【エッセイ】美術館では、全部の絵をじっくり見なくてもいい
美術館に行くと、すべての作品を丁寧に見ようとして、帰るころにはへとへとになっていることがある。
美術館によっては、展示されている作品がとても多い。
一枚ずつじっくり見ていると、かなりの時間がかかる。そして、疲れる。
心が動く作品をゆっくり見たいのに、そのための体力や集中力にも限りがある。好きな絵の前で過ごす時間を、ちゃんと残しておきたい。
だから僕は、すべての絵を同じようにじっくり見なくてもいいと思っている。
さらっと眺めて、ピンときたら立ち止まる。
「好きだな」でもいいし、「とても気になる」でもいい。もう少し曖昧な、「なんか気になる」でもいい。
自分の中にそういう反応があったら、その絵に時間を使いたい。
「なんか気になる」で、足を止める
ビジネス書を読むとき、いま自分に必要な章をじっくり読んで、ほかはさらっと目を通すことがある。
美術館での僕の見方も、それに少し似ている。
全部を同じ濃さで見なくてもいい。そのときの自分が惹かれたところで、ゆっくりすればいい。
ただ、絵の場合は「いまの自分に何が必要か」まで考えなくてもよさそうだ。役に立つかどうかも、いったん置いておける。
色が好き。見ていると落ち着く。理由はうまく言えないけれど、気になる。
そのくらいの入口で、僕には十分だ。
気になった絵の前では、まず目立つ箇所を見る。
その後、上からジグザグに視線を動かしていく。近づいて見て、今度は離れて見る。
一枚の絵を見ているだけなのに、目も足も案外動いている。
余裕があれば、ベンチに座って数分眺める。
これが、僕にとっての「じっくり見る」だ。視線を動かしたり、距離を変えたり、ときには座ったりしながら、一枚の前で過ごす。
すべての作品でこれをやろうとしたら、やっぱり時間も体力も必要になる。
だから、この時間を、心が動いた絵に使いたい。
モネとゴッホも、最初から好きだったわけではない
いま僕は、モネとゴッホが好きだ。
モネは、見ていると落ち着くカラートーンや、淡いタッチが好き。
ゴッホは、あの力強い黄色に惹かれる。それに、山田五郎さんのYouTubeチャンネルでゴッホの人間性を知ったことも、好きになったきっかけだった。
色やタッチに惹かれることもあれば、描いた人を知って好きになることもある。
ところが、小学生のころは、この二人にほとんど興味がなかった。
……と書いてから、少し考え直した。
一応、気にはなっていたかもしれない。
このあたりは、はっきりしない。でも、いまのように「好きだな」と思っていたわけではない。
小学生のころの僕と、いまの僕では、同じ画家への気持ちが違う。少なくとも僕には、そういう変化があった。
だから、今日ときめかなかった作品も、それで話が終わるとは限らないと思っている。
あとで画家のことを知るかもしれない。自分の好みが変わるかもしれない。いつか見たときに、急に気になるかもしれない。
その「いつか」が来るかどうかは、まだ分からない。
でも、いまの自分が反応しなかったというだけで、先のことまで決めなくてもいい。
モネとゴッホを好きになったいまなら、そう思える。
今はスルー。また気になる日が来たら
心がときめかない作品は、今はさらっと見る。
この「今は」を、残しておきたい。
いま好きになろうと頑張らなくてもいいし、興味を持てない理由をいちいち考えなくてもいい。気になる日が来たら、そのときにじっくり見たい。
そうしているうちに、以前は通り過ぎた絵の前で、足が止まる日もあるかもしれない。
小学生のころにはそれほど興味がなかった二人を、いまは好きだと言っている。これから先も、自分の好みがずっと同じとは限らないのだろう。
美術館に行くたびに、全部の絵をじっくり見ようとすると疲れる。
僕は、その日の自分が心を動かされた作品の前で、ゆっくりしたい。
目立つところを見て、上からジグザグにたどる。近づいて、離れて、余裕があればベンチに座る。
そのために、さらっと通り過ぎる作品があってもいいと思っている。
今日ときめかなかった絵のことは、少し先の自分に任せておく。
いま気になる一枚を、もう少し見ていたい.
