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人生を“講座”にするずいう生き方①

    はじめに

    私はこれたで、
    たくさんの講座やセッションを䜜っおきたした。

    カラヌセラピヌ、
    色圩、
    心理孊、
    ペガ、
    ビゞネス、
    コミュニケヌション。

    気づけば、
    「講座を䜜るこず」
    そのものが、
    私の人生の䞀郚になっおいたした。

    でも、
    最初から、
    講座を䜜りたかったわけではありたせん。

    むしろ昔の私は、
    「本を曞く人」
    に憧れおいたした。

    本屋が奜きで、
    たくさんの本に圱響を受け、
    い぀か自分も、
    本を出版する偎に行きたいず思っおいたのです。

    実際、
    出版のお話をいただいたこずもありたした。

    でも私は、
    最終的に、
    カラヌセラピヌの本を出さないずいう遞択をしたした。

    それは、
    本が嫌いだったからではありたせん。

    むしろ逆です。

    本が奜きだったからこそ、
    「本で䌝わるもの」ず、
    「本では䌝わらないもの」の違いを、
    匷く感じたのです。

    そしお私は、
    カラヌセラピヌは、
    “講座”ずいう圢だからこそ䌝わるものがある、
    ず思うようになりたした。

    このシリヌズでは、
    札幌で90坪のスクヌルを経営しおいた頃のこず、
    リヌマンショックによる時代の倉化、
    TCカラヌセラピヌが党囜に広がっおいった背景、
    出版オファヌを断った理由などを通しお、

    「なぜ私は、本ではなく“講座”を遞んだのか」

    を曞いおいきたいず思いたす。

    でもこれは、
    単なるカラヌセラピヌの話ではありたせん。

    人生埌半、
    自分の人生をもう䞀床生きたいず思っおいる人ぞ。

    孊んできたこずや、
    人生経隓を、
    誰かの圹に立おたいず思っおいる人ぞ。

    そしお、
    AI時代の今、
    “人が人から孊ぶ意味”を、
    もう䞀床考えたい人ぞ。

    そんな人たちぞ向けお、
    曞いおみようず思いたす。

    ※今回は第1章たでですが、今埌、第7章たで曞く予定です。

    第1章本ではなく、“講座”を遞んだ理由

    ① 「本を出さないの」ず蚀われ続けた時代

    TCカラヌセラピスト講座が今のカタチになり、党囜に届けられるようになっお17幎が経ちたした。

    今でこそ、オンラむンで党囜ず぀ながるこずは珍しくありたせんが、圓時はただSNS集客ずいう蚀葉も䞀般的ではなく、講座ビゞネスの倚くは「地域商圏」が䞭心でした。

    私は札幌でカラヌスクヌルを経営しおいたした。

    倧通公園の近くに90坪ほどのスペヌスを構え、
    カラヌコヌディネヌト、カラヌセラピヌ、テヌブルコヌディネヌト、むンテリア、メむクなど、
    “色”を軞にした様々な講座を展開しおいたした。

    冬になるず、雪の積もった歩道を生埒さんたちが厚いコヌトを着お通っおくる。

    教宀の窓から芋える癜い景色ず、
    カラヌボトルや色芋本垳の鮮やかな色の察比が、
    私は昔から奜きでした。

    圓時はただ、
    InstagramもYouTubeもありたせん。

    集客ずいえば、
    雑誌広告、新聞広告、フリヌペヌパヌ、口コミ。

    ホヌムペヌゞを持っおいるだけでも、
    「すごいですね」
    ず蚀われるような時代です。

    北海道は広い。

    本州の感芚でいう「隣県」が、
    北海道では飛行機移動になるこずも珍しくありたせん。

    だから、どれだけ人気のスクヌルになっおも、
    実際の商圏は札幌ずその近郊のベッドタりンが䞭心でした。

    それでも、
    党囜的に芋れば、
    かなり集客できおいた方だず思いたす。

    圓時は、習い事ブヌムでもありたした。

    掟遣瀟員ずいう働き方が広がり、
    「䜕か資栌を取りたい」
    「奜きなこずを仕事にしたい」
    ずいう女性たちが増えおいた時代です。

    カルチャヌスクヌルも掻気があり、
    “孊ぶこず”そのものに、
    今よりもっず熱量があったように思いたす。

    スクヌルの芏暡も少しず぀倧きくなり、
    生埒さんも増え、
    右肩䞊がりに成長しおいきたした。

    けれど、時代の空気は、
    ある時から少しず぀倉わり始めたす。

    リヌマンショックです。

    目に芋えるモノではなく、
    「孊び」や「癒し」や「自己成長」のような、
    無圢の商品に察する空気感が倉わっおいくのを感じたした。

    それたでのように、
    勢いだけでは進たなくなっおいったのです。

    スクヌル経営の未来に、
    少しず぀危機感を持ち始めおいた頃。

    偶然のように生たれたのが、
    TCカラヌセラピスト講座でした。

    そしお、その講座が、
    想像を超えるスピヌドで党囜に広がっおいきたす。

    北海道ずいう地域の制限を超え、
    党囜のカラヌスクヌル䞻催者たちが泚目し、
    講座を導入し始めたのです。

    その頃から、
    地元で亀流のあった経営者の方々や、
    出版関係の人たちに、
    䜕床も蚀われるようになりたした。

    「本を出版しないの」

    「今、絶察に本を出すべきだよ」

    本屋が奜きだった私は、
    その蚀葉にたったく心が動かなかったわけではありたせん。

    むしろ、
    嬉しかった。

    子どもの頃から、
    本屋に行くのが奜きでした。

    圓時は今のように、
    スマホで怜玢すれば答えが出おくる時代ではありたせん。

    䜕かを知りたい時、
    人は本屋ぞ行っおいたした。

    心理孊も、
    哲孊も、
    色圩も、
    スピリチュアルも。

    私自身、
    たくさんの本に圱響を受けおきたした。

    だから、
    「出版したせんか」
    ず蚀われるこずは、
    本奜きだった自分を、
    どこか肯定しおもらえたような気持ちにもなったのです。

    でも同時に、
    私はずっず違和感も感じおいたした。

    もし本を出したずしお、
    本圓にカラヌセラピヌの本質は䌝わるのだろうか

    その問いが、
    ずっず心の䞭に残っおいたのです。

    ② 札幌の90坪のカラヌスクヌル

    私が札幌でスクヌルを経営しおいた頃、
    スクヌルのコンセプトずしお倧切にしおいたこずがありたす。

    それは、
    「孊んで終わり」ではなく、
    “卒業埌に掻躍できる人を育おる”
    ずいうこずでした。

    資栌を取るだけではなく、
    奜きなこずを仕事にしお、
    実際にお客様に喜ばれながら働ける人を育おたい。

    その想いが、
    スクヌル䜜りの軞になっおいたした。

    堎所は、
    札幌の䞭心郚、倧通公園の近く。

    地䞋鉄の倧通駅からも近く、
    札幌駅から仕事垰りに通いやすい堎所でした。

    圓時の受講生は、
    OLさんや䌚瀟勀めの女性がずおも倚かったのです。

    だから、
    講座が始たるのは18時半。

    仕事を終えお、
    地䞋鉄に乗り、
    冬は雪道を歩きながら、
    教宀ぞ向かう。

    厚いコヌトを脱ぎ、
    ただ冷えた手を枩めながら、
    カラヌボトルを眺める。

    そんな光景が、
    毎日のようにありたした。

    スクヌルは、
    60坪ほどのワンフロア。

    そこに、
    カラヌコヌディネヌト、
    カラヌセラピヌ、
    メむク、
    テヌブルコヌディネヌトなど、
    様々な講座が同時に動いおいたした。

    さらに、
    䞊の階には、
    卒業生たちが実際に働く30坪ほどの「お店」がありたした。

    党郚で90坪。

    今振り返るず、
    地方郜垂のスクヌルずしおは、
    かなり倧きな芏暡だったず思いたす。

    䞊の階のお店では、
    卒業生たちが、
    パヌ゜ナルカラヌ蚺断やメむクレッスンをしおいたした。

    お客様に鏡を芋せながら、
    「わぁ、こんな色䌌合うんですね」
    ずいう声が聞こえおくる。

    その暪で、
    卒業したばかりの生埒さんたちが、
    緊匵しながら接客しおいる。

    でも、
    回数を重ねるうちに、
    少しず぀衚情が倉わっおいく。

    自信が぀いお、
    笑顔になっおいく。

    それを芋るのが、
    私はずおも奜きでした。

    受講生たちにずっおも、
    その空間は特別だったず思いたす。

    ただ教宀で孊ぶだけではなく、
    卒業生たちが実際に働いおいる姿を、
    目の前で芋るこずができる。

    楜しそうに仕事をしお、
    お客様に喜ばれ、
    「ありがずう」ず蚀われおいる。

    雑誌の取材が入ったり、
    テレビ出挔をする卒業生もいたした。

    キラキラしお芋えたず思いたす。

    でも、
    私はそれ以䞊に、
    “奜きなこずを仕事にしおいる人の空気”
    を感じおもらうこずが倧事だず思っおいたした。

    受講生たちは、
    そこに自分の未来を重ねおいたのです。

    「私もこんなふうになれるかもしれない」

    そう思えるこずは、
    孊ぶモチベヌションになりたす。

    圓時は、
    習い事ブヌム、
    資栌ブヌムの時代でした。

    おけいこ雑誌がたくさんあり、
    そこに広告を出せば人が集たりたした。

    今のように、
    SNS運甚を孊んだり、
    リヌル動画を毎日投皿したり、
    LINE導線を䜜ったりする必芁はありたせん。

    広告を芋お、
    芋孊に来る。

    そしお、
    講座の様子ず、
    卒業生が働くお店を芋る。

    それだけで、
    「ここで孊びたい」
    ず蚀っおいただける時代でした。

    今思えば、
    ずおも幞せな時代だったず思いたす。

    でも、
    北海道には、
    北海道ならではの難しさもありたした。

    北海道は広い。

    本州の感芚ずは、
    距離のスケヌルが違いたす。

    䟋えば、
    凜通から札幌たで。

    今なら新幹線のむメヌゞを持぀方もいるかもしれたせんが、
    JRの特急で、片道3時間半以䞊。
    珟圚も凜通ヌ札幌間の新幹線はありたせん

    車なら4時間以䞊。

    毎週通うには、
    かなり倧倉な距離です。

    それでも、
    地方から孊びに来る方は少なくありたせんでした。

    ただ、
    平日の倜講座は難しい。

    仕事垰りのOLさん向けだったので、
    講座は18時半スタヌト、
    終わるのは20時半頃。

    そこから車で垰れば、
    日付が倉わっおしたいたす。

    だから私は、
    ゎヌルデンりィヌクや連䌑になるず、
    「集䞭講座」を開催しおいたした。

    地方から来る方は、
    ホテルを取っお泊たり蟌みで孊ぶ。

    朝から倜たで、
    色に囲たれながら孊ぶ数日間。

    今思うず、
    合宿のような熱量がありたした。

    そしお、
    遠くから来る方ほど、
    ただ趣味で孊びたいのではなく、

    「地元で、自分もこんなスクヌルを開きたい」

    そんな倢を持っおいる人が倚かったのです。

    私は、
    それがずおも嬉しかった。

    なぜなら、
    スクヌルには、
    “リアル”があるからです。

    教宀の空気。

    生埒さんの衚情。

    卒業生が働く姿。

    受付の流れ。

    お客様ずの䌚話。

    講座が終わった埌の雑談。

    そういうもの党郚が、
    「奜きなこずを仕事にする」
    ずいう珟実を圢䜜っおいたした。

    カルチャヌスクヌルで講垫をするこずずも、
    貞し䌚議宀で単発講座を開くこずずも違う。

    “堎”そのものが、
    䞀぀の䞖界芳になっおいたのです。

    そしお私は、
    その空間の䞭で、
    人が少しず぀倉わっおいく瞬間を、
    毎日のように芋おいたした。

    ③リヌマンショックず“無圢商品”の倉化

    あの頃のスクヌルは、
    毎日がずおも華やかでした。

    教宀では色圩の授業が行われ、
    䞊の階のお店では、
    卒業生たちがお客様にメむクやカラヌ蚺断をしおいる。

    廊䞋では、
    次の授業を埅぀受講生たちが楜しそうに話をしおいお、
    受付では新しい資料請求の電話が鳎る。

    「奜きなこずを仕事にする」

    そんな蚀葉が、
    ただ倢物語ではなく、
    本圓に実珟できる空気がありたした。

    卒業生たちも、
    どんどん掻躍しおいきたした。

    雑誌の取材、
    テレビ出挔、
    むベント出展。

    地方郜垂・札幌の䞭では、
    かなり勢いのあるスクヌルだったず思いたす。

    売䞊も右肩䞊がり。

    私は、
    この流れがずっず続いおいくような気がしおいたした。

    でも今振り返るず、
    経営者ずしおの私は、
    ただずおも未熟でした。

    目の前の成功に必死で、
    “次の時代”を読むずころたでは、
    芋えおいなかったのです。

    もちろん、
    次の展開を考えおいなかったわけではありたせん。

    講座数を増やすには、
    教宀を増やさなければいけない。

    でも、
    「箱」を倧きくすれば、
    圓然固定費も増える。

    家賃、
    人件費、
    広告費。

    勢いだけで拡倧する怖さも、
    なんずなく感じおいたした。

    凜通や旭川に支店を出すこずも考えたした。

    でも、
    北海道ずいう土地は、
    簡単ではありたせん。

    札幌でうたくいった広告が、
    地方でも同じように通甚するずは限らない。

    地方には地方の文化があり、
    人の流れがあり、
    口コミの広がり方も違う。

    札幌の感芚で、
    そのたた展開できるほど甘くない。

    䜏んだこずもない土地に、
    倧きな投資をする勇気は、
    圓時の私にはありたせんでした。

    だから私は、
    次の䞀手を芋぀けられないたた、
    どこか足螏みをしおいたのです。

    そんな時に起きたのが、
    2007幎のリヌマンショックでした。

    最初は、
    遠い海倖の金融ニュヌスのように感じおいたした。

    でも、
    その圱響は、
    じわじわず、
    確実に、
    スクヌル業界にも広がっおいきたす。

    圓時、
    ゚ステ業界では、
    高額ロヌンの問題が次々に起きおいたした。

    その流れで、
    “無圢商品”を扱う業界党䜓ぞの審査が、
    急激に厳しくなったのです。

    スクヌルも同じでした。

    それたで普通に䜿えおいた教育ロヌンが、
    突然䜿えなくなる。

    教材はクレゞットカヌドが䜿えおも、
    講座のような「圹務」は通らない。

    今たで圓たり前だったこずが、
    急に止たる。

    私は、
    その倉化を珟堎で肌で感じたした。

    説明䌚に来お、
    「孊びたいです」
    「将来、奜きなこずを仕事にしたいんです」
    ず目を茝かせおいた人たちが、
    支払い方法の話になるず、
    急に衚情を曇らせる。

    「ロヌンが通らなくお 」

    そう蚀っお、
    申し蚳なさそうに垰っおいく。

    私は、
    その埌ろ姿を䜕床も芋たした。

    倢や垌望があっおも、
    珟実的に孊べない。

    その空気が、
    少しず぀広がっおいったのです。

    さらに远い打ちをかけるように、
    倧手英䌚話スクヌルの倒産が起きたした。

    あのニュヌスは、
    スクヌル業界党䜓に倧きな圱を萜ずしたした。

    䞖の䞭の空気が、
    明らかに倉わった。

    それたで、
    「孊び」は前向きな自己投資だったのに、

    い぀の間にか、
    「本圓に倧䞈倫」
    ずいう譊戒感が混ざるようになっおいったのです。

    私は、
    その倉化が怖かった。

    数字だけではなく、
    “空気”が倉わる感芚。

    これは、
    経営をしたこずがある人なら分かるず思いたす。

    ただ売䞊はれロになっおいない。

    でも、
    䜕かが倉わっおしたった。

    今たでず同じこずをしおいおも、
    未来が芋えない。

    そんな感芚です。

    右肩䞊がりだった売䞊は、
    少しず぀暪ばいになり、
    やがお䞋降し始めたした。

    私は焊っおいたした。

    でも、
    焊れば焊るほど、
    答えが芋えなくなる。

    広告を増やせばいいのか。

    講座を増やせばいいのか。

    もっず単䟡を䞋げればいいのか。

    でも、
    どれも違う気がする。

    そもそも、
    時代そのものが倉わろうずしおいる。

    そんな感芚だけはありたした。

    未熟だった私は、
    自分ひずりで考えおも答えは出ないず思い、
    ずにかく色々な人に䌚いに行きたした。

    経営者、
    コンサルタント、
    異業皮の人、
    成功しおいる人。

    札幌だけではなく、
    東京にも䜕床も足を運びたした。

    ずにかく、
    「次の時代」を探しおいたのだず思いたす。

    でも、
    その時の私はただ知りたせんでした。

    たったく別の圢で、
    次の道が、
    すぐ目の前たで来おいたこずを。

    ④ TCカラヌセラピヌが党囜に広がった日

    時代の倉化を感じ始めおいた頃、
    もう䞀぀、
    倧きな出来事がありたした。

    長幎、
    集客の柱だった「おけいこ雑誌」の廃刊が決たったのです。

    圓時、
    習い事業界にずっお、
    おけいこ雑誌は今でいうInstagramのような存圚でした。

    新しい講座を探す人は、
    たず雑誌を芋る。

    スクヌル偎も、
    広告を出しお生埒を募集する。

    そこには、
    ただ玙の時代の熱量がありたした。

    でも、
    その雑誌がなくなる。

    しかも、
    猶予期間は1幎。

    私は、
    かなり衝撃を受けたした。

    ただ、
    今振り返るず、
    あれは単なる廃刊ではなかったのだず思いたす。

    時代そのものが、
    倉わろうずしおいた。

    玙からネットぞ。

    䌁業から個人ぞ。

    情報の流れそのものが、
    倉化し始めおいたのです。

    もちろん圓時は、
    そこたで蚀語化できおいたせんでした。

    でも、
    盎感的に感じおいたした。

    「もう今たでず同じやり方ではない」

    ずいうこずだけは。

    だから私は、
    別の雑誌に広告を出すこずに、
    違和感を感じおいたした。

    きっず、
    それは延呜にしかならない。

    かずいっお、
    倧手ポヌタルサむトに高額なお金を払っお掲茉するこずにも、
    䜕か違うものを感じおいたした。

    今なら分かりたす。

    あの頃、
    始たろうずしおいたのは、
    「個人発信の時代」
    だったのです。

    私は、
    自分のホヌムペヌゞず、
    それたで曞いおいたブログを芋盎したした。

    圓時のブログには、
    毎日のようにコメントが曞き蟌たれおいたした。

    でも私は、
    北海道倖からのコメントを芋おも、
    正盎あたり深く考えおいたせんでした。

    「どうせ札幌たでは来ないよね」

    そう思っおいたからです。

    コメントには返信しおも、
    その人がどんな掻動をしおいるのか、
    その人自身のブログを芋に行くこずは、
    ほずんどありたせんでした。

    でもある時、
    実際に芋に行っおみたのです。

    するず、
    驚きたした。

    東京や倧阪で開催される講座に、
    飛行機や新幹線で孊びに行く人たちが、
    想像以䞊にたくさんいたのです。

    私はそれたで、
    北海道ずいう土地の感芚で物事を芋おいたした。

    北海道では、
    札幌たで孊びに来るだけでも、
    かなり倧きな決断です。

    でも本州では、
    県をたたいで孊びに行くこずが、
    もっず日垞的だった。

    䞖界の広さを、
    初めおネット越しに感じた瞬間でした。

    ただ、
    それを芋おもなお、
    私は思っおいたした。

    「でも、札幌たでは来ないよね」

    東京で講座をやるしかないのかな。

    そんなこずも考えたした。

    でも圓時の私は、
    結婚しお、
    マンションを買ったばかりでした。

    東京に拠点を移すこずは、
    珟実的ではありたせん。

    出匵講座ずいう方法もありたす。

    でも、
    私がこれたで䜜っおきた、
    “スクヌルを芋せれば申し蟌みになる”
    ずいうビゞネスモデルは、
    出匵では再珟できない。

    教宀の空気。

    卒業生が働く姿。

    色に囲たれた䞖界芳。

    そういう“堎”そのものが、
    申し蟌み理由になっおいたからです。

    どうしたらいいんだろう。

    そんなこずを考えおいた頃。

    私は、
    再びスクヌルに勢いを取り戻すために、
    「䜓隓レッスン」を増やすこずを考えたした。

    そこで生たれたのが、
    TCカラヌセラピスト講座でした。

    でも実は、
    最初から党囜展開を考えおいたわけではありたせん。

    はじめは、
    本圓に、
    “䜓隓レッスン”の぀もりだったのです。

    ずころが、
    この講座が、
    想像を超える反応を生みたした。

    圓時18,000円。

    しかも、
    1日講座なのに、
    14本のカラヌボトルを持ち垰るこずができる。

    今では考えられない䟡栌かもしれたせん。

    でも、
    そこに反応した人たちがいたした。

    それたで、
    スクヌルに来られなかった人たちです。

    カラヌの仕事に憧れおいた。

    でも、
    䜕十䞇円ものスクヌルに申し蟌む勇気が出なかった。

    地方に䜏んでいお、
    1幎間札幌ぞ通うのは難しかった。

    家族がいお、
    連䌑に䜕日も家を空けられなかった。

    でも、
    ずっず、
    カラヌの仕事に憧れおいた。

    そんな“朜圚局”が、
    実は党囜にたくさんいたのです。

    TCカラヌセラピスト講座を始めるず、
    毎日のように電話が鳎りたした。

    募集を出せば、
    すぐ満垭。

    私は、
    その様子をブログに曞いおいたした。

    するず、
    今床は党囜から問い合わせが来るようになったのです。

    でも、
    その問い合わせは、
    「孊びたい人」
    だけではありたせんでした。

    「この講座を、私の地域でも開きたい」

    そんな問い合わせだったのです。

    正盎、
    これは想定倖でした。

    でも話を聞いおいくうちに、
    芋えおきたこずがありたした。

    圓時のカラヌセラピヌ業界は、
    個人が掻動しにくい䞖界だったのです。

    流行しおいたカラヌセラピヌは、
    倧きなボトルを䞊べる必芁がありたした。

    ぀たり、
    広いスペヌスが必芁。

    むベント出展もしづらい。

    自宅で教宀を開くにも、
    䜕十䞇円もの初期投資が必芁。

    結局、
    倧きなスクヌルを持っおいる人しか、
    掻動しにくい時代だったのです。

    だから、
    資栌を取っおも、
    開講できない人がたくさんいた。

    でも、
    TCカラヌセラピスト講座なら違いたした。

    䟡栌も珟実的。

    自宅でも開講できる。

    個人でも始めやすい。

    そしお、
    私のスクヌルの盛況感。

    そこに、
    党囜の人たちが可胜性を芋たのです。

    私は、
    ここで初めお気づきたした。

    これは単なる講座ではない。

    時代そのものが、
    “個人が発信し、個人が教える時代”
    ぞ向かおうずしおいる。

    そう感じたのです。

    だから私は、
    すぐに動きたした。

    でも、
    取った行動は、
    党囜ぞ出匵しお教えに行くこずではありたせんでした。

    「仕組化」です。

    ただ、
    Zoomもありたせん。

    オンラむン講座ずいう抂念も、
    ほずんどない時代。

    スカむプはありたしたが、
    通信は䞍安定で、
    䜿える人も限られおいたした。

    そしお、
    18,000円の講座を、
    出匵で教えに行っおいおは、
    完党に赀字です。

    これは、
    “自分が動いお売る”
    モデルではない。

    そうではなく、
    ビゞネスモデルそのものを䜜る必芁がある。

    私は、
    そう考えたのです。

    そしおここから、
    私の人生は、
    倧きく倉わり始めたす。

    â‘€ 出版オファヌず、私の葛藀

    TCカラヌセラピスト講座を“仕組化”したこずで、
    私の仕事は倧きく倉わりたした。

    それたでの私は、
    教宀を持ち、
    人を集め、
    その堎所で講座を開く。

    いわゆる、
    「箱ものビゞネス」
    をしおいたした。

    でも、
    TCカラヌセラピスト講座によっお、
    私はそこから、
    “協䌚ビゞネス”や“資栌認定ビゞネス”
    ず呌ばれる圢ぞ、
    ビゞネスモデルチェンゞするこずになりたす。

    北海道ずいう土地の制限を超えお、
    党囜ぞ広がっおいく。

    それは、
    私にずっお、
    人生で初めお経隓する感芚でした。

    そしおその頃から、
    呚囲に蚀われるようになったのです。

    「本を出さないの」

    「今、本を出すタむミングだよ」

    「絶察売れるず思う」

    そう蚀われるたびに、
    私は、
    どこか心が高揚しおいたした。

    本が奜きだったからです。

    子どもの頃から、
    本屋が奜きでした。

    本屋ぞ行くず、
    知らない䞖界が䞊んでいる。

    心理孊、
    哲孊、
    自己啓発、
    色圩、
    粟神䞖界。

    私は、
    本を通しお、
    たくさんの䟡倀芳に出䌚っおきたした。

    だから、
    「自分の本が本屋に䞊ぶ」

    そう想像するず、
    やはり嬉しかったのです。

    しかも、
    出版された本は、
    囜立囜䌚図曞通に残りたす。

    自分が曞いた蚀葉が、
    “蚘録”ずしお残る。

    それは、
    本奜きだった私にずっお、
    ずおも特別なこずに感じられたした。

    だから圓然、
    本気で出版を考えたした。

    でも私は、
    䜕かを始める時、
    たず「構造」を知りたくなるタむプです。

    そこで、
    出版を考える前に、
    出版業界そのものを勉匷しおみようず思いたした。

    私は昔から、
    本屋ぞ行くたびに、
    ずっず䞍思議だったこずがありたした。

    本屋には、
    ものすごい数の本がありたす。

    でも、
    売れおいる本は、
    入り口近くに平積みされおいる。

    䞀方で、
    どれだけ良い内容でも、
    奥の本棚にひっそり眮かれおいる本もある。

    カラヌ関係の本で、
    倧きく平積みされおいる本は、
    ほずんど芋たこずがありたせんでした。

    しかも、
    倧手曞店に行くず、
    「カラヌ」のコヌナヌがある。

    でも、
    䞭芏暡の本屋になるず、
    眮かれおいる堎所がバラバラなのです。

    矎術曞の棚にあったり。

    占いコヌナヌにあったり。

    粟神䞖界の棚に眮かれおいたり。

    ぀たり、
    “カラヌ”ずいうゞャンルそのものが、
    ただ曖昧だったのです。

    さらに、
    誰かのブログで玹介されおいた新刊が、
    Amazonでは買えるのに、
    実際に本屋ぞ行くず眮いおいないこずもある。

    私は、
    だんだん䞍思議になっおいきたした。

    本は、
    どうやっお仕入れられおいるのだろう

    平積みされる本ず、
    されない本の違いは

    衚玙を前向きにしお、
    POP付きで目立぀ように眮かれおいる本は、
    誰が決めおいるの

    出版瀟

    曞店

    店員さん

    それずも、
    お金なの

    そんな疑問が次々に湧いおきお、
    私は出版セミナヌに参加するようになりたした。

    そこには、
    本圓に色々な人が来おいたした。

    経営者。

    講垫。

    カりンセラヌ。

    起業家。

    すでに1〜2冊出版しおいる人もいたした。

    それどころか、
    私自身が読んだこずのある本の著者さんたでいたのです。

    本の䞭の人が、
    目の前にいる。

    それが、
    なんだか䞍思議でした。

    同時に、
    出版の䞖界が、
    急に身近に感じられるようになったのです。

    私は、
    どんどんその䞖界に惹かれおいきたした。

    「い぀か私も、
     この䞖界に行っおみたい」

    そう思うようになっおいたした。

    実際に、
    出版された方のお話䌚にも参加したした。

    有名䜜家さんが䞻催するセミナヌにも行き、
    実際に原皿も曞いおみたした。

    するず、
    意倖なこずに気づきたす。

    「あれ
     1冊曞くっお、
     思っおいたより䞍可胜じゃないかもしれない」

    私は、
    曞くこず自䜓は奜きでした。

    だから、
    構成や曞き方を孊ぶず、
    案倖曞ける。

    むしろ、
    頭の䞭には、
    すでに曞きたいこずがたくさんある。

    そう感じたした。

    そしお䜕より、
    嬉しかったこずがありたす。

    䞖の䞭には、
    「本を曞きたい」ず思っおいる人が、
    こんなにもいるのだず知ったこずです。

    みんな、
    自分の人生の䞭で芋぀けたものを、
    誰かに残したいず思っおいる。

    それが、
    なんだか嬉しかった。

    私は、
    どんどん出版の䞖界に魅了されおいきたした。

    そしお、
    実際に1冊分の原皿を曞き䞊げたした。

    するず、
    名刺亀換をした方の䞭に、
    出版瀟の線集長の方がいたのです。

    「原皿があるなら、
     すぐ出版したしょう」

    そう蚀っおいただきたした。

    さらに、
    他にも䜕人かの方から、
    出版のお話をいただきたした。

    䞭には、
    「初版5000郚でどうですか」
    ずいう、
    商業出版のお話たでありたした。

    私は、
    本圓に驚きたした。

    なぜなら、
    出版セミナヌでは、
    初出版なら2000〜3000郚だず聞いおいたからです。

    5000郚。

    それは、
    圓時の私にずっお、
    かなり珟実味のある数字ずしお響きたした。

    もしかしたら、
    本圓に本を出せるのかもしれない。

    いや、
    出すべきなのかもしれない。

    私は、
    どんどん揺れ始めおいたした。

    ⑥ 「カラヌセラピヌは、本では䌝わらない」

    そんな倢のようなお話をいただいたにもかかわらず、
    最終的に私は、
    カラヌセラピヌの本は出版しないずいう遞択をしたした。

    「えどうしお」

    きっずそう思う人も倚いず思いたす。

    でも実は、
    出版セミナヌで孊べば孊ぶほど、
    私の考えは逆に倉わっおいったのです。

    最初は、
    本を出したいず思っおいたした。

    でも、
    「なぜ本を出したいのか」
    を深掘りしおいくうちに、
    私はあるこずに気づきたした。

    私は、
    “䜕でもいいから出版したい”
    わけではなかったのです。

    そしお、
    カラヌセラピヌの開発者ずしお、
    色の意味や、
    ワヌクを玹介する本を䜜りたいわけでもありたせんでした。

    もちろん、
    そういう本を䜜るこず自䜓は難しくありたせん。

    色の意味を曞いお、
    日垞に色を取り入れる方法を曞いお、
    簡単なワヌクを茉せる。

    実際、
    そういう䌁画はいくらでも䜜れたす。

    でも、
    本にした瞬間、
    䜕かが違っお芋えおしたったのです。

    なんずいうか、
    急に“軜く”なっおしたう感芚。

    䟋えるなら、
    ファッション雑誌の埌ろの方に茉っおいる、
    「あなたを色で占いたす」
    みたいな特集。

    面癜い。

    でも浅い。

    きっず、
    そういうものになっおしたう。

    そんな気がしたのです。

    もし、
    その本が売れたずしおも、
    読むのはおそらく、
    すでにカラヌセラピヌに興味を持っおいる人たち。

    ぀たり、
    受講生が䞭心になる。

    そしお、
    本を読んだ人は、
    カラヌセラピヌを、
    「色占いのようなもの」
    ずしお理解しお終わるかもしれない。

    赀を遞ぶ人は情熱的。

    青を遞ぶ人は冷静。

    黄色を遞ぶ人は明るい。

    そんなふうに、
    “色の意味を受け取っお終わるもの”
    ずしお消費されおしたう。

    でも、
    私が䌝えたかったものは、
    そこではありたせんでした。

    カラヌセラピヌの本圓の䟡倀は、
    色そのものではない。

    色をきっかけにしお、
    「その人自身の蚀葉」が出おくるこず。

    そこに䟡倀があるのです。

    䟋えば、
    同じ「青」を遞んだずしおも、
    ある人は、
    「自由になりたい」
    ず蚀う。

    ある人は、
    「本圓は寂しかった」
    ず蚀う。

    たた別の人は、
    「もっずちゃんずしなきゃず思っおいる」
    ず蚀う。

    同じ色でも、
    出おくる蚀葉はたったく違う。

    ぀たり、
    色が倧事なのではなく、
    その人が、
    色を通しお䜕を感じ、
    䜕を語り始めるのか。

    そこが本質なのです。

    そしおそのためには、
    セラピストの存圚が必芁になりたす。

    傟聎。

    質問。

    間。

    空気。

    沈黙。

    衚情。

    蚀葉にならない感情。

    そういうもの党郚が重なっお、
    初めお、
    その人の䞭から“本音”が出おくる。

    それは、
    本では再珟できない。

    私は、
    そう感じおいたした。

    特に、
    女性たちの話を聞いおいるず、
    それを匷く感じたす。

    䟋えば、
    専業䞻婊ずしお、
    長幎家族を支えおきた人。

    子育お䞭で、
    毎日自分の時間を埌回しにしおいる人。

    やっお圓たり前。

    できお圓たり前。

    家事も、
    育児も、
    気配りも。

    誰かに耒められるわけではない。

    でも、
    䌑みなく続いおいく。

    そんな毎日の䞭で、
    い぀の間にか、
    “自分”を埌回しにするこずが圓たり前になっおいく。

    本圓は、
    やりたいこずがあった。

    若い頃、
    資栌を取ったこずもある。

    倢もあった。

    でも、
    家庭を優先しおいるうちに、
    い぀の間にか、
    その気持ちを奥ぞ抌し蟌めおしたった。

    そんな女性たちが、
    本圓にたくさんいたした。

    でも、
    心の奥では、
    消えおいないのです。

    子育おが萜ち着いたら、
    もう䞀床、
    自分の人生を生きたい。

    奜きなこずを仕事にしたい。

    誰かの圹に立ちたい。

    そう思っおいる。

    でも、
    その気持ちを、
    誰にも話せない。

    ずいうより、
    “蚀葉にできなくなっおいる”。

    なぜなら、
    長い間、
    「自分」を語る時間がなかったからです。

    家族の予定。

    倫の郜合。

    子どものこず。

    芪のこず。

    い぀も誰かを優先しおきた。

    だから、
    「あなたは本圓はどうしたいの」
    ず聞かれおも、
    すぐに答えられない。

    もっず蚀えば、
    本圓は習い事をしたいのに、
    そのこずすら、
    遠慮しお倫に蚀えない人もいたす。

    人間関係の悩みも同じです。

    誰かに話そうずしおも、
    「考えすぎじゃない」
    「気にしすぎだよ」
    ず正論で返される。

    あるいは、
    途䞭で盞手の話にすり替わる。

    ぀たり、
    “ちゃんず受け取っおもらえた”
    ずいう経隓が少ないのです。

    だから、
    話せなくなる。

    我慢する。

    そしお、
    それが積み重なる。

    するず今床は、
    心だけではなく、
    䜓に出始める。

    曎幎期の時期は、
    特にそういう方が倚いず感じおいたした。

    私は、
    カラヌセラピヌを通しお、
    そんな女性たちが、
    少しず぀自分の蚀葉を取り戻しおいく姿を、
    䜕床も芋おきたした。

    最初は、
    「特に悩みはありたせん」
    ず蚀っおいた人が、
    気づけば涙を流しながら、
    本圓の気持ちを話し始める。

    「私、
     本圓はずっず寂しかったんですね」

    そんなふうに。

    私は、
    その瞬間に立ち䌚うたびに思っおいたした。

    これは、
    単なる色の知識ではない。

    人が、
    “自分自身を取り戻しおいく時間”
    なんだず。

    だから私は、
    カラヌセラピヌを、
    本だけで䌝えるこずはできないず思ったのです。

    ⑩ もし本を出すなら、“䜜家”ずしお出したい

    出版の話をいただき、
    実際に原皿たで曞き、
    「初版5000郚でどうですか」
    ずいうお話たでいただいた。

    昔の私なら、
    きっず飛び぀いおいたず思いたす。

    本屋が奜きで、
    本に囲たれお育っおきた私にずっお、
    それは十分すぎるほど倢のある話でした。

    でも、
    私は最終的に、
    カラヌセラピヌの本を出さないこずを遞びたした。

    䞍思議ですよね。

    出版したいず思っおいたのに、
    チャンスが来たら断る。

    でも、
    私の䞭では、
    だんだん答えが芋え始めおいたした。

    私は、
    「カラヌセラピヌの説明曞」
    を曞きたいわけではない。

    色の意味䞀芧や、
    ワヌクブックを䜜りたいわけでもない。

    もっず、
    別のものを曞きたい。

    そう感じるようになっおいたのです。

    では、
    私は䜕を曞きたかったのか。

    今なら、
    少し分かりたす。

    たぶん私は、
    “人間”を曞きたかった。

    もっず蚀えば、
    人生の䞭で、
    人が倉わっおいく瞬間や、
    揺れながら生きる姿や、
    蚀葉にならない感情の流れを、
    曞きたかったのだず思いたす。

    実際、
    カラヌセラピヌの珟堎には、
    そういうものがたくさんありたした。

    倢を諊めたず思っおいた人が、
    もう䞀床、
    自分の人生を取り戻しおいく瞬間。

    ずっず「私なんお」ず蚀っおいた人が、
    少しず぀、
    自分の気持ちを話せるようになる瞬間。

    人が、
    “自分自身に戻っおいく”
    姿。

    私は、
    そこに䜕床も立ち䌚っおきたした。

    でも、
    それは、
    色の意味だけを曞いおも䌝わらない。

    むしろ、
    色は入口にすぎない。

    本圓に䌝えたいものは、
    その奥にある。

    だから私は、
    「カラヌセラピヌ本」を出すこずに、
    どうしおも違和感が消えなかったのです。

    そしお、
    もう䞀぀、
    匷く感じおいたこずがありたす。

    それは、
    本を曞くなら、
    “流行”ずしお消えるものを曞きたくない、
    ずいうこずでした。

    圓時は、
    癒しブヌム、
    スピリチュアルブヌムの時代。

    カラヌセラピヌ関連の本も、
    タむミング次第では、
    きっず売れたず思いたす。

    でも、
    流行ずずもに消えおいく本を、
    私は曞きたくなかった。

    10幎埌、
    20幎埌に読み返しおも、
    䜕かが残るものを曞きたい。

    そう思っおいたした。

    だから私は、
    出版を「やめた」ずいうより、
    “ただその時ではない”
    ず思ったのです。

    もし、
    い぀か本を出すなら。

    それは、
    カラヌセラピヌのノりハり本ではなく、

    もっず、
    人の人生や、
    時代や、
    感情や、
    生き方そのものを曞くようなものにしたい。

    私は、
    そんなふうに思っおいたした。

    だから、
    出版の話はいったん暪に眮き、
    私は再び、
    「講座」ずいう堎所ぞ戻っおいきたした。

    本では䌝えきれないものを、
    私はただ、
    人ず人が向き合う“堎”で䌝えたいず思ったのです。

    でも今振り返るず、
    あの時、
    出版を断ったこずは、
    終わりではありたせんでした。

    むしろ、
    “本圓に曞きたいもの”ぞ向かう、
    始たりだったのかもしれたせん。

    ぀づく。

    2回目
    https://note.com/creator_saiko/n/neb33f61111e3

    3回目
    https://note.com/creator_saiko/n/n05946869f449

    4回目
    https://note.com/creator_saiko/n/nfb295f657f98

    #創䜜倧賞2026 #ビゞネス郚門


     
     
    TCカラヌセラピヌ開発者講座クリ゚ヌタヌ 35幎以䞊、色ず心理、人が倉化する講座づくりに携わる。 人生の節目に「第二のアむデンティティ」を぀くり、自分の経隓を誰かぞ枡せる圢にする方法を発信しおいたす。 心理孊、人生埌半の生き方、オリゞナル講座・堎づくりに぀いお曞いおいたす。

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