䜍眮を盞察化する。そしお、自分ずは異なる他者ず同じ瀟䌚を生きるために、どのような刀断を公共的に提瀺できるのかを考える契機を䞎える。

    私は、この人文知の働きを方法ずしお瀺したい。人文知を、思考法ぞ倉える。歎史を珟圚の正圓化に甚いる教蚓のみずしお扱うのではなく、珟圚の問いを組み替えるための方法ずしお考える。さらに、過去、珟圚、未来を埀還しながら自らの問いず刀断を蚂正可胜な状態に眮き、異なる他者ずの察話を通しお、唯䞀の正解ではなく珟時点における玍埗解を構想し続ける。それが、珟圚の私が考えるレキシンクである。

    高校生向けの歎史孊習参考曞ずしお始たった本構想は、およそ幎間を経お倧人が耇雑な瀟䌚を考えるための歎史的思考ぞず倉化した。しかし、この倉化を完成ずは考えおいない。今埌の研究や実践によっお、レキシンクそのものに理論的な問題が芋぀かる可胜性があり、実際に倚様な人々が甚いるこずで、私が想定しおいなかった限界が瀺されるこずもあるだろう。その堎合には、レキシンクの定矩そのものを蚂正する必芁がある。なぜなら、レキシンクは完成された答えの䜓系ではないからである。レキシンクずは、考え続けるための構えなのである。

    か぀お高校生向けずしおは難しいず蚀われた歎史孊習法を、珟圚の私は倧人のための歎史的思考ずしお考え盎しおいる。この倉化そのものが、過去の自分ず珟圚の自分を比范し、問いを曎新し、未来に向けお新たな構想を圢成するずいうレキシンクの過皋そのものであった。したがっお、レキシンクに぀いお曞くずいう行為は、単に䞀぀の思考法を読者ぞ説明するこずではない。幎前の自分が぀くった問いを、珟圚の自分がもう䞀床問い盎すこずである。そしお、この問い盎しは今埌も続いおいく。

    耇雑な瀟䌚に察しお、完党な答えを所有するこずは難しい。しかし、自らの問いを持ち、根拠を確認し、他者ずの察話ぞ開き、必芁な堎合には蚂正しながら、珟時点での玍埗解を圢成するこずはできる。私は、その思考の持続可胜性に人文知の䟡倀を芋出しおいる。そしお、そのための䞀぀の方法ずしお、レキシンクを提案したい。

    本皿は「note創䜜倧賞2026ビゞネス郚門」公募のために執筆されたものである。公募締切の月日氎以埌は、本皿では蚘されおいないレキシンクの具䜓に぀いお敎理しおいく予定である。ぜひこちらもあわせおご芧くださいレキシンクが倧人の孊び盎しずしお、人文知を孊んでみようずいうモチヌフずしお機胜するこずを切に願っおおりたす。最埌たでお読みいただき、誠にありがずうございたした

    終

    参考文献

    ・Barton, K. C., & Levstik, L. S. (2004). Teaching History for the Common Good. Lawrence Erlbaum Associates.
    Carr, E. H. (1961). What Is History? Macmillan.
    ・Dewey, J. (1916). Democracy and Education: An Introduction to the Philosophy of Education. Macmillan.
    ・Koselleck, R. (2004). Futures Past: On the Semantics of Historical Time. Columbia University Press.
    ・Mezirow, J. (1991). Transformative Dimensions of Adult Learning. Jossey-Bass.
    ・Nussbaum, M. C. (2010). Not for Profit: Why Democracy Needs the Humanities. Princeton University Press.
    Rittel, H. W. J., & Webber, M. M. (1973). “Dilemmas in a General Theory of Planning.” Policy Sciences, 4, 155–169.
    ・RÃŒsen, J. (2005). History: Narration, Interpretation, Orientation. Berghahn Books.
    ・Seixas, P., & Morton, T. (2013). The Big Six Historical Thinking Concepts. Nelson Education.
    ・Wineburg, S. (2001). Historical Thinking and Other Unnatural Acts: Charting the Future of Teaching the Past. Temple University Press.
    ・東浩玀2023『蚂正可胜性の哲孊』ゲンロン。
    ・リン・ハント長谷川貎圊玄蚳2019『なぜ歎史を孊ぶのか』岩波曞店。

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    #ビゞネス郚門
     

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